2003年10月の雑記



≪10月2日≫

★先日の雑記(9月28日)のティアラ(古代エジプト由来の王冠)を見て、幾人かの方々が掲示板に有益な情報を寄せてくださった。それをもとにもう少しティアラについて考察してみたい。(超多忙なはずの私はこんなことを考察している場合ではないのだが・・・)。

●マダムN 「えぇっ!ひゃくえん!ティアラが100円!しかも光るなんて。えぇ〜もっと早く見つけてくれたら、結婚式につけたのにぃ〜。おそるべし名古屋。。。」

ふむふむ、なるほど。結婚式で使えなかったのは残念でしたな、マダムN。(100円の超安物ですが)。どうやらティアラは、本当はけっこう高いものらしい。ま、そりゃそーだろな。なんたって王冠だからなぁ。そこでちょっとGoogleでティアラを検索してみた・・・そしたら、王冠の他に、なんともまあ様々なティアラが存在することが分かった。たとえば「ティアラ」という名のブティックやホテルやレストラン。ま、これはいかにもありそうである。だが、劇団「ティアラ」とか、レース・クイーンのグループ「ティアラ」がいらっしゃるとは知らなかった。更には、驚いたことに、昨日研究室で仕事を手伝ってくれたアイリーンがたまたま持っていたペットボトルの飲料も、「ティアラ」というのであった。

 ←アサヒ飲料のミルクティー、「ティアラ」

日本にこんなにも多様なティアラがあったとは・・・うかつであった。

さて、マダムNに私は次のようにお答えした。

■「そーなんですよマダムN。このティアラさえあれば、誰でもいつでもどこででも、あっという間にお姫さまに変身できるのです。『百円姫伝説』の始まりですなぁ。ところでふと思ったんですけど、このティアラが小さすぎて、頭にはまらない場合はどうなるんでしょう。けっこう小さなものでしたが。私の頭には、よほど頑張ってみても、ちょっとはまりそうにありません。成人男性用のがないかどうか、今度聞いてみましょう。」

100円ショップで見た王冠のティアラはヘヤーバンドの様な形をしていたが、かなり小さなものだったのである。プラスティック製。どのくらい柔軟にぐぐっと広がるのか試していないが、私の頭には到底はまりそうにない。力ずくではめればはまるかも知れないが、今度は抜けなくなりそうである。大きさ的には、足首にならちょうどよくはまりそうだ。が・・・さすがに足首なんかにはめては、いかに100円とはいえ、ティアラに対して失礼であろう。

このようにティアラ装着問題に悩んでいた(わけではないが)私に、「せぼぬならせぼんでみせようほととぎす」さん(え〜い長い!)から次のような衝撃的な情報が告げられた。

●せぼぬなら・・(長いので「せぼぬさん」と略します)「丸一日 突っ込みを我慢していましたが 誰も突っ込んで居られないので・・・。ティアラは『頭にはめる』のではなく『チョコンと乗せる』若しくは『タニシのように団子を作りそれにはめる』が基本じゃぞよ。と言いましても わたくし自身 娘のティアラをこっそり『はめよう』としてバキッとやってしまい 慌てて接着復元した経験があるのでございます。いやはやほんま 古代エジプト物は 復元にもテクが要り 往生したんでございますのよ。」

おお!なんとティアラは「はめる」ものではなく、「のせる」ものだったのだ。へぇ〜〜。でも、「チョコンと乗せる」だけではツルっと落ちてしまうのではありませぬか?ピンか何かで止めるのでしょうか・・・ま、しかしそれはよいとしておこう。問題はその次なのである。

「若(も)しくは『タニシのように団子(だんご)を作りそれにはめる』が基本・・」

えっ?!


タニシですか奥さん?


