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『南山神学』総目次

Nanzan Journal of Theological Studies
在名古屋教皇庁認可神学部・南山大学人文学部キリスト教学科編・発行
ISSN: 0387-3730




<最新号> 第47号(2024年3月)
Janusz KUCICKIThe Pharisee and the Tax Collector in Lk 18:9-14 -- Sociological and Theological Interpretations1-23
ヘラ,マリアヌス パレイエスとニコデモ(ヨハ3:1-21)--「キリスト論と弟子理解」の二重構造とその物語機能25-56
井上 淳「人間において,理性的魂と感覚的魂と自育的魂は一つの実体であるか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第11問題について59-91
松根 伸治七つの罪源の系譜とトマス・アクィナス93-142
アンジェリーナ・ヴォルペ地中海と中東における平和のための尊者ジョルジョ・ラ・ピーラの活動 -- 第1回「平和とキリスト教文明のための会議」(1952年)から第1回「地中海コロキウム」(1958年)の発端まで147-180
田中 昇カトリック教会の秘跡的生活における信仰の役割 -- 教会生活の課題解決に関する一考察183-253
南 翔一朗カントの宗教哲学における神義論批判と神に対する誠実な抗議の道徳的価値257-275
第46号(2023年3月)
ハンス ユーゲン・マルクスカルケドン公会議による教理宣言1-21
ヤヌシュ・クチツキアリマタヤのヨセフ -- 4つの福音書における文学的提示25-43
岡嵜 隆哲アウグスティヌスの「告白」における探求 --『告白』第10巻1-5章45-62
井上 淳「魂は身体全体の内に存在し,かつそのどの部分の内にも存在しているのであるか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第10問題について65-93
田中 昇カトリック教会の祓魔式97-210
Rejimon VARGHESE書評:Reza Aslan, Zealot: The Life and Times of Jesus of Nazareth, Westbourne Grove, London: The Westbourne Press, 2014, pp. i-xxxiv and 1-318.213-220
第45号(2022年3月)
ハンス ユーゲン・マルクスカルケドンにおける強盗会議の後始末1-24
Janusz KUCICKIPaul's Encounter with the Disciples of John the Baptist -- Ac 19:1-7 as Introduction to the Narrative of Paul's Third Mission Journey25-50
井上 淳「魂は媒体を介して物体的質料と合一されているのであるか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第9問題について51-85
田中 昇2020年の教皇庁国際神学委員会文書における信仰の欠如と婚姻の無効
付録(翻訳)ルイージ・サバレーゼ(スカラブリニ宣教会)「受洗者間の婚姻における信仰,意思と秘跡的尊厳」
87-169
寒野 康太研究ノート:田上雅徳の論考が示唆するもの -- 政治哲学が神学に投げかける問い171-177
Rejimon VARGHESE書評:Alberto de Mingo Kaminouchi: An Introduction to Chriatian Ethics: A New Testament Perspective, trans. Brother John of Taizé, Minnesota: Collegeville, Liturgical Press Academic, 2020, i-xii and 1-200pp.179-183
第44号(2021年3月)
ハンス ユーゲン・マルクス「強盗会議」-- カルケドン公会議への幸運な迂回1-33
柊 暁生マルタとマリア -- ルカ10章38-42節の文学的考察(後半 -1-)35-54
Janusz KUCICKISocial Background of Jesus' Parables in Lk 15 -- Does the Theology of God's Mercy is the Main Topic and the Main Purpose of Lk 15 ?55-76
岡嵜 隆哲アウグスティヌスの回心における障害の問題 --『告白』第8巻についての一解釈77-97
井上 淳「理性的魂は人間の身体のような物体と合一されるべきであったか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第8問題について99-138
ヤコブ・ライチャーニ最近のバチカンとジェンダー論の関係 -- ある公文書の背景と分析139-179
Rejimon VARGHESE書評:J. LAMBERTS, With One Spirit: The Roman Missal and Active Participation, Liturgical Press: Collegeville, Minnesota, 2020, viii + 186 pp.181-184
