2002年12月の雑記




気が付いたら、もう12月である。早いものだ。次の日曜日には我が合唱団、コールス・アンジェロールムの初舞台が南山教会である。吉田あやさんのアドヴェント・オルガン・コンサートへの賛助出演。吉田さんがコラール変奏曲をいくつか演奏するにあたり、その原曲のコラール(賛美歌)を合唱するという企画である。全部で10曲。チケットの売れ具合はすばらしく、満席間違いなしとのことである。みんな、がんばろーな!当日私はスタッフとして雑務一般を担当しつつ応援します。



パラグアイからやって来た2人の神学生(神父のたまご)、テオとファビオが、このほど3年間のOTP(海外研修プログラム)を修了して、祖国に帰ることになった。この2人はパラグアイ管区が日本に派遣した神言会史上最初の神学生である。日本での評判は非常によろしく、多くの人が2人にこのまま日本に留まって欲しいと願ったが、祖国でやるべき事柄も多々あり、ひとまずはパラグアイに帰国することになった。数年後、神父に叙階されてから、また日本に戻ってきてくれるとうれしい。前にもどこかに書いたが、彼らは人柄も優れているが、何といってもBBQ(バーベキュー)の腕前が優れていて、ザビエルハウスはもとより、各地で絶賛をあびている。2人のBBQが食べれなくなるのも残念だ。(ぜひまた帰ってきてね)。2人がパラグアイに飛ぶのは今月10日(火曜日)の午後。神学院では9日(月曜日)に送別会が予定されている。我がザビエルハウスでは6日(金曜日)の夜に送別BBQをする予定。肉を焼いてくれるのは、もちろんこの2人。スペースと予算の関係上、ご招待できる人数はかなり限られてしまうが、この2人に帰国前にぜひまた会っておきたいと言う方は、ご連絡ください。(12月4日)



(C)1996-2002 WorldWideSoftware /(C)G-mode


★「ドラゴン・タワー」という、携帯電話で遊べる本格的RPGのことをご存知だろうか。RPG(Role‐Playing-Game)とは、コンピューター・ゲームの一種で、プレーヤーが主人公のキャラクターを自分のように動かして冒険をしたり悪者をやっつけたりするスタイルのものを言う。有名なものとしては、ドラゴン・クエストやファイナル・ファンタジーとかがある。この「ドラゴン・タワー」は、そういうRPGが携帯電話で手軽に楽しめるというもの。ダウンロード型で、値段は何と!たったの100円である。現在はAU専用のようだが、近いうちにJ-フォン版と504版も出るらしい。私はJ-フォンなので、実はまだやっていない。しかし、この作品は絶対に、めちゃくちゃ面白いはずだと私は確信している。それは、この作品の企画とプログラムを担当しているのが、広瀬豪(ひろせ・つよし)さんだからである。広瀬さんは、下の「お友だちのホームページ」の中のTMS(WWS)という会社の創立者である。会社とは言っても、スタッフは奥さんや弟さんやお友だちであり、とても家庭的な感じの会社なのである。

私はアメリカに留学中にこのTMSのゲームをインターネットで知り、すぐに大ファンになった。ポケキャラ・シリーズに始まり、開拓物語シリーズ、カードキャラクター・シリーズと次々と作品が発表された。どれをとっても素晴らしい作品ばかりだと思う。TMSはファンの期待を裏切らない。面白すぎて、やり始めたがさいご、時間を忘れてのめり込んでしまうのだ。作成技術の高さはもとより、ストーリーが非常に魅力的なのである。まっすぐな清い心の主人公が、独自のファンタジー世界の中で、愛と勇気と正義のために悪と戦ってゆく。腕があがったり魔法を覚えたりして主人公がだんだん強くなっていったり、仲間がだんだん増えていったりするのも楽しい。TMSのホームページの「GAME SOFT」から作品はダウンロードできる。みなさんもぜひお試しあれ。たくさん作品があるので迷ってしまうという場合は、とりあえず「レオの冒険1」と「レオの冒険2」を遊んでみることをオススメする。初期の作品だが、TMSゲームの魅力は十分に味わえると思う。ホームページにはまた、ファンが集う「掲示板」もある。小学生からお年寄りまで、幅広いファンの方々が書き込んでおられて楽しい。私も時々お邪魔している。この掲示板を通じてお知り合いになった方のひとりが、よっこさんである。彼女は「ポケキャラ大好き!」というホームページまで作ってしまうほどの、筋金入りのファンである。(12月6日)




