Nanzan University

キリスト教学科紹介

学科長ご挨拶

 私たちの学科では、キリスト教についてさまざまな側面から学問的に研究しています。聖書学では、キリスト教の中心である聖書の成り立ちと内容を基礎から学びます。神学の分野は、キリスト教の霊性、信仰、教義、典礼、宣教などをあつかい、カトリックの人間観や生命観を学ぶ倫理神学の授業も整備されています。文化としてのキリスト教に関心のある人は、キリスト教美術やキリスト教音楽を学ぶことができます。思想的側面については、古代の教父から中世のスコラ哲学を中心とする授業、近現代のキリスト教思想の展開を学ぶ授業などがあります。このようなキリスト教の広がりを歴史の視点から知るために、各時代のキリスト教史の授業が開講されています。そもそも宗教的なものとは何かを探究する宗教学的なアプローチや、他の諸宗教との関係や比較という点からキリスト教理解を深める方法もあります。

 キリスト教の世界観や価値観は、古代から現代にいたる長い時間を経て世界中に広まり、現代日本の私たちにも決して無関係ではありません。キリスト教と諸宗教について正確な知識をもつことは、国際的な視野から現代世界を理解するために不可欠なだけではなく、私たちをとりまく身近な状況について考えるためにも重要です。さらに、宗教がつみ重ねてきた思索と知恵にふれることで、自分と周囲の人たちの生き方や心の問題をじっくりと考察する機会が得られます。このように、キリスト教の深い理解をもった心ゆたかな人を育てたいとキリスト教学科では考えています。

 大学で学問的にキリスト教を学んだと言えるために、どうしても欠かせない基本的知識や理解というものがあります。学科のカリキュラムは、それを着実に身につけることができるよう準備されています。この基盤をもとにして、さらに、みなさんそれぞれが勉強したいと思えることを見つけることが大切です。研究のテーマや方法は多様で、ひとりひとりの選択が尊重されますので、かえって最初は何をやったらよいか、何に興味をもてるか不安になるかもしれません。そういうときは、周囲の先輩の勉強の仕方や、先生がたの研究姿勢がきっとヒントになるでしょう。

 キリスト教学科は南山大学の中で最も小さな学科ですが、南山学園の建学の精神を直接になっている最も南山らしい学科でもあります。少人数制のおかげで、学生どうしはもちろん、先生たちとも身近に交流をもつことができ、在学生や卒業生の多くがそういう人間関係を学科の魅力としてあげています。人との関係や出会いを大切にして、実り多く楽しい学生生活をすごしてくださるよう願っています。

 人文学部キリスト教学科長 
井上 淳(いのうえ・じゅん)

 

キリスト教学科って? Q&A

 キリスト教学科に入るには、キリスト教の洗礼を受けている必要がありますか?

 そんなことはありません。キリスト教に興味のある人なら誰でも入れます。キリスト教学科はキリスト教の文化や思想について学問的に学ぶための学科です。信仰や入信(洗礼)が勧められることはありません。

 キリスト教学科は神父やシスターになる人のための学科ではないのですか?

 たしかに神父になるために勉強している人たちもいますし、シスター方もいらっしゃいます。授業で一緒になることもあります。しかし、彼らは特別コース(聖職者養成コース)に入っており、取得すべき単位数も通常の学科生より大幅に多くなっています。

 キリスト教についてほとんど知識がありません。授業についていけるか心配です。

 知らないからこそ学ぶ価値があります。大学に入ってからキリスト教を一から学び始める人も多いです。学科の授業もそのような方を対象として行われています。

 キリスト教学科を卒業しても就職先があるか心配です。

 他学科と比べ何か問題があるということはありません。他学科と同じように一般企業に就職する卒業生が多いです。教職免許は「宗教科」の免許を取得できますし、そのほかキリスト教文化の知識を活かして国際交流に関連する企業に就職する人、キリスト教的な精神を活かして福祉関係の仕事に就く人もいらっしゃいます。もちろん大学院への進学の道もあります。

 失礼な質問かもしれませんが、大学内で、キリスト教学科と言うと偏見を持たれたりはしませんか?

 キリスト教学科の先輩(あいり〜んさん)のメッセージをどうぞ。

  「そうですね、やはり偏見を持っている人も多くいるようです。前に、アルバイト先の友達(南山生)から「どの学科なの?」と聞かれて「キリスト教学科」と答えたら「あの学科、アヤしそうだよね〜。」と言われました。多分、「この学科に入ると、洗脳されて(ほぼ強制的に)宗教に入らされそう」と思うからだと思います。実際、私の身の周りでも、私がこの学科に入ったことで、そのように思った人も多くいるだろうと思います。
  でも、「キリスト教」というものは、一種の「歴史」であると考えれば良いと思うんです。私達はキリスト教の歴史等を学んでいるのだと。私はクリスチャンでもないし、この学科に入ったことで(先生方はほぼクリスチャンの方ですが)キリスト教入信を勧められたことなど、一切ありません。だけど、その(キリスト教(学科)の)良さは、すごく伝わってきます。本当に、生徒と近い立場に立って私達と接して下さるので、私は自分の在籍しているこのキリスト教という学科が、一番大切で、この学科に入れた事をとても誇りに思っています。私は高校がカトリック校だったので、キリスト教に触れる機会があり、そういったことでこの学科にも興味を持ちました。やはり、全くキリスト教に触れる機会のなかった人には、この宗教自体に偏見を持たれることもあると思いますが、一つの歴史なのだと、そう考えて、例えば「クリスマスは、どういう日なのか」(←恋人同士で過ごす日ぃ〜・・という意見もあるかもしれませんが。。)とか、本当に小さなことに触れてみて、キリスト教の存在の意味を、興味を持てば、少しでも考えてみてほしいと思います。
  私も、キリスト教について沢山知っているというわけではありませんが、どこか惹かれるものがあります。講義も、興味深いものが多くあります。キリスト教学科に入ってもう3年経ちますが、本当に楽しくて、居心地の良いところだと思っています。」