Jakub RAJČÁNI書評:W. C. Mattison III, The Sermon on the Mount and Moral Theology: A Virtue Perspective, Cambridge University Press: Cambridge, 2017, xiii + 279 pp.185-192
第43号(2020年3月)
加藤 久美子「知恵文学」の概念に関する近年の議論 -- 主要な論点と箴言研究に対する意義1-34
柊 暁生マルタとマリア -- ルカ10章38-42節の文学的考察(前半)35-52
Janusz KUCICKIPortraits of Pilate According to the Christian Canonical Writings and Jewish Historical Works -- Part Five: Pilate in the Narrative of John's Gospel53-67
井上 淳「天使と魂は種において異なるのであるか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第7問題について69-98
西脇 良児童学者・関寛之の生涯 -- 宗教性発達研究の先駆者の生涯99-124
アンジェリーナ・ヴォルペ教育とミッション -- ジョヴァンニ・リヴァによるキリスト教的教育125-151
吉田 文教会音楽を通した福音告知の一提案 -- 待降節・降誕節における会衆の行動的参加型集会の実践経験より153-187
ヤコブ・ライチャーニ研究ノート:男女の違い -- 人間の尊厳の視点から189-209
Jakub RAJČÁNI書評:N. MESSER, Theological Neuroethics: Christian Ethics Meets the Science of the Human Brain, Bloomsbury T & T Clark: London, 2017, 215 pp.211-214
第42号(2019年3月)
Janusz KUCICKIPORTRAITS OF PILATE ACCORDING TO THE CHRISTIANS' CANONICAL WRITINGS AND JEWISH HISTORICAL WORKS -- Part four: Pilate in the Narrative of Matthew's Gospel1-24
レジモン・ヴァルギースイエスの洗礼と祭司職の関連性を巡って25-33
Marianus Pale HERAWho Baptized: Jesus or His Disciples? -- Recondsidering the Aside in John 4:2 from the Perspectives of Christology and Discipleship in the Johannine Narrative35-50
岡嵜 隆哲アウグスティヌスにおける内的対話の展開 --『告白』における『詩編』言語の意味と可能性について51-67
井上 淳「魂は質料と形相から複合されたものであるか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第6問題について69-98
松根 伸治倫理徳の座としての意志 -- ガンのヘンリクス『任意討論集』第4巻22問99-121
Jakub RAJČÁNI書評:J. SELLING, Reframing Catholic Theological Ethics, Oxford University Press: Oxford, 2016, 254 pp.123-129
第41号(2018年3月)
柊 暁生なぜヨセフへの告知は夢によるのか -- マタイ福音書における夢の実現と預言の成就1-20
Janusz KUCICKIPORTRAITS OF PILATE ACCORDING TO CHRISTIAN CANONICAL WRITINGS AND JEWISH HISTORICAL WORKS -- Part three: Pilate According to the Author of Mark's Gospel21-45
Marianus Pale HERAFrom Christology to Discipleship -- Reading John 13:1-20 (The Footwashing) as a Literary Unity47-79
井上 淳「能動知性は単一であり離在しているのであるか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第5問題について81-111
三好 千春カトリック伝道士・細渕重教とその時代113-144
Jakub RAJČÁNIGuardini's Christ and Buddha: Buddhism in the eyes of a Catholic theologian now and then145-179
田中 昇J. J. Conn『選ばれる小教区』-- 翻訳と注解181-229
第40号(2017年3月)
ハンス ユーゲン・マルクス「三章論争へのプレリュード」-- エフェソス公会議後の新たな抗争の第一期1-55
