2003年11月の雑記




≪11月1日≫

★久しぶりに多治見(たじみ)の修道院に行った。



国道19号線沿い、多治見北高校のお隣り、虎渓山(こけいざん)の入り口に、この修道院はある。古く味のある修道院の建物が正面に立っている。広い敷地にはブドウ畑があり、自家製のワインが造られている。本館の裏にはログハウスが3棟立てられており、南山関係者の合宿場として利用されている。この修道院についての詳しい案内は、ここをどうぞ。かつてこの修道院は、神言修道会の東海地区の拠点であった。今も神言会の神父やブラザーのための墓地が敷地内にある。私も死んだらそこに葬られることになるだろう。

25年ほど前、私が修練士(しゅうれんし)だった時、修練士グループの作業として毎週名古屋からこの修道院にやって来て、ブドウ畑のお手伝いをした。(そのころ修練院は名古屋にあった)。その頃は今よりもずっとたくさんのブドウの木があり、ブドウの実の袋ガケや、畑の草刈り、収穫など、かなりたいへんな作業であった。しかし私は、のどかで純朴な多治見の雰囲気が大好きで、修道院に来るのは楽しみだった。修練期(当時は2年間)が終了した後も、夏休みにひとりでやって来て数週間ブドウ畑のお手伝いをしたりもした。懐かしい人たちの顔もたくさん浮かぶ。いろいろな思い出がある場所である。

今回は宿泊したので、夜の修道院の雰囲気も久しぶりに味わうことができた。広大な畑地はシンと静まり返る。奥の林の向こうには、修道院からは見えないが、流れの速い土岐川(ときがわ)が林を取り巻くように流れているのだ。その向こう側は広い森である。この林と川と森が多治見修道院の静かなたたずまいを守っている。空は星が相変わらずきれいだった。神学生の頃、私は夕暮れに修道院の窓からこの景色を眺めるのが好きだった。この修道院では、時間が普通よりもずっとゆっくりと流れているような気がした。忙しくあわただしい毎日を名古屋で過ごしている現在、私はもっとしばしばこの修道院に戻り、心の落ち着きを取り戻すべきなのかも知れない。

★ところで話は変わるが、南山大学名古屋キャンパスでは昨日から大学祭が開催されている。10月31日〜11月3日まで開催の予定。キャンパス内は非常に賑やかである。私の研究室はメインストリートの真上にあり、芝生広場のメインステージにも面しているため、祭の盛り上がりがリアルタイムに実感される。元気でたいへんよろしい・・・。どうぞみなさん、お気軽に見物にお越しください。



≪11月7日≫

★最近、ザビエルハウスのメンバーは、「ザビエラー」(Xavieror)と呼ばれているらしい。よくわからんが、妙に語呂がよい。けっこうイケてる呼び名かも。ザビエルハウスのメンバーとは、海外から派遣されて日本に来て、さしあたってまず日本語を勉強している、神言会の神学生たちのことである。だから本来のザビエラーは、この神学生たちのことである。だがそれに加えて、ザビエルハウスによく遊びに来るお友達もまた、ザビエラーと呼ばれているようだ。実は「聖ザベリオ宣教会」という修道会があり、その英語名は「ザビエリアン」(Xavierian)というらしいが、ザビエラーはそれとは別であるのでお間違えのないように(誰も間違えんわな)。ちなみに複数形は「ザビエラーズ」である。なんかちょっと響きがかっこ良く思えたりもする。

★先日「文化の日」の休日に、なにか文化の日にふさわしい活動をしようということで、皆で「カラオケ・ボックス」に行った。だってカラオケはあんた、日本が世界に誇る伝統文化ですがな(ホントか)。ザビエルハウスの連中と一緒にカラオケ・ボックスに行くのは初めてのことである。というか私がカラオケに行くことなど、めったにないことである。しかしなかなか楽しかった。うちの連中は意外なほどたくさん日本の歌謡曲を知っていたが、どうやら誰の何という曲かというのはうろ覚えだったらしく、似た題名の曲や、同じ題名の別の人の曲が次々と間違ってかかり、大笑いした。ポップなヒット曲をかけたつもりなのに、いきなり演歌が出てきたりするのだ。ザビエラーたちはなかなかやってくれる。人によっては、違った曲がかかってもそんなことにはお構いなく、自分が歌おうと思っていた曲を強引に歌い出すのだから、実にパワフルというか、凄まじい。お休みの日だったのにお店はガラガラで、我々だけしか客がいない感じであった。カラオケボックスの大音量にまったくひけをとらないザビエラーたちの大声が廊下に響いていた。

★ところで、高飛び込みの宮嵜多紀理(みやざき・たきり)選手のお兄さんから、以前私が雑記に書いたこと(これです)について、次のようなコメントをいただいた。

10月7日のザッキ見ましたよ
わかってるとは思いますが、あんな回転はしません
落ちるあいだ約2秒の1コマですから
あれはえび型といって10mの台からとんで
最も高い位置での1コマです アシカラズ



