2002年11月の雑記




今日は南山大学祭の初日である。昨日、「朝からどしゃぶりの雨でも、どうぞお出かけください」と書いたが、本当にどしゃぶりの雨になってしまった。しかし、学生は雨くらいではへこたれない。朝方は静かだったが、お昼頃から盛り上がり出し、午後2時の今、メインストリートはたいへんな騒ぎだ。私の研究室の窓から、様子がよく見えるし、声もよく聞こえる。「○○いかがですかぁ〜」、「いらっしゃいませ〜」、「おいしいですよ〜」という売り子の声に、笑い声に叫び声に、ズドドドンとした響きの激しめの音楽。いや、にぎやかでよろしい。学祭の期間中は、授業も会議もなく、教員にとっても、よいお休みである。元気のよい声を聞きながら、たまっている仕事を片付けさせていただくとしよう。(11月1日)



今日は割と良い天気だったし、土曜日ということもあり、学祭は昨日よりずっと盛大であった。お昼ごろ、ぢぇいふぉん氏が仕事で私の研究室にやって来たので、ちょうどよい機会だと思い、一緒にメインストリートに出てみた。「○○いかがですかぁ〜」(かぁ〜が上ずる)という誘いに応えて、ドーナツや春巻きや焼きソバやたこ焼きなど、いくつか買って食べてみた。味は、う〜ん、いまいちというのもあったが、まあOKだ。食べた中では、ラクロス女子の焼きソバがおいしかった。写真部の写真展も見に行った。この部の石原君はうちの学科の学生である。彼をはじめ写真部の人たちはなかなか優秀で、『カメラマン』や『CAPA』などのコンテストでしばしば入賞している。展示はレベルの高い作品が多く、とても見ごたえがあった。茶道部は和服を着て茶席を開いていた。和服に誘われて、我々も一服いただいた。お茶菓子に「南山」という名前入りのドラ焼きが出たのには、ちょっと驚いたが、南山人として、とてもうれしく思った。(11月2日)





さわやかな良い天気だ。大学祭は今日が最高潮。ホームカミング・デーということで、卒業生の方々が多数ご来校なされている。長崎からはるばるやって来た先輩方もいらっしゃって、驚いた。上の写真はメイン・ステージ。壇上にはマルクス学長の姿もある。演奏をしているのは、吹奏楽団。私は実は一年生の時、このクラブに所属してトロンボーンを吹いていた。この演奏の後に、チアリーダーズの演技があった。南山のチアリーダーたちはとても有名らしい。なるほど、たいへんみごとな演技であった。遊びに来た友人たちを案内して、またメインストリートを見物して歩いた。今日は、きし麺やたませんを食べてみた。たませんとは、えび煎餅で卵焼きをはさんだ物。こういうのは初めて食べた。味も悪くない。大学祭の賑わいは私が学生だった昔も今も変わらない。なんだか懐かしい気がしてくる。そういえば、私が学生の時には、「銭湯入浴同好会」というクラブが、学祭のスター的存在だった。たぶん日頃はお風呂に入ってのんびり平和な活動をしているのであろうこのクラブは、いかなるワケか知らないが、毎年大学祭で、「プロレス」をやるのである。アンモニア猪木とか得体の知れないレスラーが次々登場して必殺技を披露し合い、その試合の中継と解説が入る。これが爆笑ものの面白さで、たいへん人気があった。このクラブ・・・残念ながら今はもう存在しないようである。誰かまたやってくれないかなぁ。(11月3日)  

(追記。2003年3月19日の雑記もどうぞご覧ください)。




(11月3日のメインストリート)