Janusz KUCICKITHE MESSIAH IN THE TRINITARIAN HYMN OF THE LETTER TO EPHESIANS -- Theological Analysis of the Eulogy in Eph 1, 3-1457-77
浅井 太郎ego animus -- アウグスティヌスにおける魂 animus の特質79-127
井上 淳「能動知性を措定することは必要であるか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第4問題について129-152
Tibur HELISt. John of the Cross' teaching on Contemplation153-176
鳥巣 義文日常的な聖霊の経験の再考 -- ラーナーの論考を手掛かりに177-190
ヤコブ・ライチャーニ徳の主体は誰なのか?-- キリスト教の徳論に関する一考察191-215
Rejimon VARGHESE"CARNIS RESURRECTIONEM" -- Origins and Implications217-228
Marianus Pale HERAWho Are the Bad Guys? -- Psalm 82 and the Movie Of Gods and Men229-238
第39号(2016年3月)
ヤコブ・ライチャーニ自然本性が倫理的な当為の根源なのか?-- 公理 agere sequitur esse の意味をめぐって1-17
アンジェリーナ・ヴォルペオペラ・ディ・ナザレ -- 十字架につけられたアガペ19-46
Janusz KUCICKIJudea after Herod the Great -- Herodian Dynasty (4 BC-67 AD) according to the writings of Josephus Flavius47-110
Rejimon VARGHESESacramental Participation -- The Church's Pneumatological, Christological Engagement111-158
Tibur HELIEncountering God in the Face of the Poor According to Gustavo Gutierrez159-179
井上 淳「可能知性もしくは知性的な魂は全ての人に一つであるか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第3問題について181-223
ハンス ユーゲン・マルクス「神の母」-- エフェソス公会議(431年)の決議と調停への最初の試み225-281
西脇 純「たゞひとゑに御大切にわもやうされ」--「こんちりさんのおらしよ」の系譜(1)283-321
第38号(2015年3月)
ハンス ユーゲン・マルクス「死者の中から最初に生まれた方」-- カロリング朝時代における養子論争の終息1-47
Janusz KUCICKIThe Last Years of Herod the Great -- The Life of Herod the Great according to the writings of Flavius Josephus (18-4 B.C.)49-83
市瀬 英昭アンティオキアのイグナティオスにおける殉教理解 -- その聖餐観へ接近するために85-108
松根 伸治枢要徳はなぜ四つか -- トマス・アクィナスによる理論化109-143
井上 淳「人間の魂は存在的に身体から分離しているのであるか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第2問題について145-187
佐藤 啓介無神論論争とキリスト教哲学論争 -- 戦間期フランス知識人における「世俗化」の一断面189-206
Tibur HELITHE DIVINE ROMANCE: The Trinity in a Poem of St. John of the Cross and its Relevance for SVD Formation in Japan207-228
清水 美佐閉ざされた門がひらく -- コーラ修道院葬礼用礼拝堂の「閉ざされた門」解釈229-261
第37号(2014年3月)
ハンス ユーゲン・マルクス「死者の中から最初に生まれた方」-- カロリング朝時代における養子論争の展開1-27
Janusz KUCICKIHerod, the King of Judaea -- A life of Herod the Great according to writings of Flavius Josephus (37-18 B.C.)29-64
Tibur HELIA Spirituality of Reconciliation65-83
井上 淳「分離した魂は物体的な火によって罰を受けることができるか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第21問題解説,翻訳と註85-116
アンジェリーナ・ヴォルペプリモ・マッツォラーリ神父(1890-1959)と平和 -- 平和は十字架に架けられている117-148
レジモン・ヴァルギース『典礼憲章』の「行動的参加」の神学について149-168
第36号(2013年3月)
Seung Chul KIM10 Theses on Decentering Theology: Asian Christian Theology in Dialogue with Religion and Science1-27
