2003年1月の雑記



★あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。

湯の島館の玄関 湯泉を村人に教えた鷺の伝説がある

★年の暮れにザビエルハウスの住人+西脇氏で行った下呂温泉はとてもよかった。泊まった宿屋は、下呂の老舗「湯の島館」である。ザビエルハウスでは毎年年末に、東京あるいは長崎の教会に1週間ほど研修に行くことになっているのだが、今回は事情あって行けなくなったので、その予算を使って温泉に行くことにしたのである。せっかくなので日本らしい情緒のある宿にしようということで、この「湯の島館」が選ばれた。実に良いところだった。

ここは下呂で最も格調高い宿のひとつらしい。有名人もたくさん訪れている。(中に写真がたくさん貼ってあった)。建物は、上の写真に見られるように、木立の中に建てられた風流な日本家屋だ。だが、写真に写っているのは本館の一部だけである。この後方左右に建て増された別館・新館・その他がこれでもかと言うほど、複雑に建ちならんでいる。建物はバラバラではなく渡り廊下などによってつながっている。だから宿全体はすごい大きさである。

私たちの部屋は「景山荘」という名の新館の9階であった。2つの日本間に、4人と5人に分かれて寝た。温泉の風呂が各部屋に備わっているが、私たちは皆、共同の大浴場に行った。大浴場は本館の2階にあり、私たちはそこまでエレベーターを乗り継ぎ、くねくねとした廊下をずいぶん長く歩いていかなければならなかったが、途中に風情のある中庭や街の景色を見ることができるので、そう悪くはない。お風呂は男湯と女湯に分かれていて、それぞれに内風呂と露天風呂がある。男湯と女湯は朝と夜とでスイッチする。私たちはどちらの風呂もたっぷりと楽しんだ。まことに心落ち着く風呂であった。夕食と朝食の料理も非常においしく、従業員の皆さんも礼儀正しくて気持ちがよい。私たちの部屋の担当はナミちゃんという人であった。名前から、若い娘さんを想像するだろうと思うが、年季の入ったおばさんである。とても親切にしてくださった。

湯の島館のすばらしい点は、大自然の厳かさがとても大切にされているということである。古い木立と空を見上げながら露天の湯にのんびりと浸かっていると、ああ私たち人間は大自然の恵みによって生かされているのだなぁ、ありがたいなぁという気持ちになる。そして、科学万能主義とか物質主義とかいったものが、非常に浅はかな考えであるように思えてくる。私たちは大自然にもっと感謝の心を持つべきである。日本人はもともと、そういうことを大切にしてきたはずではなかったか。都会の生活リズムに飲み込まれて、本当に大切なものを忘れてしまってはいけない。ザビエルハウスの人たちに、こういう本当に日本らしいところを見てもらえて、よかったと思う。

★1月6日まで料理を作ってくれる人がお休みなので、住人で当番を組んで自炊をすることになった。元旦の今日の当番は私である。お正月なんだから、お雑煮なんか良いね〜と思ったが、考えてみたら私は作り方を知らないのだ。そこで、無難なところで、カレーにした。お正月からカレーってのも変だが、そもそも私のレパートリーは、カレーかシチューかの2つしかないのである。ただ、お正月らしいものもちょっとは取り入れたいと思い、モチナを入れてみた。だが、モチナが入る程度では普通のカレーと何ら変わりはない。また、お餅もいくつか焼いてみたが、カレーをかけて食べれば、やはりただのカレーである。普通すぎてつまらないので、「増えるワカメちゃん」を大量にどどどっと投入したい衝動にかられた・・・が、止めといてよかったと思う。そういうわけで、ごく普通のチキン・カレーが出来上がった。しかし、ちょっと量が多すぎたらしく、たくさん残ってしまった。(味は決して悪くないはずだ・・・たぶん)。お昼ごはんのために作ったのだけど・・・仕方ないなぁ、じゃ夕食もこれを食べてもらおう。(1月1日)



