2003年4月の雑記





≪4月1日≫

★熱田区にあるセンチュリーホールで行われた南山大学の入学式は、3階席までほぼ満席であった。立ち見の人もたくさんいらっしゃった。新入生ならびにご父兄の皆さんの並々ならぬ意気込みに南山の明るい未来を感じてうれしかった。ところで私は去年から、岡崎先生、ぢぇいふぉん氏と共に南山の指導司祭に任命されている。指導司祭の主な仕事は、入学式や卒業式での「お祈りの儀式」を担当することである。つまり、司祭の服を着て登場し、聖書を読み、祈りの言葉を唱えるという役である。3人いるので役割を分担している。聖書朗読は読むのが一番上手なぢぇいふぉん氏の専門である。そして祈りの言葉を唱えるのは主司式者の岡崎先生である。私の受け持ちはというと・・・「黙祷」である。すなわち、マイクに向かって「モクトウ」・・(しばし沈黙)・・「モクトウ終わり」というセリフをいうだけの役。簡単な役でうれしいなあ。

★ザビエルハウスの台所の改装工事と電話の取替え工事は滞りなく終了した。明日から台所が普通に使える。新しく入れてもらった電話システムは、これまで使っていた古いものと使い方がだいたい同じみたいなので、マニュアルをあまり読まなくても済みそうである。よかったよかった。いろんなものが新しくなり、新学年度が気持ちよく始められて嬉しい。でもずいぶんお金がかかったから、もうしばらくは何も壊れないで欲しいものである。

★昨夜は鶴舞(つるま)公園で開催された神学院主催の花見に、ザビエルハウスの人たちと一緒に参加した。桜はほぼ満開。花見をしている人たちが他にもたくさんいて、非常に賑やかであった。やっぱりいいなあ花見は。雨が降らないかと心配していたが、大丈夫であった。さほど寒くもなく、まずまず良い天気。20人以上の大グループなので場所取りが難しいが、神学生たちが昨晩から泊りがけで良い場所を確保してくれた。ありがとう。どうもご苦労さま。9時ごろお開きになる。まだ少し飲み足りなかったので、何人かで「えっちゃん」に行き更に飲む。そしたらしばらくして偶然にもK-taro君と「なごすい」(名古屋大学吹奏楽団の略)のメンバーが6・7人、二次会にやってきた。店を占領して閉店まで飲んだ。また飲みすぎた。




≪4月4日≫

★入学式の後、今週と来週は新入生のためのさまざまなガイダンスや登録などがある。初々しい顔ぶれがたくさんキャンパス内を歩いている。しかしキャンパスに集まっているのは、なにも新入生だけではない。彼らをメンバーに入れようと各クラブの学生たちもたくさん来ており、メイン・ストリートにブースを出したりして盛んに勧誘活動をしている。大学内はたいへん賑やかだ。我が南山スコラ・カントールムの調子はどうなのかなあ。出来たばかりのクラブでまだメンバーが非常に少ないので、この一年生争奪戦は、かなり不利な状況である。明日神学院の聖堂で説明会をかねた練習があるので、それでだいたいの集まり具合が分かることになっている。部員の皆の健闘を祈る。

ところで、昨日と今日、新入生のための授業登録ガイダンスがあり、学科の新入生たちに初めて会った。今年うちの学科(キリスト教学科)は16人の新入生がいる。少ない!と思うかもしれないが、うちの学科の定員は10名なのだから、実はこれは、「すごく多い」のである。更に驚いたことに、16人中11人が女の子であった・・・華やかでたいへんよろしいが・・私が現役の頃、この学科には神学生の他にはほとんど一般の学生がおらず、つまり男ばかりだった。これからは逆に女性中心の学科になるのかも知れない。時代は変わったのである。ま、ともかく、どうぞよろしく。これからの4年間、充実した楽しい学生生活を送って欲しい。



≪4月6日≫

★きのう洗濯をしたのだが、洗いあがった服を洗濯機から出したら、底の方に何やら不審なゴミがある。拾い上げてみたら1万円札であった。しまった、ポケットに入れてたのを忘れてた。・・・しかし、くしゃくしゃになってはいたが全然破れてなく、乾かしたら大丈夫であった。助かった。それにしても、紙幣はなんて丈夫なんだ。名刺なんかだと原型を留めずパルプ状態になってしまうというのに。いや、よく出来ている。すっかり感心してしまった。

