2004年7月の雑記




≪7月10日≫

★いやはや、ずいぶんと更新が滞ってしまった。いつも見てくださっている皆さん、どうも申し訳ない。

★今週で春セメスタの授業が終了し、少し時間に余裕ができた。4月にザビエルハウスからロゴスセンターに引っ越して新しい仕事が始まったということもあって、なんだかとてもあわただしく過ぎていった春学期だった。


★昨日は南山カトリック教授会(NCP)主催による講演会が開かれた。今回の講師は、このページにもリンクがあるR-VON(あ〜るぼん)氏。「日本的自然観における宗教性」という題で、青少年を対象としたアンケートの集計結果などをもとに、非常に興味深いお話をしてくださった。彼のホームページの日記だけからすると、質素なお弁当の研究をしている人なのだろうかと思う人もいるかも知れないが、何を隠そう彼はレッキとした心理学者なのである(・・・お弁当の研究もしてるかも知れない)。

あ〜るぼん氏の講演を聞きながら考えた。

「この科学の時代に宗教なんて」、と思っている人が多いかも知れない。しかしそんなことはないのではないか。宗教は単なる神仏への信仰ではなくて、もっと人の心の奥底から出てくるものではないかと思うからだ。科学はたしかに人を動かすだろうし、感動を与えてもくれるだろう。また、有害な迷信や妄想から人を解放してくれることもあるだろう。しかし人の心の奥底は、もっと何か別の力とつながりを持っている気がするのだ。

たとえば、現代はスペースシャトルに乗って人が宇宙空間に出てゆくような時代である。スペースシャトルという科学技術の結晶に私は確かに感動を覚える。人類はここまで進歩した。何というすばらしいことだろう。しかしながら、私はそれよりはるかに勝って、その宇宙船から送られてくる大自然の映像に感動し、圧倒されるのである。地球に息づく生命の雄大な姿、広大な空、そして果てしない宇宙の数限りない星々。スペースシャトルという科学もすごいが、それよりも、それが見ることを可能にしてくれた大自然のすごさ、宇宙を動かしていると思われる何らかの偉大な力に、私は深く感動する。思えば、スペースシャトルを作り出したのは人間であり、人間もまた大自然の中に命を受けた者のひとりなのである。だから私は思うのだ、「この科学の時代に宗教なんて」ではなくて、むしろ逆に、「この科学の時代だからこそ宗教なのだ」、ではないかと。



≪7月11日≫

★学内の掲示板にはいつもたくさんのポスターが掲示されているが、少し前に掲示され出したものの中に、毎日見るたびに、気になってしょうがないポスターがひとつある。これである。


ご覧の通り、ヤンマー農機株式会社が毎年開催している、学生懸賞論文の募集広告である。今年のテーマは《いま日本の農業がおもしろい その変化と対応 ―新しい世紀の食・農・くらし―》だ。大賞には100万円も出る。夏休みに取り組んでみるのも悪くない。我こそはと思う人は、どうぞ痛快なる大論文をド〜ンと書き下ろして、この懸賞論文にチャレンジしてみて欲しい。


・・・いや、私が本当に気になっていることは、実はそれではないのだ。

私がどうも気になってしょうがないのは、このポスターのモデルの女の子なのである。いやもっと正確に言うと、この女の子がとっている、このポーズにである。元気いっぱいの女の子が走りながら何気なく決めているこのポーズだが、

実はたいへん不自然な難しいポーズなのではなかろうか?

よく見てみよう。

けっこう早い速度で走っているようだ。左足で力強く地をけり、右足が大きく前に出ている。

ここはよい。

問題は上半身だ。実際に自分でやってみると分かると思うが、両足がこうなっている時、上半身を右にむけるためには、かなり腰をひねらなければならない。そして、実際に自分でやってみて分かったのだが、右足を前に出して腰を右にひねった状態なら、自然的に、左手が上に上がり、右手は下がるのである。そうでないと転んでしまう。

ところが!なんとこの女の子は右手を高く上に上げ、左手は下に下げているではないか。これでは身体のバランスをとる事が極めて難しいはずである。
実際に走りながら自分にこのポーズがとれるかどうか、やってみた。しかし・・・どうしてもできません!(泣)(身体が柔軟な若い人なら、ひょっとしたら簡単にできるのだろうか?)