2002年12月8日は、混声合唱団「コールス・アンジェロールム」のメンバーにとって生涯忘れることのできない記念すべき日となることだろう。南山教会で行われた「吉田文・アドヴェント・オルガン・コンサート」は、500人を超す聴衆を迎え、大成功を収めた。吉田文さんのオルガン演奏はもちろん第一級のすばらしさであったし、西脇氏の指揮による合唱団も、自らの持てる力を十分に発揮して、心のこもった歌声を聞かせてくれた。オルガン独奏と合唱のかけあいによる、祈りの心に満ちた演奏は、降誕祭を間近に迎えた教会の聖堂にまことに相応しく響き渡り、感動的であった。お集まりくださった人々も非常に温かい雰囲気で演奏を聞いてくださり、和気あいあいとした、たいへん気持ちのよい音楽会であった。

この演奏会の開催にあたっては、南山教会の信徒の方々にもたいへん力を尽くしていただいた。チケットの販売はもとより、演奏会当日の様々な雑務を引き受けてくださったり、演奏会後の打ち上げを用意してくださったりしたのである。心から感謝いたします。

上に挙げた写真は、プログラム最後のアンコール曲(しずけき)を演奏している時の様子である。合唱団はずっと聖堂2階のオルガンの横の聖歌隊席で歌っていたが、最後に聴衆の前に出てきて挨拶し、鳴り止まぬ拍手に応えて(というか初めの計画通り)、アンコールを歌った。演奏会のパンフレットには聖歌の楽譜が記載されていて、聴衆と共にみんなで一緒に歌い、演奏会は幕を閉じた。下のねずみの写真は、演奏会後の打ち上げの時に、吉田文さんがドイツの習慣にならい「ねずみの贈物」をしてくださったのに応えて、合唱団メンバーのひとりがやってくれたもの。



混声合唱団コールス・アンジェロールムは現在のところは、講義の受講者と有志の集まりにすぎない。しかしこのまま解散してしまうには、あまりに惜しい合唱団である。もしできたら大学のひとつのクラブとして結成できたらよいのではないかと思う。南山大学にはまだ混声合唱団がないし、聖歌隊もない。コールス・アンジェロールムこそはそれに相応しい合唱団になるに違いない。クラブ結成に賛同する人はどうかお集まりください。(12月9日)



数日前、この雑記で、携帯電話で遊べるオススメのRPGゲームをご紹介した。RPG(Role‐Playing-Game)とは、簡単に言うと、自分が物語の主人公になってナゾを解明し悪者をやっつけるゲームである。こういうスタイルのコンピューター・ゲームが私は大好きである。ところがなぜか私の周りには、ゲームと聞いただけで拒絶反応を示す人が多いようだ。一体どういう恨みがあるのか知らないが、眉間にシワをよせて、「まあ!ゲームだなんて。私そんなものキライです!そんなものそんなものそんなもの!」とやたらとゲームをさげすむのである。そこで私は、そういう方のために、ここで少し「RPGのすすめ」を述べたいと思う。

