2003年3月の雑記





≪3月1日≫

★なんとまあもう3月である。2月は短かった・・・実際にもちょっと短いけど(28日しかないから)。論文を書き上げる予定だったのになぁ(私は計画だけはハデにいろいろと立てるが、ろくに実現できたことがない)・・ぅぅ・・ま、いいや(・・開き直るのは早い)。 さて、昨日ザビエルハウスでは、「お久しぶり会」が開かれた。ホームステイに出ている人たちが一月ぶりに帰宅して、一杯やりながら互いに近況報告をしようという集いである。久しぶりにみんな揃って、ゆっくり話しができて楽しかった。皆それぞれの家庭で、さほど大きな迷惑はかけず、平和に元気でやっているようである。ホストファミリーの方々がとても親切にしてくださっているらしい。ありがたいことだ。失敗談として出たのは、お風呂の作法の間違い。ひとりの人は、お家のお風呂を使わせてもらって出るとき、栓を抜いてお湯を全部流してしまったのだそうである。次に入ったお母さんが、「あれ?お湯はどこ?」と驚いたとのこと。日本独自の習慣については日本語学校で習うのだが、実際に経験するのは初めてだったので、つい忘れたのだろう。本人としてはむしろ粗相のないようにと気を配って、使用済みの汚れたお湯を次の人のために捨てておいたのである。理屈から言えば彼の行為は正しいと思うのだが、日本の家庭の習慣には即さなかった。日本の普通の家庭では、主に経済的理由から節約のために、同じお湯をみんなで使う。このように、自分が良かれと思ってしたことが必ずしも正しいとは限らないというところが、異文化体験のひとつの面白さだと思う。あと一ヶ月、更にいろいろな体験をして、日本のことをより多く知ってほしい。



≪3月3日≫

★今日は「おひな祭り」である。しかし我が家ザビエルハウスの住人たちは皆ホームステイに出ているので、お祝いができない。いや、たとえ家に居たとしても、あの人たちはもういい大人である・・というか、そもそもみんな男だからダメだ。私が子供の頃は、実家に姉と妹がいたので、お雛様のお祝いをしていたように思う。しかし12歳の時に修道院に入ってからはずっと男連中とばかり暮らしているため、ほとんどこのこのお祭りには縁がなくなってしまった。明るくてかわいらしいお祭りだから、なんだかちょっと淋しい気もする。知り合いでこの祝いに相応しく適合するのは、友人の子供たちである。この子たちの幸せのために心からお祈りすることにしよう。

★今日は午前中に教授会があったが、その後はずっとヒマであった。せっかくのまとまった時間なので、哲学の論文をせっせと読み出した。ところが、しばらく読んでいるうちに、なぜか急に部屋の本棚の本の整理がまだだったことを思い出した。さほど不自由はないのでずっとほっておいたのだが、そろそろ整理しなくちゃな・・そう思ったら、なんだかとても気になりだした。しかたない、気分転換にちょっとやるかな。そこで一時論文を読むのを止めて、本棚の整理をすることに。整理といってもことは簡単で、聖書関係の本、神学関係の本、宗教関係、中世思想、哲学一般、その他もろもろの本を、それぞれ分野別にまとめて棚に並べ直すという作業である。たいした数の本ではないので、そんな整理、今やらなくても仕事のために別段何の支障もないのだが、なぜかどうしてもやりたくなってしまったのである。私は日頃は不精者で掃除なんか面倒くさくてやらないのだが、どういうわけか勉強をしている時に限って、やたらと掃除好きのマメ人間になる。私の研究室を見て「きれいに片付いてるなー」と言って誉めてくださる方がいるが、それはこういう理由からである。研究は一向に進まないが、部屋だけはとても綺麗になってゆくのだ。 で、約2時間もかかってようやく作業は終了した。本を上下左右に移動させただけであるが、これはあそこだ、あれはここだと、ちょこまか動き回ったので、いやはやとても疲れた。というわけで論文を読み続ける気力がかなり失われた・・・今日はどうも気が散っていかん。これで帰ろう。勉強は明日からだ・・・(このようにして私の一日は静かに過ぎてゆく)。



≪3月4日≫

★昨日はお雛様のお祭りであったが、引き続き今日もお祭り日である。「マーディ・グラ」(Mardi Gras: 脂ぎった火曜日)だ。これはどんなお祭りかと言うと、「灰の水曜日」のいわば前夜祭である。灰の水曜日とは四旬節の開始日であり、この日から復活祭までの約40日間が四旬節と呼ばれる期間となる。キリスト教徒たちは四旬節中はキリストの受難を想って喪に服し、肉食を減らすなどして節制ある生活をすることになっている。そこで、その自粛的な期間にはいる前に思う存分飲み食いしておこうというお祭りなのである。よく知られているカーニバル(謝肉祭)と同じ祭りである。こちらの方は数日間に渡って飲めや踊れやの騒ぎが展開されるが、マーディ・グラはその最終日にあたる。なんともまあ単純な発想から生まれた、分かりやすいお祭りである。中世ヨーロッパに起源があるらしい。日本ではあまり知られていないし、特にお祝いされてはいないようである。まあ、そりゃそうだろうなあ。ほとんどの日本人に四旬節は関係ないし、肉より魚の方がご馳走という人も多い。しかし、私はキリスト者なのであるから、やはり今日のこの日を祝わねばなるまい。どこか焼肉でも食べにいくかな・・・

★さて、そんなことより、今日はもうひとつ別のお祝いがある。南山大学大学院の入試の合格発表があったのである。ザビエルハウスのメンバーの中の2人が、文学研究科神学専攻博士前期課程(長ったらしいな)を受験した。そして、みごと合格!おめでと〜!この2人は日本に来てまだ2年である。普通ならもう1年くらい、日本語を勉強したり、町の教会に出て実習をしたりしてから、大学院の勉強に入るところなのだが、2人とも非常に優秀で、試しにとテストを受けてみたら、合格してしまった。これで1年間スキップして、めでたく今年の4月から勉強を始められる。偉いなあ。院長の私も鼻が高い(なにもお手伝いしとらんけど)。今年はこの神学専攻博士前期課程に7名の人が受験したが、みごと全員が合格したのだそうである。おめでとう!よかったよかった。今日はマーディ・グラなんだし、大いにお祝いしてください。



