2004年3月の雑記




≪3月1日≫

★ザビエルハウスの皆と一緒にまた温泉に行った。

蒲郡(がまごおり)にある三谷(みや)温泉。明山荘というホテルに泊まる。ここには昨年の春もお世話になった。海べりのホテルだけあって、魚を中心とした食事が楽しめる。仲居さんたちも感じが良い。


ホテルの窓から海が見える。外に出て階段を下りていけば5分で海岸に出る。三河湾の景色が美しい。この時期は人影も少ないため、思う存分、夕日に向かって走ったり、追いかけっこしたり、しんみり海に語りかけたりすることが出来る。青春したい人には特にオススメのスポットだ(ちょっと寒いけど)。


アウトレット・モールがある「ラグーナ蒲郡」へは車で5分。すぐそばだ。更には、「イチゴ狩り」もすぐ近くで出来る。私たちは温泉に泊まった翌朝、名古屋に帰る途中に、イチゴ狩りをしてきた。東名高速道路へ向かう道ぞいにある、「オレンジパーク」というところ。名前からして、本来は「みかん狩り」の場所なのだろうが、春は「イチゴ狩り」をやっている。新鮮なおいしいイチゴをお腹一杯食べられるなんて、もう至福。週末は込むので、あらかじめ電話で予約をしておくとよい。

 

ザビエルハウスの神学生たちは2月の初めから、2ヶ月間のホームステイに出ている。ちょうど真ん中くらいの時期になったので、それぞれの近況報告を兼ねて集まることにした。で、今年度の予算にまだ余裕があるので、ついでに温泉に出かけようということになったのである。小林さん姉妹が案内係として一緒に参加してくれた。久しぶりに賑やかに飲食し、楽しかった。ホームステイについてはそれぞれいろいろと苦労があるようだが、元気そうなのでまあ大丈夫だろう。あと1ヶ月、頑張ってほしい。



≪3月4日≫

★突然だが、4月からロゴスセンターに転任することになった。ロゴスセンターとは、南山大学名古屋キャンパス内にある、学生センターのようなものである。どういう仕事があるのかまだよく分からないが、なんだか面倒くさそうだなー。できればザビエルハウスで神学生たちと、あと10年ばかりは楽しく暮らしていたかったのだが・・・ま、しかし、やりがいのある仕事には違いない。たいしたことはできそうにないが、自分なりに精一杯がんばってやらせていただくことにしよう。

ザビエルハウスには4月から新院長として、インドネシア出身のブルーノ神父さんがいらっしゃることになっている。ブルーノさんとは神学生時代から親しい仲だ。新任のブルーノ院長さんを、皆さんどうぞよろしくね。私もときどき遊びに寄らせていただこうと思う。

さて、そういうことで、部屋を引っ越さなければならなくなった。今回はいっせいに何人かが移動しなければならないみたいである。たとえば、ザビエルハウスの私の部屋にはブルーノさんが入り、神学院のブルーノさんの部屋にはムンカダさんが入る。そして、ムンカダさんの部屋にはフィリップさんが入ることになっている。まるでコマ動かしパズルのような状況である。誰かがまず部屋を空けなければ、誰も動き出せない。(ところで、あのパズル、正式には何と言うのでしょう。どなたかご存知?)。

そこで、とりあえずまずは私が出ることにした。と言ってもまだロゴスに移動するわけではなくて、3階の客室に移動することにしたのである。とにかく2階の院長室を空けることが目的だ。3日ほどかかって先日、移動は完了した。今私は、自分の家の客人になっている。住み心地は、けっこう良い。荷物は倉庫に一時保管してある。部屋には必要最小限のものだけしか置いていない。が、しかし特に不自由は感じない。ううむ・・・ひょっとしたら、今倉庫に保管してあるものは、本当は無くてもぜんぜんかまわないものなのかも知れないなー。(あでも、夏服だけは必要だな、たぶん)。



≪3月8日≫

★昨日7日に、名古屋レインボーホールにて、南山大学卒業式が行われた。今回の卒業式はいろんな意味で特別であった。まずこんなに巨大なホールで卒業式をすることは、南山大学始まって以来のことである。あまりにもデカイため、音響を考えて特別な合唱団が編成されたほどである。また、今回のこの卒業式から、4年前に南山瀬戸キャンパスに新設された2つの学部からの卒業生が加わった。