せぼぬさんのこの発言を、私は初め、「タニシには団子を作ってティアラをはめる習性がある」という意味に解した・・・しかしそれはたぶん誤りであろう。「タニシ姫」というような昔話(むかしばなし)があるのなら、また別だが。

恐らく、より蓋然性(がいぜんせい)の高いと思われる解釈は、「タニシのような形の団子を作ってティアラをはめる」、であろう。しかし、団子か。お団子を頭に乗せて、それにティアラをはめる・・・頭に情景を思い浮かべて見よう。

・・・とても変である。

・・・あ、そうか!わかったぞ〜!お団子と言っても、普通の食べるお団子じゃなくって、髪の毛なんだ。「髪の毛をタニシのような形のお団子に結ぶ」ってことではないのか?そーだそーだきっとそうだ。(普通は最初からそう考える)。


あ。


でもね・・・頭の真ん中にタニシのように渦高く髪の毛をぎゅるるるるるっと巻き上げて、そこにティアラをはめている姿を思い浮かべてみましょう・・・。

・・・・・

イケてない・・・ね。

イケてないですよ、ぜ〜んぜん。


イメージ画・・・なんだこりゃ。


・・・想像の仕方に問題があるのかな?


・・・結局よくわからん。


・・・明日はいいことあるだろう。

ぢゃ。



その後、掲示板に幾人かの方が情報を寄せてくださり、「タニシ型ティアラ装着の図」が明らかにされたので、ここに記しておきたい。(やはり私の想像の仕方に問題があったようである・・)。

☆まつながさんによる、タニシ頭ティアラの参考写真 → ここ(一番下の写真がそれ)。

☆せぼぬさんによる、「せぼぬ的ティアラonタニシ」の図 → ここ

☆でもやっぱりティアラは、こうよ!という、(YYさんが教えてくださった)極め付きのティアラ装着正統イメージは、この人。異議なし。



≪10月3日≫

★今日と明日、南山大学において「日本基督(キリスト)教学会」第51回学術大会というのが開催される。キリスト教関係の著名な学者先生方が全国から多数参加されている。研究発表や講演会、シンポジウムが行われるのは、M棟の教室である。今日と明日、あの辺をうろうろしておられるオジサン・オバサン方は、けっして怪しい人たちではない。ご安心あれ。

今回私は初めて、研究発表の司会をするように命じられた。研究発表はひとり30分ずつで、25分間の発表の後、5分間の質疑応答(しつぎおうとう)がある。発表がスムーズに行われるように上手に時間を管理するのが司会者の主な役目である。具体的には、発表が始まって20分たったら鐘を「チ〜ン」と1回鳴らし、25分たったら「チ〜ン・チ〜ン」と2回鳴らす・・・ふむ、こう書くと、いかにもたやすい仕事のようである。しかし、なかなかどうして、これでもたいへんなのだ。あ、いや、鐘を鳴らすのがたいへんなのではない。発表が終わったら、それに対して簡潔なコメントを言わねばならない、ここなのである、たいへんなのは。

コメントと言っても、司会者がいきなりズバズバと批判を述べるわけにはいかない。(それは質疑応答でなされる)。そうではなく、いかに発表が有益で良いものであったのかを述べて、発表者の労をねぎらうのである。要するに、発表を誉めるのが司会者の仕事である。私はお2人の方のご発表の司会を仰せつかった。初めてだったので、たいへん緊張した。発表の間中ずっと私は、「何と言って誉めようか・・・」と思案していたのである。

お2人の方を全く同じ言葉で誉めるのも芸がない。そこで、ノートをとってるふりをして、「たいへん興味深い」、「明せきな」、「すばらしい」、「すぐれた」、「得るところの多い」、「みごとな分析による」、「クリアーな論理の」、「分かりやすい」、「説得力のある」など、何にでも使えそうな誉め言葉を思いつく限り書き出してみた。そしてそれらを適当に組み合わせて、お誉めすることにしたのである。しかし、うっかりして少し組み合わせを誤ったみたいである。会場に同席していたJ-von氏が後で、「あのコメント・・・な〜んかちょっと違うところを誉めてましたよ」と言っていた。う〜む、しまった。誉め言葉を捜すのに夢中で、あまり発表の内容は聞いてなかったからなぁー。(深く反省)。



≪10月6日≫

★週末の土曜日に、南山教会で司祭叙階式(しさい・じょかいしき)が行われた。これは、カトリックの神父(司祭)の資格が与えられる式のことである。私が属している神言修道会(しんげん・しゅうどうかい)の6名の若者たちが晴れて司祭に叙階された。名前を挙げると、フェルディマール、赤尾道夫(あかお・みちお)、深堀秀生(ふかほり・しゅうせい)、山田利彦(やまだ・としひこ)、佐藤新(さとう・あらた)、新立大輔(しんたて・だいすけ)、の各氏。最初のフェルディマール氏はフィリピンの出身である。それぞれに長い修行期間を経て、めでたく叙階となった。このうち佐藤神父はケニヤに、新立神父は中国に、あとの4名は日本国内のどこかに派遣されることが決まっている。皆さん、フレッシュな若手司祭のことをどうぞよろしく〜。