≪3月6日≫

★アメリカでお世話になった友人が久しぶりに東京近郊の実家に帰省しており、昨日はるばる名古屋まで遊びに来てくれた。彼女はJRが海外から日本に来る旅行客向けに発行している、2週間日本中どこでも乗り放題パス(新幹線も含む)というのを買ってきて、それを利用して来てくれたのである。これは約4万円ほどのパスらしいが、名古屋の他に友人や親戚を尋ねて本州のみならず九州の鹿児島まで2週間みっちり旅行する計画だそうだから、元が取れるどころか、3日目くらいからはほとんどタダ乗り同然となり、非常にお値打ちである(この超魅力的な旅券は日本国内にいる人には買えないのだそうである・・残念だ)。

朝9時半ごろ名古屋駅に到着。迎えに行った。さてどこに案内しようかと思案したが、これといって思いつかなかったので、とりあえずはタワーの上の展望台に上って街の様子を眺める。名古屋城がそこから見えたので、これで名古屋城見物は完了とした。その後、あまり目的もなく地下鉄で大須(おおす)へ。そして商店街を上前津(かみまえづ)までだらだら歩いてまた地下鉄に乗り、いりなかへ。せっかく名古屋に来たのだからと、お昼御飯に味噌煮込みうどんを食べた。それから南山大学に行き、キャンパスをちょこっと案内し、ザビエルハウスへ。これでもう案内する場所がなくなってしまった。しかしまだ昼の2時くらいである。ええと困ったなあ、どこか行きたい所ない?と聞いてみたところ、なんとスーパー銭湯に行きたいと言う。彼女は温泉に入るのが三度のメシよりも好きというイナセな温泉娘なのであった(日本に帰ってくる主な目的も温泉なのだそうである)・・・そこで「天の湯」に行ってのんびり1時間半ばかり過ごす。「あー気持ちよかった〜!」と大いに喜んでいただけた。お風呂の後、いつもの居酒屋に行って夕食を食べ(ここは3時から開店している)、6時半ごろに名古屋駅へ。そして新幹線で東京へと帰って行った。家に帰ってお父さんとお母さんに「名古屋で何したの?」と聞かれたら、たぶん彼女は「銭湯に行った」と答えるであろう。名古屋まではるばる銭湯に入りに来たようなもんだ(しかも日帰りで)・・・しかしま、喜んでもらえて何よりである。 また遊びにおいでね。




≪3月8日≫

★爽やかに晴れた。空気も暖かい。別科の学生たちは今日バス旅行で伊勢まで出かけるのだそうである。よかったね好天に恵まれて。ところで、この清々しい天気のもと、神言神学院では一週間の黙想会がクライマックスを迎えようとしている。これは修練期や誓願の準備のための黙想会で、毎年行われているもの。黙想会とは簡単言うと、指導者が主に講話の形で教えを述べ、その教えや指導に従って各自が自らを反省し、瞑想し、祈る。そして時々皆で集まって意見を交わすというものである。今回のこの黙想会は修道生活を主題とするもので、人によっては今後の人生の大きな決断ともなる、非常に厳粛なもの。神学生たちはこの期間、神学院の建物にこもりっきりとなり、外部との接触は必要不可欠なもの以外は絶たれる。 で、実は私は神学生のひとりに学事上の急ぎの連絡をとる必要があり、神学院にさっきから電話しているのだが、ぜんぜん誰も出てくれない。皆なんてマジメなんだ・・・しかし困ったなあ(お〜い誰か出てくれ〜)。 

今日の夕方その厳粛なる黙想会は終了し、いよいよ本番の儀式となる。今夜は修練期開始式、明日が終生誓願式、明後日が助祭叙階式である。今日の修練期開始式では大学2年生の2人の神学生が修練士(しゅうれんし)となることを表明する。これから1年間、多治見(たじみ)の修道院で修道生活の実習をし、神言会の精神を学ぶ。私が神学生の頃、この式は着衣式とも呼ばれ、この日から長いワンピースのような形の修道服(スータンと言う)を着るようになるのだが、この頃はあまり修道服を着なくなったみたいである(修道服は特注のためとても高価なことがその理由のひとつ)。 修練士となるこの若い2人には、多治見でぜひ充実した良い修練期を過ごして欲しい。多治見の修道院には行く機会が多いので、あちらで会いましょう(もし修練長が留守なら一杯飲みましょう・・・うそです)。




≪3月9日≫

★昨日の夕方、南山大学人文(じんぶん)学部の年に一度の懇親会が行われた。場所は学校から歩いて約10分ほどのところにある、「ラ・スース いずみ」というお店。フレンチ・レストランのようである。私は日頃、居酒屋とかそば屋とかいった非常に庶民的なお店にしかいかないので、「レストラン」と聞くと頭の中で自動的に「食堂」と訳してしまう。フレンチ・レストランは「ふらんす食堂」である(ついでだが、ふらんすは仏蘭西と書く)。ところが、昨日のお店は「食堂」というにはあまりにも「おしゃれ」な店なのであった。



このような極めて優雅でエレガントなおフランス風の(と思われる)建造物が、前山町のごく普通の民家が建ち並ぶ住宅街の真ん中にいきなり建っているのだから、もうびっくりである。門を入る時には緊張した。レストランの中も大変おしゃれであった。今回の懇親会はこの3月で引退される先生方の送別会も兼ねていた。長い間南山大学のために尽くしてくださって、どうもありがとうございました。パーティーは立食。けっこうおいしい料理だった。アトラクションとして南山大学のNAQ(Nanzan Art Quintet)というジャズバンドが招かれて演奏してくれた。アルトとテナーのサックス(女子)、ダブルベース(男子)、ピアノ(男子)、ドラム(女子)の5人。すっきりときれいにまとまった上手な演奏だと思った。どうもありがとう。このように典雅で上流階級的なたいへんよろしい懇親会なのであった (ただし、二次会は普通の庶民的な居酒屋に行った・・・)。