なるほどな〜。これは「えび型」というらしい。たしかに海老のようにも見えますねー。それに、これは落ちている瞬間ではなくて、「10mの台からとんで最も高い位置」で静止した瞬間だったのである。そうだったのかー。いやぁ、勉強になりました。今度東京に行ったら、ぜひ妹さんともお会いしたいです。



≪11月10日≫

★先日土曜日はザビエルハウスのコックさんである吉原さんの誕生日だったので、昼食を誕生会とし、いつもお世話になっている感謝の印として、2年次生の3人が料理を作ってご馳走することになった。

インドネシアのナシ・ゴレン(Nasi Goreng) これもインドネシアのルジャック(Rujak) ベトナムの生春巻き(まだ巻く前の状態)

見よ、このすばらしきアジア料理。日本の普通の料理にはない味である。とても美味しかった。今年のザビエラーたちの料理の腕はたいしたものだ。ベトナムのビンインは皆のために、生春巻きを食卓で次々と巻いてくれた。お湯に浸して柔らかくした薄い皮で巻くのだが、これをきれいに巻くのはけっこう難しいのである。ビンインはさすが慣れたもので、実に巧みにクルクルと巻いていた。

上の写真の真ん中にある、ルジャックというのは、フルーツ各種を特殊なタレというか調味料で和(あ)えたもの。りんご、梨、パイナップル、柿、アボカド、マンゴーなどが入っている。すこしスパイシーな味噌のようなこの調味料がまさにミソで、見た目は地味だが、実にうまい。


こういう調味料を使う。サンバル・ルジャック(Sambal Rujak)という名前が書いてある。ちょっとアップにしてみましょう。


どーん! おおおぉ〜〜!
なんというシュールなデザイン!アヤしぃ〜。好きだ〜。
幼な子が地球を征し、エビが喜び踊っているではないか。「蝦童」と書いてあるところをみると、この幼な子は「エビ少年(エビ色の字にしてみました)なのであろうか。英語で言うと、シュリンプキッド!(いらんなー)。 あ、あるいは、エビに乗った少年(・・・「イルカに乗った少年」のもじりです。ちょっと古いですけど)。 で、フルーツとの関係は・・?(特にエビの味がするわけでもないし)。よくわからんが、美味しかったので、ま、OK!


・・・ちなみに、これは「エビ型」。




食後に、インドネシアのコーヒーを出してくれた。ひとり分ずつ袋に入ったインスタントのもの。コーヒー豆の粉が少し沈殿するのが特徴的。インドネシア語では、コーヒーのことをこぴぃ(Kopi)と言うらしい。な〜んか、かわいくて、よい。



≪11月16日≫

★『ドク』というテレビ・ドラマのビデオを、うち(ザビエルハウス)の神学生たちが借りてきたので、一緒に見た。これは日本に来て日本語を勉強しているアジア諸国の留学生たちと日本語学校の教師との間の愛と友情の物語である。1996年10月〜12月にかけてフジテレビで放映されたドラマらしい。私はその頃アメリカだったので知らなかったが、かなり評判になったドラマだと聞く。主役はベトナム人の青年ドク君(香取慎吾)と日本語学校のユキ先生(安田成美)である。

ビデオは4巻セットになっていて長編であるが、とても面白く、続けて最後まで一気に見てしまう。ベトナムから来た留学生のドクが実にかっこいい。渋いぞドク。偉いぞドク。男だぞドク。このドラマをまだ見てない人のためにストーリーは明かさないが、最終回は感動のあまりうるうるしてしまった。

ドクは寡黙(かもく)な青年であり、しゃべる日本語は非常に訥々(とつとつ)としている。だが、彼は無駄な言葉をほとんど全く口にしないのだ。彼の言葉は少ないが、常に核心をついている。彼は本当に大事なことは何かということをいつもきちんと見ていて、言わなければならない言葉だけを礼儀正しく口にする。まったく惚れ惚れするほど品格のある男である。このドクにくらべて、私はなんとまあ無駄な言葉ばかりを日々口にしていることだろう。

ドクの役を務めている香取慎吾さんは、ベトナム人留学生風のヘタな日本語を実に上手に使っていた。その他の留学生役の男優や女優さんたち(日本人)も、それぞれの役柄に応じてみごとに訛(なま)ったヘタな日本語をしゃべっていた。まるでホンモノの留学生であるかのように見えた。これはそう簡単に出来ることではないと思う。このドラマに対する真摯な心意気が感じられて、私にはそのことも大きな感動だったのである。

ドラマとしてすぐれている上に、同じく日本語学校で学ぶ者として親近感があるためか、うちのザビエラーたちは熱心にじっとドラマに見入っていた。ドラマで使われるヘタな日本語が、彼らにはむしろ分かりやすかったようである。これは日本人のしゃべるヘタな英語が、アメリカ人には通じなくても日本人同士には分かりやすいのと同様なのであろう。また、時々出てくる主題歌(今井美樹が歌う「プライド」)もよかった。うちの連中は、最後の方ではこの歌をもう覚えてしまって、一緒に歌っていた。

実にいいドラマを見させてもらった。テレビと違って、コマーシャルによる中断がないのもうれしい。見逃していたテレビ・ドラマの名作がこうしてビデオで見られるのは、誠にありがたいことである。


さてそこで今回は、日本語学校的なモノをちょこっと・・・

≪ザビエラーのためのスペシャル日本語講座≫

(1)例をもとに言葉を書き換えなさい。

   (例) 「おいしい」 → 「おいしそう」

       1.「まずい」 → 「まずそう」 ・・・OK
       2.「あつい」 → 「あつそう」 ・・・OK
       3.「かわいい」 → 「かわいそう」 ・・・おぉっと、これは違いま〜す!