私自身がわかった限りでは、もし走りながらこのポーズをやれば、必ずや左に倒れてころぶ

いやむしろ、こう言うことができるかもしれない、

《これは、走っていて、右足を前に踏み出した瞬間に、誰かに右から肩をドンと押されて、あ〜れ〜!と倒れる際にとるであろうポーズである》、と。


ふうむ。こう考えてみると、このポスターの女の子は、あのように笑顔で写っているが、実はかなり痛い思いをしたのではないか。辛く苦しい仕事を健気に一生懸命こなしたのではないか。そう思ってよく見ると、心なしか辛そうな顔をしているようにも見えるのだ。偉いぞ、よく頑張ったね・・・。さあみんな、この女の子に負けないように、つらくてもがんばって笑顔で生きてゆこう。うんうん。(ひとりで勝手に感涙)。
 ←いちおう、これ夕陽



≪7月14日≫

★数日前から、朝に目覚めると、どうもノドがヒリヒリと痛む。これはたぶん部屋の空気が乾燥しているせいなのではないか、と私は考えた。すでにご存知の方も多いと思うが、私は最近話題の「睡眠時無呼吸症候群」患者なのである。流行は追い求めない主義だったのだが、こればかりはいた仕方ない。まともかく、その治療のため、私は毎晩シーパップ(CPAP)という空気吸入マスクをして寝ている。寝ている間、ノドがふさがらないように風を強制的に送り込む装置だ。ありがたい装置なのだが、しかしノドの痛みはきっとこれが原因だと思った。乾燥した空気がノドを直撃するため、普通より以上に強烈にノドが乾燥してしまうに違いない。

さて、乾燥した空気を湿らせるにはどうしたらよいか。この梅雨の時期、窓をあければ簡単に解決しそうである。ところがあいにくながら、私の部屋はいろいろな理由で、窓を開けられない状況にあるのだ。(と言っても別に怪しい理由ではない・・・念のため)。それならば仕方ない。私は加湿器を買うことにした。そういえば電器屋にはたくさんの種類の加湿器が置いてあって、安いのもあったではないか。よし、と私はさっそく電器屋に向かった。

・・・ところが。ないのだ。どこにも加湿器が。除湿機はやたらとたくさんあるのに、加湿器が全く姿を消している。私は店員さんに、「加湿器はどこですか?」と聞いてみた。すると若い女性の店員さんは驚いた様子で、「え?加湿器ですか?」と言い、まぁあきれたわという顔をして、「今は置いてません」と答えた。この梅雨のじめじめじとじとした季節に、こともあろうにわざわざ加湿器を買う人などいないから、1つも入荷していないのだそうだ。

そうかなるほど。確かに時期ハズレだもんな〜。じめじめしてるし。しかし1つも無いとはどういうことだ。私のように、やむにやまれぬ事情があって、梅雨に加湿器を求める人もいるではないか(・・・ま、実際そんな人はめったにいないと思うが)。私はアメリカにいた頃に、冬に水泳パンツを買おうとしてかなり難儀した経験を思い出した(そのことは、ここに記してあります)。時期ハズレのものは、どうも手に入れにくくて困る。

しかしノドが・・・。どうしたらよいのだろうか。ふと見ると、除湿機の隣に、空気清浄機が置いてあり、特売で安く売られていた。空気をキレイにするのも悪くないな、と思った私は急遽計画を変更し、空気清浄機を買うことにした。乾燥の件については、とりあえず濡れタオルを部屋に掛けておくことにしよう。

そして今朝・・・。おお。とっても調子がよい。空気清浄機がこんなに効果あるとは知らなかった。空気がとてもおいしくなったような気がする。さて、乾燥のほうだが、濡れタオルを見るとあまり乾いてない。ということは、湿気は十分あるようだ。どうやらノドが痛かったのは、空気の乾燥のせいではなくて、単に部屋がホコリだらけだったせいみたいである。な、な〜んだ。はははは、ははは。(加湿器買わなくてよかった・・・)。

(象印の空気清浄機・・・なかなかよろしいですぞこれ)



≪7月19日≫

★先日17日(土)に、毎年恒例の南山大学オープンキャンパスが開催された。これは受験生を主な対象としたイベントで、模擬授業や学科ごとの相談コーナーなどが開かれる。今年は3,800人あまりもの受験生たちが来てくれたそうである。


写真は、キリスト教学科相談コーナーを担当してくれた学生スタッフとの打ち上げ会(場所は「えっちゃん」)。今年のスタッフは5名。たいへんよくやってくれたと思う。どうもありがとう。



≪7月23日≫

★私は今悩んでいる。

と言っても、あまりたいした事に悩んでいるわけではない。

世界情勢、テロ対策、日本経済、青少年犯罪、東海大地震、今日の私の夕食など、悩むべき事柄はたくさんあるのだが、とりあえず目下の悩みは、

ドッジボールについて・・・なのである。(我ながら、ホントにしょうもないことを・・・)