 ←これは神学院における初ミサの模様

この写真は叙階式ではなくて、その翌朝に神言神学院で行われた、6人の新司祭による初ミサの模様である。本当は叙階式の写真も撮りたかったのだが、あいにく私は司祭団の一員として参列したため、写真を撮ることが出来なかったのである。上の写真の中で白く長い服を着て前に並んでいるのが司祭団である。叙階式のときには、これよりずっと多くの司祭が参列していた。私は司祭席がもういっぱいだったので(・・・実は本音を言うと、前に出てシャンとしてるのは疲れるので)、初ミサではこの列には加わらず、2階の会衆席に座ったのである。こちらの方がずっと気楽でよい。それで、このように無事に写真を撮ることができた。写真に見られるように、叙階式ほどではないにしろ、初ミサにも非常に多くの人々が集まってくださった。

ひとつの修道会に属する人が6人も一度に司祭に叙階されるということは、日本ではめったにないことである。たいへん御めでたい。司祭叙階式は、一般の人の結婚式に相当する重要な祝儀である。だから、親族、恩人、友人のみなさんが大勢お集まりになる。1人でもすごい数の人が集まるのに、それが6人分なのだから、どえらい人数であった。1名につき100人の人が来ると考えても、600人だ。実際には1,000人以上の方がいらっしゃったように、私には見えた。南山教会は当然、超満員。祝賀会が行われた南山短大の体育館も大勢の人でいっぱいであった。

自称「アゴラフォビア」(agoraphobia:会衆恐怖症)の私は、こういう大きな祝賀会ではいきなり「非社交的無愛想男」となって隅のほうでじっとしていることが多い。今回はしかし、明るい性格のお友達が2人も一緒だったおかげで、いつもよりは社交的であった。同僚のR-von氏も実は私と同様の非社交的習性を持つ人である。(ただし彼は私のように無愛想ではない)。どこにいるかなぁと探してみたら、本当に会場(体育館ですぞ)の隅っこの角にひっそりと立っていたのには驚いた。人波にだんだんと押されて、ついに角まで追いやられてしまったらしい・・・まさしく ( p_q)エーン という感じ。誘って一緒に隅の方で楽しく会話をした。「アゴラフォビア・クラブ」でもそのうち結成しようかな。

☆叙階式と初ミサの公式な記録と写真は、神言会のホームページあるいは神学院のホームページにそのうち載ると思いますので、そちらをぜひご覧ください。



≪10月7日≫

★秋らしい清々しい天候で気持ちが良い。天気予報によると今週はずっと「晴れときどき曇り」(日によってはその逆)らしい。学内に貼られているポスターによると、今週土曜日に名古屋キャンパスのグリーンエリアで、毎年恒例の野外宗教劇「受難」が上演される予定らしい。家と学校の行き帰りに私はグリーンエリアを横切るため、上演に向けて一生懸命準備している学生たちの姿をよく目にする。その日だけはどうか晴れたら良いなと思う。

★そういえば、こういう写真があるのを忘れていた。


高飛び込みの日本代表選手、宮嵜多紀理(みやざき・たきり)さんの勇姿。こないだ彼女のお兄さんのみや君が送ってくれたもの。携帯電話から電送してくれたのでサイズが小さいが、くっきりときれいに写っている。背景にあるのは、バルセロナにある有名なガウディの遺作、「サクラダファミリア」(聖家族教会)である。かっこよいなぁ。この建物の効果もあって、ちょっと見るとまるで多紀理さんがトランポリンか何かで下から上に飛んでいるようにも見えるが、これは「飛び込み」の瞬間なのであるから、本当はもちろん上から下へ回りながら落ちているのである。


ちょっと回してみた。(いらんか)。

・・・多紀理さんの活躍を今後もずっと応援したい。



≪10月9日≫

★今日はいつもと違って、ちょっと優雅におしゃれにハーブティーなんかをいただいてみちゃったりしましょう。うふ。こないだザビエルの皆で「星が丘テラス」に出かけた折に、無印良品というお店で、私はほんの出来心から、「ローズヒップ&ハイビスカス」という、その名前からして典雅な響きのするハーブティーに、恐れ多くも手を出してしまったのである。ああしかし、あまりにも自分に似合わないこの品物を買うのは内心とてもためらわれ、ドキドキし、レジに運ぶときには、つい辺りを見回して誰にも見られていないか確認してしまったのであった。(ちょっと大げさか)。

このローズヒップというのは、たいへん体によろしいらしい。ではローズヒップとは何か。部屋にやってきたJ-von氏にそれを見せたら、

「え?ろ、ろーずひっぷ?バラのおしりですか?