★ところで今日は4時から、神言神学院で終生誓願式が行われる。これは、「清貧」(金銭に執着しない)、「貞潔」(結婚しない)、「従順」(上長の指示に従う)という3つの誓願を、一生涯にわたって誓うもの。強い意志が必要な誓願である。今年は9名もの神学生がこの誓願を立てることになっている。人生はこれからまだ長いし、人間いつも意志が強いとは限らないので、これから先いろいろな困難に直面することがあるかも知れないが、どうかがんばって踏みとどまり、自分の道を歩み続けてくれるよう、心から祈りたいと思う。

★・・・・・・で、午後4時からの式に出た。2時間たっぷりかけた荘厳極まる儀式であった(儀式の総指揮は西脇氏)。9名がいっぺんに終生誓願をたてるのは、もうじき来日100周年を迎える神言会日本管区において、史上最高記録なのだそうである(これまでの記録は7名だった)。いやめでたいことだ。しかしながら、さすが9名もいると、お集まりの親族恩人友人の皆さんの数もすさまじい。神学院の大聖堂は1階も2階も超満員。席がなくてずっと立っている人も多かった。誓願式の後の祝賀会も大混雑。神学院の食堂が何100人いるのかわからない程の人々でひしめいた。これほどの人がこの食堂に入ったのは初めてだろう。身動きがとれず、9人の立願者たちのそばに行ってお祝いを言うことは至難のわざ。もともと人込みが苦手である私は、早々に退散した。しばらく経って群集が引き上げて2次会になった頃、また神学院に出かけていって9人の皆にお祝いを言おうかな・・・でもいい加減今日は疲れたから明日にしよう・・・(明日も助祭叙階式とその祝賀会がある)。




≪3月10日≫

★今日は午前10時から、助祭叙階式が神学院で行われた。司式は名古屋教区長の野村司教様。またまたたっぷり2時間かかる荘厳な儀式であった。平日の午前中なので、あまり人は集まらないだろうと思っていたら、どうしてどうして、聖堂は満杯。昨日に勝るとも劣らない数の人々がお集まりくださった。むろん、祝賀会場も数え切れぬ程の人でいっぱいであった。叙階されたのは、昨日終生誓願を立てた9名のうちの6名である。残りの3名はいったいどうしたのかというと、1名はブラザー(修道士)の道を志願しており、典礼儀式とは別の活動に従事するため、あえて叙階は受けなかった。そして他の2名は、学年的に来年度叙階の予定である。

助祭とは、英語ではディーコン(deacon)と言うが、それはギリシャ語のディアコノス(diakonos)から来た言葉であり、「仕える者・奉仕者」を意味する(・・これは「新約聖書」に出てくる言葉です。詳しくは教文館発行の『新約聖書釈義事典』をどうぞ)。主な任務は、だから、司教や司祭を助けて典礼儀式に奉仕することである。助祭を専業にしている人は世界に数多くいるらしいが、日本では助祭に叙階された人のほとんどは次に司祭に叙階されることになっており、司祭(神父)になる前段階のような感じになっている。現に今日叙階された6名も、約半年後の10月に司祭に叙階される予定。その時には更に盛大な儀式が催されることになる(式典会場は、よりサイズの大きい南山教会が予定されている。祝賀会のものすごさは・・推して知るべしである)。


叙階式の写真や、叙階者についての詳しい情報は、神学院のホームページ(ここ)に載りますので、どうぞご覧ください。それにしても、公のパーティーではあまりにも人が多すぎて、ロクにお祝いの言葉が言えないのが残念であった。そこでさっき神学院に電話して聞いてみたところ、今日の夜に神言会の身内だけのうちわのパーティーがあるとのこと。さすが分かってるねぇ。そうこなくっちゃ。ではお酒のびん片手に出かけることにしよう。



≪3月12日≫

★学校にとって3月は年度末なので、所属学部、学科、そのほか各委員会などの年度じめのミーティングの他に、それぞれの打ち上げやら懇親会やら送別会などが次々とあって、けっこう忙しい。昨日は教皇庁認可神学部の会議と懇親会があった。場所は山手通りにあるグランピアットというピザとパスタの店。学校から近くて便利なのでよく利用されている店である。ザビエルハウスのちょうど道向かいにあるので、私にとっても大変便利だ。しかしながら、ちょっと残念なのは、横断歩道が遠くにしかなくて、店の入り口は目の前に見えているのに、すごく大回りをしなければそこに行き着けないことである。山手通りという道路がまるで深い川のようにグランピアットとザビエルハウスとの間を隔てている感じである。回り道するのが面倒くさくて、中央分離帯の柵を乗り越えて強引に道路を渡っている人も時々見かける。私もそうしたいと思う時もあるが、この年になって(しかも教員が)そんなことをするのは恥ずかしいので、しないでいる。急いで渡ろうとあせって柵に足がひっかかってコケたりしたら目も当てられない。

ま、それはともかく、グランピアットでの懇親会は飲み放題コースだった。いい気になってワインをたくさん飲んでしまった。ちょっと飲みすぎて今日は朝から気分が悪かった。午前中に会議があったので学校に行ったが、やはり気分がすぐれないので会議が終わってから早々に引き上げて家に帰った。私は実はあまりワインが得意ではないのだ。いや味はとても好きなのだが、どうも次の日に気分がすぐれないことが多いのである。ワインの他には、ブランデーや梅酒やリキュール類もどっちかというとダメである。その代わり、ビールやウイスキーや日本酒や焼酎はかなり飲んでもだいたいOKだ。なぜだろう?私なりに分析してみたのだが、要するに原料がフルーツ系なものがダメなようである。その代わりに原料が穀物系だったら大丈夫なのだ。理由は分からないが、私の場合、確かにそうなのである(ただの思い込みかも)。 そういえば、私と逆に学長のマルクス先生はワインがお好きで、かついくらでも飲める。ところが日本酒はダメなのだそうである。味が嫌いなわけではないが、悪酔いしてしまわれるとのこと。同じアルコールとは言え、味の好みだけでなく、身体の反応も酒の種類によって人それぞれに異なるようだ。