コンピューター・ゲームの魅力を知ったのは、アメリカ留学中であった。哲学、神学、ハンバーガー、バーボンなどアメリカで学んだものは多々あるが、その中で最も生活の役に立っているのは、コンピューターである。さほど詳しいわけではないが、ある程度のことは自分でできるので、他の人に迷惑をかけずにすむ。ではどうやってコンピューターの使い方を学んだかというと、ひとつには論文を書く必要からであり、もうひとつには気分転換にコンピューター・ゲームで遊ぶことによってなのである。どちらも、他の人を煩わすことなく自分で全部やろうとするなら、マニュアルなどをきちんと読んで勉強しなければならない。初めはワケが分からなかったが、だんだんと慣れてきた。初めて私がコンピューターを手にしたのは1990年のことであったが、それは、CPUがインテル386、1MB(メガバイト)のメモリー、40MBのハードディスクという仕様のDOS(ドス)マシンであった。今から考えると信じがたいほど低スペックなマシンだが、これでも当時は悪くない方だった。Windows 3.1が盛んに出回るようになる少し前のことである。DOSのマシンは、コマンドという、まるで呪文みたいな文字列をキーボードでいちいち打ち込んで動かした。これが面倒くさくてイヤと言う人も多かったが、私は好きだった。こういう魔法じみたものが私は大好きなのである。そして、この魔法的な魅力を最高度に味わわせてくれたのが、DOS時代のコンピューター・ゲームである。中でもキングズ・クエストとスペース・クエストのシリーズはもう抜群の面白さで、私はハマリまくった。DOSのゲームは、マウスやジョイ・スティックが使えるものも多いが、基本的にはキーボードで操作する。そのほうが複雑な動作をするのに便利だからだ。古いゲームの中には、たとえば、「話しかける」「穴を覗き込む」「周りを見まわす」「石を押す」「ドアを開く」など、命令文を書き込んで動作をさせるものもあった。私はゲームのおかげで、ずいぶんと英語が上達したと思う。ナゾやパズルを解いて先に進むまで、同じ言葉を繰り返し聞いたり読んだりすることになるから、自然に覚えてしまうのである。

私は言う。RPGは単なる暇つぶしでなな〜い!これはりっぱな教材である。上に述べたことから分かるように、まず第一に、ゲームを通してあなたはコンピューターの仕組みに詳しくなる。第二に、特に英語のゲームの場合、それは大変よい英語の勉強になる(日本製のゲームなら日本語が学べる)。まだまだありますぞ。主人公と共に物語の世界に入っていくことによって、欧米の文化的な伝統に具体的に触れることができる(日本製なら日本の文化が学べる)。更には、主人公と共に苦しみ悩むことを通して、人生哲学が学べるのである。もう良いことずくめなのである。RPGはこのように、非常に人生に役立つものなのであるから、すすんでプレーするべきである。ただ、世間にはすでにゴマンとRPGが作られ発表されているので、選ぶのが難しい。名作もあれば駄作もあるであろう。しかしそれは小説を選ぶのと同様なのである。定評のある作品から始めるのが賢明かもしれない。私は、プラトンやトマス・アクィナスやカントなどの哲学思想どっぷりのRPGというのがあったら面白いのではないかと思っている。「ソクラテスの冒険」とか、「神学大全のナゾ」とか「純粋理性バトル」とかいったゲームを誰か作ってくれないだろうか。

ところでひとつ、RPGを初めてやる人のためにご案内しておきたいことがある。RPGの世界には、ある暗黙の了解事項があるのだ。それは、この世界に生きる主人公は、まるでドラエモンのポケットのような、何でもいくらでも入ってしまうポケットあるいは袋を持つことが許されているということである。主人公は冒険の途中、いろいろなアイテムを取得する。そしてそのアイテムを持ち歩く。時には大剣、槍、鎌、ヨロイ、盾、鏡、石像、10リットルの水が入ったカメ、バズーカ砲、事典、地図、薬草、生卵、ハチミツ、生魚を同時に持ったまま川を泳いで渡ったりすることもあるが、ぜんぜん大丈夫である。これは、よーく考えてみれば不思議なことである。しかしいくら考えても仕方がない。悩まぬほうがよいと思う。(12月12日)



