2003年9月の雑記




≪9月1日≫

★9月になった。南山大学の留学生別科(CJS)の新学年度が9月3日にスタートする。海外からやって来る人たちのために、CJSは他の学部学科とは異なるスケジュールでカリキュラムが組まれていて、9月に始まり翌年5月に終了するのである。ザビエルハウスの新しい3人のメンバーの勉強がいよいよ始まる。

南山別科の日本語教育は、レベルが高く、とても厳しいことで知られる。授業が始まって最初の数ヶ月間は、ザビエルハウスの新入生たちのほとんど皆の顔が青ざめる。授業のスピードやテストの難しさについて行けなくて自信を無くし、「ああボクはダメだ、落ちこぼれだ・・・」という挫折感にさいなまれるのである。それもそのはずで、ザビエルハウスの人たちのほとんどは、日本に来てから日本語の勉強をいわばゼロから始めるのだが、クラスメートたちは大体皆さんすでに、自分の国で日本語を何年か勉強してきているのである。レベルに差があるのは当然だ。しかしみんな必死にがんばるので、次第にその差は縮まって行く。半年ほどすると、だいたい皆落ち着いてくるようだ。中には他を追い抜いて、すごく優秀な成績を収める人もいる。偉いもんだ。

 

しかしながら、うちの新入生たちが最初の頃にこうむるプレッシャーと焦燥感はあまりにも多大で、かわいそうである。そこで、いつもお世話になっているCJSの判紀子先生のご提案により、うちの新人には学校が始まる1ヶ月前に日本に来てもらい、「日本語準備講座」を受けてもらうことになった。3年ほど前からこの講座が始められている。担当してくださっているのは、判先生の愛弟子であり元CJSの教員でもある若手の気鋭、中村透子先生である。この準備講座のおかげで、新入生たちはずいぶんと助かっている。中村先生どうもありがとうございました。来年もまたぜひよろしくお願いいたします。

北海道にホームステイに行っていた「先輩グループ」の3人は無事に戻り、フィリピンに行っていた副院長のムンカダ氏も帰還した。ザビエルハウスはこれで8名全員がそろい、賑やかさがまた帰ってきた。



≪9月3日≫

★今日はうちの皆と近くの銭湯に行った。うちの人たちはやたらとお風呂が好きなのである。今年度のメンバーとそろって銭湯に行くのは初めてだが、こないだ一緒に昼神(ひるがみ)温泉に行ったので、もう全然問題はない。

毎年、新しい人を銭湯や温泉に連れて行く度に2つのことを注意する。(1)かけ湯をしてから湯の中に入ること、(2)タオルを湯の中に入れないこと。お風呂の基本的なマナーだ。うちの人たちには、一回これを言えば後はすべてOKである。他の細かいマナーは各人の常識に任せればよい。

いつも思うのだが、外国から日本に来た人たちの方が、日本人よりも日本のマナーをきちんと守ってくれていることが多い。お風呂のマナーに関してのみならず他のいろいろな事柄についてもそうだ。これはすなわち、その人たちが、日本の伝統ある文化に対して敬意を払ってくれているのである。うれしいことではないか。それなのに、日本人の方はどうだ。非常にマナーが悪い人たちがいる。それも、ワシこそ正真正銘の正しい日本人じゃというような顔をして偉そうにしている50代〜60代のオヤジさんたちの中に、そういうひどいマナーの人たちが多い。これは非常に恥ずかしいことである。



≪9月6日≫

★先週と今週、貸ビデオで『ハリーポッター』という映画の1と2を続けて見た。今頃?と思う人がほとんどであろうが、テレビも見ないし映画館にも行かない私は、まだこの映画を見たことがなかったのだ。第一作も第二作も非常によくできた面白い映画だと思った(今頃ほめてもしょうがないが)。第二作目に、ドビーという、役に立っているのか立っていないのかよく分からない(というか、どちらかといえば迷惑な)人物が登場するが、実はうちにキャラ的にこれとそっくりな人がいるのである(誰とは言わないが)。見ていて親しみがわいた。私はこういう憎めないキャラが好きである。