あ、そういえばひとつ思い出した。ちょっと汚い話だが、アメリカに最初に留学した時のこと。休憩室に置いてあったミント味の甘いリキュールがおいしくて、たくさん飲んだことがある。あざやかな緑色のお酒であった。ところが次の朝、トイレでびっくり仰天した。そう、アレが色も鮮やかにみごとな緑色だったのである。ひぇ〜!なんだこれは!私は異国の地で世にも珍しい奇病にかかってしまったのではなかろうかと思い、おおいに不安になった。そして同僚に、恐る恐る、アレが緑になってしまう病気ってある?と聞いてみた。すると彼は笑って、「たぶんそれ、昨日のリキュールのせいだと思うよ」と教えてくれたのだった。すっかり忘れていた・・・よかった病気じゃなくて。それにしても、そういう経験はその時より他にはしたことがない。ワインをいくら飲んでもワイン色にはならないし、ウイスキー色にもならない(ひょっとしたら気づかないだけか?)。そのリキュール、よほど強力な色素を使っていたと思われる。



≪3月14日≫

★昨夜はじぇいふぉん氏と共に、いつも何かとお世話になっている吉田徳子先生が主催するコンサートに、半分お手伝いという形で参列させていただいた。ドロテー・オーバーリンガーさん(ホームページはここ)というドイツのリコーダー奏者の独奏会。新進気鋭の若手リコーダー奏者として、また古楽器演奏の学者として大いに注目されている人で、ヨーロッパで大活躍中らしい。すらりと背が高くてスタイルのよい、明るく爽やかな感じの知的な美人。伝統あるパイプ・オルガン製作会社であるオーバーリンガー社の社長のお嬢様でもある。お家柄もお人柄もはなはだよろしいうるわしの才媛(さいえん)なのであった。演奏もまたすばらしかった。10本ほどの大小異なるリコーダーを次々に持ち替えて凄腕を披露してくれたのだが、その超絶的な技巧と洗練されたチャーミングな音色は陶酔もの。リコーダーという楽器にこれほどの可能性が秘められていたとは知らなかった。

演奏の会場がまたふるっていた。なんとお蔵の中である。名古屋の恐らく最も賑わっている繁華街のど真ん中、由緒ある安藤七宝(しっぽう)店のお店の敷地の一角に、ホンモノのお蔵がデンと立っているのだ。いつもは安藤コレクションという七宝の名作の美術館として使われているもの。このお蔵でコンサートをしようという前代未聞のアイデアは吉田徳子さんによるものであり、吉田さんが安藤七宝店の社長さんとお友だちであったからこそ実現した。いったいどんな感じのコンサートになるのかはやってみるまで分からなかったらしいが、お蔵は意外に音楽会に適しているように私には思われた。木造りの落ち着いた雰囲気があるし、音響もやわらかくて良い。そして何より、秘密の家にこっそり集まってみんなで魔法を見ているような、なんとも不思議な感じがある。なんたって入場者30名限定のコンサートである。限定されたメンバーだけで名人シェフのおいしい料理をいただいたような気分。西脇氏と私は初め通訳を依頼されていたのだが、幸い同行の通訳者の方がいらっしゃったので、その役は逃れることができた。でも何もしないのは申し訳ないので、入り口でプログラムを手渡す役と、演奏者の持ち物を見守る役をやらせていただいた。こんな楽なお手伝いで、このように非常に素敵な演奏を聴かせていただいて、更には演奏会の後の打ち上げ会にまで参加させていただいてすみません。吉田先生、どうもありがとうございました。



≪3月17日≫

★ザビエルハウスはもうかなり古い建物なので、いろいろと傷んだところを修復したり交換したりする必要がある。私が院長に任命されて以来、次から次に修復工事だ。今年は台所の流しやコンロ、食堂の床などをやることになった。今日からだいたい一週間くらいの工事になるらしい。その間、台所と食堂は使用できなくなる。毎日外食だ。外食はキライじゃないが、どうも栄養が偏るように思う。油っぽくて野菜が少ないものばかりなのだ。簡単にすまそうとすればするほど、そういうものばかりになってしまう気もする。しかし外食でもバランスのよい食事が出来るところはある。私が思うに、一番いいのは居酒屋である。居酒屋の料理は基本的に日本の家庭料理みたいなものだし、いろいろなものを少しずつ食べることができるから、けっこう身体によいように思う。ちょっと高くついてしまうのが難点だが。

★外国に送らなければならない書類があったので、それを持って朝8時半ごろ山手通の郵便局へ行った。そしたらまだ閉まっていた。9時からと書いてある。郵便局ってもっと早くから開いてなかったかなぁ。出直してくるのも面倒くさいので、向いにある日赤病院で時間を潰すことにした。大きな病院なので喫茶店も中にある。見ると空いていたので、席に座りモーニングセットをもらう。コーヒーにトーストとポテトサラダと温泉たまごが付いてきた。朝ごはんを食べたのは久しぶりだ。病院にはすでにたくさんの患者さんたちが詰め掛けていて、お医者さんや看護婦さんたちが廊下を足早に行き来している。朝っぱらからなんだかとても活気があるなあここは。トイレもピカピカに綺麗だし、朝のひと時を病院で過ごすのも悪くないかも。ちょっと元気になって学校に戻ってきた。



≪3月18日≫

★私と年代がけっこう近い南山人の方が掲示板にメッセージを書き込んでくださっている。現役時代は受難劇クラブで活躍されていたらしい。こういう懐かしい方からメッセージをいただけるのもまたうれしい。インターネット時代ならではの喜びである。インターネットってすごいなあ。この方のメッセージに刺激されて、昔の卒業アルバムを見てみたくなった。私は1979年4月に入学したが、卒業したのは1985年3月である。当時神学科(今のキリスト教学科)の神学生カリキュラムは1年間の修練期休学を含めて6年間だったのだ(その後大学院に入る)。そこで1985年の卒業アルバムを、合同研究室の棚に重ねてあるアルバムのかなり下の方からどっこいしょと取り出して開いてみる。オオオオオオオオオオ!これは懐かしいぞ!先生方も若い!こりゃあオモシロイ。18年前の南山大学の様子が今ここに甦る!