グリーンエリア。ここから右へ目を向けると、 図書館前の広場が見える

以前から思っていたことなのだが、南山大学・名古屋キャンパスは、とても大学祭に向いている構造をしているようだ。メインストリートが南から北へまっすぐ通っていて、そのまわりに、たいへん調和のとれた仕方で建物が建てられている。緑も多くて美しい。正門を入って少し行ったところに図書館前の広場があり、そこには独特の芸術的スペースの中にベンチが作られていて落ち着ける。そしてそこからストリートをはさんで木立の向こう側には、まるで野外劇場のような形をしたグリーンエリアが広がっている。だから、メインストリートに模擬店を並べ、グリーンエリアをステージにして音楽の演奏やショーを催せば、たちまちにして、立派なエンターテインメント・パークが出来上がるのである。メインストリートを更に奥に進めば、各教室内で準備されている企画をのぞける仕組みになっている。このように、非常にまとまりの良い構造になっているので、誰も道に迷ったり、目玉のイベントを見逃すことがない。実にヨロシイのである。今日は、学祭の最終日だ。みんな、思う存分盛り上がってくれ。(11月4日)



★大学祭が終わって翌日の今日、学内は非常に静かである。曇り空のもと、冷たい風がメインストリートをひゅるると吹き抜けて、やけにさみしい雰囲気だ。しかし、ありがたいことには、今日から研究室のエアコンで暖房が使えるようになった。この研究棟は、すべての部屋のエアコンを管理室で一括操作する仕組みになっている。6階にある私の部屋はけっこう寒くなってきていたので、そろそろかな、まだかな、と心待ちにしていたのである。よかった、これでまた昼寝ができる(+_+)\ペシッ!
(11月5日)



今日から土曜日までの4日間、南山大学名古屋キャンパス&瀬戸キャンパスで、「アジア及び太平洋沿岸地域・神言会運営大学大学長・管区長総会議」という、恐ろしく長い名前の会議が開かれる。要するに、この地域の神言会のお偉いさんたちが南山にお集まりになるということである。ご存知のように、南山学園の運営母体は神言会(SVD)という修道会である。キャンパス内で、見慣れない中年の外国人たちを見かけたら、たぶんこの会議の方々である。アヤシイ人ではないので、ご安心あれ。その修道会の下っ端である私は、庶務雑用小間使いとして、この会議に参与することになっている。忙しくなりそうだなぁ。(11月6日)



★昨日お話しした長い名前の会議(SVD学長会議と省略する)が始まった。インドやインドネシアやフィリピンや台湾やパプア・ニューギニアから、15名ほどの学長、管区長その他がお集まりである。特別ゲストとして、ローマからなんと、神言会総会長のペルニア神父さんもいらしている。(この人が一番偉い人である。RPGゲームで言うなら、最後に出てくる親玉、いわゆる"ラスボス"である。別に戦うこともないが・・)。実にそうそうたる顔ぶれだ。・・・こんなに偉い人たちの中で、いったい私は何をするのでしょう?そうです。することはほとんど無いのである。ただニコニコとしているだけと言ってよい。あ〜顔の筋肉が疲れるー。しかもこの会議、遠くからわざわざ偉い人がお集まりになっただけあって、スケジュ−ルが毎日朝9時から夜8時頃まで、びっしりと詰まっている。休憩時間もあまりない。今日私は、ずーっと学校内にいたにもかかわらず、自分の研究室に居られたのは、たったの5分だけであった。やっとこささっき終わって家に帰ってきて、ザビエルハウスでこの更新をしている。ふう・・。こりゃまいったね。明日がまたこれ大変で、同じような会議が瀬戸キャンパスであるのだ。ひゅう・・。栄養ドリンクでも買っていくかなぁ。

★下にリンクしているBBSの表題を「伝言板」から「あなたのご意見・ご感想など」に変更しました。この方が書き込みやすいかな、と思って。どうぞご利用ください。(後記:11月17日にまた変更し、今度はすなおに「掲示板」としました。別にどうでもよいことですが)。ちなみにこの表題、私の宗教論かキリスト教概論を取ったことがある人には、実はおなじみのもの。これらの授業で、私は、話した内容についての意見や感想を、受講している人たちに毎回書いてもらっている。相手の言うことに対して、自分の意見をまとまった形でさっと出すのは、意外と難しいものである。しかもそれを文章で書き表すとなると、さらに難しい。しかしこの作業を通して、自分自身の考えや取るべき立場がよりはっきりしてくると思う。その効果を期待して、この方法を続けている。私にとっても、いろいろな考えや解釈を知ることができて勉強になるし、楽しい。すばらしい意見に、うむ!と唸ることもあるし、あまりにも文章が面白くて爆笑することもある。先年キリ概を受講したNさん(女性)なんかはもう最高で、文章自体は非常にマジメなのだが、みごとな勘違いがヒットしまくっていて、私は毎回、あまりのおかしさに床を転げ回って笑った。いやぁ楽しませていただきました。Nさんどうもありがとう。あなたの文章、また読みたいよ〜。(11月7日)