★南山スコラ・カントールムの最初の説明会を兼ねた練習があった。全員で7人くらいの人が集まり、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を歌ってみる。新しい人は4人。神学院の聖堂は肌寒かったが、ぢぇいふぉん氏の指導のもと、みんな元気に歌ってくれた。始まったばかりのクラブなので、新入部員はなかなか集まりにくいようだが、まあ少しずつだ。



≪4月8日朝≫

★南山キャンパスでは先週から今週にかけて、「フレマン祭」と呼ばれる新入生歓迎イベントが行われている。昨日はグリーンエリアでロック系(たぶん)のバンドの演奏会があり、たいへん騒がしい 否、にぎやかであった。パッヘ・スクエアでやる音楽の音は私の研究室を直撃するのである。窓枠をビビビと云わせながら飛び込んでくる、なぜかひたすらシャウトしまくる激烈ボーカルの叫びを聴きながら、「しかるに純粋現実態に向かうところの存在が自然本性的に」どうのこうのという研究書を読むのは、なかなかにして困難である。もともとよく分からないものが更に難解さを増してくる・・・しかしまあ・・・元気でよろしい

★先日、夕方ごろ南山ストリートにあるうどん屋に夕食を食べに行ったら、偶然にも久しぶりに大学院時代の恩師にお会いした。(「南山ストリート」がどこにあるのか知らない人は2003年3月20日の雑記をご覧ください)。この先生は哲学を専門に研究されている方で、実は知る人ぞ知る有名な方なのであり、その正体を知る者にとっては、まるで野球における長島監督のような雲の上の存在なのである。ところが見かけは全然そういう風には見えないため、道すがらに出会う普通一般の大人、子供、幼稚園児などからは、不当に「ないがしろ」にされていらっしゃるようである。でもそんなことにはまるで無頓着でニコニコしておられるところが、またこの先生の偉大なところである。この先生を見るたび私は、古代ギリシャの偉大な哲学者、ソクラテスを思い起こす。中身が立派な人間は外見を飾る必要などないのである。先生は大学を引退された後も驚くべきほど精力的に研究を続けておられる。いつまでもお元気でいらしてほしい。




≪4月8日夕方≫

★今日は朝から平針に運転免許の更新に行ってきた。私はもう15年以上も前に免許を取ったのだが、アメリカから帰ってきた時にあちらの免許を認めてもらえなかったので免許取り直しとなり、今回が初回の更新となる。なぜアメリカの免許がダメだったかというと、「いのうえ」がINOUEではなく、INOVEと誤記されていたからである。つまりUの代わりにVとなっていたのだ。そのくらいの違いどうでもいいんじゃないですか?丸いのが角ばってるだけです!実はその昔、UはVだったんです、だからUでもVでも同じなんです!と私は必死に主張したのだが、「ダメ!」とあっさり却下されてしまった。おかげで交通規則の試験をもう一度受けなければならなかったのである・・・で、その場で受けてみたところ、あえなく敗北・・(なんなんだ、あの紛らわしいひっかけ問題は!)。勉強し直して2回目にようやく受かった。 

でもまあ、とりあえず免許がもらえてよかった・・と、その時は思ったのである。しかし今回、私はまたうんざりすることになった・・・。 優良運転者(つまり無事故無違反の人)は、眼の検査をして30分の講習を受ければ、すぐに新しい免許がもらえる。それに対して、初回更新者はなんと、2時間の講習を受けねばならないのだ!これは違反運転者に対する講習と同じものである・・・(私は無事故無違反なのに〜) 

しかも、普通の運転者が5年間有効の免許をもらえるのに対して、初回更新者は3年間だけしか有効でない免許しかもらえない。つまり3年後にまた更新しに来なければならない・・・ううう。