すごい数の人だった。卒業生や教職員が1階に着席し、2階に卒業生の親族の方など来賓の方々が着席している。レインボーホールはあまりにも広すぎるのではないかと懸念していたが、これだけの人が集まるなら、ちょうどよい大きさかも知れないと思った。


式典中の音楽を演奏をしてくれたのは、南山大学管弦楽団と、南山スコラ・カントールム、女性コーラス、メイルクワイヤー、女性コーラスOG、メイルクワイヤーOBの皆さんによって編成された特別合唱団である。「南山大学祝典合唱団」とでも呼んだらよいだろうか。気迫のこもった演奏でした。



≪3月10日≫

★先日名古屋のグルメの店の案内書を買ってきた。それによると、南山の近場にもおいしいと評判の店がいろいろあるようだ。これまではそういうのを見ても、ただ「ふぅ〜ん」と思うだけだった。しかし家に食事がない今、どうせ外食するのなら、そういうおいしい店で食べてみようという気になったのだ。懇親会や打ち上げを計画するときの下見にもなって一石二鳥だし、せっかくおいしい店が近くにあるのに、みすみす見逃したままでは損というものである。

そこで、アシスタントと共に、わらじのように巨大なトンカツで有名な洋食店(クラブ亭)に行ってみた。すごく感じがよい古風な店だった。いいねえこういう雰囲気。席に着くと、おしとやかで上品なウェイトレスさんがメニューを持ってきてくれた。見ると・・・


いや・・・な〜に、どうということはないのだが、ドリンクメニューの2番目にご注目あれ。


ひ〜〜。 
このメニュー、けっこう古びているのです。有名な店なんだから常連さんもたくさんいるだろうに、誰も指摘しないのでしょうか。あるいはひょっとして、これで正しいのか・・・。

さすが創業大正2年の老舗です。いやぁ。メニューひとつにも風格が感じられますな〜(うそ)。肝心のトンカツの写真を撮るのを忘れてしまったほどのインパクトでした。

私こういう店が大好きです。(実際トンカツは本当に大きくておいしかったです)。



≪3月14日≫

★今日はちょっとこの写真を見ていただこう。


半纏(はんてん)をはおり、火鉢(ひばち)を抱えて、本を読みながらお餅を焼いているこの女性は、みなさんご存知の宮沢りえさんである。1992年、まだ19歳の頃の宮沢りえさんだ。どうして1992年だと分かるのかというと、この写真の裏に1992年のカレンダーが印刷されているからである。その年の春に本屋で新潮文庫を買うとおまけについてきたカードである。

1992年と言えば、私が哲学の学位を修得するべしとの使命を受けて、米国の首都ワシントンDCで勉強に励んでいた時である。それは私にとって2回目の渡米であった。しかし1度目は単なる語学研修だった(しかも英語の勉強さぼってオルガンばかり弾いてたし)ので、マジメな勉強のために出かけたのは、これが初めてのことであった。

2度目の渡米は、「学位をとらずして祖国に帰って来ることはまかりならぬ」という厳格なる命を受けた留学であった。私はそれこそ決死の覚悟で出かけたのである。しかし英語もたいして出来ない上に、コツコツ勉強するよりはむしろダラダラ遊ぶ方が性に合う私にとって、この使命はかなり重たかった。

そんな私に、ある日何を思ったか突然日本の友人が、この宮沢りえさんが写ったカレンダー・カードを送ってくれたのである(手紙にこのカードが挟んであった)。当時私は別に宮沢りえさんのファンではなく、友人の真意を測りかねたが、何だかほっとする雰囲気のある写真だったので気に入り、部屋のドアに貼っておいた。

廊下を通る人はみんなこの写真を興味深くながめ、私に、「この丸い物体はいったい何だ?」 「この白いものは何だ?」 「食えるのか?」 「この少女は誰なんだ?」 などと、次々と質問を浴びせた。私が、「これはリエ・ミヤザワという日本のスーパーアイドルである」と答えたら、当時の日本の総理大臣は宮沢喜一氏だったものだから、「ではこれは総理大臣の孫娘か?」という質問が返って来たりもした。