ハリーポッターは原作の本を持っている。『賢者の石』、『秘密の部屋』、『アズガバンの囚人』、それに『炎のゴブレット』の4つ。英語の原作である。しかしまだ読んでいない。大評判になっていた頃、本屋に英語原作と日本語訳の2種がならべて積まれていた。誘いにのせられやすい私は、それを見て読んでみたくなり、購入することにした。どちらにしようかなと迷ったが、日本語訳のものより英語版の方が安かったのと、どうせ読むならやっぱ原典でしょ!と、英語版を買ったのだった。ところが第一作目の『賢者の石』を少し読んだが、辞書をひくのが面倒くさくなって、途中からずっとお休みになっているのである。こんなことなら、見栄をはらず素直に日本語版を買っとけばよかった・・・。でもまあ、映画があんなに面白いのだから、がんばって読んでみるかな。

ところで、ハリーポッターの公式ホームページは、なかなか洒落ている。いくつかの言葉のバージョンが用意されていて、世界的な人気のほどがうかがえる。ちょっと重たいページですけど、お試しあれ。日本語版はここ、英語版はここです(英語版の方がゲームなどのコンテンツが少し多いです)。




≪9月9日≫

★先日いりなかの三洋堂(本屋)をぶらりと覗いてみたら、J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(The Catcher in the Rye)の新訳版がでているのに気づいた。訳者は村上春樹。2003年4月、白水社刊である。なんでも40年ぶりの新訳らしい。この著作には思い出がある。実はこの本、私が初めて「英語で」読んだ本なのである。今でもその時読んだその本が本棚にある。久しぶりに手にしてみた。だいぶ変色している。その裏表紙に書き込まれた自分のサインを見ると、「Jun Inoue 1989, Tokyo」となっている。このサインから、この本が、私が神父に叙階されてすぐに赴任した東京の吉祥寺教会にいた頃に買った本であること、それも1989年の春に名古屋に戻ってくる前に買って読んだ本であることが分かるのだ。

私は買った本には、自分の「名前」(下手なサイン)と買った「年」と「場所」を記しておくことにしている。これは我ながら名案だと思っているので、みなさんにもお勧めしたい。こうしておくと、何年も後になってからも、その本が、自分がどこで、どんなことをしている時に買った本なのかが、すぐ分かる。そして、自分がどんな友人たちとその時一緒にいたのかとか、自分がどんな気持ちでいたのかとか、どんな人と出会ったのかとかいったことまで思い出すこともある。懐かしさと、なんだかほんのり甘酸っぱい気持ちが、その本と共によみがえったりする。

ま、ともかく、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』である。吉祥寺の教会にいた頃、私は28歳だった。私はそこでいろいろな人に出会った。今でも大切な友人がたくさんいるが、その中の一人にOさんという帰国子女の女性がいる。その人がサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読むことを勧めてくれたのである。

絶対に英語の原作で読むべきよ!

と彼女は言った。彼女はその本を読んで非常に感動し、途中から涙が止まらなくなり、先を読み進めなくなるほどだったと言う。私は彼女の感動したその話に感動し、「これはぜひ読んでみなければなるまい」と思ったのだった。そしてさっそくペーパーバックの英語原典を買ってきた。



しかし、さすがに英語原典は難しかった。しかもこの著作は、少年の粗野な言葉遣いが音の感じそのままで表記されている。たとえば、"don't you?"が"don'tcha?"、"will you?"が "willya?"と書かれているのだ。もっとすごいのもたくさんある。これを解読するのは、当時の私にはあまりにも困難だった。それで、邦訳も購入して、それを片手に読み進んだ。英語だけで読めなかったのは残念だが、それでも最後まで英語で読み終えた時には嬉しかった。