この週末は外出することが多かった。しかも会議とかではなくて、疲れを癒してくれる楽しいイベントばかりであった。ちょっとならべてみよう。(1)金曜日は午前中に南山留学生別科(Center for Japanse Studies)のクリスマス・パーティー。ザビエルハウスの住人たちはここで日本語を勉強しているので、みんな出席した。院長の私もホームステイのホスト・ファミリーに相当する者ということで、ご招待いただいた。本部棟の3階の会議室が会場。留学生のみなさんはとても明るくて元気で、なかなか楽しいパーティーだった。実はザビエルハウスの家計はけっこう苦しい。だから、こういう外で食事をするチャンスには全員が気合を入れて「まとめ食い」をすることにしている。特にザビエルハウスではあまり買えない果物をねらうべし。同じテーブルに集まらず分散すべし。できたら2・3個おみやげにもらって帰るべし。みんなちゃんと食べたか〜?

(2)その日の夜にピアニストの佐野恵さんのリサイタルがあった。伏見の電気文化会館のコンサートホール。会場はほぼ満席で、ピアノを習っているらしい女の子たちがたくさん聴きに来ていた。今回のプログラムは大人向けの比較的シリアスな曲が多かった。気迫のこもった素晴らしい演奏。さすがである。鳴り止まぬ拍手に応えてアンコールを2曲も弾いてくれた。最後の曲は誰もが知っているモーツァルトのかわいらしいそソナタ。これも絶品であった。演奏会の後は、ぢぇいふぉん西脇氏と一緒にお友だちだけの打ち上げ会に参加させていただいた。たった今華々しいステージを終えられた恵さんと一緒にお酒が飲めるなんて。いやーもう光栄の至り贅沢の極みである。お友だちでほんとによかったありがとう。ちなみに、打ち上げの会場は地下鉄伏見駅のすぐそばの「伏見」という店であった。ちらし寿司、湯豆腐、餃子などをいただいたが、しゃれた味で、たいへんおいしかった。温かく家庭的な雰囲気もうれしい。よかったらお試しあれ。

(3)次の日土曜日の夜は、これも西脇氏と共にマルクス先生に夕食をおごっていただいた。我々2人はマルクス先生の教え子(かつてのゼミ生)である。今でも時々先生が食事に誘ってくださるのだ。行き先はいろいろだが、この頃は川原通7丁目にある「奴(やっこ)」というお寿司屋さんに行くことが多い。マルクス先生の昔からお気に入りのお店である。先生どうもごちそうさまでした。ここはお寿司もむろんうまいが、焼きものや揚げものも非常にうまい。地下鉄川名駅から歩いて5分くらい。ここもどうぞお試しあれ。この奴でマルクス先生と我々が座る席は奥の角といつも決まっている。もちろん先客がいたら座れないが、空くとすぐにそちらに移らせてもらえる。その席を好む理由は、マルクス先生によると、「ここの方が内密な話しがしやすいから」である。しかし当のマルクス先生からして店中に響くような大きな声で話しをするのだから、ぜんぜん内密にはなっていないと思う。

(4)昨日日曜日は、安城(あんじょう)にある教会に行ってきた。その教会の主任司祭である伴神父さんは、修道会の同僚なのである。クリスマスが近いので共同回心式のお手伝いを頼まれた。共同回心式とは心の洗濯をする儀式である。心を清めてご降誕を迎えようということで、全世界の教会で伝統的に行われているもの。安城教会には長崎の小神学院時代の先輩もいる。久しぶりにお会いできてうれしかった。式の後、信徒の奥様方が作ってくださったカレーをみんなでいただいた。おいしいカレーであった。

このように、この週末は楽しいイベントがいろいろあったのである。しかし、こうして並べてみると、飲んだり食ったりしたイベントばかりである。実は今日は、学科のメンバーで、この冬に退職される方のためのお別れ会がある。これまた飲み食いの会である。