明日、ウィングクラブ(すなわち南山大学総合娯楽企画運営委員会・・・ウソだけど)が主催する、ドッジボール大会が開催される。それに誘われているのである。楽しそうだから、行きたいなーとも思う。しかし・・・


私はドッジボールに、実はあまり良い思い出がない。小学校の時に皆でよくやったが、私はいつも真っ先にボールをぶつけられて退出させられるほうだった。やたらと女の子たちが、何の恨みがあってか、私ばかり狙ってボールを投げつけてきたような気がする。小学校には、私より身体が大きくて力も強い女の子が何人もいた。そういう子たちがパワー全開で至近距離からボールを投げつけてくるのだから、たまらない。私はまるでアマゾネスに襲撃される哀れな村人のように、ひたすら逃げ回るしかなかったのである(ひ〜)。私は今でもちょっと女の子が恐いが、それはこういうところに原因があるのかも知れない。

ドッジボールが苦手なのは今でも変わらない。いや、現在は運動不足でカラダが硬く、しかも腹まで出ていて重いから、なおのことダメだろう。私が入ってしまったら、そのチームにとって大いなる迷惑となること、間違いない。困ったなー。

ドッジボールを、そもそも私は長い間、ドッチボールだと思っていた。そして、ボールがどっちに飛んでくるか分からないから、そういう名前なのだろうと勝手に思っていた。だから「ドッチ」ではなくて「ドッジ」なのだと知った時には驚いた。しかし私はその後も、これは「ボールをぶつけられてドジをふむこと」から来ている名前だろうと、これまた勝手に解釈していた。

アメリカに行って、はじめてドッジが英語だということを知った。「ドッジ」(dodge)とは、「ひらりと身をかわす」という意味だったのである。投げつけられたボールを「巧みにかわす」という、まことにスマートな勝利者的な意味なのであった。私は自分がぶつけられてばかりいたものだから、被害者的な発想しか浮かばなかったようだ・・・。

ううっ、なんだかちょっとくやしいので、もっとよく辞書を見てみた。すると、「ドッジ」には次のような意味上の転回があることが分かった。

「さっと身をかわす」 → 「要領よくのがれる」 → 「巧みにごまかす

さらには、名詞として、 「言い逃れ」 → 「ごまかし」 → 「いかがわしい商売(「リーダーズ・プラス」を参照)

・・・なあんだ。けっこう悪い意味もあるではないか。
とするとつまり、こうも言えることになるのか・・・

ドッジボール = いかがわしい商売ゲーム

いったいどういうゲームなんだこれは。
これじゃあ、小学生にはとてもオススメできないものになってしまうではないか。


・・・ま、よい。そんなことはともかく、問題は明日のドッジボール大会である。
どうしようかなぁ〜。



≪7月25日≫

★結局私は、ドッジボール大会に出かけた。実に暑い日だった。こんな暑苦しい日にドッジボールか・・・。いかにも汗まみれになりそうなこのスポーツをしに、いったい何人くらい集まるのだろうか?私は5・6人の人が隅の方にさびしくたたずんでいる様子を頭に浮かべながら体育館に向かった。

ところが、驚いたことに、私の予想をはるかに上回る大勢の人々が集っていらっしゃったのだ。ドッジボールがこんなに人気があるとは知らなんだ〜。(しかも中はクーラー効いてて快適でした)。4つのチームに分かれて、リーグ戦。私は第三チームに配属された。

で、案の定、私のチームは最下位であった・・・うう。しかしとても楽しかった。私が小学生の頃、ドッジボールには白い普通のバレーボールが使われるのが常であった。ぶつけられると、けっこう痛かったものだ。ところが今では、ソフトバレーボールという、ゴム製の柔らかいボールが使われるようである。サイズも大きく、ふわりと軽い。砂浜で遊ぶビーチボールみたいな感じだ。ぶつけられても、ちっとも痛くない。安全でたいへんよろしいと思った。

今まで知らなかったが、そのソフトバレーボールを用いた新しいルールのバレーボールが現在各地で行われているらしい。「日本ソフトバレーボール連盟」も設立されている。競技ルールなど詳しいことについては、その連盟のホームページをご覧あれ→「ここです

ゲームの後、立食パーティーと表彰式があり、これまたとても楽しかった。行ってよかった。企画運営してくださったウィングクラブ役員の皆さん、どうもありがとうございました。




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