しかしながら、当時の私は、Oさんが感動したほどにはこの本に感動することが出来なかったのである。涙で先が読めなくなる・・・なんてことが自分にも、と、かなり期待していたのだが、実際は、主人公のホールデンが「何を言いたいのかよく分からない」というのが正直なところだった。感動する代わりに思ったのは、表題の日本語訳が変じゃないか?ということである。"The Catcher in the Rye"がどうして

『ライ麦畑でつかまえて

になるのか。これではまるで恋愛小説みたいではないか。内容はむろん恋愛小説なんかじゃない。私なら、

『ライ麦畑のつかまえ手

としたいところである。しかしまあ、こんな表題じゃあ、読者は激減するだろうな・・・。

しかし私はその後、何年もかかったが、"The Catcher in the Rye"の内容を今では少し理解できるように思っている。ホールデンの言葉や気持ちがなんとなく分かるような感じがするのだ。今ちょっと読み返してみる。第22章の終わりのほう、一番有名なところだ・・・

「その時は知らなかったんだよ。オレは(その詩を間違えて)、≪もしその子がその子をつかまえたら≫だと思ってた。なんにしろ、オレはそれでずっと、子供たちが広いライ麦畑の中を遊びまわっている情景を思い浮かべてたんだ。何千もの小さな子供たちが遊んでるんだ・・・見守る年長のヤツは誰もいないのに・・・オレだけなんだよ、それは。それでオレは、危ない崖のふちに立ってるのさ。オレの仕事は、子供たちがその崖から飛び出したりしないように、捕まえてやることなんだ・・・だから何ていったらいいかな、さっと走って行って、そういう子たちをつかまえるんだ。一日中そうしている。オレは「ライ麦畑のつかまえ手」(the catcher in the rye)になりたいんだよ・・・くだらない話だろうさ、だけどオレが本当になりたいと思うたったひとつのことが、それなんだよ・・・

この言葉に、私は今では感動を覚えて涙さえ出る。さすが名作は奥が深いなぁ・・・というか、Oさん、私にもこの本の良さがやっとわかってきたみたいだよ。



≪9月11日≫

★今日は≪中秋の名月≫の日である。

≪中秋の名月≫とは、旧暦の8月15日の月のことを言う。つまり「十五夜お月様」である。しかしながら、太陽暦に変わってからは日が少しずれる。満月ではない日に中秋の名月の日が当たることも起こってしまうらしい。それはちょっと困るなぁ。だが調べたところによると、幸い2002年から2005年の間は、旧暦8月15日すなわち「中秋の名月」の日が満月の日と同じになるらしい。だから今日は満月の名月が楽しめるのである。もっとも、空が晴れるかどうかはまた別の問題である。

いつも参照している平凡社『世界大百科事典』をみたら、意外なことが分かった。(以下の引用文は直江広治博士によるもの)。

「陰暦八月十五夜と九月十三夜を〈お月見〉〈名月(めいげつ)〉と呼んで,さまざまな供物をして月を拝し,また観賞する風は広く各地にゆきわたっている。」

ふむふむ。つまりいわゆる「お月見」のことですね。

「名月が古来,詩歌や俳諧の好題目とされてきたこともよく知られている。供物は異なるが,こうした中秋の名月観賞の風は,すでに中国唐代の記録に記されているから,それが朝鮮,日本に伝わって上流階級の間に行われ,しだいに民間にも及んだものと考えられる。」

へーそうなんだ。なるほどなぁ。
しかし驚いたのは、この次である・・・

「ところが,日本の基層文化における中秋名月は,稲とサトイモの祭儀と結びついている点が注目される。」

え?サトイモですか先生?なんでまたサトイモ?