★飲み食いとは別のものを、ひとつお見せしよう。これは今年新しく図書館内に設置されている馬小屋の写真である。人形の表情が優しくて、全体的にかわいらしい感じのするセットである。名古屋ヒルトン・ホテルから譲り受けたもの。雨風には弱いため、図書館の方々のご協力で、図書館内に設置させていただいている。小屋や柵は南山大学の施設課の方々が心を込めて作ってくださった。とても素敵な小屋である。そして、ワラの調達、人形の配置、小屋のまわりの垂れ幕といった芸術的な演出は、キリスト教学科合研の西田さんによるもの。見事である。この馬小屋に加えて、メインストリートの馬小屋も昨年と同様に設置されたが、あちらの方も、人形の修復、新しい衣装の作成など、宗教教育委員長の岡崎先生の努力によって、見違えるほどきれいになった。この2つの馬小屋がこんなにステキに出来上がった陰には、このように、いろいろな方々の献身的なご奉仕があるのである。2つの小屋を見るたびに私は感謝の気持ちでいっぱいになる。関係者のみなさん、ほんとうにありがとうございました。(12月16日)



ザビエルハウスの食堂には少し大きめのホワイト・ボードの予定表が壁にかけてある。来客や外出、行事予定などをここに書き込んでおき、皆が一同に会する食事の時にごはんを食べながら互いに連絡を取り合っている。連絡もれが少なく、なかなか便利である。年末年始の予定が現在は書き込まれているのだが、すでにたくさん書き込みがある。この年末年始はけっこう皆いそがしそうだ。私自身もかなり予定が詰まっている。主なものを挙げるとすれば、神学院の24日クリスマス・イヴのミサ、27〜29日の管区総会議、30〜31日の下呂温泉、来年1月13日の伊勢管弦楽団演奏会である。

クリスマスのミサでは西脇氏率いる聖歌隊「コールス・アンジェロールム」と共に聖歌を演奏する(私はオルガンである)。神学院のクリスマス・イヴのミサは毎年たいへん荘厳であるが、今年はこの聖歌隊の活躍でますます盛り上がるのではないだろうか。楽しみである。24日夜8時からですので、よろしかったらみなさんどうぞ。下呂温泉へはザビエルハウスの皆と一緒に行ってくる。日本の湯の町の情緒を味わっていただこう。管区総会議とは、読んで字の如くであるが、神言会日本管区の全体会議である。数年に1度行われる極めてマジメなもの。3日間も連続で行われる。とても疲れそうである。

しかし、私にとって今一番気にかかっているのは、何よりも、1月の演奏会のことである。伊勢管弦楽団の方々には5月のブルックナー「テ・デウム」の演奏でたいへんお世話になったが、それに引き続き、今回は、「モツレク」を一緒にやらせていただくことになっている。(下のお知らせをどうかご参照ください)。私が担当するのはそのオルガン・パートである。この曲でオルガンは、いわゆる「通奏低音」という役割を果たす。かなり地味な役である。実際、この曲のCDなどを聴いてみても、オルガンの音はほとんどまったく聞こえない。どうやら、「はずさないかぎり」観客にオルガンの音は聞こえないらしい。つまり、よい演奏をするほど、お客さんには音が聞こえないということになる。う〜ん。でもまぁこれはよい。こういう隠し味のような役が私は好きである。しかしながら、隠し味である割には、これがまた、えらく難しいのである。けっこう指が動きまくる。頑張って練習せねば。ところで、練習は神学院の聖堂のオルガンを使わせてもらっている。この聖堂は昔からそうなのだが、冬にはまるで巨大な冷蔵庫のようになる。泣く子も黙る申し分のない冷えっぷりである。オルガンのある2階には暖房設備がないため、小さな電気ストーブを持ち込んで、手をあぶりながら練習をしている。かじかんだ指で弾く下手くそなレクイエムが寒々とした聖堂内にかなしく流れ、クリスマスが間近だというのに、この空間だけは何だかやたらと悲壮感が漂っている。(12月18日)