今年のお正月はオルガンの練習に明け暮れた。松坂での演奏会が間近に(1月13日)迫っているのだ。年末は何かと行事があって忙しく、あまり練習時間が持てなかったので、お正月のこの4日間は何も予定を入れず、ひたすら地味に練習に励むことにしたのだ。よ〜し神学院の聖堂に毎日こもって練習だ〜!と意気込んだ。ところが、あの聖堂の寒さはハンパではなかった。1時間ばかり弾いていると、指がかじかんで動かなくなり、身体もまるでアイスキャンデーのように冷え切ってガタガタ震えてきた。これではとても練習にならない。さすがの私もギブアップした。神学生の頃は神学院に自分の部屋があったので、冷えた身体を温めなおしてからまた弾きに行けたのだが、今は外からなので、そうもいかないのである。聖堂カンズメ練習計画はあえなく挫折した。やむなく、ザビエルハウスの自分の部屋にあるKORGのキーボードを使って練習している。昨年の3月頃、みどり楽器で在庫処分か何かで驚くほど安く売られていたのを衝動買いしたもの。このキーボードはピアノ風のタッチなのでオルガンとはだいぶ感じが異なるが、まあ仕方ない。・・・それにしても、この曲(モーツァルトのレクイエム)は難しいなあ。最初に楽譜を見たときにはけっこう簡単そうだと思ったのだが、練習しているうちにだんだん難しさが分かってきた。かなり不安な気持ち・・・がんばらなくては。(1月4日)



昨年の秋ごろから、ザビエルハウスには奇妙な訪問者が出没するようになった。といっても家の中に入ってくるわけではない。入口へ昇る階段の下にある自転車置き場に来て物を食べ、そのゴミを置いていくのである。たぶん近くにあるコンビニでパンとか弁当を買って、そこで食べていくのだろう。うちの住人のひとりが目撃したところによると、それはひとりの中学生くらいの女の子なのだそうである。彼の姿を見るやいなや、その子は食べていたおにぎりを放り出して、あわてて走り去ったらしい。別に逃げなくてもいいのに。うちは通りに面した家だし、コンビニに近いので、通りすがりにちょっと腰掛けておにぎりとかパンとか食べていっても、ちっともかまわない。ただ、自分のゴミは自分で捨てて欲しいものだ。この女の子はその後も時々うちの自転車置き場で食事をしているらしく、来訪の証明としてゴミが残されている。小さなゴミなので、片付けるのはさほどの苦労ではないが、ちょっと腹が立つ。「ゴミを捨てるな」と書いた紙を貼ろうかとも考えたが、ひとりの女の子のためにそんなことをするのもバカバカしいし、逆ギレされても困るので止めといた。それに、なんとなく、私はこの子のことが面白く思えてきたのである。

外は今けっこうな寒さである。この寒空の下、吹きさらしの淋しい自転車置き場で、どうしてこの子はわざわざ食事をするのだろう? 2・3人のグループでおしゃべりしながらというわけではなく、目撃者によれば、「ひとりで」なのである。しかも、そこで食べることにちょっと罪悪感を抱いているらしく、見つからないようにこっそりと食べているのだ。人の気配がするとあわてて逃げると見え、時々食べ物が食べかけのまま残されていたりする。そこまでして、なぜここで食べる? また、なぜ食べかすを残していく? というのも、食べかすは、きたなく散らかされてはおらず、割ときれいにまとめて置いてあるのだ。

私が思うに、たぶんこの自転車置き場は、この子にとってはお気に入りの空間なのだろう(何がよいのかは分からないが)。だから寒いのを我慢してでも、また見つからないようにビクビクしてでも、やはりここに来てしばらく時を過ごしたいのだ。そして、ゴミをわざわざ残していくことについてであるが、これは単に自分で片付けるのが面倒だからというだけではないように思える。この子は自分がその場所に居たことを、何らかの形で残しておきたいのではないだろうか。観光地のトイレに落書きをしていく人がいるが、それと似ている。私は初めに奇妙な訪問者と書いたが、この子はこの意味で、ザビエルハウスをわざわざ訪れているのである。ゴミさえ持ち帰ってくれれば、いつでもゆっくりしていっていいのに。そんなに気に入ってるなら、うちの住人たちとも友だちになったらいいのに。私も一度その子に会ってみたいものだ。たぶん声をかけてもさっさと逃げ去ってしまうだろうが・・・。(1月8日)