「十五夜はまた〈芋名月〉と呼ばれるように,サトイモその他のいも類を供える儀礼が顕著である。」

へぇ〜。それは知りませなんだ。

で、サトイモとは、他でもない、



このイモのことですね?これはたいへん旨いものです。私はこれを皮がついたままさっと茹でて軽く塩をふったやつを、ホッホッホッと皮をむいて食べるのが好きです。

ま、ともかく、お月さんとサトイモの間には意外にも密接な関係があったようなのだ。

「さらに最近では,中国大陸華南地域の漢民族や山地焼畑栽培民の間でも,八月十五夜の満月祭がサトイモ系統の芋(いも)類の収穫儀礼としての意味をもつことが明らかにされてきている。したがって,次にはそれと日本の畑作物の収穫儀礼としての名月の祭儀との間にどのような関連があるのかが大きな問題となってくる。

なるほどー。それは大問題かもしれませんねー。ぜひ研究を続けてください(直江広治先生はもうお亡くなりになってますが)。お月見の時にお供えされるおだんごは、どうやらサトイモを模したものらしい。(ここをご覧あれ)。

「お月見」にもいろいろと謂れがあるようだ。やはり朝からお月さん見て予習しておいてよかった。今夜は例年とは一味違ったおいしい月見酒が飲めそうである。

★さて、私は上記のように、お月さんとサトイモの関係について昨晩初めて知り、大いに驚いたわけなのだが、それを今朝、台所の吉原さんにお話してみたら、彼女はまるで当たり前のことのように、それをちゃんと知っていた。ひょっとしたら、こんなことは日本の常識で、単に私が知らなかっただけなのだろうか・・・それならかなり恥ずかしいな・・・あなたも知ってましたか?



≪9月12日≫

★昨夜は中秋の名月ということで、どこか小高い丘にでも登ってお月見でも・・と思っていたのだが、思いのほか蒸し暑かったのと、雲が多くて月も火星もよく見えないようだったので、作戦を変更し、クーラーの効いた部屋でビデオを見ることにした。(いつもと変わらん・・・)。

で、遊びに来てくれた友人のNさんと一緒に、他の皆が夕食の片付けをしてくれてるすきに、三洋堂にビデオを借りに行った。しかし、Nさんと私は映画の好みが烈しく異なる。(私はもちろん怪獣映画が好きなのだが、彼女はこともあろうに青春ロマンスものが好きなのである)。だから一緒にビデオを選ぶのはかなり無理がある。だが幸い今回は割とすんなり決まった。懐かしのアニメ、「ガンダム」と、アドベンチャー物の外国映画である。私は実はガンダムをまだ一度も見たことがなかった。

さて、ガンダムはとても面白かった。そうかこれが有名なアムロか(女の子じゃなかったとは・・)。なるほどこいつがシャーか。(要するに忍者赤影の宇宙版だな・・違うか)。えっ?ザクってのは人物じゃなかったのか・・・。

ふう、これでやっと私もガンダムの話題について行けるというものだ。(もはや誰も話題にしてないようだが)。

ところで問題は、もうひとつのアドベンチャー外国映画である。少し前に私は、うちの連中が間違えて分からん言葉の映画を借りてくるということをここに書いたが(8月28日の雑記をご参照あれ)、今回は自分でそれをやってしまった・・・。カタカナで英語のタイトルが書いてあったので(『ロスト・トレジャー』というやつである)、ついうっかりしてしまった。これはドイツ語の映画だったのである。あああぁ〜!みんな〜、すまん〜。 映画を借りる時は言語をしっかりチェックいたしましょう・・・。




≪9月13日≫

★昨夜はザビエルハウスの「金曜共同休憩」に、南山大学別科(べっか)で一緒に日本語を勉強しているお友だちが何人か遊びに来てくれた。そのうちのひとりは、ヤンさんというデンマークの人で、この方はプロのジャズ・ギタリストなのだそうである。温厚なとても良い人であった。しかもまことにサービスの良い人で、わざわざ自分のギターを持ってきて、我々のために演奏してくれたのである。



さすがというか・・・素晴らしい演奏だった。うちのメンバーであるポーランドのラファルもギターが達者で、2人で何曲もステキな演奏や歌を聞かせてくれた。ヤンさん自作の『サラリーマン・ブルース』という歌も出た。これはたいへん面白い曲だった。