ザビエルハウスにピアノが入った。キリスト教学科合同研究室の西田さんがザビエルハウスの住人のために、ご愛用だったピアノを寄付してくださったのである。とても温かみのある音がするピアノだ。運送のときについたほこりをはらっていて、ふと蓋を開けてみたら、中に西田さんの子供のときの名前が書いてあった。なんだかジンときた。これは西田さんにとって、幼い頃からずっと一緒だった、思い出もいっぱいあるはずの大切なピアノなのだ。西田さん、ほんとうにありがとう。大事に使わせていただきます。うちの連中もみんな大喜びしています。よかったら時々うちに来て弾いてください。

ピアノ導入にあたって、休憩室を整理した。古い棚やタンスを別の部屋に移動し、ソファーの配置を変え、むき出しだった小窓にカーテンをつけた。おかげでかなりきれいな部屋になった。実を言うとこの部屋は、もともとはチャペルだったのだそうである。(現在はお隣の部屋がチャペルである)。そういや(上の写真にも写っているように)、ステンドグラスがあったりする。今ピアノがおかれている場所に、以前は祭壇があったらしい。確かにそこは他の床よりも少し高く、ステージのようになっている。更には、かつては祭壇を照らしたのであろうスポットライトが天井についている。それがちょうどうまい具合に今はピアノをライトアップしてくれる。ピアノのわきにギターを添えると、まるでこの一角が演奏者ボックスであるかのようにも見える。まことに、よろしい雰囲気だ。上の写真には写っていないが、この左の方に棚があり、共同休憩用のお酒のビンが並べられている。まるでこじんまりとしゃれたライブハウスのような感じになった。かつてはミサが捧げられていた部屋だが、まあよかろう。そもそもミサとは主キリストが弟子たちと共にした最後の食事を記念するものである。その食事では皆がワインを飲んだのである。キリスト者はこれを記念し、食事を共にし心をひとつにして主キリストの教えられた道を共に歩んでいくために、ミサに集う。同様に、ザビエルハウスの皆も心をひとつにして共に歩んでいくために、この部屋に集って酒を酌み交わすのである。ああ、ほんとにふさわしいことだなあ。(もちろんごミサも隣の部屋でやっています)。

★ひさしぶりにジャスコに買い物に行った。来週の月曜は祝日で台所のおばさんが休みなので、自炊をしなければならない。今回はインドネシアの2人の神学生がコックになってくれることになった。そのための材料とか、いろいろと足りなくなってきたものを調達に出かけたのだ。数人で行くと荷物を持ってもらえるので助かる。食料を仕入れるついでに、衣服の階もうろついてみた。すると普段着になりそうないろいろの上着が1000円で売られていたので、これは手ごろだと思い、適当なのを手にとった。すると一緒にいた神学生たちが、「あっそれは誰それと同じものです」と口をそろえて言った。すでにうちの住人の誰かがこれを見つけて購入したらしい。同じものでは面白くないから、別のを手にした。すると、「それは私がもう買いました」と言う。ふうむ。ではこれはどうだ、と別のを取ると、別の者がまたしても「それは私が持っています」と言う。なんだなんだもう!そろいもそろってみ〜んなこの大安売りコーナーの服を買ったのか?出遅れてしまった私は、これまで誰からも選ばれることのなかった、いわばハズレものを選ばざるを得ないことになった。共同生活をしていると、こういうところでも「早いもの勝ち」の法則が物を言うようになるのである。(12月21日)