このアルバムを見てちょっと驚くのが、大学のキャンパスや学生たちの様子が現在とあまり変わらないということである(2002年版の卒業アルバムと較べて見ている)。南山キャンパスはずっと前から今と同じように明るく華やいでいたんだなー。 ・・・いや・・・しかしまてよ・・・何か違うな。特に女の子たちが何だか今とは違っている。髪型が・・・あ!そうだ!これは・・いわゆる「聖子ちゃんカット」である。懐かし〜!(「聖子ちゃんカット」を知らない人は→ここをご覧あれ)。各学科ごとの卒業生の顔写真を見てみたら(ついでながら、ここは白黒写真である)、あれまあ、聖子カットの子ばっかりだ。そうでない子の方が圧倒的に少ない。試しに英米科の女の子を数えてみたら、101人中なんと78人が聖子ちゃんカットであった(私は厳密な意味での聖子ちゃんカットというのを知らないので、おおまかな判断だが)。流行ってたんだなーこれ。このアルバム、他にもいろいろ面白い発見があるので、何度かに分けてご紹介しましょう。

☆「聖子ちゃんカット」がもっとよく分かるサイトがあった→ここ。聖子ファンは必見かも。




≪3月19日≫

でた〜!これが学祭のかつての名物、『プロレス』だ〜! 学祭の打ち上げ「ガーデン・パーティー」


★昨日に引き続き、1985年版の『卒業アルバム』の内容をちょっとご紹介しよう。上の2枚の写真は、そのアルバムからのものである。左は、前にも一度雑記に書いたことがある、銭湯入浴同好会(略して「銭湯」)による『プロレス』である(2002年11月3日の雑記をご参照あれ)。これは大爆笑ものの超面白いコントで、南山の学祭で一番人気の出し物だった。このものすごい数の観客を見よ。あのグリーンエリアが何百人もの見物者で奥の方までびっしり埋まっている。これほどの人を集めるイベントだったとは・・・すごいぞ銭湯!

右の写真は学祭の打ち上げのパーティー。「ガーデン・パーティー」(略してガーパー)と呼ばれていた。会場はグリーンエリア。写真手前に見える炎は、パッヘスクエアに焚かれたキャンプファイヤーの火。その傍らでロックバンドが次々と爆音をあげて演奏しまくり、学生たちは芝生の上で踊りまくった。ビールや酒がまき散らかされることもあり、かなりの熱狂的なパーティーだった。 近頃は騒音に対する付近住民の反対の声が大きくなり、あまり派手な野外パーティーはできなくなってしまった。これはちょっと、残念だ。年に一度だけなんだし、深夜までやるわけでもないんだから、大目に見てくれたらいいのに。


この『卒業アルバム』、よく見ると随所に編集した学生の率直な言葉がポロリと述べられており、当時のキャンパス・ライフの雰囲気が窺われて面白い。例えば・・

  ● 「授業・・・目が覚めたら・・教室だった」 (『授業風景』のページ)

  ● 「天井にはりついた吸殻が時々パラリと落ちてくる」 (『学食』のページ)

  ● 「さあ食べようという時に、《食器は返してくださいね》」 (『学食』のページ)

  ● 「1982年6月の校舎の写真です。あれっ?L棟がない!」 (L棟が出来たのは1983年である)

図書館の様子を撮った写真のページには、けっこうたくさんの学生が「マジメに」勉強している写真がいくつか載っているが、わざわざ『試験前の図書館』と書かれている。これはすなわち試験前だけの特別な風景だというわけか。ははは、なかなか正直である。また、グリーンエリアの春の風景が載っている『SPRING』というページには、「セーターをぬぎ 芝生に寝転ぶ 暖かな光の中で いつの間にか夢の中」という詩が書かれている。そういえば、グリーンエリアに座っておしゃべりしていたり、寝転んだりしている学生の数は、今よりもっと多かったような気がする。せっかく電車ではるばる授業を受けに来たのに、天気がすごく良い日だったりすると、教室に向かう代わりにグリーンエリアに腰を落ろし、授業をさぼって昼寝をしていく人がよくいた。たくさんの学生が芝生でのんびりごろごろとくつろいでいたので、このグリーンエリアは別名「山里牧場」と言った・・・(南山大学名古屋キャンパスは昭和区山里町にある)。




≪3月20日≫

Illustrated Map 1 from Irinaka to Nanzan (1985)

★1985年版『南山大学卒業アルバム』の徹底研究、その3日目(最終回)は、大学周辺地域の地図を吟味してみよう。1985年版には「いりなか方面」と「山手通り方面」の2つの地図が載っている。上の写真は「いりなか方面」の地図。地下鉄で南山に通う学生のほとんどは「いりなか」か「本山」で降りて歩く。だいたい20分くらいの道のり。時間的にはそれほどの距離ではないが、南山は丘の上にあるので、この通学路はず〜っと上りの長い長い坂道なのだ。けっこうたいへんなのである。その通学路にはいろいろなお店があって、4年間の学生生活の間に、さまざまな思い出がそこで生まれることになる。この1985年版のアルバムにはところどころに短いコメントがついており、当時の様子が具体的に知れて興味深い。