浜口 吉隆エピケイアの徳の再評価 -- 人間的行為の倫理判断と司牧的実践に向けて29-52
Tibur HELIUnion with God According to St. John of the Cross53-78
西脇 純グレゴリオ聖歌研究(5)--「主の降誕 日中のミサ」の入祭唱「Puer natus est」の理解に寄せて79-100
柊 曉生エジプト入国のイスラエルの子ら -- 出エジプト記1章1-7節101-133
Janusz KUCICKIPlaces and People in Luke's Narrative of the Mission Journey of Saul. Socio-narrative interpretation of Ac 13-14135-162
井上 淳「分離した魂は個々のものを認識するか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第20問題翻訳と註163-189
松根 伸治トマスは主知主義者か -- 知性と意志の関係191-216
第35号(2012年3月)
渡邉 学オウム真理教事件をめぐる省察 -- 元幹部の手記を中心に1-29
Janusz KUCICKITo be Led by the Spirit of God. Structural Analysis of Rom 8, 1-3931-57
大森 正樹神の場とエネルゲイア -- パラマス問題解決の試み59-83
井上 淳「感覚的能力は分離した魂の内に存続するか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第19問題解説,翻訳と註85-110
西脇 純グレゴリオ聖歌研究(4)111-133
西脇 良関寛之の宗教性発達理論について135-156
第34号(2011年3月)
ハンス ユーゲン・マルクス「キリストの母」-- ネストリオスの問題提起の文脈と真意1-36
浜口 吉隆「現代世界憲章」の人権教説 -- 聖書神学の背景を探る37-62
井上 淳「分離した魂は全ての自然的なるものを知性認識することができるか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第十八問題 翻訳と註63-91
Walter DUNPHYRufinus of Aquileia in the Middle Ages: The Evidence of Manuscripts93-141
Janusz KUCICKISaul of Tarsus, the Man who became the Apostle Paul143-192
アンジェリーナ・ヴォルペシャルル・ド・フコーによる「普遍的な兄弟愛」193-228
西脇 純グレゴリオ聖歌研究(3)229-253
江川 憲「福音としての神の言葉」再考255-274
第33号(2010年3月)
<在名古屋教皇庁認可神学部設置25周年記念号>
ハンス ユーゲン・マルクス巻頭言
柊 曉生レビの娘・モーセ・ファラオの娘 -- 出エジプト記2章1-10節1-33
柳澤 田実カリス=借金帳消しのリアリズム -- 福音書への生態心理学的アプローチ35-60
江川 憲共観福音書問題に関する一考察 -- Mt 22, 34-40 とその並行箇所の比較検討61-74
Janusz KUCICKIDualism as a Basic Motif of Eschatology: A comparative analysis of "The Treatise of the Two Spirits" and 1 & 2 Thessalonians75-109
大森 正樹ディオニュシオス『神名論』における「テアルキア」について111-133
ハンス ユーゲン・マルクス「死者の中から最初に生まれた方」-- カロリング朝時代における養子論争開始の経緯135-163
井上 淳トマス・アクィナスにおける,人間の魂の離在的諸実体の認識について165-192
松根 伸治トマスにおける《高邁》magnanimitas の位置づけ193-212
松村 良祐トマス・アクィナスにおける愛について213-235
西脇 純グレゴリオ聖歌研究(2)237-258
大橋 真砂子中世初期イングランドの司牧をめぐって -- ベーダ『教会史』を中心に259-275
第32号(2009年3月)
宮本 久雄講演録:身体を張る愚かな,愚かなパウロ1-30
ハンス ユーゲン・マルクス「一つにして同じ方」-- 古代キリスト論に対するラテン教父の貢献31-70
井上 淳「分離した魂は離在的諸実体を知性認識することができるか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第十七問題およびその平行箇所,『対異教徒大全』第三巻第四十五章と『任意討論』第三討論 第九問題第一項 翻訳と註71-102
三好 千春1960年代の青少年労働者とカトリック教会103-124
柳澤 田実宗教的経験と行為の動機づけ -- 経験科学に基づく宗教研究の可能性125-148
アンジェリーナ・ヴォルペキリスト者としての地上のミッション -- Servus Dei アルチーデ・デ・ガスペリ(1881-1954年)の生涯149-182