とおっしゃった・・・まったく困ったお人だ。ローズヒップとは、「野バラの実」のことなのですぞ(さっき辞書で調べた)。このバラの実には、驚異的なほど豊富なヴィタミンが含まれているらしいのである。

さてしかし、このお茶はどのような仕方で飲むのであろうか。私の知り合いの中で最もこういうのに詳しそうな友人に尋ねてみた。すると、次のように教えてくれた。

「ティーポットにティースプーン1〜2杯のローズヒップを入れて、7〜8分ポットにティーコゼーをかぶせて蒸らして下さい。お好みではちみつをいれてもおいしいですよ!」

ほほう・・・さすがお詳しい。ではさっそくティーポットに入れてみましょう。



 ←私の研究室にあるティーポット。
 「これはポットではない、急須(きゅーす)である」と言う人もいるが・・・無視する。

しかるに、「ティーコゼー」とはいったい何モノなのであろうか?友人によると、「ティーコゼーとはポットにかぶせるお帽子みたいなものです」とのことである。インターネットで検索してみる・・・あ、なるほど。


←こういうやつ。これをポットにかぶせるようだ。

ティーコゼーとはつまり、「お茶保温カバー」のことである。英語でTea cozy。Cozyとは「心地よい」という意味なので、「お茶をぬくぬくと心地よい状態に保つもの」といった意味なのであろう。これによってお茶がよりいっそうおいしくなるというわけだ。

・・・でもねぇ、こんなおしゃれなもの、私が持っているわけないでしょー。

しかしよく聞いてみると、ポットをタオルか何かで包んでもよいそうな。



で、そうしてみた。(イケてね〜)

しばし待つこと8分。カップに出来上がったお茶を注ぐ。

おお。

なんとまあ、赤い

まるでカキ氷のイチゴ・シロップのような真っ赤な色の液体である。
そしてその味は・・・とってもすっぱい

・・・・・

(あ、でもせっかくのハーブティーなんだから、楽しまなきゃ)

・・・いやぁ美味しいなぁ〜。至福〜。すっぱ〜ぃ。


健康によいものを飲むには、それなりの覚悟と忍耐が必要なのだ。きっとそうだ。


このようにして、わたくしの秋の午後は静かに過ぎてゆくのであった。



≪10月14日≫

★衣替えのタイミングを計る季節となった。この時期は日によって暑かったり寒かったりいろいろなので、なかなか衣替えの日を決めるのが難しい。まあもっとも私の場合は持っている服が少ないので、「衣替え」という程の作業ではなく、押入れの中に積んである服を、外の棚に積んである服と置き換えるだけなのだが。(所要時間:まじめにやれば5分)。これさえも面倒だと思う自分がちょっと情けない。

★先週の土曜日(11日)の夕方には、南山の年に一度の伝統行事となっている、野外宗教劇「受難」の公演が、名古屋キャンパスのパッヘ・スクエアを舞台に行われた。これはイエス・キリストの受難をもろに描いた、どっぷりと重たい内容であり、しかも3時間にも及ぶ長編なのであるが、不思議なほど人気があり、毎年多くの観衆を集めている。今年の脚本と演出はキリスト教学科3年生の杉浦由美さんであった。彼女は昨年の公演では悪魔の役で出演していた。その悪魔がもうすさまじく迫力があって、小さな子供たちがビビって泣き出してしまったほどであったことは、今でも我々の間で語り草になっている。今年はキャストとしては登場しなかったが、そのかわりに説得力のあるみごとなプロットで観衆を魅了してくれた。