≪4月12日≫


★昨日はザビエルハウスでパーティーが開かれた。毎週金曜日の夜はハウスのメンバーで懇話会をしているのだが、昨日はちょうどメンバーのひとりの誕生日が近かったので、彼の誕生パーティーとした。今回は特別に、別科で一緒に日本語を学んでいるお友だちが来てくれて、料理を作ってくれた。驚くほど手の込んだ本格的アジア料理(上の写真に写っているのはその一部)。たいへん美味しかった。



 作ってくれた皆さん、どうもありがとう(また今度よろしくね〜)。お集まりくださった皆さんの国籍は非常に多様であった。ベトナム、インドネシア、ミャンマー、マレーシア、タイ、コロンビア、フィリピン、アメリカ、そして日本の9カ国。これほど多様な人たちが一堂に会するのも珍しい。共通語は日本語と英語である。一緒にゲームをしたり歌を歌ったりして、とても楽しいパーティーだった。




≪4月17日≫

★今週はキリスト教の暦では、復活祭を迎える週なので、「聖週間」と呼ばれている。この前の日曜日が「枝の主日(しゅじつ)」であり、イエスのエルサレム入りを祝った。そしてこの一週間の間にイエスの受難と復活が、聖書に記述されている順番に典礼儀式によって再現されるのである。 とは言うものの、聖月曜日から聖水曜日までは別に何か特別な儀式はない。荘厳な儀式が行われるのは、トリドゥウム(三日間)と呼ばれる聖木曜日から聖土曜日にかけての三が日である。

まず聖木曜日(つまり今日の夕方)には、イエスと弟子たちが行ったとされる有名な「最後の晩餐(ばんさん)」が再現される。特に目立つのは、イエスが行ったと伝えられる「弟子の足を洗う行為」がミサの中で再現されるところであろう。(ボランティアで登場する12人の人の足を司式司祭が雑巾(ぞうきん)でゴシゴシ拭いてあげるのだ)。これは、「人の上に立つ者は人に仕える者となりなさい」というイエスの教えを象徴するものである。そしてミサが終わると聖堂の装飾が一切取り払われる。これはイエスがこの食事の後に罪人として捕らえられ、受難を受けることを暗示している。

聖金曜日(明日)はイエスの十字架での死が再現される。ある国ではボランティアで誰かが本当に十字架に釘打たれたりするそうだが、日本ではもちろんそんな過激なことはしない。静かで厳かな十字架の礼拝式があり、イエスのお母さんである聖マリアの悲痛な心を悼む祈りの集いがある。その時に伝統的に歌われる「スタバト・マーテル」(母は立っていた、涙を流しながらも)という悲しくも美しい聖歌は非常に感動的なので、一度ぜひ聴いてみてください。(南スコの諸君、いつかこれ歌いましょう!)

で、土曜日の夜がいよいよイエスの復活のお祝いである。イエスの復活のお祝いは、決してイエスの驚くべき超能力をお祝いするものなのではない。お祝いの対象はイエスではなく、実は私たち人間である(キリスト教徒だけでなく、全人類を意味している)。こんなにも罪に陥りがちで弱い人間である私たちが、イエスの死と復活によって尊厳あるいのちに生きる者へとよみがえらせていただいた、ということを祝うのが復活祭なのである。つまり復活祭(イースター)とは、イエス・キリストを祝うというよりはむしろ、私たち人間のためのお祝いなのであり、その救いのワザを受難を通して成し遂げてくださったイエスに感謝する祝いなのである。

いりなかの南山教会や、南山大学名古屋キャンパスにある神言神学院など、全国の教会で聖週間の典礼儀式は行われるはずなので、興味のある方はどうぞお出かけあれ。誰でも全く自由に参列できます。神言神学院の典礼のスケジュールはつぎの通りです。