まず私は、通りの名前に驚いた。ちょっとクロースアップしてみよう



おおー!NANZAN STREET!いりなかの聖霊病院あたりから日赤の交差点までの通りに、「南山ストリート」という名が付いてたとは知らなかった!念のため1984年版のアルバム(現在と同スタイルのアルバムの最古のもの)を見てみると、そこにもちゃんとNANZAN St.と書いてあった。南山の学生が勝手に名付けたとしか思えないこの名前・・・いいのか勝手に名前なんか付けちゃって・・・と思ったら、なんと!現在の最新版、2002年のアルバムにも、しっかりNANZAN STREETと書かれているではないか!今もそうなんだ!一貫して英語の標記になっているところに、何かこだわりがあるようだが、真相は不明。だが明らかなのは、この通りは少なくとも20年ほど前からずっとNANZAN STREETだったということである。 う〜む・・知らなかった・・。

・・・おや? よく見ると更なる情報が・・このNANZAN STREETは別名「霊Q車通り」と言うらしい。そーか、きっと八事にある火葬場に向かう霊柩車がこの通りをよく通ったのであろう。今は・・むしろ病院に向かう「救急車」を見ることの方が圧倒的に多いように、私には思われるのだが。

お店についてのコメントを見てみよう。 このアルバムには、「あまり面白くない!」とか、「駐車場がとっても不便!!」だとか、「待たせる、高い、とくれば言うことない」など、けっこうハッキリとした批判が書かれている。この地図は、卒業生たちが自分のために書いたのだから、こういったコメントは、他の人のための観光ガイドのようなものではなく、むしろ当時の学生たちにとっていわば「周知であった事柄」を記録したものだと思う。つまり、これを見る人が、「ああそういえば、あの頃はこうだったな、こんな店があったな、うんうん!」と、学生時代を懐かしく思い出すためのものだ。だから、お店に文句をつけてはいるが、それは決して攻撃のためなのではなくて、思い出として残すためである。どうかその点を誤解なさらないよう、お願いいたしたい。

☆「南山ストリート」にしろ「山手通り」(こちらは正式な名称)にしろ、南山近辺地域に共通する特徴は、お店の入れ替わりがけっこう頻繁だということである。いつの間にか消えてしまったり、全然別のものに変わってしまったりする店が多い。それは18年前にも同じだったようだ。次のような記述がある・・

●「あいその悪さで有名だったスパゲッティーのカロリーがなんとJapanese Sushi Houseに変身!」

ははははは。愛想の悪さで有名とは、なかなかのものである。1984年の地図にも、しっかりと、「愛想ワルイ」と書かれている。もう18年も前に無くなったお店なんだから名前をあげても大丈夫だろう。私自身はこの店のことは覚えていないが、愛想が悪くても食べに行く人がいたのだから、そう味は悪くなかったのではないだろうか。頑固一徹な料理人オヤジみたいな人がいたのかも知れない。だがある時忽然となくなってしまった・・・こういう個性的な店がなくなるのは、なんだか残念だ。

●「突然消えてしまった!!日本福祉大学跡」

突然消えてしまうのは、なにもお店だけではない。現在は美浜にある日本福祉大学は、20年ほど前には聖霊病院の向いの聖霊看護学校の裏あたりにあった。それが突然、知多郡美浜町に総合移転してしまったのは1983年のことである。ひとつの大学がそっくりそのままどこかへ消えてしまうというのは、当時学生だった私にとってはショッキングな出来事であった。


☆お店の入れ替わりが激しいということは、逆に言うと、当時から今にいたるまでずっと残っているお店は大したものだ、ということである。例えば、いりなかの郵便局の隣りにあるサンドイッチの店「LANCIA」。ここは私が学生時代の頃からあり、ず〜っとあの姿で在る。この間、実に20年ぶりに中に入ってみた。驚いたことに昔の雰囲気のままだった・・・。サンドイッチとコーヒーを頼んで食べてると、学生の頃に友だちと来てた時のことが思い出され、あまりの懐かしさに目がうるうるしてきてしまった。この店が心のふるさとだという人はきっと多いと思う。いつまでも残って欲しいお店である。

児童福祉センターの近くにある「らいぶらりい」というお店も昔からある。しかしこの店は昔に較べるとずいぶんと発展した。1985年の地図を見ると・・・「コピーのらいぶらりい」と書かれている。おいおい、ちょっと待て。ここって本来は喫茶店なのでは?1984年版の地図はもっとすごい。「スーパーコピーマシンらいぶらりい」ときたもんだ!このお店、もとは小さなごく普通の喫茶店だった。それがある時大量のマンガ本を置くようになり、いわゆる「マンガ喫茶」になった。これが成功したらしく、店は改装されてだんだん大きくなっていった。その後、この店にはコピー機が導入され、格安でコピーをさせてくれる「喫茶兼コピー屋」となった。その頃コピー機はさほど一般に普及しておらず、値段がすごく高かった。大学のコピー機だと、1枚30円くらいかかったと思う。ところが「らいぶらりい」は、それを半分くらいの値段で提供してくれたのである。これで学生に人気が出ないわけはない。特に試験前には、人のノートをコピーする学生で溢れた。私も何度かこの店を利用したことがある。店に入って「コピーです」というと、番号フダを渡される。そして自分の順番がくるまでゆっくりコーヒーを飲み、マンガを読んで待つのである。これはすばらしいアイデアだと思った。学生の単位修得のために大いに貢献してくれたこのお店は、その後も発展を続け、現在に至っている。あの一年中クリスマスかというド派手な装飾には引いてしまうが、たいへんお世話になったお店。がんばって欲しい。

☆まだまだいろいろあるのだが、書いてるとキリが無い。この辺で終わりにしよう。懐かしの卒業アルバムでずいぶん楽しませてもらった。思い出になるものは、やはり大切にとっておいたほうがいい。明日は実は南山大学の卒業式である。これから社会人として世に出て行く後輩諸君、南山で学び自分なりにつかんだ道を信じて、どうかまっすぐに進んで行ってください。チャレンジに値する目標はたくさん見つかるでしょう。南山精神を胸に元気に歩んでいってください。