Janusz KUCICKIEschatology of 2 Thess. as a proof in a polemic concerning authenticity of Thessalonians Correspondence183-208
西脇 純グレゴリオ聖歌研究(1)209-228
第31号(2008年3月)
浜口 吉隆罪と回心 -- B. ヘーリンクの倫理神学を中心に1-40
井上 淳「人間の魂は,身体と結合している時,離在的諸実体を知性認識することができるか」-- トマス・アクィナス『定期討論集 魂について』第十六問題 翻訳と註41-64
アンジェリーナ・ヴォルペジョルジョ・ラ・ピーラのイザヤの道 -- 平和のための仕事65-97
石橋 泰助洗礼の秘跡を受けずに死去した幼児に関する見解99-115
鳥巣 義文パウロの第一回福音宣教の旅(使徒言行録13・1-14・28)117-139
西脇 純高田三郎と典礼聖歌(2)141-159
第30号(2007年3月)
ハンス ユーゲン・マルクス文明の対話 -- 新しい世界政治と教皇ベネディクト16世1-25
Walter DUNPHYUnexplored Paths: Relating to the Outbreak of the Pelagian Debate27-54
大森 正樹パキメレースによる擬ディオニュシオス解釈 -- ビザンティン的テキスト解釈の一例55-75
井上 淳トマス・アクィナスにおける分離した魂の認識(2)--『定期討論集デ・アニマ』第十五問題「身体から分離した魂は知性認識することができるか」解題,翻訳と註77-121
アンジェリーナ・ヴォルペジョルジョ・ラ・ピーラによるキリスト教人間学123-149
鳥巣 義文「命を与えるイエス」について(ヨハネ11章1-57節)151-171
西脇 純高田三郎と典礼聖歌(1)173-191
第29号(2006年2月)
ハンス ユーゲン・マルクス悪魔の権限 -- アウグスティヌスの贖罪論の一側面1-43
浜口 吉隆倫理神学における「根本的選択・決断」45-70
江川 憲Mt 21, 23-22, 46の構成について71-93
第28号(2005年2月)
大森 正樹神の本質の把握不可能性について -- 東方教父とトマス・アクィナスの解釈1-23
井上 淳トマス・アクィナスにおける分離した魂の認識 --『定期討論集 デ・アニマ』第十四問題「人間の魂の不死性について」翻訳と注解25-53
Angelina VOLPEChristianity and the Catholic Church in Japanese High School Textbooks55-106
鳥巣 義文イエスと共にあり,学ぶこと -- ルカ10, 38-11, 36をめぐって107-128
浜口 吉隆学会報告:教皇庁健康司牧ケア協議会の第十九回国際会議129-144
第27号(2004年2月)
ハンス ユーゲン・マルクス正しい戦争はあるか -- 歴史の答え1-43
鳥巣 義文模範であるイエス -- キリスト者とムスリムの相互理解に向けて45-67
浜口 吉隆要理教育におけるキリスト教倫理 -- 新要理書『カトリック教会の教え』の出版に寄せて69-112
Angelina VOLPEEducation and mission in Japan in the Modern Age113-142
鳥巣 義文新しい兄弟姉妹の共同体 -- イエスとその対人関係の吟味143-158
西脇 純古代西方教会における「ルミナチオ」159-171
吉田 聖神のしもべ 聖ヨゼフ・フライナーデメッツ師著『新約の至聖なる犠牲』-- ミサ聖祭解説の霊的講話 つづき(後半部分) 付録:「ミサ聖祭前後の都合のよい時に司祭が唱える種々の祈り」(ラテン語和訳と注解)173-220
第26号(2003年2月)
鳥巣 義文聖霊の経験 -- 聖書の描く神の躍動性について1-31
ドミンゴス・スザ罪と悪の問題 -- キェルケゴールと親鸞の比較考察33-56
吉田 聖神のしもべ ヨゼフ・フライナーデメッツ師著『新約の至聖なる犠牲』-- ミサ聖祭解説の霊的講話57-164
第25号(2001年12月)
<創刊25号記念号>
江川 憲『南山神学』第25号刊行と教皇庁認可神学部
鳥巣 義文『南山神学』第25号刊行に寄せて
江川 憲Mt 19, 1-25, 46の構成に関する一考察1-13
西脇 純古代教会における「病者の塗油」15-47
井上 淳胚種の中にある「形成の力」(virtus formativa)-- トマス・アクィナスにおける人間の産出理論49-66
大森 正樹祈りの方法論 --『フィロカリア』における伝「新神学者シメオン」と二つの不詳の著者による論攷を中心に67-90
ハンス ユーゲン・マルクス近代の逆説的象徴 -- ジョヴァンニ・ピコ・デラ・ミランドラ91-126
鳥巣 義文三位一体と多元主義127-152
Angela VOLPEI laici sono la chiesa: Riflessioni sulla vocazione e missione dei laici153-179
吉田 聖中世ラテン語写本 "HORAE" --『時禱書』即ち『小聖務日課』(名古屋・古川美術館所蔵)の解読研究「資料(その2)」181-207
南山神学総目次・南山神学テーマ別総目次(第1号~第25号)223-245
第24号(2000年12月)
江川 憲「もうひとつのたとえを聞きなさい」-- マタイ21, 33-41について1-44
鳥巣 義文神と人々との我々 -- 三位一体の神による救いの現実についての一考察45-76