2人の熱い演奏に感動し、最近購入した自分のピアニカを持ってきて演奏に参加するインドのプラフル。(気持ちは分かるが・・・邪魔にしかなってないようだぞ、キミ。)



ベトナムのビンインはマンドリンで参加。彼も非常に上手だ。
3人のノリの良い演奏に誘われて、みんなダンスを踊りだした・・・この狭い空間でかぁ・・・。


いやはや。たいへんにぎやかな夜でした。




≪9月14日≫

を皆さんご存知であろう。検索エンジンなどで有名である。私はこれを今まで何気に、「やっふぅ」と読んでいた。ところが、こないだクラブの雑用で私の部屋にやってきたK-taroとアイリーンが、

それは変です。正しくはヤフーです」 

と言うのである。
え?そうなのですか?(実をいうと私は前これを「やっほー」と読んでいたのだが・・・それは秘密にしとこう・・・ひぃー

さて、そこで真実を知るべく、インターネットで調べてみた。Googleを開き、まずは「やっふぅ」で検索してみる・・・ふうむ。Yahooとはまったく無関係なサイトばかりがヒットした。どうやら「やっふぅ」は違うようだ。

そこで今度は、「やっふー」で検索してみる・・・おやぁ!あった、あったぞぉー。たとえば、ここ。「やっふー!きっず」と読んでいらっしゃるではないか。あるいはこの方も「やっふー」と読んでいらっしゃるぞ。

しかし、何だかこれだけではどうも説得力に欠ける。こういうのをいくつ挙げても、

おじさんたちが間違ってそう読んでるだけー

と言われてしまいそうである。

そこで、私はYAHOO当局に真実の解明をしてもらおうと思った。そしてに行き、検索欄にこう尋ねてみた

Yahooとは何であるか述べよ

すると、その答えは次のようであった

「カテゴリ・サイト・ページ検索で一致する情報はありませんでした」

・・・。

あ、いや、ちょっと言い方が高飛車(たかびしゃ)でしたね。すみません失礼しました〜。
ではこれでいかがでしょう

Yahooは何と読むのか、どうか教えてください

パチっ(Enterの音)・・・と。



「カテゴリ・サイト・ページ検索で一致する情報はありませんでした」

おい・・・。

何なんだこれは。(どうしてYahooのトップページすらヒットしないんだ?)


仕方ないので、『リーダーズ英和辞典』(研究社)をひいてみる。

「ya・hoo: イャッホー, ヒャッホー, ワーイ, やったー《興奮・歓喜・高揚の発声》」

・・・え?イャッホー?

・・・じゃ、「やっほー」でもよかったのでは?

・・・。

やっほー

・・・


今日はもう寝よう。




≪9月19日≫

★秋学期がまた始まった。キャンパスにはまた賑やかさが戻っている。秋学期は大学祭があったりクリスマスがあったりして、授業以外のイベントでも忙しくなる。しかし秋はすずしくて気持ちが良くい、サンマもうまい。いい季節である。

ところで学校のメインストリートを歩いていて、ふと思い出したことがある。

ご存知メインストリート このように街路樹が植えられている

名古屋キャンパスのメインストリートには、この写真のように、真ん中に街路樹が植えられている。この街路樹なのだ、思い出したのは。私が学生だった頃、たしかこの木はまだこの半分くらいの背丈しかなかった。だから、この両方の道を歩きながら、街路樹越しに友達と会話しながら学生たちは歩いていたのである。いやぁ思い出すなぁ。そうそう、私はそうやって友達と横向きに話をしながら歩いていて、2度ほど右側に並んでいる丸いコンクリートの柱にゴンとぶつかったことがある。いきなり派手に頭をぶつけて、ううう・・・とその場にうずくまった。痛い思い出だ(単なるアホである)。周りに他の学生たちがたくさんいて、とても恥ずかしかった。

