2004年6月の雑記



≪6月5日≫

★今週末(4日〜6日)は、東京の上智大学と名古屋の南山大学との親善競技大会である「上南戦」(じょうなんせん)が行われる。今年の開催地は名古屋である。

昨日4日には、マルクス南山大学長司式による開会のミサ典礼が、神言神学院(しんげん・しんがくいん)で行われた。


南山と上智の教職員と学生の代表者が参列したこのミサは、たいへん荘厳なものであった。南山スコラ・カントールム(混声)とメイル・クワイヤー(男声)の合同チームが聖歌の合唱を受け持った。合唱の指揮は西脇純氏、オルガン伴奏は不肖わたくし。高田三郎氏作曲の聖歌を数曲歌った。言葉の意味をよく考え、厳粛な祈りの心を持った演奏を目指した。けっこうよかったと思う。西脇氏はじめ、合唱団のみなさん、どうもありがとう。


★ところで、前回の更新から早くも10日が経ってしまっている。毎日このページをチェックしてくださっている方々には申し訳ない。単調な毎日を過ごしていたもので、ネタになるような新しいことがあまりなかったのである。なにしろ私の毎日とは、ロゴスセンターと研究室の間、約50メートルを往復するだけなのである。所要時間はわずか3分。カップラーメンにお湯を注いで出かければ、研究室に着く頃にちょうど出来上がる。

これほど短い通勤路では、新しいことを見つけたり、面白い事件に遭遇したりすることは、残念ながらあまり期待できない。ましてや、UFOが現れて質問を受けたり、隕石が目の前に落ちてきたり、テレビ・タレントと偶然出会ってお友達になったり、温泉を掘り当てたりといった特殊な体験をする確率は、極めて低いのである(というか、ほぼゼロ)。そういうわけで、更新が多少滞ってしまいがちなのであるが、どうかご容赦ねがいたい。



≪6月7日≫


★キャベツはモノ悲しい。

昨日、銭湯に行ったついでにナフコという食品雑貨店に寄った。最近外食ばかりで野菜をあまり食べてないので、何か簡単に食べられる野菜はないかと思って見回してみたら、おお!キャベツの半分切りが、なんと50円で売られているではないか。これは安い!迷うことなく、即、購入。キャベツは生で食べられるため、料理しなくてよいから簡単である。生でも、千切りにしてマヨネーズとかドレッシングとかかけて食べたらよりおいしいのだろうが、そのままをガリガリかじっても大丈夫である。

では、なぜキャベツがモノ悲しいのか。それは、学生の頃にラジオで聞いた、かぐや姫というフォーク・ソングのグループの、「赤ちょうちん」という曲に原因がある。こんな曲である。


赤ちょうちん 詞: 喜多条忠
曲: 南こうせつ

Am           G         Am
あの頃ふたりのアパートは 裸電球まぶしくて
           G                  Am
貨物列車が通ると揺れた ふたりに似合いの部屋でした
Dm      C    Dm       C
覚えてますか 寒い夜 赤ちょうちんに 誘われて
   Am   Em  Dm7 E7
おでんを たくさん 買いました
Am         G                 Am
月に一度のぜいたくだけど お酒もちょっぴり飲んだわね
 
Am           G             Am
雨が続くと仕事もせずに キャベツばかりをかじってた
         G                Am
そんな生活がおかしくて あなたの横顔見つめてた
Dm       C     Dm      C
あなたと別れた 雨の夜 公衆電話の 箱の中
  Am   Em Dm7  E7
ひざを かかえて 泣きました
Am            G               Am
生きてることは ただそれだけで 悲しい事だと知りました
 
Dm      C    Dm       C
今でも時々 雨の夜 赤ちょうちんも 濡れている
  Am    Em Dm7   E7
屋台に あなたが 居るよな 気がします
Am          G                 Am
背中丸めて サンダルはいて ひとりで居るよな気がします


Am(エー・マイナー)の、切なくもモノ悲しい曲である。この歌は恐らく、同じかぐや姫の「神田川」という曲の続編のようなものだと思われる。雰囲気がとても似ているからだ。まあなんと暗くて貧しくて辛い生活を送るカップルなのであろうか。しかし、この暗さと貧しさが、当時思春期にあった私にはなぜかとてもかっこよく感じられたのであった。特に、「雨が続くと仕事もせずに、キャベツばかりをかじってた」というフレーズが非常に印象的で、今でもキャベツを見るたびに、この曲が頭に浮かんでくる。

買ってきたキャベツを水で洗い、研究室でひとり、手で葉をむいてガリガリとかじって食べる。気づくと、私の背中は丸まっており、足にはサンダルをはいている。南こうせつの切ない歌が頭の中をぐるぐると流れ続ける。でも、自分でやったって、ちっともかっこよくないのだ。ただひたすらモノ悲しい気分になるだけである。うう。いかん、どうも研究室でひとりキャベツというのはモノ悲しすぎるようだ。こんどはニンジンをかじってみることにするか。



≪6月12日≫

前回はキャベツのお話しをさせていただいたが、その後、大根やニンジンも同じように生で食べてみた。そう、姿そのままを水で洗って頭からガリガリと。(どこが頭なのかは分からないが。また大根はさすがに大きすぎて全部一度には食べきれないので、4つに分けた)。非常にワイルドな趣(おもむき)のある食べかただ。噛みごたえも十分過ぎるほどある。味もまあ悪くない。しかし思うのだが・・・これはやはり、あまりにも野生的すぎるようだ。これでは、牛や馬の食べ方とあまり変わらないではないか。人間たるもの、やはりもう少し洗練された食べ方をすべきであろう。