ハンス ユーゲン・マルクス自立主体の発見 -- 古代キリスト教の遺産77-114
浜口 吉隆生命をめぐる倫理原則115-142
久松 英二ビザンツのヨーガ行者 --『ヨーガ・スートラ』と「イエスの祈り」143-180
吉田 聖キュプリアヌス著『ドナートゥスに送る -- 神の恵みと回心について』CYPRIANUS, AD DONATUM 解説と翻訳と注解189-207
第23号(1999年9月)
<南山大学創立50周年記念論文集>
ハンス ユーゲン・マルクス南山大学創立50周年記念号に寄せて
小池 英光創立50周年記念号と南山学会
江川 憲『招かれるものは多いが選ばれるものは少ない -- Mt 22, 1-14について1-77
鳥巣 義文神の救済史的啓示 -- エイレナイオス『使途的宣教の証明』を中心にして79-112
石橋 泰助古代教会における再洗礼論争について -- キュプリアヌスの見解を中心として113-141
久松 英二「神そのもの」と「神の働き」-- グレゴリオス・パラマスによる東方神学的基礎づけ143-163
Osvaldo CAVALLARThe Guardian of the Text: Humanistic Philology and Authority in Bellarmino165-220
浜口 吉隆カトリック医療施設における医療倫理 -- 延命医療と生命の終焉を中心に221-257
ハンス ユーゲン・マルクス「人間の尊厳」-- ルネサンスの貢献259-296
吉田 聖キュプリアヌス著『デメトリアーヌスに送る -- キリスト教弁明の書』CYPRIANUS AD DEMETRlANUM; APOLOGETICUS 翻訳と注解297-329
第22号(1999年2月)
江川 憲「あなたがたは聖書のうちに読んだことがないのか」-- マタイ21, 42-44について1-29
鳥巣 義文救済論の二相 -- 反宇宙的理解と親宇宙的理解の衝突31-51
山田 望古代教会における幼児洗礼とその神学的根拠53-88
西脇 純まことのささげもの -- ローマ奉献文中の一節 Quam oblationem の理解に寄せて89-136
久松 英二いわゆる「マカリオス文書集」における霊性137-162
アンジェラ・ヴォルペジョヴァンニ・リヴァ講演記録『小さなキリスト教人間学』(2)163-196
第21号(1998年2月)
江川 憲断食問答(Mk. 2, 18-22)について(2)1-22
熊木 建郎預言者エレミヤとエルサレム神殿23-39
ハンス=ユーゲン・マルクス中世キリスト論の底流 -- 定説確立への歩み41-79
鳥巣 義文『三と言うな』-- コーランのキリスト教的神理解批判について81-96
久松 英二『砂漠の師父の言葉』における修道精神97-114
吉田 聖ラテン教父の総合研究(8)キュプリアヌス著『フォルトゥナトゥスに与う -- 殉教のすすめについて』CYPRIANUS, AD FORTUNATUM, DE EXHORTATIONE MARTYRII 翻訳と注解115-158
浜口 吉隆イタリア司教委員会の公文書『離婚・再婚した者及び不法と困難な結婚事情にある者の司牧』(1979年4月26日)159-184
アンジェラ・ヴォルペジョヴァンニ・リヴァ講演記録『小さなキリスト教人間学』(1)185-216
鳥巣 義文書評:Tony MCALEAVY, Life in a Medieval Abbey217-218
鳥巣 義文書評:滝澤武人『人間イエス』218-220
第20号(1997年2月)
石橋 泰助古代教会における悔悛の神学 -- テルトゥリアーヌスをめぐって1-24
鳥巣 義文コーランのイエス像25-41
Angela VOLPEGli Europei incontrano l'Asia orientale: i colonizzatori, i mercanti, i missionari43-68
石脇 慶總神道の神学への序説(3)-- 諸宗教の神学のための一試論69-124
ウォルター・ダンフィー,大橋 真砂子ヒエロニュムス『ドムニオ宛書簡』(Ep. 50)-- 翻訳と注解125-143
吉田 聖ラテン教父の総合研究(7)キュプリアヌス著『おとめの身だしなみについて』CYPRIANUS, DE HABITU VIRGINUM 翻訳と注解145-181
浜口 吉隆書評:澤田愛子著『末期医療からみたいのち -- 死と希望の人間学』183-186
第19号(1996年2月)
江川 憲断食問答(Mk. 2, 18-22)について(1)1-34
石橋 泰助サクラメントのキリストによる制定について -- その歴史的意味と現代的理解に関する一考察35-114
石脇 慶總『共同体善徳試論』-- W. フェリー神父の思想に触発されて115-150
鳥巣 義文修道会についての一考察151-163
吉田 聖Q:ラテン語写本 "HORAE" とは? A:『時禱書』即ち『小聖務日課』!-- 日本唯一の「中世ラテン語写本 "HORAE"(古川美術館所蔵)の解読研究165-196
浜口 吉隆教理省 -- 離婚して再婚した信者の聖体拝領(カトリック教会の司教たちへの手紙)197-206
浜口 吉隆書評:石井誠士著『癒しの原理 -- ホモ・クーランスの哲学』207-209
石橋 泰助書評:石脇慶總著『神秘との合一を求めて -- J. マリタンにおける神実在の認識に関する研究』210-213
石脇 慶總書評:オットー・ゼンメルロート著・石橋泰助訳『原サクラメントである教会』214-219
第18号(1995年2月)