現在はこのように立派な大きな木に育ってしまったため、そういう危険はなくなったが、その代わり、街路樹越しに話をしながら歩くと言う風流なこともできなくなってしまっている。ふと、長い時の流れを感じさせられたのであった。(もっとロマンチックな思い出があったらよかったのだが・・・)。



≪9月21日≫

★昨日あたりから急に涼しくなった。秋らしい清々しい天気だ(雨降ってるけど)。昨日は星が丘の「星が丘テラス」というショッピング・モールにみんなで行ってきた。ここにそのホームページがある。初めはみんなでボーリングをするつもりで出かけたのだが(星が丘ボールがそのすぐそばにある)、あいにくとこの日はどこかのチームの試合があるとかで、貸切で使えなかったのである。ホームページをご覧いただけばお分かりのように、星が丘テラスは極めておしゃれな所であった(私は初めて行った)。駐車場から中に入ったらいきなり何年かぶりの知り合いにぱったり出くわして、驚いた。「あらぁ奇遇ですねー。よくいらっしゃるんですか?」・・・いいえ私は生まれて初めて今日ここに来たのです。

しかしまーとても綺麗なところだった。デートとかには最適かも知れない。(ここに案内してくれたのは、とってもお洒落な女性、チカチさんとアイリーン)。しかし、こういうおしゃれな場所は、我々ザビエルハウスの男連中には、どうも似合わない気がする。私自身もこういうハデな所は何かこう落ち着かなくて苦手だ(けっこう楽しかったけど)。お洒落な空間の中で我々だけがポッカリと浮いてしまっているような感じがした。

そういえば学生時代の後輩に、たいへん地味な風貌の男(日本人)がいた。どこがどう、と聞かれても困るのだが、とにかくひたすらに地味なのである。あまりにも地味なため、彼は友達からジミーと呼ばれていた・・・。綺麗に着飾った女の子たちが多い南山大学の華やかなキャンパスの中で、ジミーはまるでスポットライトを浴びたかのようにみごとに浮きあがり、実によく目立っていた・・・(ある意味とてもハデだったのかも)。星が丘テラスにおける今日のザビエルハウス部隊もこれにちょっと似ていたのかも知れない。

さて、話しは変わるが、ハウスの玄関先にこんなかわいい花が咲いた。


これは「オジギ草」の花である。以前私の研究室に置いてあったオジギ草(6月12日の雑記を参照)が成長して大きくなったので、うちの玄関に植え替えておいたのだ。花が咲くことは期待してなかった。何だかうれしい。



うちの玄関は、このごろきれいになりつつある。殺伐とした駐車場に、このように、バラのアーチまで・・・(ブラザー・ジャスティン、どうもありがとう)。綺麗な花が咲き乱れる日がくるのが楽しみである。



≪9月27日≫

★ふう、やっと更新する時間がとれた。いやぁ、今週はホントに忙しかったぁ・・・。主なものは日曜日から火曜日にかけての東京出張と、火曜日から水曜日にかけて行なわれた南山スコラ・カントールム(南スコ)の合宿だったのだが、その他の日も昼も夜も外で何かがあり(夜はすなわち飲み会なのだったが)、ほとんど自分の部屋にいる時間がなかったのである。ここまで連続するのは珍しい。

さて、東京には学会のために出かけたのだが、ついでなので、あちらの友達と飲んできた。(あえて言えば、こちらの方がメインだった気もする・・・)。

教会のすぐそばにある焼き鳥屋「いせや」 二階への入り口。
我々がもっぱら使うのはこちら

東京ではいつも、吉祥寺にある教会に泊めてもらっている。駅に近くて便利だ。その教会のすぐそばに、「いせや」という老舗の焼き鳥屋がある。テレビのグルメ番組でもたびたび紹介されている有名な店だ。吉祥寺に泊めてもらう時には必ず一度はここで飲む。「安くて旨くて適度にきたない」という、私が一番好きなタイプの店である。我々はたいてい二階の座敷に座る。お店の建物からしてとても古く、実に味わい深い(倒れそうなくらいだが)。焼き鳥の煙が壁にも天井にもしみ込んでいる。二階では、「よしこさん」と我々が勝手に名前を付けて呼んでいる店員さん(本当の名前は・・・私は知らない)が、いつも親切にしてくださる。(☆その後、掲示板の書き込みで知ったのだが、よしこさんの本名は「ルミさん」というらしい。ぜんぜん違うじゃないか。しかし何かとてもハデなお名前だなぁ)。