  聖木曜日(17日): 午後5時 「晩餐のミサ」
  聖金曜日(18日): 午後5時 「受難の祭儀」 午後8時 「悲しみの聖母崇敬式」

  聖土曜日(19日): 午後8時 「復活祭ミサ」 その後お祝い会があります。



≪4月23日≫

★御復活祭とその後、いろいろなことでバタバタしているうちに、こんなに日が経ってしまった。時間は人の都合に関係なく勝手にどんどん過ぎていってしまうから困る。

先日吉田徳子さんとJ-von氏と共に、先ごろ名古屋に返り咲いたあるぼん氏の歓迎会をした。このメンバーなら、会場はむろん「檀渓」。徳子さん御用達の居酒屋である。徳子さんどうもご馳走さまでした。あるぼん氏はこれまで東京の(綺麗で典雅なお嬢様方がたくさんおいでになることで有名な)某女子大で幸福な研究生活をしておられたのだが(ついでに授業もしておられたらしい)、先ごろあいにく論文が書きあがってしまい、名古屋にもどって来なければならなくなったのである。これからこちらで、せっせとあくせく働いていただけることになっている。ようこそお帰りくださいました。どうぞよろしくお願いしまする〜。

★図書館に入れてもらう本を注文できる個人図書費というのがある。年度ごとに予算が組まれており、これを使って研究書が買ってもらえるという、非常にありがたいもの。ただし予算は年間に一人いくらと決まっている。新年度になったので、さっそくまた本を入れてもらおうと、新刊書を調べてみたらたくさんあったので、あまり値段を考えずにどんどん注文したら、どうやら高価な本ばかりだったらしく、「すでに予算を超過しています」という通知がもう来てしまった。ああああ〜っ!まだ4月だというのに〜。これから3月までの一年間どうするだ〜!う〜!(←計画性なさ過ぎ・・)。




≪4月27日≫

★昨日は京都に行ってきた。京都大学の「京大中世哲学研究会」に参加するためである。この研究会は京都大学の先生方と学生さんたちが中心になって開催しているもので、年に7回ほど開かれている。西洋中世の哲学思想について毎回異なる2人の人が研究を発表し、その発表のテーマで質疑応答および討論が行われるという、まことにもってアカデミックな集いである(この研究会の成果は、毎年刊行されている『中世哲学研究(VERITAS)』という学術雑誌でみることができる)。非常に学問的な集いなのであるが、だからといって堅苦しいものではなく、ざっくばらんで和気あいあいとした雰囲気があるのが嬉しい。著作でその名を知る高名な先生方も参加されており、その方々と身近に接してお話しを伺えるのも大きな魅力。このようにすこぶるよろしい研究会なのである。・・・とは言うものの、出不精の私は京都まで出て行くのが面倒で、ごくたまにしかこの集いに参加していない。我ながら、もったいない話だ。

しかるに今回は、もと南山大学で共に学んだO氏とF氏の2人が研究発表するというので、応援も兼ねて出かけたのである。O氏は現在北海道の女子大で教えており、F氏もまた愛知県の大学で教鞭をとっている。私なんかが応援しても何の役にも立たないのだが、まあともかく久しぶりに会うよい機会だと思ったのである。1時から5時までの研究会が終了した後、有志による飲み会があった。参加者は私を含めて6名。F氏は都合がつかず帰ったが、O氏は参加した。近くの居酒屋で飲んだのだが、これがもう実に楽しかった。京大の学生時代に同級生であられたというK先生とK先生(イニシャルにすると同じになってしまう・・まいいか)のお話しがとても面白く大いに盛り上がった。

あまりに楽しいのでついつい長居をしてしまい、気が付いたら新幹線の終電が終わってしまった・・・。そこで仕方なくO氏と同じホテルに泊まることに。ガーデンパレス・ホテルを予約しているというので、タクシーでそこに向かう。それらしいホテルが見えたので、「あっここですここです」と言って降りた。ところがチェックインしてみると、なんとそこは、O氏が予約していたホテルではなかったのである。ガーデンパレス・ホテルはその同じ道をもう少し先に行った所にあるらしい。このホテルは「パレスサイド・ホテル」というのであった。紛らわしい名前だなぁ。しかし運良く部屋が空いていたので、もうここでいいや!ということになり、ガーデンパレスの予約を取り消してこのホテルに泊まることになった。寝る場所が確保できたので、2人は安心してまた街に出た。通りをしばらく歩いていると、京都らしい趣のある店があったので、そこに入る。若い店員さんたちがとても親切で気持ちがよかった。O氏とは久しぶりに会ったので話しが尽きず、また夜更かししてしまった・・・。翌朝(つまり今朝)名古屋に帰還。O氏とは京都駅で別れた。せっかくだから京都見物をして行くと言っていた。北海道からはるばる来たのだからなあ。次に会うのはいつになることか。それまで元気で。



