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コミュニケーションのすすめ

2010.09.20 林

 先月、史料収集のため、6年ぶりにアメリカに行ってきた。景気後退後初めての訪問だったので、アメリカ社会の変貌ぶり(と治安)に不安を抱いての旅であったが、予想外にアメリカは元気な様子であった。それは、私が訪問したのがワシントンDCだったからかも知れない。大統領のお膝元(江戸のことを、「将軍のお膝元」と言ったのに倣って、勝手にこう呼んでみる)であるDCは、連邦政府機関が集中しており、従って公務員比率が高い。つまり、雇用が安定している人が多いのである。そのため、景気後退の影響は、相対的には小さいのかもしれない。

 DCでは、ナショナル・アーカイブズなどで史料収集を行った。朝から晩までひたすら作業する毎日で、ホテルに戻ると(時差ぼけもあって)すぐに眠くなって寝てしまい、大変健康的な生活であった。川浦先生も昨年度の「おすすめ情報」で書いておられるが、アメリカの公文書館では、コピーサービスはもちろん使えるが、自前のスキャナーやカメラを持ち込んで撮影することも認められているので、私はデジカメを持ち込んで、ひたすら史料を撮影しまくった。

 そんな淡々と作業を続ける一人での滞在であったが、不思議と見ず知らずの人と会話する機会が多かったように思う。DCの公的機関ではセキュリティチェックが随所にあるが、その係員と短い会話をしたり、こちらからも道を尋ねたりして、気楽にコミュニケーションを取る機会があったからである。ナショナル・アーカイブズに開館前に到着してしまって、しばし係員の人と雑談を交わし、お互い名前を伝えあうこともあった。

 日本は非常に同質性の高い社会だが、見ず知らずの人と気軽に会話するということが、とても難しいように思う。レジでの支払いや、エレベーターに乗り合わせたりすることなど、日常には見知らぬ人と会話するチャンスは実はたくさんある。しかし、日本では、そういうちょっとした機会に、ちょっとした会話をするということはほとんどない。そういう機会に人に話しかけるにはとても勇気が要るし、勇気を出して話しかけたとして、変な人と思われる可能性も高い。同質性が高いため、会話がスムーズに生じるような気もするのだけれども、実際には会話はそうそう起こらない。

 いや、逆に、自分と他人は違うのだという前提のある社会の方が、会話することへのハードルが低く、また会話することの大切さが認識されているのかもしれない。黙っていてもお互い分かり合えるというのではなく、会話を通じてこそ、それぞれ別の個性を持った個々人がつながることが可能になる、ということなのだろう。

 今回の旅では、DCからもう一つの滞在先に移動するフライトで乗り合わせたインド人IT技術者や、帰国便で乗り合わせたアメリカ在住台湾人など、全く背景も違う、見ず知らずの人と何時間も会話する機会にも恵まれた。それは、確かにエネルギーを使う経験ではあったが、非常に興味深いことでもあった。「リーマン・ショック」は、実は日本語だということもそのおかげで知ったのだが(英語では、「リセッション」というようだ。「世界恐慌」を「The Great Depression」と呼ぶように、「リーマン・ショック」も「The Great Recession」という呼び方が、歴史学でも定着するようになるかもしれない)、このこと一つとっても、会話することでお互いの認識が確認できるというものである。

 帰国して1週間後のゼミ合宿の場でも、そんな話をしたのだが、特に今の若い人たちは、人目を気にしたり、人を気遣ったりして、自分の考えを表現することをいっそう難しく感じているように思われる。格差が叫ばれる昨今の日本社会、すでに同質性は小さくなりつつある。近年、コミュニケーション能力が強調される背景は、こういうところにあるのかもしれない。ただ、コミュニケーションには、聴いたり話したりするスキルだけでなく、相手の文化的な背景に対する理解や敬意も必要で、それこそが教養というものなのだろう。

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