実は私も学生時代に、エキストラで受難劇に出演させてもらったことが何回かある。神学生は普通は十二使徒(しと)の役で出ることが多いのだが、一度だけ、ユダヤの兵士の役に当たったことがある。これにはセリフも少しあった。十字架を担いでよろめきつつ歩くキリストに向かって、「さっさと歩け〜!」とか、「ぐずぐずするなー!」とか、声をはりあげて叫ばなくてはならないのである。しかしいくら演劇とはいえ、キリストに向かって、かような罵(ののし)りの言葉を浴びせることには気が引けた。長崎の教会で幼いころから育った私には、なんだか踏み絵をちょこっと踏んでいるような気分がするのである。もともと重みの無い声をしている上に、こういう気おくれもあって、この兵士の役は残念ながらとても不評であった。



≪10月16日≫

★ひさしぶりに栄華麺(えいがめん)を食べた。


栄華麺とは、南山大学・名古屋キャンパスのそば、中京テレビから歩いて1分のところにある「栄華楼」(えいがろう)という四川(しせん)料理店の名物ラーメンである。これは非常に旨いラーメンだと思う。しかし恐るべきほどの激辛なのである。スープの色からして鮮やかなオレンジ色(あるいはラー油色)だ。からそぅ〜。辛いのがダメな人には、とてもお勧めできない。だけどまあ、話しのタネに一度は試してみるのもよいかも知れない。

この店は私が学生の頃からある。その頃すでに南山界隈にある激辛ラーメンとして、よく知られていた。辛いけど旨いので、私は同僚の神学生たちと一緒に時々食べに行っていたのである。中には辛いのが異常なほど好きな人がいて、このすでに十分辛い栄華麺を更に辛くしてもらうべく、「超特辛にしてください」などと注文していた。出てきたのを見ると、スープの色はオレンジ色を通り越して真紅であった。これはいったいどのくらいの辛さなのであるか?(興味のある人は試してみてくだされ)・・・あっそういや思い出したが、超特辛でもまだもの足りない人もいて、「ウルトラ・スーパー激辛で!」とか何とか言って更に辛くしてもらっていた・・・こうなるともう普通の人間であるとは言えまい。

冬の寒い日など、こういう辛いものを食べてほかほかと暖まろうと、出かけて行くことが多かったように思う。当時の神学院の神学生の部屋には冷暖房設備がなく、夏は気が遠くなるほど暑くなり、冬はこごえるほど寒かったのである。蓑虫(みのむし)のように毛布に包まって小さな電気ストーブで暖をとっていた。よくあれで過ごしていたものだ・・・まあそれはともかく、そういうわけで栄華麺を食べに行ったのである。食べている時にはたしかに暖まる。しかし、激烈なる辛さによってダ〜ラダ〜ラと大汗をかいてしまう。するとその汗のために、帰り道(約10分の道のり)は来る時の数倍も寒くなってしまうのであった。時にはこれがもとで風邪をひいてしまうこともあった。これではいったい何のために暖をとりに行ったのか、さっぱりわからないのであった。

栄華麺は→中京テレビ番組のPSでも紹介されています・・・すぐそばのお店だしね〜




≪10月19日≫

★昨日はザビエルハウスのメンバーのひとり、インドのプラフルの誕生日であった。そこで彼がインドの料理を作ってくれた。誕生日には、他の皆が誕生日を迎えた人のために何かしてあげるのが一般的だと思うが、修道院世界では逆に、誕生日を迎えた当人が他の皆のために何かしてあげるというのが、むしろ普通なのである。

台所を覗いてみると吉原さんに手伝ってもらって彼が何か作っていた。何を作ってくれるのかと聞いてみると、

「今日はスパイシー・チキンとプリを作ります」

と言う。

ぷり?

スパイシー・チキンはまあよいとして、いったい何だろう「ぷり」って?(なんか妙にかわいい名前だ)。初め私はこれは「プリン」のことだと思った。ところが彼は手でせっせと小麦粉をこねながら、「プリです。プリを作ります」と言っているのだ。インドには小麦粉で作るプリンもあるのだろうか・・・(シコシコと腰があってうまいかも)。

いや、やはりそれはプリンではなかった。プリとは・・・



こういうものである。(左の皿の丸いやつ。右の皿にのっているのはスパイシー・チキン)。小麦粉をねって平たく延べ、油で揚げた、パンのようなもの。カリカリに揚げているのではなく、しんなりとやわらかい。プリ(puri)。もしこれが油で揚げるのではなく、窯(かま)で焼いたものなら、「チャパティ」(chapati)と言うのだそうだ。インドのパンと言えば、「ナン」(naan)がよく知られているが、これは発酵させてある点で無発酵のチャパティと異なる。なるほど。この区別は知らなかった。