その後私はなんとか哲学の修士課程を修了できた。宮沢りえさんの写真はその間ずっとドアに貼られていた。貼ってあることを私は忘れてしまっていたが、日本に一時帰国する時に気づき、ドアからはがした。普通はそこで捨ててしまうのだろうが、私はなんだか妙にこの写真に愛着を感じたので、学業をとりあえず一段落させることができた記念に、この写真を大事に日本に持って帰って、自分の部屋のドアにまた貼った。そして1年して今度は博士課程のためにまた米国に戻ったが、再び私はこの写真をドアに貼ることにした。「また今度も頑張るぞ」という気持ちを起こすためである。

数年が経ち、私はどうにか無事に学業を終えることが出来、帰国してザビエルハウスに住むようになったのだが、私はまたしてもこの写真を大事に持ち帰り、またドアに貼った。ここまで執着する理由は自分でもよく分からないが、ただ、この写真があると、妙に落ち着く気がしたのである。

今回ザビエルハウスからロゴスセンターに引っ越すにあたり、この写真のカードは一旦ドアからはがされ、とりあえず私の研究室に移されたが、今度はドアではなく、小さな額に入れて棚に飾ることにした。単なる文庫本の無料のおまけカレンダーが、ここまで大事にされることは珍しいのではなかろうか。最初はどうでもよかった写真だが、今では大切なものに感じられる。これはいわば私と勉学の苦労を共にしてきた写真だからである。そして私は今では宮沢りえさんのファンである。この写真のせいで、宮沢りえさんが何だか昔からの知り合いであるかのようにすら感じられたりもするのだ。



≪3月20日≫

★今日は朝からひとりでザビエルハウス全館の掃除をした。ザビエルハウスは4階建てで、部屋は個室が12、仕事用の部屋が6、各階にトイレと倉庫、1階に食堂、テレビ室、台所などがある。ひとりで掃除すると、けっこう時間がかかるのだが、なにぶんにも、現在神学生たちはホームステイに出ており、副院長のムンカダさんも旅行に出てしまっているため、私しか掃除する人がいないのである。

掃除をしていて思い出した。2000年の春に私が初めてザビエルハウスに来た時も、そうだったのだ。私は5月の下旬に帰国してザビエルハウスに住みだしたのだが、6月になると神学生たちはみんな司牧実習で教会に出てしまい、ムンカダさんもフィリピンに行ってしまい、私ひとりだけになってしまった。新メンバーが来るのは8月。つまり2ヶ月ばかり私はひとりで留守番をしたのである。

その時のザビエルハウスは(言っちゃ悪いが)見るも無残なほどに荒れていて、ゴミだらけだった。私はとにかくゴミを処理してきれいな住みかにしようと、ひとりで掃除を始めた。その年はたまたま1年次生がおらず、ムンカダさんの部屋以外はすべて空室だったので、一番上の4階から一部屋一部屋順番にやっていった。汚れがひどい所が多く、だいたい1週間かかってやっと掃除は終了した。掃除の後はベッドメーキングやタオルなどの配備である。まるで旅館の従業員のようだった。しかしまあまあキレイになった部屋や廊下をながめて(古くて壊れた部分はキレイにならないが仕方がない)私は心安らいだ。「ここが自分の家だ」という実感も湧いてきた。

☆私はこのように掃除好きである。部屋は片付いていなければ気がすまない。しかしながら、これは昔からなのではない。大学生の頃、神学院の私の部屋は相当汚かった。まず万年床だったし、読みもしない古本が床の周りに山積みにされていて、非常にカビ臭く、埃っぽかった。掃除するのなんて面倒くさくて大嫌いであった。