いよいよクリスマスである。昨夜は名古屋大学吹奏楽団(通称「なごすい」)の定期演奏会を聴きに栄のアートピアホールまで行ってきた。南山大のうちの学科の稲垣君が、パーカッションで出演するから来て下さいと言ってチケットをくれたのである。曲目はレスピーギの「シバの女王ベルキス」等いろいろ盛りだくさんであった。パワフルな演奏で、たいへんよかった。第二部のラテン・ステージでは、音楽だけでなくダンスやマジックまで見せてくれたのには驚いた。西脇氏と一緒に出かけたのだが、会場を見つけるのに手間取ってギリギリに駆け込んだため、一番前の席に座ることになった。しかしそのおかげで、演奏者がよく見えた。西脇氏も大きな感銘を受けていたようである。なんたって、あまりにも感銘を受けすぎて、帰りの電車の乗り継ぎをまちがってしまったほどだ。「矢場町」から次の駅の「上前津」で乗り換えるはずが、なんと「金山」まで行ってしまい、しかたなく、とぼとぼと逆方向の電車に乗って引き返した。そういや、西脇氏と一緒に電車に乗ると、よくこういうことがある。お互いが相手に仕事を任せようとするから、こういうことが生じる。つまり、「べつに僕が気をつけてなくても、彼が見ててくれるだろ」と思って、どちらものんきに雑談してたりするからである。そして気が付いたらとんでもなく乗り過ごしていて、「なんで気づいてくれないんだよ〜!」と、互いに相手のせいにするのである。

それはともかく、今日はクリスマスの夜半のごミサが神学院であり、「コールス・アンジェロールム」のメンバーが何人か集まって聖歌隊をやってくれることになっている。西脇氏が典礼全体の総指揮をとる。私はオルガン伴奏を担当する。4時から合唱を練習し、しっかり準備を整えてごミサにあずかる計画である。クリスマスを祝うのは25日だと思っている人が多いようだが、実は今夜のミサが最も盛大なクリスマスのお祝いなのである。いりなかの南山教会でも午後8時と深夜12時に聖誕祭のミサがある。このごろはなにかと凶悪で悲惨な事件が多い。世界はまるで闇にのみこまれていくかのようである。このクリスマスのお祝いを通して、皆の心が光に満たされて、この世界に愛と信頼と平和が増していきますように。メリー・クリスマス。(12月24日)



クリスマスも終わってしまった。24日夜半の聖誕祭ミサは自分にとってかなり大きなイベントだったので、それが無事に終わってほっとする反面、はりつめていた気合が一気に身体から抜けてしまった感じがする。そのせいかどうかは分からないが、昨日は風邪気味で頭が痛く、朝からずっと一日寝ていた。私が気分が悪いと言うと、たとえばうちの台所のおばさんなどは、言下に「二日酔い!」と決め付け、「原因は飲みすぎ!」と断言し、軽蔑の眼差しを向けて一向にいたわってくれようとしないのだが、今回のは、「二日酔い」ではなく「風邪」なのですよ。これはりっぱな病気なのですよ。病人はいたわるべきなのですよ。

まあよい。しっかり寝ていたおかげで元気になった。しかしクリスマスからずいぶんと時間が経ってしまった感じがする。12月24日夜半の神学院における聖誕祭ミサは、非常によかった。西脇氏の指揮による典礼と音楽は厳粛にして荘厳、まことに感動的であった。合唱団は力いっぱい歌ってくれたし、穴井君(オルガンとギター)、熊井さん(フルート)らの器楽奏者たちも、素敵な演奏を聴かせてくれた。私自身(聖歌のオルガン伴奏)も自分なりにベストが尽くせたと思うのでうれしい。久しぶりの歌ミサ伴奏だった。なんだか昔を思い出した。思えば西脇氏とは神学生時代からずっとこうやって一緒に典礼の音楽をやってきたのである。お互い年はとったが、音楽をやるとなればまた昔の日に若返る。私が自分で一番心配していたのはご聖体拝領の後に弾いたバッハの小品(「甘き喜びのうちに」BMW608)であったが、それもまあまあうまくいったと思う。ミサの後のパーティーも楽しかった。(12月26日)



昨日はザビエルハウスで忘年会鍋をした。日本語を教えてくださっている判先生はじめ、幾人かの恩人友人もお招きして腹いっぱい鍋を食べ、お酒を飲み、とても楽しいときが過ごせた。みなさん今年もいろいろとお世話になりました。お友達のひとりが持ってきてくれた日本酒がとてもおいしくて、めずらしくも皆で日本酒を飲んだ。