 これがナン。インド・カレーと組み合わせると、たいへん美味である。


★ところでその前の日の金曜日の夜には毎週「共同休憩」をしているので、今回はそれを彼の誕生会とすることにした。大学のお友だちも何人かやってきて、賑やかだった。インドにちなんで、BGM(雰囲気作りのための音楽)としてインドの歌謡曲がかけられていたが、宴もたけなわになった頃、プラフルの同級生で、一緒に日本に来たジョゼフが、やにわにその音楽に乗ってダンスを踊りだした。インド風ディスコ・ダンスのようなもの。インドの映画によく出てくる、若い男女がクネクネと体を動かし、飛んだり跳ねたりクルクル回ったりして踊っている、アレである。かなり激しいダンスだ。現代的なダンスなのだが、古典的なインド舞踊の要素が多分に入っている感じがする。音楽がまた、とっぷりとインド。ラーガと言ったかな、あのインド独特の旋律。いや〜(たいへん妖しくて)好きだ。ジョゼフのダンスは、けっこうサマになっていた。そしてジョゼフに誘われて皆もクネクネと踊りだした。(雰囲気に呑まれて、つい私も踊ってしまった・・想像しないでください)。・・・だけどこれ、傍から見たらそうとうに怪しいのでは。例えばピザのデリバリーの兄さんとか、恐くて入れないのでは。・・・ま、いいか。



≪10月23日≫



★ちょっとした買い物があって、八事(やごと)の「トイザラス」という大きなおもちゃ屋に行ったら、「メリーポピンズ」(Mary Poppins)のDVD版があるのを見つけたので、さっそく購入した。これは有名なディズニーのミュージカル映画である。実写とアニメが巧みに組み合わされている。1964年のアカデミー賞で5部門を受賞した作品。古い映画だが、その素晴らしさは今なお色あせず、何度見ても飽きない、名作中の名作である。アメリカの子供はみんなこの映画を知っている。テレビでも繰り返し繰り返し放映されている。おそらくアメリカ人でこの映画を見たことがない人はほとんどいないのではないだろうか。

ところが、どうやら今の南山生の多くはこの映画を知らないようなのである。ああ、なんということ。この名作を見逃すのは人生における大きな損失である。ビデオを借りて、ぜひ一度は見てください。もし購入しようと思うなら、英語オリジナル版と日本語吹き替え版が両方入っていて、しかも英語・日本語両方の字幕が出せるDVDがお買い得だと思います。

この映画は、ストーリーや音楽がすばらしいだけでなく、キャストが最高によいと思う。メリーの役はジュリー・アンドリュース(Julie Andrews)、友達のバートの役はディック・ヴァン・ダイク(Dick Van Dyke)である。いずれも超が付くほど有名な名優にして名歌手だ。他の出演者の演技も見事で、映画が始まるやたちまちにして見る者はメリー・ポピンズの世界に引き込まれてしまうだろう。

 

この作品は、どの場面もすべて名場面として目に焼きつく。これほどの映画はあまりないのではないか。たとえば、アメリカでは上の写真のような模型が売られていたりする(ここ)。これはメリーとバートがペンギンの喫茶店でお茶を飲むシーンに出てくるテーブルである。このテーブルが特に何かするというわけではなく、ストーリーの上で重要な役割を果たしているのでもない。言ってみればただのテーブル・セットだ。しかしこのテーブルを見ればあの夢のように美しい場面が鮮やかに思い出される。メリーポピンズ・マニアには堪えられない一品といえよう。(ほんとか)。

「メリーポピンズ」の日本語吹き替え版がまた実にみごとだ。(これは1994年に作成されたもの)。多くの場合、日本語吹き替え版はオリジナル映画の雰囲気を変えてしまうのでキライなのだが、この作品の吹き替え版はそういうことが全くない。それぞれの役者の声色もしゃべり方もオリジナルにそっくりだ。驚くべきことには、口の動きや表情にも言葉が完璧なまでにぴったりと合っている。名人芸だ。日本語翻訳も非常に正確で、かつウマい。まるで初めから日本語で作られた映画のようにすら思えてくる。すばらしい。私見では、日本語吹き替えにおける、これは最高傑作である。よく吹き替え版でイヤになるのが、声優の存在が画面の背後に感じられて興ざめしてしまうことなのだが、この作品にはそういう欠点が皆無なのである。好きな映画なので、これは本当にうれしい。