ところがある時、その頃神学院においでになった岡崎才蔵(おかざき・さいぞう)神父様が、私にこうおっしゃったのである。

「まあだまされたと思って、毎日掃除してみなさいよ」

岡崎先生の部屋はいつもピカピカに掃除され、整理整頓されていて、とてもキレイだった。私はすぐには先生のお言葉に従わなかったが、この言葉はよく覚えていた。そしてある時、だまされたと思って試しに部屋を毎日掃除してみたのである。第1日目はとてもつらかった。これはまあ当たり前であろう、一番汚れているのだから。しかし2日目以降の掃除はたいへん楽であった。ちっとも汚れてないからだ。そして前の日に気づかなかった部分が掃除されて更にキレイになってゆく。キレイな状態が持続するからいつも気持ちが良い。なるほどそうか!私はここで、恐らく岡崎先生が教えようとされたと思われる次のことを、身をもって学んだのである。

「汚れたからキレイにする」ことが掃除なのではない、「キレイな状態を保つ」ことこそが、ある意味本当の掃除なのだ。

岡崎先生は無口なタイプの方だが、時折非常に核心を突いた、いつまでも心に残る言葉をおっしゃられる。上の言葉もそのひとつである。この言葉に教えられて、私は掃除好き人間に転向した。今こうしてザビエルハウスの掃除にはげむことができるのも、言わば岡崎先生のおかげである。ご本人もそんな事を言われたことは忘れておられるであろうが、今更ながら・・・岡崎先生どうもありがとうございました。(先生がこのページをご覧になるとはとても思えないが)。


★話は前後するが、18日(木)に、南山大学瀬戸キャンパスに新築された数理情報棟(G棟とH棟)の竣工式があった。竣工式における祝別式の司式は不肖わたくし。本来なら典礼の専門家である西脇純神父が司式を担当するところなのだが、あいにく彼が海外に出張中のため、私が代役を務めさせていただいたのである。



これが新築の校舎。地形を巧みに利用した機能美あふれる建築であるように見受けられた。瀬戸キャンパスはどんどん充実し、発展してきている。これからますます楽しみだ。



≪3月22日≫

★来月開催される予定のキリスト教学科新入生オリエンテーション合宿の準備をそろそろ始めようと、昨年の記録を調べてみた。そしたら、クーラーボックスを手に入れる必要があることに気づいた。クーラーボックスとは、キャンプや野外パーティーで使う、冷たいものを入れておく携帯冷蔵庫のようなものだ。昨年の合宿ではザビエルハウスの備品を使わせてもらったのだが、今年は私が別のところに移るため、そう勝手に使わせてもらうわけにはいかない。そこで、この機会に自分で買っておくことにした。南スコ合唱団との合宿など他にも使うチャンスがあるだろうし。

で、行きつけのホームセンター、ハイエースに行ってみたところ・・・


こんなのがセールで出ていた。なんとキティーちゃんである。それも極めてかわいいピンク色。どうせ小学生用のおもちゃだろうと思ったら、意外にも製作者はちゃんとしたキャンプ用品会社の「キャプテン・スタッグ」)。18リットルの大きめサイズ。2リットルのペットボトルが2本と1.5リットルのペットボトルが4本同時に入る。しかもトレーやら水筒やらコップやら保冷剤やらが中にセットで付いているのだ。これでたったの1,500円。安か〜!

そこでさっそく2つ購入。いやぁー良いお買い物ができました。さすがハイエース。しかしながら、これちょっと私が持つにはあまりにも可愛らし過ぎるかもなあ・・・。



≪3月24日≫

★先日(20日)の雑記に、私の部屋が学生の頃に汚かったということを書いた。それに関連しているのだが、その頃何度か見た今でも忘れられない悪夢がひとつある。

夢の中で私は、古い畳に敷かれた薄汚れた万年床の布団の上で寝返りを打ち続けているのだ。夏の夜。眠りたいのだがどうしても眠れない。部屋は非常にじめじめとしていて蒸し暑い。なんて寝苦しい夜だ。ふと私は、敷布団の下がボコボコしているのに気づく。何か丸い小さなものがたくさん下にあるようで、布団が隆起している。妙に柔らかくて気持ちが悪い。「寝れないのはきっとこのせいだ」。そう思った私はその正体を見ようと、布団をバァッとめくる。すると、おお、なんと!キノコが!テニスボールくらいの大きさのキノコが無数にそこには生えているのだ。これはたまらんと、私は手でそれらのキノコを懸命になぎ払う。ところが、なぎ払われた床からすぐに別のキノコがニュ〜ッと生えてくるではないか。更に、なぎ払われて部屋の隅に飛んでいったキノコがそこで繁殖してキノコの群れとなる。ほどなくして私の部屋はすべてキノコで覆われ尽くされ・・・

ぎゃぁ〜!恐い〜!