そこで、牛や馬にはとても出来ないような食べ方をするべく、《ベジタブル・スライサー》なる調理器具を買ってきた。これは野菜用のカンナのようなものである。これを使えば、ニンジンやキューリや玉ネギがたちまち薄いスライスとなり、キャベツはあっという間に千切りとなる。「とっても便利なものですよ」、と以前ザビエルハウスの料理長の吉原さんが教えてくれた。

ハイエースに行ってみると、いくつか種類があったが、上の写真のものが容器付きでしかも値段が安かったので、これにした。箱に、「抜群の切れ味でスライス簡単!」と書いてある。さっそくキャベツを千切りにしてみようと、箱から取り出した。安全のために刃の上にテープが貼ってあり、「危険」と書かれていた。

そのテープをはがして、何気なく手に持ったら、うっかり指がちょっと刃に触れた。そしたら、スパッと指の皮がスライスされてしまった。ひ〜!本当によく切れる〜。更に、スポンジ・タワシで洗っていたらつい刃の上を滑らせてしまい、これまた見事にスライスされてしまった。おお。危険〜!これはかなりヤバい器具なのかも知れない。油断するとやられてしまいそうである。(単に私がどんくさいだけかも知れないが)。



≪6月16日≫

★最近私が愛用している≪電子レンジゆで卵作り器≫をご紹介しよう。

それは名前の通り、電子レンジでゆで卵が作れる器械である。器械というほど複雑な構造ではないようだが。
次のような姿をしている。

ニワトリの形をしているのがかわいい このように、中に卵を入れる

プラスチック製。中にアルミが貼ってある。去年ハイエースで100円くらいで売られていたのだが、残念ながら今はもう売っていないようだ。こないだ探してみたが見つからなかった。これはもともと、ザビエルハウスのために買ったもの。だが、あそこは吉原さんがナベでゆで卵を作ってくれるから必要がないので、ブルーノ院長さんにお願いして、私が使わせていただくことになったのである。

ゆでタマゴの作り方は、ニワトリの形をしたふたを取って中に少量の水を入れ、アルミの台座の上に生卵を置いてふたをし、電子レンジで4分間調理するだけ。歯を磨いている間にゆで卵ができあがる。たいへん便利なものだ。この器械のおかげで、私は毎朝、実に簡単にほっかほかのゆで卵を食べることができる。うれしいなあ。

ご存知の方も多いと思うが、生卵をそのまま電子レンジにいれて調理すると、バーン!と派手に爆発してしまう。(ウソだと思うなら、やってごらんなさい・・・ただし後悔しても知りませんぞ)。ところが不思議なことに、この器械に入れて調理すれば、爆発することもなく、見事にゆで卵が出来上がるのである。たぶん中に貼ってあるアルミがミソで、卵自体にマイクロ波をあてるのではなく、中に入れた水を沸騰させてその熱で調理する仕組みなのだと思われる。これを考案した人はたいへんエライと思うのだ。100円ショップかどこかでこのゆで卵作り器をみつけたら、ぜひ一度お試しあれ。



≪6月20日≫

言葉は時代の流れと共に変化して行くものだが、最近の特に若い人たちが使う言葉の中には、ずいぶんと違和感を感じるものがある。自分が古い時代の人間である証拠だろう。しかも私の場合は何年も日本を離れていたため、かなり前の時代のまま止まってしまっているようである。

例えば、「微妙(びみょう)〜!」という言い方がある。これが《何これ、変。私あんまり好きじゃない》という意味で使われているとは驚いた。あるいは、「わたし的には」・「オレ的には」という表現。はじめ何を言っているのか分からなかった。私が日本を離れる前には少なくとも普通の会話で使われることは全くなかった表現である。私にはだからかなり奇妙に聞こえる。

最近よく耳にするのは、「え〜!ありえな〜い!」という言い方である。これは、《予期に反した不都合な事柄》に対して発せられる表現である。多用している人も多いであろうが、これも私にはヘンに感じられる。ちょっと大げさすぎるように思うのだ。

よく似た言葉に、「信じられな〜い」というのがある。これもよく使われるが、しかしこの2つの表現は同じではない。なぜかというと、「信じられない」なら、それは言っているその本人が単に信じることが出来ないというだけのことであって、つまりそれは個人的な判断・評価に留まるのであるが、「ありえない」はそうではないのだ。これは《存在することが出来ない》ということなのであって、すなわち、言っている本人がそう感じるだけではなく、客観的にそのモノの存在が否定されている。単に自分がそう思うだけでなく、《あらゆる人がこぞって否定するべき忌まわしき事態である》という宣言なのである。だから、《そんなことはこの世の中にあってはならず、もしそのことを許すなら、世間の一般常識は破壊され、世界の秩序は乱れ、世の中もうめちゃくちゃになっちゃう》、と言っているようなものなのである。

・・・・ね、大げさでしょ?

だから、たとえばコンビニにアイスクリーム買いに行って好みの種類が売り切れだったくらいで、「え〜、ありえな〜い!」を使うのはいかがなものか、と思うのである。


でもま、いいか。そこまで難しく考えることもなかろう。実は今日私がこういうことを書いた理由は、朝シャワーを浴びた時に、洗濯機のそばにおいてある洗剤をふと見て「はっ」とし、いろんなことを考えさせられたからである。その洗剤は力強く、こう宣言していたのだ。


「ありえ〜る!」

おお。「ありえなーい」に真っ向から反論し、まるでケンカを売っているかのような、この強烈なる宣言。いや、感服いたした。おぬし、ただの洗濯石鹸ではないな。名を名乗られぃ!(だからアリエールだって・・・)。 

≪※ちなみにアリエールはP&G社の製品。英語ではArielと書く。中世の伝説的な空気の精、あるいは天王星の第一衛星の名である。≫





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