とりわけ素晴らしいのは、メリーポピンズが歌う歌の日本語版を歌っている伊東恵里さんである。メリーポピンズがしゃべるセリフの部分は麻生かほ里さんが担当しているのだが、歌の部分は伊東恵里さんなのだ。二人の声質はとても似ているので、交互に切り替わっても全然違和感はない。伊東さんの歌は表情豊かで澄んでいて、とてもきれいだ。実に、

よか〜〜〜

・・・とです。(突然長崎弁だが)。もう、うっとり。

伊東恵里さんは実はミュージカルの世界では既にかなり有名な方のようである。「ミュージカル座」の公演によく出演されているようなので、ステージを見たい方はそれをどうぞ。私は残念ながらまだ「動くナマの」伊東恵里さんを見たことがない。いつかぜひ見たいと思う。

伊東恵里さんを私が知ったのは2年ほど前のことである。友人が「ルルドの奇跡」というミュージカルの公演を見て感動し、そのCDを送ってくれたのだ。公演のプログラムも一緒にくれたので、キャストの顔も知ることができた。この作品で主役のベルナデット(とミミの一人二役)を演じていたのが伊東恵里さんだったのである。彼女の清純な歌声を聞いて、私もたいへん感動した。恵里さんは容姿も端麗。しかもクリスチャン。たちまち私はファンになってしまったのである。伊東恵里さんのことをまだ知らなかった人は、ぜひこの機会に知ってください。ご本人作成のホームページもありますぞ(ここ)。



≪10月27日≫

★週末の土日に南山大学・瀬戸キャンパスで催された「聖南祭」は、なかなかの盛況であった。瀬戸キャンパスに新設された総合政策学部と数理情報学部は今年が完成年度であり、1年生から4年生までがそろって初めての学祭である。天気にも恵まれ、キャンパス内は明るく和やかな雰囲気に満ちていて、気持ちがよかった。

その学祭のイベントのひとつとして、わが南山スコラ・カントールム(略して南スコ)が合唱曲を一曲披露した。ハインリッヒ・シュッツ作曲の「十字架上のイエス・キリストの七つの言葉」。約30分ほどの曲である。(私はオルガン伴奏を担当した)。今年結成されたばかりのこの合唱団の初めての公演であった。



本番の演奏は、この合唱団の今の段階でのほぼベストが尽くせたのではないかと思う。たいへん嬉しいことに、マルクス学長をはじめ多くの方々が聞きに来てくださった。演奏もなかなか好評で、「とてもよかった」と皆さんが言ってくださった。初めての公演でまずまずの成功を収めることができて、よかった。次の出番は吉田文さんのアドヴェント・コンサートである。この調子でがんばろ〜。

演奏会の打ち上げは車で名古屋に移動し、ザビエルハウスで行われた。瀬戸キャンパスに来ているのだから、その近くのどこかの飲み屋でやろうという話も出たのだが、お金の余裕があまりない人たちも安心して参加できるように、どこか安い食料店で材料を買って来て、うちで鍋とバーベキューをやることになったのである。これだと、ひとり1000円くらいで済むのだ。(買出しは車で20分くらいのところにある「サント」という問屋スーパーに行った。笑いが出るほど安かった・・・ので、ちょっと買い過ぎてしまった)。

たいへん賑やかな打ち上げ会であった。メンバーの何人かは歌だけでなく楽器も(あるいは歌よりも楽器の方が)上手で、ギターやピアノを使って演奏をしまくり、食堂ではテーブルを隅に寄せて、インド・ダンス教室が始まった。(インストラクターは無論、ジョゼフ)。ザビエルハウスは外に音が漏れにくい構造になっている上、周りに隣接した住居がなく、しかも車の音がやかましい大通りに面しているので、中で多少騒いでも誰にも迷惑がかからないのである。パーティー会場にはもってこいだ。(・・・ザビエルハウスは本当は修道院である)。 とても楽しい集いでした。







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