今日は南山学園創立70周年記念行事が、南山教会と南山学園講堂にて行われた。私はSVD学長会議の人々と共に、この式典に参列した。式典は、西脇神父さんの司会と吉田徳子さんのオルガンという、ゴールデン・コンビによるミサで始まった。非常に荘厳で感動的なミサであった。ミサの後に、記念式典があり、超重要人物のみなさまがたが順番に、ご祝辞を述べられた。その中で、私が最も感銘を受けたのは、ローマからはるばるいらした神言会総会長、ペルニア神父さんのお話しであった。温かみのある良い声で、理路整然としていて説得力があり前向きな、とてもヤル気の出るお話しをしてくださった。さすがは総会長さまだ、ひゅうひゅう〜!私は非常に誇らしい気持ちがした。あと、2つ目の奏楽でショパンを弾いた、女子部1年生の女の子が、とても上手だった。ステージの上に準備されたピアノはどういうわけか恐ろしく音が貧弱であり、しかも、次に続く講演の準備作業中のつなぎという、気の毒なほど軽んじられた出番であったが、それらのハンデを物ともせず、とても素敵な演奏を聴かせてくれた。偉いぞ、E子ちゃん。ちゃんと聴いてたからね!(11月9日)



なんだかんだと先週は外に出かける用事が多く、ほとんど研究室に居ることができなかった。やっと今日、平常の生活に戻った感じがする。それにつけても、今回、学長会議、創立記念式典などの一連の学園行事に、スタッフの一員として参加させていただいたおかげでよくわかったのだが、南山の事務の方々の献身的な働きぶりはすごい。驚くほど身を粉にして尽くしてくださるのだ。これにはまったく頭がさがる。南山が今あるのは、間違いなく、こういう方々の陰の尽力のおかげであり、今後もこの方々無しには、南山はまったく立ち行かないであろう。本当にどうもありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願い致します。



同僚のM氏によると、先週のSVD学長会議にいらしていた神父さんたちの4・5名の方々が、日本で電子手帳を買っていかれたそうである。パームOSのもの。M氏が使っているのを見ていて、みなさん欲しくなったらしい。同じくM氏に誘われて私もそれを買い、愛用している。M氏のパーム普及における貢献度には特筆すべきものがある。(パームのまわし者ではない。念のため)。実際、これはとても便利だ。スケジュールや住所録はもちろん、データベースにもなるし、ゲーム機にもなる。インターネット上に有志によるパーム専用ソフトが山ほどあって、その多くは無料で使用できる。いろいろ試してみるのも楽しい。私もまわし者ではないが、オススメする。

このパーム、私が買ったのは4年ほど前、まだアメリカに居た時である。たちまち気に入っていろいろと使っていたが、予定表にほとんど書くことがないのが、一つさびしいところであった。毎日論文を書くだけなので、これといった特別な予定がないのだ。しかしただ空白のままにしとくのも芸がない。そこで、予定ではなく逆にその日にしたことを記録しておくことにした。つまり日記のかわりである。これは我ながら名案だったなあ、と思う。今見ると、その頃何をしてたかがよく分かる。さっきそれで昔の記録を見ていたら、ほとんど毎日のようにGymと書いてあるのに気付いた。ああ、そういえば、気晴らしのために体育館のプールに泳ぎに行っていたのだった。ハウスの仲間3・4人で連れ立って行った。プールで泳いだ後、シャワールームのサウナでひと汗流していたのだった。10人ばかりが入れるくらいの大きさのサウナであった。うんうん。思い出すなぁ。そういや、だんだんと泳ぐのが億劫になってきたんだったな。初めのうちは、プールに泳ぎに行くついでにサウナを浴びていたのだが、しだいに、サウナを浴びに行くついでにプールで泳ぐようになった。そしていつしか、ついに、サウナを浴びるだけになってしまったのである。体育館はもはや私にとって、ほとんど銭湯同然であった・・・。(11月13日)