こういうおぞましい夢は、ありがたいことに今はもう見ない。ところで私のこの夢は恐らく、当時読んだ松本零士氏の『男おいどん』というマンガのイメージがもとになっているのではないかと思う。知っている人は少ないかも知れないが、こんな感じのマンガである・・・


松本零士さんと言えば『銀河鉄道999』とか『宇宙戦艦ヤマト』などのSF作品が有名だが、この『男おいどん』はSFではない。大山昇太という、志しも誇りも人一倍高いのだが、何をやっても上手くいかない九州出身の苦学生の、東京での極貧生活を描いたもの。どうやらモデルは松本零士さんご本人であるらしい。あきれるほど貧しいこの青年の下宿部屋には、汚れたサルマタ(男性用パンツ)の山の他はほとんど何もないのだが、このサルマタには世にも珍しい「サルマタケ」が繁殖するのだ。(ちなみにこのサルマタケは食用である・・・しかもけっこう旨いらしい)。

このサルマタケの強烈なイメージが、私の脳裏に刻み付けられたに違いない。この作品には、主人公が住む下宿のおばあさんやラーメン屋のおやじなど、人情味あふれる人々が織り成す独特の世界が描かれている。私は好きだ。この『男おいどん』が書かれたのは昭和47−48年(1972−73年)である。私がまだ中学生だった頃。その頃はたしかに貧しい苦学生が今よりは多かったと思うが、しかしこのマンガは当時の平均的な若者の姿を描いたものなのではない。作品に登場する他の若者たちを見れば分かるのだが、主人公の大山昇太だけが人並み外れて貧しいのである。そして人並み外れて不器用である。世間的な立身出世の道からは大きく外れた人物なのだ。しかしそんな逆境の中、彼は真っ直ぐな心で懸命に生きてゆこうとする。そんな彼の姿は、人間には結局いったい何が本当に必要なのかを読者に問いかける。これは現在のこの豊かな時代に生きる私たちこそが考えるべき、大切な事柄なのではないだろうか。


★さて話は変わるが、こないだタイ出張から帰国したぢぇいふぉん氏からのお土産のお菓子が、キリスト教学科合研においてあった。


その名も、Amazing Thai Snacks (驚きのタイ・スナック)。「驚きの」とは、何かオドロク仕掛けがほどこされているという意味ではなく、「オドロクほど旨い味の」という意味だろうと思う。4種類のお菓子がセットになっている。おやぁ、箱の裏に日本語で解説が書かれているぞ。


この4種のお菓子はそれぞれ、コンケン、パンクリップ、ポピャ、カウタンと言うらしい。しかし、この解説はなかなかすごい。

「香辛料濃い味及び特殊な味の一つのおいしいメニューである」

ふぅむ。こういう風に言われるとかえって、本当においしいのかどうか疑ってしまうではないか。

「もし貴方が一度味わえば、今まで味わった普通のお菓子とは違い、更に印象に残るおやつであることがわかる」

どうやら一度食べたら忘れられないほど<特殊な>味がするようである。

「これで貴方は(・・中略・・)、タイの昔宮廷料理人レベルのメニューを想像することができる」

おおお。それはすばらしい・・・でも見た目は、限りなく普通の駄菓子なのですが。ではちょっと食べさせていただきましょう。

ほほう・・・

これは・・・

う・・・



とぉっても、おいし〜〜ぃ!(オドロキの味〜!)
(うそっぽいけど)

というわけで、ぢぇいふぉん氏、おみやげをほんとにどうもありがとう。



≪3月29日≫

★私のザビエルハウスでの日々も残り少なくなってきた。こないだ26日に、現在ホームステイ中のうちの住人たちを臨時召集し、4月からの新院長であるブルーノ神父様をお招きして、「ブルーノ新院長様大歓迎兼お久しぶり会」を開催した。

この日はいつものザビエラーに加え、4月から1年間ザビエルハウスでガーナ派遣の準備を整えることになった、みえだ君や、我々が「女子高生グループ」と呼んでいる、インドネシアの超明るくてかわいい留学生の人たち(本当はもちろん大学生)も参加してくれて、大いに盛り上がった。いいなぁー、やっぱ、ザビエルハウスは。ブルーノさん、後をよろしね〜!