≪4月30日≫

★お友だちの結婚式に参列するため東京の吉祥寺に行ってきた。たいへん雰囲気のよい素敵な式とパーティーであった。どうぞいつまでもお幸せに。

★吉祥寺に行ったついでに調布の修道院にいる妹に会ってきた。私の妹はシスターである。つまり、修道女。星美学園をやっているサレジアン・シスターズ(以前の名称は扶助者聖母会)という修道会の所属。この会の修道院のひとつが調布の深大寺(じんだいじ)のそばにある。15年くらい前に一度行ったことがあるので、近くまでいけば何とかなるだろうと、気楽に出かけた。いちおう電話で場所を聞いてみたら、「深大寺入り口」というバス停のすぐそばだというので、吉祥寺からタクシーでそこに向かうことにした。深大寺の近くに来たのでタクシーの運転手さんに、「深大寺の隣にある修道院です」と目的地を述べたら、なにやら複雑な五叉路で降ろしてくれた。修道院はすぐこの先だという。そこでしばらく歩いてみたが、修道院らしい建物は一向に現れない。修道院に電話してみたら、その五叉路はよく分からないが、とにかく三鷹と逆の方向へどんどんお進みなさいとの指示。どうも変だと思いながら歩いていると、そこに三人の女子高生が通りがかった。さっそく、「このへんにある修道院知らない?」と聞いてみる。すると女の子たちは声をそろえて、「知ってる!」と即答。そして詳しく道順を説明してくれた。親切にどうもありがとう。しかしけっこうそこから遠いところのようだった。少し不安だったが、その子たちが「そこに間違いない!」と断言するので、教えられたとおりに歩いて行った。そして約10分後・・たしかに修道院はあった。だが・・・



それはカルメル会修道院であった。高い塀に囲まれたまことに立派な修道院だ。しかしこれは全然違う別の修道院なのである。しかたなく、また星美の修道院に電話した。

「あの、え〜と、どうやら別の修道院に来てしまったみたいです」

電話口のシスターは呆れて笑った。私もなんだか可笑しくなって、一緒にゲラゲラ笑った。だが笑っていても仕方がない。シスターは言った。

「ではそこを動かないでいてください、こちらから迎えに行きます」

そしてしばらくして、うちの妹が、「お兄ちゃん何してるのよ!」と呆れた顔で迎えに来てくれたのだった。

星美の修道院はカルメル会修道院とさほど遠くはないところにあった。ただし正門は逆の方角にある。そこで、裏口から入れてもらうことになった。



これが修道院の裏口。立っているのは妹。台所に通じるホントの裏口である。女子修道院に裏口から入るなんて、かなり怪しいのでは・・・。

でもまあ、ともかく着いてよかった。聞いてみると、この辺には修道院がいくつかあるらしい。タクシーの運転手さんが降ろしてくれた場所にも別の修道院があるとのこと。このうち一番立派で目立つのが、先ほど間違えて行ったカルメル会修道院なのだそうである。高校生たちがそこだと思ったのも無理はない。妹と久しぶりに会い、しばし雑談をして帰路についた。帰り際、せっかく来たんだからお土産にと妹がくれたものがある。



・・・これである。身長約4センチ。何だこれは?! 妹の説明によると、声に反応して動いたり歌ったりするペット・ロボットなのだそうである。なるほどケースに、「ポッケにはいるおりこうペット」と書いてある。そーかペットか・・・妹よありがとう。しかしこれ・・・ケースには対象年齢6才以上(←ふりがな付き)と書かれているのだ。たしかに私も6才以上ではあるが・・・(いちおう大学の教員だぞ)。

さっき説明書に従ってちょっと動かしてみた。おお。ちゃんと動く〜。だが、シンと静まり返った研究室の机でひとり、これ(名前はモン)に向かって、「モン!・・・ゴー!」とか「モン!・・・グールグル!」とか言うのって、なんか、非常にとても情けないぞ・・・。



2003年3月の雑記へ

2003年5月の雑記へ