昨夜、後輩の一人が、折り入って話しがあるというので会うことになり、居酒屋えっちゃんに行った。この店は、話す内容が店中に筒抜けになってしまうため、本当にプライベートな相談をするには向いていないが、軽く相手の意向を打診したりするには、むしろ雰囲気がほぐれて、すこぶる勝手がよいのである。無口なタイプの人と話をするような場合も、間が持たなくて困ることがなくてグッドだ。まともかく、時間を決めて、彼と店で落ち合うことになった。えっちゃんまでは、いつもは歩いて行く。ゆっくり歩いても15分くらいである。ところが、なぜかいろいろと急用が入って、時間がぎりぎりに迫ってしまった。ちょっとくらい遅れてもどーというほどの事ではなかったが、なんだか歩くのが非常に面倒に思われたので、山手通りで、タクシーを拾うことにした。私はごくタマにであるが、こうやってタクシーの「基本料金乗り」をする。通りに出ると、ちょうど都合よく1台来たので、さっそくそれを止め、「前山町へお願いします」と言った。本当はえっちゃんがあるのは山花町なのだが、いかなるわけか、お隣の前山町の方が有名なのである。山花町と前山町は、だいたい同じくらいの大きさの町で、違いといえば、私に思いつくのは、小さな郵便局が前山町にはある、ということくらいである。しかし実際のところ、タクシーに乗って、「山花町へ」と言うと、たいがい、「え、それどこ?」と言われるが、「前山町へ」と言うと、すぐに「はいはい」と分かってもらえるのである。不思議である。

ましかし、そんなことはよい。とにかく私は「前山町へ」と言った。すると運転手のおじさんが、「はいよ。居酒屋ですね?」と答えたのである。お察しのよろしいこと、この上ない。「ははは、そうです。よくわかりましたね」と私は笑い、車は出発した。名大法学部の角を曲がり楽園町を抜けると、もう間もなく目的地だ。私はどこか適当なところで停めてもらおうと、「えーと・・次の角の松坂屋・・」と言いかけた。すると驚いたことに、そのおじさん、「えっちゃんでしょ?分かってるよ」とズバリ言うのである。なんで?なんで?なんで分かるの?あなた誰?私は少なからず動揺した。すると、おじさんは、「しばらく前あなたを同じところにお連れしましたよ」と言う。つまり、たまたま偶然にも、ごくタマにだけタクシーに乗る私が、全く同じタクシーを拾ったのである。こんなことってあるのだなぁ。しかしそれにしても、しばらく前とはいっても、そうとう前のことなのである。なんというスバらしい記憶力だ。いや、運転手さん、恐れ入りました。というか、ひょっとしたら私って、実はものすごく特徴ある顔をしてるのだろうか・・・?(11月14日)




突然であるが、これはサツマイモである。なかなか生々しい図である。何日か前、知り合いのお家に遊びにいった時、その家の庭先でとれたという「サツマイモ」を頂いた。ところがこれが、ただのサツマイモではなかったのである。いや、まあ、ただのサツマイモではあるのかも知れないのだが、サイズがやたらと大きいのだ。普通のサツマイモを4-5個くらい束ねて一つにしたくらいの大きさ。例えて言うならラグビー・ボールくらいのものである。しかも、ずっしりと重い。どーしてこんな大きくなったのか、お家の方にも分からないらしい。奥さんによると、普通の苗を普通に植えて、ほったらかしにしていた。それで、数日前、そのイモのことを思い出した旦那さんが掘ってみたら、かくも巨大なイモに成長していたのだそうである。このラグビーボール的イモが10数個も、ごろりごろごろと地中から出てきたという。奥さんがこれを蒸かしてつぶし、生クリームを加えてほんのり甘く味付けしたものを、デザートとして出してくださった。たいへん上品な味でおいしかった。(ついでながら、この奥さんの料理は天下一品においしい。どうもごちそうさまでした)。そして帰り際、おみやげにどうぞと、ご親切に3つも、私にこのおイモをくださった。(すごく重かったデス)。