≪3月22日≫

★昨日は卒業式だったので南山のキャンパスはものすごく賑やかだった。女の子のほとんどが(と言いたくなるほど多くの子が)袴姿だったので色彩的にもすこぶる華やかであった。それにひきかえ、男の方はほとんどが普通のスーツ。どうして男も和服にしないんだろう? ま、それはいいが、女の子たちは服装は袴姿なのだが、やることは普段とあまり変わらない。つまり、そこかしこで携帯電話をピコピコやっているのである。この風景、昭和35年生まれの私には、なんとも違和感のある不思議な風景である。和服に携帯は似合わんぞ〜!これはたぶん、子供のころにテレビや映画のSFもので見た、特殊工作員とかスパイとかが使う超小型無線機(腕時計みたいなのに小さなアンテナが付いてるやつ)のイメージが携帯と結びついてしまっているからかも知れない。袴を着てしゃなりしゃなりと歩いている子が、着信音が鳴るや否やすばやくバッグから携帯を取り出してスチャッと開き、メールをピコピコ打ち込む姿は、まるで変装したどこかの秘密情報員がボスと連絡を取り合っているかのようにも見える。携帯電話の無機質な感じがまた和服に合わないな。携帯にも和装バージョンがあったらいいのに。例えば、青竹の筒の形をしていてアンテナは笹の葉型、真ん中あたりが斜めにスライドして開く「かぐや姫モデル」なんてどう?着信音はむろん琴の音だ。



≪3月23日≫

★戦争を思うと心が重い。戦争がどうか早く終わり犠牲者が増え続けないように祈りましょう。



≪3月25日≫

★ザビエルハウスの皆と一緒にまた温泉に行ってきた。 別科(日本語学校)が21日から27日までスプリング・ブレイク(春休み)になるので、この休みを利用して皆で温泉に行きたい、との要望に応えたのである。この人たちはホントに温泉が好きなんだなあ。先日、今年2年目のレジとディンドの2人が南山の大学院入試に合格するという、まことに喜ばしい事もあったので、そのお祝いも兼ねることにした(今年度は皆で出かける機会が少なかったので、予算がけっこう余っているのだ)。だが、あまり遠くまで行くのは疲れるので(車の運転が出来るのは私ひとりなのだ)、ごく近場を探すことにした。そして、今回は蒲郡(がまごおり)の三谷(みや)温泉というところに行くことになった。名古屋から車で1時間ほどのところである。

御宿はインターネットで見つけた明山荘というホテルにした。電話してみると、良い声の女性が出て、月曜日なら空いてると言うので、ではその日にと予約しようとしたら、「あ電話ではなく、インターネットをご利用ください。10%オフになりますから」と言う。あ、そうなんですか・・なんて親切なご案内。喜んでそうさせてもらうことにする。そしてホームページの予約フォームに書き込んで送信。するとすぐに、「ご予約まことにありがとうございました」という返事が電話で来た。 ・・・なんなんだこれ?インターネットで予約すると、いったいどこかどう違うというのか・・・不思議だ。だがまあ、これで10%割り引いてもらえることになった。更に、今回は1つの部屋に6人全員を詰め込んでもらったので、それでまたずいぶんと割引があり、計算すると、かなりお値打ちな値段で泊まれることになった。

明山荘はかなり大きなホテルだった。浴場も広々していて立派。管理が行き届いているらしく、全体的にとても清潔感がある。それに加え、お店の従業員の方々が親切で気持ちがよい。料理もおいしい。ことに刺身は本当に新鮮でうまかった。こんなにきちんと魚がうまいなんて・・海辺リの温泉の本筋をピシリと押さえくれてるなぁ。名古屋からの距離も近いし、また行こうかな。

6人同じ部屋に泊まったということもあって、夜中まで酒を飲みつつ色々な話しで盛り上がった。こんなにじっくりと長い時間皆で一緒に喋ったことはなかった。いつもなら疲れてきたら各自自分の部屋に戻って寝れるのだが、今夜は同じ部屋に寝るのだから、いわば最後まで誰も「逃れられない」のである。寝てる人はすみやかに叩き起こされる。そのため翌朝は皆寝不足で目がトロンとしていた・・・でもたいへん楽しい集いであった。



≪3月26日≫

★すでにお気づきのことと思いますが、南山大学のアカウントにホームページの「入り口」を置き、中身はすべてDIONのアカウントに移転させました。理由は、DIONの方が大きな容量を自由に使えるのと、南山にダイアルアップする必要がないので、ADSLなどを使って自宅やホテルからでもアップロードやダウンロードが高速で出来るからです。入り口から入るとクリック数が1回増えるので、ちょっと面倒に感じるかも知れませんが、どうかご容赦願います。

南山大学スコラ・カントールムのページが更新されているので、ごらんください。このページはクラブのメンバーが担当してくれることになっています。新しく作られたロゴは、なかなかかっこ良いです。いずれは南山の公式の場所に置かせてもらうことになると思いますが、とりあえずは引き続き私のホームページのサブページに置いておくことになりました。便利かもと思って、掲示板も立ち上げたので、どうぞご利用ください。



≪3月27日≫



★何だこりゃ?と思った人も多いと思うが、これは「ひまわりのタネ」である。食用である。この前アメリカから帰国した(あの温泉好きの)友人がお土産にもってきてくれたもの。こういう風にただのビニール袋に包装もなく詰められていると、まるで漢方薬の材料みたいだ(あるいは、あえて言ってしまうなら、オウムかリスのえさみたい・・・)。しかしわざわざアメリカからビールのおつまみにどうぞと持って来てくれたので、ビールを飲みながら食べてみる。味は・・・悪くない。塩だけの素朴なあっさり味。ひまわりのタネは、そういえばマンガ家の小田空が好きだったな。『目のうろこ』という本(集英社)の169ページに、小田はこう書いている。