吉田 聖新口語訳「主の祈り」について -- 比較言語的並びに教父神学的観点からの一考察1-43
石脇 慶總聖母マリアの霊的母性45-76
青山 玄日本文化史におけるキリシタン信仰の意義77-97
江川 憲ダビデの子問答(Mt 22, 41-46)について99-130
第17号(1994年2月)
久松 英二東方修道制におけるアパテイア1-21
石脇 慶總試論:マリアの無原罪の御宿りの特権について23-57
アンジェラ・ヴォルペ隠れキリシタン(4)--「隠れ」について59-90
長倉 久子神より神へ -- ボナヴェントゥラの神秘思想91-109
第16号(1993年2月)
鳥巣 義文万人の救いと教会 --「教会の外に救いはない」という命題の成立及び解釈史1-39
宮坂 朋「ヨルダン」という名前の子羊について -- 聖ピエトロ・エ・マルチェリーノ・カタコンベ墓室3の天井画をめぐる研究41-81
アンジェラ・ヴォルペ隠れキリシタン(3)-- 隠れの伝統と習慣83-114
青山 玄神秘家宗教詩人シレジウスの被造物観115-126
Eiji HISAMATSUHesychastische Gebetsmethode bei Pseudo-Symeon und Nikephoros127-175
第15号(1992年2月)
江川 憲復活問答(Mt 22, 23-33)について1-26
石脇 慶總神学序説 -- 諸宗教の神学のために27-80
アンジェラ・ヴォルペ隠れキリシタン(2)-- はたして離れたのか81-99
青山 玄書評:植田重雄著『守護聖者』101-108
第14号(1991年2月)
枝村 茂インスティトゥトゥム・セクラーレ -- その神学的意義及び教会法上の性格1-21
吉田 聖大学におけるラテン語教育23-55
アンジェラ・ヴォルペ隠れキリシタン -- 回顧と展望(1)57-82
江川 憲納税問答(Mt 22: 15-22)について83-124
青山 玄書評:門脇佳吉著『道の形而上学 -- 芭蕉・道元・イエス』125-129
第13号(1990年2月)
ハンス・ユルゲン・マルクス死の彼方 -- フィレンツェ公会議による教理決議の前史1-80
吉田 聖ラテン教父の総合研究 -- アフリカの司教殉教者キプリアヌス(6)『死を免れないことについて』翻訳と注釈 Cyprianus, De Mortalitate81-103
長倉 久子魂の歴程(7)-- Bonaventura, Itinerarium mentis in Deum 第7章 翻訳と註解105-115
枝村 茂新教会法典における「十全な交わり」および破門制裁117-136
石脇 慶總神道の神学への序説(2)-- 諸宗教の神学のための一試論137-163
第12号(1989年2月)
吉田 聖ラテン教父の総合研究 -- アフリカの司教殉教者キプリアヌス(5)『善行と施しについて』翻訳と注解 Cyprianus, De Opere et Eleemosynis1-32
枝村 茂福音的勧告の宣誓による聖別の特性33-54
長倉 久子魂の歴程(6)-- Bonaventura, Itinerarium mentis in Deum 第6章 翻訳と註解55-67
ヤン・ポミコル共同体としての教会像69-87
石脇 慶總神道の神学への序説(1)-- 諸宗教の神学のための一試論89-142
第11号(1988年2月)
吉田 聖ラテン教父の総合研究 -- アフリカの司教殉教者キプリアヌス(4)『主の祈りについて』翻訳と注解 Cyprianus, De Dominica oratione1-41
枝村 茂新教会法典における自由裁量権43-57
長倉 久子魂の歴程(5)-- Bonaventura, Itinerarium mentis in Deum 第5章翻訳と註解59-68
浜口 吉隆自殺の倫理 -- カトリック倫理神学における自殺観の再検討69-99
青山 玄明治から昭和初期にかけてのカトリック司祭像101-120
第10号(1987年2月)
石橋 泰助アウグスチヌス "De Baptismo, contra Donatistas" に表われた洗礼論上の諸問題について(8)1-27
吉田 聖ラテン教父の総合研究 -- アフリカの司教殉教者キプリアヌス(3)『背教者について』Cyprianus, De Lapsis29-64
久松 英二アタナシオスの説教『イエス・キリストの受難および裁きの恐怖について』-- 翻訳と注解65-104
浜口 吉隆すべての人に開かれた愛の道 --『現代世界憲章』の成立過程におけるキリスト教的な愛の考察(4)105-140
アルフォンソ・M・ファウゾーネ初期キリスト教建築様式成立プロセスに対する考察141-175
青山 玄明治・大正・昭和初期カトリック信徒の宣教活動177-196
ハンス・ユーゲン・マルクス聖体と聖霊 -- 東方典礼におけるエピクレーシスの教理史的背景197-263
第9号(1986年2月)
岡崎 才蔵LXX エゼキエル32, 1-16の一考察1-22
Ken EGAWASecular Covenant in the Old Testament: A Brief Examination of the Common Spirit23-55
石橋 泰助アウグスチヌス "De Baptismo, contra Donatistas" に表われた洗礼論上の諸問題について(7)57-83
吉田 聖ラテン教父の総合研究 -- アフリカの司教殉教者キプリアヌス(2)85-113