★神言会日本管区の総会議が昨日から始まっている。これは3年に1回開かれる大会議で、いろいろの重要事項が話し合われ、審議され、決定される。朝9時から夕方6時まで、ず〜っとマジメな話し合いが続く。休憩は、昼ごはん(弁当が配られる)の時と、3時あたりに30分間あるだけ。なかなかハードな会議である。2日目の今日は重たい議題がいくつかあり、かなり白熱した議論が展開された。会議には神学生グループの代表も出席しており、また、他の神学生たちも書記の仕事などで活躍してくれている。腕に覚えの神学生2人がコンピューターで議事録を取ってくれているのだ。あの目まぐるしい議論をキーボードで打ち込むのは並大抵の苦労ではあるまい。ごくろうさまである。(12月28日)



数日前から東京に行っていた、うちの3人のインドネシアの住人たちが今日、名古屋に帰ってきた。よく知らないのだが、あちらで大使館関係の何かイベントがあったようだ。それは良いのだが、行き帰りの乗り物のことでちょっとした問題があった。原因は、経費を抑えるために、行きは高速バス、帰りはバラ売り回数券で新幹線に乗ってもらうことにし、そのキップを前もって渡して送りだしたことにある。行きはぜんぜん問題がなかった。問題は、帰りである。ついうっかり忘れていたのだが、そういや新幹線の回数券は12月28日から1月6日までは使用できないのであった。すまん、そのキップは使えない・・・3人は仕方ないので新しくキップを買って帰ってきた。いかんな〜、どうも年末の東京は帰途がうまくいかないことが多いようだ。実は2年前にザビエルハウスの皆と東京吉祥寺の教会に行った時もそうだった。行きはよかったのだが、帰り、新宿で乗り場を間違えて夜行バスに乗れず、やむなく深夜また教会に引き返して、もう一夜泊めてもらったのだった。皆には次の朝に新幹線で帰ってもらったが、私はショックのためか重度の風邪をひき、2〜3日東京で寝込んでしまった。バスは払い戻しがきかないことをその時に学んだ。そしてそれに懲りたので、今回私は、帰りは新幹線で帰っておいで、と言ったのだった。だが、それもうまくいかなかったようである。う〜ん、安くあげようとすると、かえって無駄金を使うハメになるようだ。・・・しかしそんなわけで今私の手元に戻されたこの3枚の新幹線回数券、どうしたものか。3月18日まで有効ではある。仕方ないな〜、じゃ私がちょっと東京まで遊びに行かせてもらおうかな・・・。

★明日、ザビエルハウスの皆と一緒に下呂温泉に行ってきます。西脇氏も誘ったので全部で9人。ザビエルハウスの車が途中で止まったりしなければ良いのですが。この車は過去に少なくとも3回、旅行の途中で機能を停止したという「前科」を持つ。しかし、なぜか私が運転している時には問題が起こったことがない。この車は私と相性がよいのかも知れない。お友達というわけだ。ただ、2回ほどバックで電信柱にゴンとぶつけて痛い目に会わせたことがあるが・・・それがかえってよかったのかな?なにはともあれ、とりあえずは下呂から無事に帰ってきたい。

★ところで、管区総会議は今日の午後4時ごろ、めでたく終了した。ずいぶんいろいろと重要な事柄が話し合われ、決められた。神言会日本管区は2007年に神言会来日100周年を迎えることになる。100年の間に日本の神言会は、南山学園をはじめ、国際協力、宣教、司牧など様々な事業を通して、大きく発展してきたし、これからも更に発展していくであろう。世代は交代し、時と共に構成メンバーは入れ替わってきた。しかし神言会精神は変わることなく受け継がれて来ている。今の世代を受け持つ私たちに残された課題はまだまだたくさんあるし、解決すべき問題点も多い。神言会が日本のために果たすべき仕事は、あと100年くらいかかっても完結できそうにないくらいだ。ということは私たちの世代では終わらないということである。だから後輩を養成する必要があるのだ。神言会会員になって一緒に仕事をやりたいという方は、どうかご連絡ください。(12月29日)




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