さて、そういうわけで、すなわち、それを今日、食したのである。ザビエルハウスのコックさんが、ぶつ切りにしてフライにしてくれた。一個のイモだけで大皿にテンコ盛りのポテト・フライ(ちなみにサツマイモはsweet potatoである)ができあがった。すごい量だ。でもザビエルハウスは9人もいるので、ちょうどよい。これにパラパラと塩をふりかけて食すと、非常に美味である。もしこれを天ぷらにするなら、この3倍は量が増えるだろう。いやー、家計が助かるなぁ。このおイモ、けっこうイケますぞ。今年突然このように大きくなったそうなので、ひょっとしたら巨大化するのが流行っているのかも知れない。そうすると、来年あたり、お庭でいかがですかな?日当たりのよい場所に苗を植えて、「ほったらかし」にするのがポイントかと思われます。ザビエルハウスの裏庭は日当たりがすこぶる悪いので残念。神学院とか、どうですか?(11月16日)



「あ・・・また来た」。さっきチェックしたら、研究棟の私のメールボックスに、コパンの紀伊国屋書店から届けられたNHKラジオ講座のテキストが入っていたのだ。いや、これは決して、紀伊国屋さんが悪いのではない。私が定期購読をお願いしてわざわざ持ってきていただいているのである。紀伊国屋さんにはむしろ感謝すべきだ。問題なのは、私がきちんと勉強していないにも拘わらず、テキストだけがきちんと毎月届いてしまうということなのである。NHKラジオ講座とは、有名なので知ってる人も多いはずだが、4月から3月までの一年間、毎日ラジオで、テキストに従って授業が放送される講座である。今年の4月、紀伊国屋さんの店内をうろついていた私は、ふと、このテキストに目がとまり、やにわに語学を復習することに心が燃え、テキストを一年間の定期購読で注文してしまったのである。しかも、「フランス語講座」と「ドイツ語講座」の両方を。(これは典型的な「衝動買い」であろう)。今考えるとまことに愚かであった。NHKの講座は、ドイツ語もフランス語も一日わずか20分間の放送。しかも同じ講座を日に2回放送してくれる。「これならヤレる。楽勝楽勝」と私は考えた。しかし・・・現実は甘くなかった。というか、私は自分の根気のなさを恐ろしく甘くみていた。ちゃんと続いたのはわずか2週間くらいであった・・・。以来、毎月きちんとテキストが(2つも)届けられるたびに、私は非常にやましい気持ちになり、自分の至らなさを恥じ、やるせなくなって、「え〜い、え〜い、NHKのばかばかばかばかぁ!」と罪もないNHKに八つ当たりし、部屋で個人的にいじけてしまうのである(約2分くらい)。しかるに実は(ちょっとだけ汚名挽回させてほしいのだが)、私は学生の時に、ドイツ語講座を聞いたことがある。確か3年生くらいの時だったと思う。なぜかこの時だけは、なんとか一年間続いた。よく続いたなぁ。偉いぞ昔の自分。おかげで、ちょっとドイツ語が読めるようになった。だからちゃんと続ければとてもためになるということだけは知っているのだ。う〜ん。では来年再挑戦するかな。でも今度は絶対ひとつだけにしよう。(11月18日)