長倉 久子魂の歴程(4)-- Bonaventura, Itinerarium mentis in Deum 第3・4章翻訳と註解115-137
浜口 吉隆すべての人に開かれた愛の道 --『現代世界憲章』の成立過程におけるキリスト教的な愛の考察(3)139-170
第8号(1985年2月)
岡崎 才蔵LXX 詩篇28について1-14
石橋 泰助アウグスチヌス "De Baptismo, contra Donatistas" に表われた洗礼論上の諸問題について(6)15-38
長倉 久子魂の歴程(3)-- Bonaventura, Itinerarium mentis in Deum 第2章註解39-56
アルフォンソ・M・ファウゾーネヴィア・ラティナ・カタコンベのフレスコ画をめぐる論究 -- 意見は十人十色:Quot homines, tot sententiae ... 57-111
吉田 聖キプリアヌス『カトリック教会の一致について』Cyprianus, De Ecclesiae Catholicae Unitate (1)113-136
ハンス・ユルゲン・マルクス貧しい人々との連帯 -- カトリック教会における新しい問題意識の覚醒(下)137-164
第7号(1984年2月)
ハンス・ユルゲン・マルクス古代キリスト論の歩み1-32
石橋 泰助アウグスチヌス "De Baptismo, contra Donatistas" に表われた洗礼論上の諸問題について(5)33-49
鳥巣 義文みことばの受肉と人類の神化 -- エイレナイオスの「かたち」と「類似性」の概念をめぐって51-66
浜口 吉隆すべての人に開かれた愛の道 --『現代世界憲章』の成立過程におけるキリスト教的な愛の考察(2)67-110
長倉 久子魂の歴程 -- Bonaventura, Itinerarium mentis in Deum 第1章註解111-132
第6号(1983年2月)
西津 照雄アモス4: 4-5 -- 後バビロン捕囚改訂節1-21
ハンス・ユルゲン・マルクス貧しい人々との連帯 -- カトリック教会における新しい問題意識の覚醒23-47
石橋 泰助アウグスチヌス "De Baptismo, contra Donatistas" に表われた洗礼論上の諸問題について(4)49-62
鳥巣 義文アナケファライオーシス -- エイレナイオスの救済論における意味の検討63-104
浜口 吉隆すべての人に開かれた愛の道 --『現代世界憲章』の成立過程におけるキリスト教的な愛の考察(1)105-169
アルフォンソ・ファウゾーネ人間教育の立場から見た芸術史171-192
第5号(1982年7月)
三好 迪2世紀の十四日派によるキリスト教過越祭と殉教日について1-22
Michi MIYOSHIJungfrauengeburt in Mt 1 als Verzicht auf die Bindung des Heils an das jüdische Volk und als Einigung der Völkergemeinschaft im Heiligen Geiste23-40
浜口 吉隆倫理神学における「キリストに従うこと」の意義 -- F. ティルマンから今日までのその解釈と発展41-75
長倉 久子魂の歴程 -- Bonaventura, Itinerarium mentis in Deum 序文註解77-92
第4号(1981年9月)
岡崎 才蔵詩編第40編について -- その分類をめぐって1-20
ハンス・ユルゲン・マルクス死と復活21-55
アルフォンゾ・ファウゾーネ初代キリスト教美術の解釈学的諸問題57-68
石橋 泰助アウグスチヌス "De Baptismo, contra Donatistas" に表われた洗礼論上の諸問題について(3)69-90
浜口 吉隆キリストを中心とする隣人愛 -- 第二バチカン公会議までのキリスト教倫理神学の刷新において91-116
第3号(1980年9月)
石橋 泰助アウグスチヌス "De Baptismo, contra Donatistas" に表われた洗礼論上の諸問題について(2)1-24
岡崎 才蔵ゲネシス・ラバー55章について25-41
H-J. マルクス中世に於ける東西両教会間の核心問題(下)43-80
Karl NEUMANNKirche der freiwillig Glaubenden: Karl Rahner und die Diskussion um die Zukunft der Volkskirche81-108
第2号(1979年9月)
石橋 泰助アウグスチヌス "De Baptismo, contra Donatistas" に表われた洗礼論上の諸問題について(1)1-25
岡崎 才蔵聖ヒエロニムスのイザヤ7, 14のエンマヌエル預言理解の一考察 -- イザヤ7, 17の "cum rege Assyriorum" の翻訳に注目して27-41
H-J. マルクス中世に於ける東西両教会間の核心問題(上)43-94
青山 玄教皇ピウス9世の生い立ちと公会議招集までの歩み95-132
第1号(1978年9月)
アルトゥール・ラング創刊の辞
H-J. マルクスフィレンツェ公会議における三位一体論 -- 教理の多様性のモデルか1-55
岡崎 才蔵マテオ 12, 11の疑問詞 οὐχί の一考察57-81
長倉 久子ボナヴェントゥラにおける創造の問題83-134

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