先日1月13日、「第八回三重県民文化祭」の一環として松坂市民文化会館で開かれたモーツァルトの「レクイエム」の演奏会は、まずまずの大成功であった。(「レクイエム」の他に「魔笛序曲」、「アヴェ・ヴェルム」、そしてブラームスの「ハイドン・バリエーション」も演奏された。詳しくはここ→2003年1月のコンサート)。伊勢管弦楽団の演奏や、「うたおに」、「EST」、「EPOCA」という3つの合唱団が一堂に会した合唱や独唱はたいへん素晴らしかった。1300人分の座席のあるホールの6割くらいが埋まっていたので、たぶん700人くらいの人が聴きに来てくださっていたと思われる。「まずまず」なんて言った理由は、単に私のオルガンがあまりぱっとしなかったというだけのことである。いろいろとミスが多くて、演奏会の後はしばし反省モードになってうなだれていた。しかし幸い、あの曲ではオルガンは隠し味的存在で、オーケストラの音に隠れてオルガンの音は観客にはほとんど聞こえないので、演奏全体には影響はなかったと思う。よかったよかった。名古屋からはるばる演奏を聴きにきてくださった南山関係の皆さん、どうもありがとうございました。(1月14日)



いまごろになって、せっせと年賀状を書いている。13日の松坂でのコンサートの準備などのために時間がなくて書けなかったのだ。なんとか年賀状のお年玉くじの抽せん日である19日までには出したいと思う。年賀状とクリスマスカードは毎年の悩みで、ちょうどいろいろな行事がこの時期にはあるので、書けないことが多い。だから実はしばらく前に年賀状とクリスマスカードは個人的に廃止したのである。ところが、こちらが書かなくても、こちらにカードを送ってくださる方々がいらっしゃるので、この方々には返事を書かなくてはならない。それで毎年このように間が抜けた時期に年賀状を書くことになるのである。もうすでに年が明けきってしまっているので、「あけましておめでとうございました」と過去形である。クリスマスカードへの返事はもっと困る。「メリークリスマスでした」といまごろ書くのも変だし、何か気のきいた言葉はないものかな。なにはともあれ、さ〜てと、次のカードを書くとするか。(1月15日)



やっとこさ年賀状を書き終わった。よかった・・19日の抽選に間に合って。年賀状の半分は昨日書いて出した。昨日学校からの帰りに、うちのそばにあるローソンに寄って、そこのポストに投函したのである。知っている人も多いと思うが、この1月からローソンには郵便ポストが設置されているのである。レジのカウンターに可愛らしい赤い小さなポストが付けられている。うん、これは便利だ。うちは郵便局や道端に置かれたポストが微妙に遠く感じられるところにあるため、このごく近場のローソンにポストがあるのはうれしい。しかも店の中をめぐると、あれまあ、ビールやお酒もまた新たに置かれるようになったようである。ローソンでは以前から宅急便も受付けているし、コピー機だってある。「コンビニエンス・ストア」とは「便利店」を意味すると思われるが、ほんとうにどんどん便利になるなぁ。

私はこのポスト設置に感動し、よ〜し、今日の雑記ではローソンを思いっきり褒めちぎろうと思っていた。・・・ところがである。今日年賀状を書き終わって、さっそくローソンに行ってみたら、ポストに張り紙がしてあって、「店内改装のため17日と18日はポストの使用ができません」というようなことが書かれている。え〜っ!それはないだろう。そりゃ店内改装もやる必要があるのだろうし、そしたら郵便局の回収をストップせざるを得なくなったりもするのであろう。そのことは分からんでもない。コンビニは確かに便利ではあるが、こういう弱点もあわせ持ってるわけだ。しかしねー、ローソンさん、そのポストはこの1月1日に新たに設置したばっかりでしょう。そしてホラこんなに便利になりましたよと世間の人にアピールしたばかりでしょう。なのに、その弱点を早速もう、わざわざ露呈してみせるのですか?(しかも年賀状のくじの抽選日直前に、ですぞ。あまり関係ないかも知れんけど)。よりによって私がごくたまに使おうとしたら、まるでそのタイミングを狙ったかのように、ちょうど使えなくなるなんて・・・。(1月17日)



今日と明日はセンター試験である。受験生のみなさん、がんばってください。南山大学もセンター試験の会場になっている。しかし私は今回は試験監督の当番にあたっていないため、フリーである。仕事がはかどるなあ。昨年は入試運営委員会のメンバーだったため、この時期はめちゃくちゃ忙しかったが、今年はなんだか申し訳ないくらいに楽である。今年度担当の皆さま、ごくろうさまです。陰ながら研究室で心より(お茶飲みながら)声援いたしております(すみません)。

 

 

昨夜は毎週金曜日恒例のソーシャル(共同休憩談話会)があった。どんな様子なのかは、上の写真をご覧くだされ。冬なのでコタツがある。半纏(はんてん)は各自がひとつ持っていて愛用しているようだ。近所の買い物はもちろんのこと、人によってはそれを着て学校にも行っているらしい・・・。昨夜は穴井君と稲垣君がゲストとして参加してくれた。この二人は音楽の天分に富み、ピアノやギターがとても上手である。たいへんすてきな演奏でした。(1月18日)