★さて、話しは突然にして全然変わるが、私はどうやらゆゆしき病におかされているらしい(突然過ぎるか)。いや、何というか、私が毎晩やっているらしい大イビキは、実は大いなる「」だったようなのだ。

睡眠時無呼吸症候群 (すいみんじ・むこきゅう・しょうこうぐん)

というのがその病の呼び名らしい。なんだ、ただのイビキじゃんって思ったら大間違い、これがナント、「死にいたることもある」恐ろしいモノらしいのだ。健康オタクの一人の友人にそれを指摘され、脅され、私も少し怖くなってきたので、この病気についてちょっとインターネットで調べてみた。すると・・・おおおー。出てきた出てきた〜。うひゃあ。こりゃぁまたなかなか・・・。

睡眠時無呼吸症候群とは、侮るなかれ、かなりコワイものらしい。して、その治療法は主に次の3種らしいのだ。(1)手術で切り裂いて気道を広げる。(2)特製マウスピースを作って強制的に気道を開ける。(3)特殊な機械を用いて気道に空気を送り込む。

う〜ん。どれもこれもあまりありがたくない感じがする。とりわけ、第3のものとはこれである。

(日本医科大学第4内科)参照

ひ〜〜!
ここまでやりたくないよ〜。(これじゃあ、まるで危篤状態ではないか・・・)。

かなりビビった私は、インターネットで名古屋市内の診療所を探して、診察を受けに行ってみた。そして、4月1日に検査のために入院をすることになった。入院というと大げさに聞こえるが、ただ単に一晩寝てくるだけである。なにぶんにもイビキなので、実際に寝てる時に検査する必要があるとのこと。それにしても入院かぁ・・・まだ私は入院というものを経験したことがないのだ。さてどうなりますことか。



≪3月31日≫

★居酒屋「えっちゃん」が今話題になっている(らしい)。

昨日「えっちゃん」に、なんとCBC(中部日本放送)ラジオのレポーターが取材に来るという知らせを受け、いそいそと出かけていった。すると・・・


おやぁ、なにやら怪しげな車がえっちゃんのそばに。


おお〜っ、これはまさしくCBCラジオの取材車!なんとまあハデな・・・(地球防衛軍か何かのパトロールカーみたいぢゃないか)。

店の中に入ると、もうレポーターの方がいらしていて、お客さんたちと放送の打ち合わせをしていらっしゃった。えっちゃんのママのお誘いを受けてこの日、選抜お客様部隊として集まったのは、日頃からえっちゃんにお世話になっている「南スコ」(南山スコラ・カントールム合唱団)と「なごすい」(名古屋大学吹奏楽団)のメンバーたち。

CBCラジオで月曜〜金曜の午後4時から放送されている「小堀勝啓の心にブギウギ」という番組の中で、居酒屋えっちゃんが約5分間の生中継で紹介されるという企画であった。約1時間ほど前から、放送に向けていろいろと準備をした。さすがプロの方々は手際がよい。この日のレポートはCBCのホームページに掲載される予定だそうなので、どうか「おやじの食卓カレンダー」(2004年3月30日の記事)をチェックしてみてください。


レポーターとしていらっしゃったのは、CBCの「レポートドライバー」の一人、麻生知沙(あそう・ちさ)さんである。もうひとりアシスタント役でこれもレポートドライバーの一人である塩屋江里子(しおや・えりこ)さんもいらしていた。お二人ともステキな美人で、しかもとても礼儀正しくて感じの良い方々だった。たいへん明るく楽しい雰囲気で放送は完了した。我々はみんなこのレポーターのお二人のファンになってしまった。

さて、この放送を聞いて「えっちゃん」に興味を持って訪れる人たちが何人くらいいるのかなあ。これがえっちゃん繁栄につながれば嬉しいのだが。でもあんまり繁盛しすぎて、席が取れなくなっても困るなぁ。






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