焼き鳥屋としてこの店は有名なのだが、実はこの店で一番旨いと私が思うのは、「しゅうまい」である。少し大きめのサイズで肉がたっぷり詰まっていて、もう、すご〜く、おいしい。いせやに行く機会がありましたら、ぜひお試しあれ。今回もむろんそれを注文して食べたが、注文するときに、どうしても「しゅうまい」という言葉が出てこなかった。そこで一緒にいた友人達に、「ほら、あれあれ、いつも食べるあの白くて丸くて熱いやつ」と言ってみたのだが、ぜんぜん分ってもらえなかった。みんな、「ゆでタマゴ」が頭に浮かんだそうである。なるほど、それはそうかも知れない・・・(が、ゆでタマゴは、いせやのメニューにないだろ〜!)。

こういうことがあるといつも思い出すのは、学生の頃、南米の奥地で5年ばかり働いていて一時帰国した先輩の神父が話をしてくれた時のことである。この先輩は5年間ほとんど全く日本語を話す機会がなかったそうで、言葉をだいぶ忘れてしまったらしく、単語が出てこなくて困っていた。「冷蔵庫」と言おうとしたが、どうしてもその単語が出てこなかったので、「え〜と、ホレ、あれ、あれだよ・・・物を冷やす大きな白い箱」、と言ったのが特に印象に残っている。なるほど・・・言われてみるとたしかにそうだが。(昔の冷蔵庫はなぜかみんな白かったね)。外国生活が長いと日本人も日本語を忘れるんだということを知り、私は驚いたのだった。



≪9月28日≫

★こないだの南スコ合唱団の合宿が終了した後、最後まで片付けで残ったメンバーと一緒に、杁中(いりなか)のロイヤルホストでお茶をしたのだが、その隣に出来た100円ショップにもついでに寄った。けっこう大きな100円ショップだ。こういう店に入ると、ついついいらない物まで衝動的に買ってしまう。この日も安さに目がくらんで、さっそくお皿を大量に購入した。ま、しかしこれはよい。ザビエルハウスで実際に役に立つ。

ところが、更に店内をうろうろ歩いていたら、のけぞってしまう程すばらしいものを発見した。



ティアラである。これであなたもお姫様になれる!・・・とある。

うひゃあ。

ティアラ(tiara)とは何かというと、古代エジプトで高位の者が付けた冠のことらしい。すばらしい。たった100円で、みんなお姫様になれちゃうのである。しかもこのティアラには後ろに小さなスイッチが付いていて、それをONにすると前の宝石がキラキラ・キラキラと、夢のように輝くのだ。

クラリときた私は、さっそくそれをこのように写真に収めた。(そのとき携帯電話しか手元になく、鮮明な写真が載せられなくて残念だ)。更にじっと見つめる。う〜む。100円か・・・それなら私もひとつ・・・と、手に取ってレジに向かおうとした。

そしたら、たまたまそれを見ていたキヨちゃんが後ろから、

「あ、あの、せ・・せんせい・・・それいったい何に使うんですか?

と言うのである。その一言でハッと我に返った私は、「いや〜、はははは、ははは。何だろうね、コレ。使えないよねー、ふふっ」などと必死にごまかして、もとの場所にそそくさとティアラを返したのであった。よく考えてみると、こんなものを私が頭にのせてたら、とてつもなく異様である。いやいや、さすが古代エジプト物はミステリアスで危ない危ない(何が)。キヨちゃんどうもありがとね。




(ティアラ欲しいよ〜)







2003年8月の雑記へ

2003年10月の雑記へ