南山大学は今週と来週、定期試験期間である。2002年度秋セメスタの講義の試験が行われる。今日がその初日である。私は今回すべての講義を「レポート提出」にしたので試験はない。だが、他の先生の試験の監督のお手伝いの当番が回ってくる。必修の科目などは履修学生が何百人もいたりするので、講義は大きな教室を使って行われる。しかし試験はそう大きな教室ではできないので(たぶん主に不正行為防止のため)、50人くらいの比較的小さな教室にクラスを分割して行われる。そうすると、担当の先生だけでは試験監督の手が足りないので、お手伝いが必要となるのである。今日は「企業論」の試験監督のお手伝いをした。私が受け持った教室には45人の学生がいたが、その教室は10の分割クラスのひとつらしい。単純に10倍すると450人の受講者がいるということになる。すごい数だ。450人を相手に授業をするのはさぞかし大変だろうなあ。

ところで、日本の大学で一般に「レポート」と呼ばれているものについてだが、これは実は多くの場合、レポート(報告)ではなくて小論文のことである。どうして素直に論文と言わずにレポートなんて言うのだろう?論文と言うとちょっと偉そうだから、謙遜して、「私が分かるのはここまでですだ〜、これで許して〜」という報告を意味しているのだろうか。あるいは、「ほれこのようにちゃんと勉強しましたよ、見てね見てね」という報告なのだろうか。私が学生の頃からずっとこの呼び方がされているのだが、よく考えれば不可解な呼び方である。ちなみにこれは英語の言い方でもないようである。アメリカでは「ペーパー」と呼ばれていた。つまり「紙」である。こちらの方がもっと謙虚な表現かも知れない。しかし、単に「紙」はないだろう「紙」は・・と私は思った。芸が無さ過ぎるではないか。内容がどうであれ、それなりに苦労して書くんだから。ペーパーでもレポートでもない、もっと適切な呼び方はないものか。今どきは紙を使わず電子メールで送ることだってあるのだ。そろそろ別の呼び方が出てもよいのではないかと思う。誰か名案はないか?(1月20日)



本棚の整理をしていたら、昔のファイルが出てきた。開いてみたら、その中に若い頃アメリカでやったオルガン演奏会の記録が入っていた。いや〜こりゃ懐かしい、と同時に恥ずかしい。当時私は25歳。あの頃は怖いもの知らずだった・・・よくまあ臆面もなく演奏会なんかやったものである。

(1)1985年12月8日 アイオワ州エプワース
(2)1985年12月15日(午後2時) アイオワ州デビューク
(3)1985年12月15日(午後7時) ウィスコンシン州シンシナワ
(4)1986年3月2日 イリノイ州テクニー

と、まあ4回もやっている。何を弾いたかというと、すべてJ.S.バッハのオルガン曲である。

あの頃は元気だったなあ。弾かせてもらったパイプオルガンはどれもたいへん立派なものだったが、一番すごかったのはテクニーのオルガンだった。体育館のように天井が高くて広い聖堂の高い位置にパイプが設置されており、最強音で鳴らすと、その迫力にクラクラと目眩いがするほどだった。おだてられて勢いでやってしまった演奏会であったが、よい思い出である。私のような者に演奏の機会を与えてくださった方々に心から感謝しています。

ところで、この時の留学は1年間の交換留学(エプワースのDivine Word Collegeと名古屋の神言神学院の)であった。留学の本来の目的は、「語学(むろん英語)研修」である。それなのに私は、英語の勉強はそっちのけでオルガンばかり弾いていたのだった。だってエプワースの神学院の聖堂には立派なパイプオルガンがあって、当時は弾く人が誰もおらず、弾き放題だったのだ。名古屋の神学院の古いポンコツの電気オルガン(今のオルガンの前のもの・・もう存在しない)でバッハの練習をしてきた私にとって、毎日好きなだけ本物のパイプオルガンが弾けるというのは、夢のようにすばらしいことであった。

