2005年1月の雑記



≪1月1日≫

みなさま、あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。



2005年元旦の今日は、寒かったけど、とっても良いお天気でしたね。
お正月に相応しい、清々しい一日でした。

上の写真は、第一研究棟6階の窓から南山大学(名古屋キャンパス)のグラウンドを撮ったもの。グラウンドの向こうには名古屋駅のツインタワーも見えている。いつもは必ず体育系クラブの誰かが練習しているのだが、さすがに今日はその姿はないようだ。さっき見たら子どもたちが凧あげをしていた。

今年も地道にやって行きましょ。



≪1月9日≫

★南山大学は、ちょうど今、卒業論文提出締め切りの時期である。4年次生が卒業をかけて、必死に論文を完成させているところだ。締切日は学部学科によって、1月11日か20日か31日かに分けられている。私が所属する人文学部の締め切りは、20日である。4年生で、ひょっとして、卒論提出に関する重要事項をまだ見ていない人は、直ちに「ここ」を見ること

私が南山の学生だった時、卒論提出の締め切りは1月10日であった。午後4時半まで。4時半になると、教務課の窓がピシャリと閉められる。いかなる事情があろうと、この日時までに提出できないと、論文は決して受け取ってもらえず、留年が確定となった。この厳しさは、南山の伝統として今も続いているようだ。次のような厳格な注意が、副学長から出されている。(オリジナルは→こちら

南山大学には、卒業論文の提出・受理手続について、「事情の如何を問わず、提出期限に遅れた卒業論文は受け付けない」という、開学以来ほぼ50年にわたって遵守されてきた規則があります。(中略)・・・教務課窓口で受理されなかった学生はその時点で卒業不可となります。

ひ〜。

4年生のみなさん、ぜひ頑張ってくださいね。


ちなみに、私の時代、卒論はまだ手書きであった。


今でも実は大切に持っている、大学の卒業論文。指導教官は、現在学長のH.J.マルクス先生だった。「文学部神学科」は、今の「人文学部キリスト教学科」にあたる。


「南山大学卒業論文用紙」という、南山独自の400字あるいは800字詰めの原稿用紙に、黒いインクで書かなければならなかった。私の卒論は全部で104頁(800字用紙に52枚)だった。書き足しや切り貼りを繰り返してようやく出来上がった下書きを、最後に正式な用紙に清書するのだが、その清書だけで、3日ほどもかかった。

たいした内容の論文ではないが、書くのは非常に苦労した。クリスマスもお正月もあったものではなかった。自分の部屋ではどうも気が散るので、私は、締め切りの1ヶ月ほど前から、神学院3階の奥にある図書館内に立てこもり、寒いので毛布にくるまりながら、最後の詰めをした。苦しかったが、そのかわり、なんとか出来上がった時には、なんとも言えぬ達成感があった。

1月10日の4時近くに、私は教務課に卒論を提出しに行った。その当時、教務課は、本部棟の1階、現在入試課がある場所にあった。正門のすぐそばだ。締め切りに遅れてはたいへんと、息を切らして走り込んできた人たちが何人かいた。驚いたことに、ある人は教務課の窓口の下の床に這いつくばって、そこでなおも卒論を書き続けていた。最後の一秒まで頑張るつもりだったのだろう。なにしろ卒業と就職がかかっているのだから、事は深刻なのだ。

私の後輩のある人は、締切日の3日くらい前になっても、論文が半分も書けないでいた。風邪をひいて熱を出し、意識が朦朧となっていたのだ。これはもうダメかと思われたが、彼の友人たちが、見るに見かねて、徹夜で彼を手伝ってあげたのである。下書きや、本人の説明をもとに、数名が順番に論文を書きついで行った。そして、どうにか締め切りギリギリに論文は完成し、滑り込みで提出できたのであった。指導教官の先生は、数頁ごとに筆跡の違う卒論を見て、さぞかし驚かれたことであろう。しかし事情を聞き、友人たちの友情に免じて、許してくださったらしい。

今年卒論を提出する人たちにも、いろいろなドラマがあるのだろうなあと思う。後にきっと良い思い出になりますから、ここはひとつ、ベストを尽くしてやり遂げてください。





≪1月20日≫


★今日は、人文学部の卒論の締め切り日であった。大学での勉強の総決算とも言うべき論文。書き終えたみなさん、どうもお疲れさま。しかし、喜ぶのも束の間、明日からは学期末試験が始まる。人によっては、卒業をかけた背水の陣。どうか無事にクリアしてください。

★年賀はがきのお年玉くじで、4等の「お年玉切手シート」が1枚当たった。一番低い当り賞品だが、当たるとやはり嬉しい。ところで、このお年玉切手シートはいつ頃から始まったのだろう?

ちょっと調べてみたところ、このお年玉切手シートが最初に発行されたのは、昭和25年(1950年)らしい。トラ年だったので、切手の図柄は、円山応挙作の「龍虎の図」だった。この記念すべき第一号お年玉切手シート、現在の取引価格は、なんと4万円である(ここをご覧あれ)。物は大事にとっておくものですなあ。




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