★久々に何の会議もない水曜日である。自由な時間が持ててうれしい。しかし、よろこんでいるのもつかの間、あれ、もう夕方になっている。こういう一日はとても短いなあ。(半日寝ていた自分のせいでもあるのだが)。昨晩、「降誕祭準備委員会」の食事会があった。メンバーはロゴス・センターのLLC(ロゴス・ライフ・コミュニティー)というクラブの学生たちの代表者5名、ロゴス館長のシーゲルさん、宗教教育委員会事務の西田さん、そして岡崎先生と私である。そろそろ校内のクリスマス装飾や馬小屋の飾りつけなどが始まるので、「がんばりましょうがんばってくれひとつよろしく頼む〜」という意向の食事会(宴会)が催されたのである。ミーティングだけでは面白くないので、岡崎先生と相談して食事会にした。なかなか楽しい集いであった。毎年LLCクラブの人たちが力を尽くして飾りつけやクリスマス会の準備をしてくれている。今年もどうぞよろしくお頼み申します。今年はいろいろと新しい物も登場する。まず新しい馬小屋セットが図書館に設置される。そして新たにクリスマス・ツリーがメインストリートに設置されることになっている。今年のクリスマスの準備にはかなり力がはいっているのである。岡崎先生は、メインストリートに設置される予定の古い方の馬小屋セットの人形を修理し、新しい服を着せてくださった。また、さっき西田さんと施設課事務所に行ってみたら、施設課の方々がたいへん立派な馬小屋を作ってくださっていた。これは図書館用の新たなものである。すばらしい。今年の南山のクリスマスは一味も二味も違いますぞ。請うご期待。(11月20日)



毎週金曜日の1時から神学院の大聖堂でコールス・アンジェロールムの合唱の練習がある。大学から神学院へは、ロゴス・センター横の東門を出て、八雲校地と呼ばれるちょっとした丘を登って行くのが一番近道なので、いつもそこを通る。ところが、今日行ってみると「通り抜け禁止」になっていた。工事が始まったのだ。この校地には古いビルが3つ立っている。それは以前、丸紅の社宅であった。もう相当に老朽化していて、南山大学がこの土地を購入した後も、ほとんど使われずそのままになっていた。この3つの社宅がいよいよ取り壊されることになったのである。もうすでに廃墟になっており、特に魅力的な建築物でもないので、取り壊しに対して異存はない。しかし、これが跡形もなく消えてなくなってしまうんだと思うと、何だか淋しい気がする。私が学生時代、ここはまだ現役の社宅であり、丸紅に勤務する人たちの家族がたくさん住んでいた。私たち神学生はこの家族の子供たちと仲良くなり、よく一緒に遊んだものだった。社宅内や神学院の前庭やグランドを走り回って遊んでいた子供たちの姿が今も目に浮かぶ。中でも、ミカちゃんとナオちゃんと言う2人の小学生の女の子がよく遊びに来てくれた。2人ともとても明るくてかわいい良い子たちだった。だんだん慣れ親しんで来ると神学院の中にも平気で入ってくるようになり、時々ちらかった神学生の部屋を見て、「なにこれ、きったな〜い!」と言って掃除してくれたりもした(私の部屋ではない、念のため)。この2人はとても懐かしいので、ぜひまた会いたいと思うのだが、残念ながら、家族の移転で2人ともどこかへ行ってしまい、今はどこに居るのか分からない。2人とも元気にしてるかなぁ。(11月22日)