「大好きなヒマワリの種。片手と前歯だけを使って1分間に10ヶ食べられるようになったら一人前。」

ほほー。そうかい。ではちょっと試してみましょう。よっ、ほれっ、もうちょい、あっ!・・・落としてしまった。けっこう難しいではないか。10個どころか、2個食べれるかどうかというところである。修行が足りないということか・・・しかし苦労の割りに収穫(中身)が小さいな。それに、前歯で一生懸命カリカリやってる姿はまるっきりリスみたいだ。Mちゃん、お土産をどうもありがとう。でももしよかったら、どうか次は殻がむいてあるひまわりのタネをお願いします・・・




≪3月28日≫



★先日、ザビエルハウスの電話が突然使えなくなった。うちのシステムは、1本の電話線を1つの親電話機から各部屋の19個の子電話機につなぐという仕組みである。つまり合計20の電話機が1つにつながっている。それを統括管理していたのが、上の写真のワゴンの右側の床に置かれている箱である。この箱がいかれてしまったのだ。メーカーの技術者さんに来て見てもらったところ、箱の中のもっとも中枢的な部分がやられているとのこと。しかしこの機種はもう製造されておらず、あまりにも古すぎて交換部品も残っていない、したがって修理は不可能らしい。

しかしながら、この箱が作動しなくては、家中の電話は全部使用不可となり、外部との連絡は絶たれるのだ。更には、玄関のチャイムも鳴らないため、訪問客が来ようが宅急便が来ようが、誰も出ることができないのである。この箱・・・この故障ではじめて分かったのだが、ザビエルハウスの全ての電話機と玄関のチャイムを配下に置き、外界との交通路全般を支配していた、陰のボスだったのである。これまで上の写真のワゴンの下部に無造作に乗せられ、誰からも尊重されず、むしろ「邪魔だなぁコイツ」と悪態をつかれ、埃まみれになっていたこの箱が、こんなにも重要な存在だったとは・・・御見それいたしました。いやこりゃまいったね。はははははは、は。

笑っている場合ではない。これをなんとかしなくては日常生活に支障をきたす。そこで、電気関係でいつも御世話になっている電気屋さんに相談してみた。それによると、まともに全部システムを取り替えると、軽く100万円は越えてしまうとのこと。それは予算的に無理である。そこで、現在入っている古い電話回線と子電話機をそのまま生かして、なんとか再生させることになった。使える機能が極めて限られてしまうが、仕方ないであろう。

というわけで、電話は近々復旧いたします。関係者の皆様、ご不便をおかけして申し訳ありませんでした。しかし電気屋さんの方にもいろいろと予定があるので、すぐに工事というわけにはいきません。もうしばらくはザビエルハウスに電話がつながりませんが、どうかご理解ください。とりあえず玄関のチャイムだけは直してもらえました。ですから、玄関先で立ちん坊というひゅるるな目には会いませんので(たぶん)、どうぞご安心ください。




≪3月30日≫

★ううっ!今自分のホームページを開いたら、ブレイブネットのカウンターがちょうど5000をヒットしてしまった・・・自分でキリ番ヒットしてもあんまり嬉しくないなぁ。でもま仕方ない。南山のカウンターの方がまだまだだから、こっちの5000キリ番に期待しましょう。カウンターの数がこんなに違うのは、同じ人からの同じ日の再アクセスに対して南山の方がカウント基準がきびしいからだと思う。ブレイブネットは確か最後のアクセスから2時間以上経過していれば、同じ人でもまたカウントされるのである。だから、南山のカウンターの方がより正確なアクセス数なんだろうな。 それにしても、5000とはけっこうな数だなあ。ホームページを開設したのが2002年9月9日、カウンターを付けたのが9月18日のことだったから、だいたい7ヶ月で5000アクセスに達したということになる。これは毎日見にきてくださっているみなさまのおかげです。がんばって少しずつでも書き続けたいと思いますので、これからもどうぞよろしくお願い致します。

★ザビエルハウスの皆が帰ってきた。2ヶ月間のホームステイ、とても長く感じた人もいるのかな(私には短かすぎるくらいだったが・・・)。4月1日から気持ちも新たに新学年度が始まる。だがこの4月1日、ザビエルハウスはものすごくゴタゴタした忙しい一日になりそうである。というのも・・・

(1)まず第一に、今年から新しくザビエルハウスの台所を担当してくださることになった方が、この日に初仕事なのである。前任者の方にも来てもらっていろいろとやり方の説明や引継ぎをしていただく予定。どうぞよろしくお願いします。(2)とはいうものの、実はこの日には料理は出来ないのである。なぜなら台所の工事がまだ未完で、ガスコンロがまだないからである。ちょうどこの日にそれが取り付けられることになっている。だからこの日は、料理ではなく、台所の片付けや食材の仕入れをお願いすることになっている。野菜屋さんと肉屋さんにもご紹介しよう。(3)また、この日には台所と食堂の床や壁の仕上げも行われることになっている。ガスコンロを取り付ける人たちと床や壁の張替え工事をする人たちは、それぞれ別々に来る。(4)更に、ちょうどこの同じ日に、電話システムの取替え工事も行われる。これも別に人が来る。台所とは別の場所だから問題はないと思うが、玄関あたりはずいぶん混雑しそうである。(5)まだある。この日に車検のために車整備会社の人が車を取りに来ることになっているのだ。代車を置いていってくれるよう、お願いしてある。(6)こんなにたくさんのことが全部同じ日に行われるのは、ちょっと珍しい。ところが困ったことに、ちょうどこの日に限って、私は家に居ることができないのである。なぜかというと、熱田のセンチュリー・ホールで南山大学の入学式があるからである。指導司祭の一人として舞台に立つ仕事があり、リハーサルのために午前中から出かけなければならない。なんという見事な重なり具合だ・・。ザビエルハウスはかくもドタバタと新年度を開始することになるのであった・・・万事うまくいってほしいと思う。





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