        ※正しい答えは: 「かわいい」 → 「ぶりっこ」
 ・・・ウソです。



≪11月25日≫

ホスチアを初めて注文してみた。ホスチア(hostia=ラテン語)とは、カトリック教会で「ごミサ」の時に使われる小さなパンのことである。ごミサとはキリストと弟子たちとの最後の晩餐(ばんさん=夕食)を記念する典礼儀式だが、その中心に、パンとブドウ酒がキリストの御聖体(ごせいたい)と御血(おんち)に変化する、「聖変化」と呼ばれる部分がある。そして、聖変化したパンとブドウ酒には最大の尊崇がはらわれるのだ。ホスチアとは、このような御聖体に聖変化する前のパンのことである。

御聖体とは違ってホスチアは、言ってみりゃ、ただのパンである。だから、あまり尊重される必要はない。しかしなんと言っても御聖体に変化するためのパンなのだから、そんじょそこらのパン屋に普通に売られていては困るのである。そこで、ホスチアは特別な修道院で特別に作られている。

さて、ではこの特別なパンはどんな形をしているかと言うと・・・白くて丸くて小さくて、薄っぺらい円盤型である。油を使わず、塩も砂糖も使わず、ただひたすら単純に素焼きしてあり、ペラペラと軽く、風が吹けばあっさり飛ぶ。味はほとんど無く、食べごたえのないこと甚(はなは)だしい。う〜む。パンとしての魅力にはかなり乏しいパンではある・・・。しかしながら、これは長い歴史を持つカトリック教会の中で生み出された形態なのであるから、なかなかどうして、あなどれないのだ。このホスチアは携帯性と保存性において、極めてすぐれている。大勢の信徒に均等に配付するにすこぶる便利である。

私が4年ほど前にザビエルハウスに来た時、典礼用具倉庫の中に、ホスチアの袋が大量に置かれていた。神父のどなたかが寄付してくれたらしい。袋はやや風化してホコリを被っており、見るからに古そうであった。しかし中のホスチアはぜんぜん大丈夫なのであった。さすがカトリックの伝統が生んだホスチアだ。すばらしい。(ちょっとだけカビくさかったですけど)。我々はそのホスチアを毎日使い続けた。そして先日、ついにそのストックが底をついたのである。

ホスチアはごミサの必需品なので、どこからか手に入れなければならない。調べてみたところ、ホスチアを作っている修道院は、そんなに多くはないが、いくつかあることが分かった。そこで、今回はシスターをしている妹(東京のサレジアン・シスターズ所属)の紹介で、東京八王子にある師イエズス修道女会にお願いすることにした。電話してみると、たいへん気持ちよく引き受けてくださり、注文したその翌日に、もう届いた。

この修道院で作っているホスチアは、我々がこれまで使っていたものとは少し違う形をしている。まず色が違うし、ちょっと大きい。ふむ。これは・・・けっこうおいしそうだ


ちょっと比べてみよう。右下の白くて小さいのが、これまで使っていたホスチア。直径約2.8センチ、厚みは約1ミリ。その左の白くて大きいのは、司式司祭用のホスチアである。厚みは同じ1ミリだが、直径は7.5センチ。聖堂の後ろの席にいる人たちにも見えるように、少しサイズが大きい。新しく送られてきたホスチアは右上のものである。ちょっと茶色っぽい。こんがり焼きたてのホスチアだ。直径は3.5センチ。そして、厚みは2ミリもある。白い小さなやつに比べて、明らかにこれは食べごたえがある感じである。

ずっと前のことだが、私はある人からカトリック教会のミサについて、こんな質問を受けたことがある。

 「あの・・・ミサの時に、皆さんが2列に並んでこう・・前に出て行くところがあるでしょう。
  そしたら、神父さんが何かこう・・ぺたっと貼るでしょう・・・口に。
  白くてまるい・・ええ・・薄っぺらい紙みたいなやつ。・・ありゃいったい何ですかね?」

白くて丸い紙のように見えたのは、きっと御聖体である。その時の御聖体に使われたのは、上の白い方のホスチアに違いない。もしこの茶色のホスチアの御聖体だったら、どう見えるのだろうか。(やはり単に茶色い紙だったりして)。ところで、ホスチアにはこの他にもバリエーションがあるのだろうか?赤とか黄色とか三角とか四角とか。あったら楽しいと私は思うのだが。しかし、ま、どう見えるかとか、味がどんなだとかは、御聖体の本質から言えば、ぜんぜんどうでもよいことなのですが。(十字架の形に真ん中にくり貫きがあったりしたらおしゃれかも・・・あ、ホントどうでもいいんですけど)。






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