またまた風邪をひいて寝込んでしまった。金曜日の夜までは元気だったのだが、この日の共同休憩(週一回のハウス・メンバー懇話飲み会)ですっかり身体を冷やしてしまったらしい。いや、もっと正確に言うと、この懇話会までは大丈夫だったのだが、自室に戻ってから、ちゃんと布団をかけずに寝てしまったのが原因と思われる。風邪をひくと、たいてい私は、自分の部屋に閉じこもって寝る。他の人に風邪をうつすと悪いから、できるだけハウス内をうろうろしないようにしている。当然食事も取らない。気分が悪いと食欲もないからOKだ。薬はあまり飲まないが、ちょっと前に知ったルルというかわいい名前の薬が効くようなので、とりあえずこれを飲んだ。そのほかには、アスコルビン酸という粉末を小さじ一杯水で飲む。これはビタミンC原末である。昔看護婦だったうちの母が教えてくれたもので、他の加工ビタミンC製品よりずっと値段が安いのである。これを(母の命令により)毎日欠かさず飲むことにしている。さて、このように、この週末、私はほとんどずっと部屋で寝ていた。幸い気分が良くなってきたので、明日は学校に行けそうである。ほとんど何も食べてないので、お腹がちょっと引っ込んだ気がする。これは非常によいことである。最近どうも太ってきて、困っていたのだ。一番困るのは、ズボンがはけなくなることである。一番情けないのは、お腹がつかえて真っ直ぐ靴下が履けなくなることである。一番悲しいのは、「今日はどうもカラダが重い・・」と言っても、それは脂肪のせいでしょ、と誰も心配してくれないことである。この機会に更にお腹が引っ込めばうれしい。ただ、栄養が足りないせいか、やたらと「こむら返り」になる。さっきも足のつめを切ろうとしたら、みごとにコムラが返ってしまい、ううう、と部屋でひとり白鳥のポーズで激痛に耐えていた。これって、何か即効薬はないのだろうか。知っている方はぜひ教えてください。(11月24日)



この前の日曜日は「王たるキリスト」という祭日であった。カトリック教会の暦ではこれが一年間の最後の日曜日であり、今週が最後の週ということになる。そして来週の日曜日が「待降節(たいこうせつ)第一主日」であり、新たな一年の暦が始まるのである。待降節とは「降ってくるのを待つ季節」と読めるが、これはむろん、雨や雪が早く降らないかなぁと待つ季節なのではない。天から降りて来られる救い主キリストを待つ日である。すなわちクリスマスを待つ季節ということになる。だから12月24日クリスマス・イヴの日、その夜に行われる聖誕祭のミサが始まる直前までが待降節である。

しかし、ここでちょっと考えてみよう。救い主イエス・キリストが人となられ、この世お生まれになったのは、2000年ほど前のことである。そして毎年12月24日の夜がクリスマスと決まっている。それなのに、今さら「待つ」とはどういうことか。それはひとつには、私たちがこのお祝いのために「準備する」ということであろう。この準備には、ツリーを飾ったり電飾を灯したりプレゼントを買ったりすることだけではなく、私たちの心の準備も含まれる。心の準備とはいったい何か?それは、心の中にキリストを迎える準備である。ここに待降節の「待つ」ということの意味がでてくると思う。キリストはいろんな姿かたちで私たちに会いに来られるとキリスト教徒は信じているが、その出会いはハデな場合もあるだろうし、逆に誰も気付かないほどさりげない場合もあるだろう。キリストがどんなきっかけで、ひょいと私たちの心の中へと入って来られるのかは誰にも予測ができないのだ。

私は、「キリストが心に来られる」とは、「心に優しさと温かさが宿る」ということと、ほぼ同義であると思う。だから、なにもキリスト教徒の心だけにキリストが来られるのではないし、信仰熱心な人の心だけに来られるのでもない。あらゆる人々の心にキリストは来られ、力と勇気をお与えになると信じている。ただ、キリストが心に来られる時、私たちの心がゴミ箱のようにちらかっていたら、あるいは廃家のように荒れ果てていたら、または、震えてしまうほど寒かったら、どうであろう。せっかく訪れてくださったキリストも「なんだこりゃ」と呆れて出て行ってしまわれるかも知れない。そんなことがないように、心の中を大掃除して気持ちよく暖かにしておきましょう・・・ということで、この待降節があるのではないだろうか。心の中にキリストを迎えること、言い換えるなら優しさや暖かさを心に取り戻すこと、私が思うに、これがすなわちクリスマスである。みなさんもすでにお気づきのように、学内ではいろんなところでクリスマスの飾りつけが始まっている。それぞれの人にとって素敵なクリスマスが今年も迎えられるよう、この待降節の期間、一緒に心の準備もしていきましょう。(11月27日)



2002年10月の雑記へ

2002年12月の雑記へ