ついでながら、この留学でもうひとつ感激したのは、アメリカのビールの安さであった。日本ではビールはすごく高かった。アメリカでも有名な銘柄のビールは高かったが、無名のやつに、もう信じられないくらい安いのがあったのだ。なにしろ12缶入りのケースがたった4ドル弱である(約400円!)。しかも空缶に5セントのリファンドが付いていて、7ケース分の空缶を集めて酒屋に持っていくと、新しいビールが1ケースもらえるのである。味は・・・まあ良いはずもないが、こんな安いビールを飲まぬ手はなかろう。私はミーガン・ホールという神学院の別館で同居の神学生たちと一緒に、このビ−ルをさんざん飲みまくった。神学生の中に料理が上手な人がいて、簡単にささっとおいしいツマミを作ってくれたりもしてうれしかった。思い出すなあ。このように、私の25歳の時の初めてのアメリカ留学は、オルガンとビールに明け暮れる毎日なのであった。おかげで、ほとんど英語は上達しなかったが・・・(一体何だったんだろうか、この留学は)。(1月23日)




★もう1月も終わり近くなってきた。我が家ザビエルハウスの住人たちのほとんど(ムンカダさんと私以外のみんな)は、2月と3月にホームステイをすることになっている。2月1日に出かける人もいるので、皆がそろうのは今週が最後である。4月に戻ってくるまでしばらくお別れだ。もっとも、皆ほぼ毎日、南山大学の別科に通学してくるのだから、全然会えなくなるわけではないが。ムンカダさんと私にとってはこの2ヶ月は、それぞれが自分のペースで過ごす期間となる。2人しかいないので、食事もそれぞれで勝手に取ることにしている。ミサも同様だ。そうすると、お互いの生活リズムの違いがモロに出て、あまり互いに顔を合わさなくなる。ムンカダさんと私の部屋は同じ階の隣同士であるにもかかわらず、ローカなどでひょいと出会うと、「お久しぶりぃ〜」などと挨拶したりする・・・。 また、互いに相手が今どこにいるのか知らないので、緊急の連絡がある場合には携帯電話を使う。ところが、どこか遠くにいるのだろうと思って電話してみたら実は隣の部屋にいて、「はいもしもし」という答えが生声で聞こえてきたりすることもある。2人が出会う可能性が一番高い場所は、何を隠そう、トイレである。トイレの中には2つの個室があり、私は右の部屋を、ムンカダさんは左の部屋を使うことに決まっている。たまたま同じ時に入ると、それぞれの個室に座ったまま、「どうですかな、このごろは?」と声を掛け、場合によっては話し合いをしたりする。いろんな用が足せる便利な所である。(だけど、出てからゆっくり話したらよさそうなものだ、ともいつも思う)。

★ところで、ザビエルハウスの食事を長年作ってくださった石黒さんがこの1月に引退なさることになった。神言会のために20年以上も働いてくださったので、彼女のお世話になった人たちはたくさんいると思う。ザビエルハウスでは、ささやかではあるが1月31日に感謝を込めて送別会を開く予定である。ザビエルハウス出身者やその他関係者でこの送別会への参加を希望する方は、お知らせください。(1月25日)



南山大学の定期試験(秋セメスタ)がそろそろ終わる。日程表では明日までだが、明日は土曜日なので、ほとんどの人にとっては今日が最終日であろう。レポートの提出も基本的には試験期間終了日がしめきり日なので、今日の午後は提出者の群れが次から次へと合同研究室に押し寄せ、ちょっとした「レポート・ラッシュ」となる。今日私は法学部の先生の試験監督のお手伝いがひとつあった。試験監督はたいくつで苦手だ。「読書やいねむりは絶対にしないでください」と監督者マニュアルに書かれているので、しかたなくずっと立って教室内を見回している。歩き回るとよいのだろうが、多くの場合、席と席の間が狭い上にカバンなどが置いてあって、歩き回るのは至難の業なのである。50分間は試験を受けている人には短いであろうが、監督者には実に長く感じられるのである。ま、しかしこれで監督の仕事は無事完了した。あとは集まってくるレポートを読んで採点するだけである。もっとも入学試験の監督の仕事が来週もう始まるのであるが。

昨日から名古屋は非常な寒さである。昨夜は雪も少し降った。ほとんど積もらなかったのでほっとした。しかしこの寒さが続いて入試の時に積雪になったら困るなあ。南山を初め私立大学の入試は、毎年この寒い時期に行われる。受験生はたいへんである。実際、毎年風邪をひいて熱が出て気分が悪くなって保健室に運ばれる受験生が現れる。試験場から家が遠い人は来るだけでもけっこうな苦労だ。自分なりに悔いのない受験ができるように、受験生のみなさんは十分に健康に気を付けて、どうかがんばって欲しい。(1月30日)



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