2002年10月の雑記




「ザビエルハウス」という名前は、たぶん聖フランシスコ・ザビエルにちなんだ名前なんだろうと思う。だがこれは実は、建物自体の名前なのではない。海外から派遣されてきた人たちを迎え入れる家がザビエルハウスと呼ばれるのであって、場所や建物が変わっても、やはりザビエルハウスなのである。実際、10数年前は、いりなかの南山教会の前にザビエルハウスは建っていた。しかしこのザビエルハウスという名前がもとで、ちょっとした誤解をうけることがある。たとえば、電話でこの名前を伝えるのは、けっこう難しい。相手がご老人だったりするとなおさらだ。「え?何?さびれるハウス?」とか言われたりする。まだまだ寂れてはいません。どういうわけか、喫茶店に間違えられたこともあるらしい。わざわざ「喫茶ザビエルハウス様」という宛名で荷物が届いたのだそうである。更には、ある日、うちに遊びにきていたひとりの奥様が、電話で旦那様に「私は今、南山のザビエルハウスにいます」と言ったところ、旦那様はこれを、「ザ・ビール・ハウス」と聞き違えていたらしく、帰宅すると、「何で大学に飲み屋があるんだ?」と不思議そうに尋ねられたそうである。この聞き違えはおみごとだ、と私は思った。

時には、アパートと間違えられることもある。たとえばピザを注文したりするとき、「ザビエルハウスの井上」ですと言うと、「お部屋は何番ですか?」と聞かれる。もっともなご質問なのではあるが、うちは寮のような形式で住んでいるので、各自の個室はあっても、玄関はひとつなのだ。しかもこの玄関なのであるが、うちは通りより2.5メートルほど高いところに建てられていて、玄関は門のところから階段を登ったところにあり、通りからは二階に入り口があるように見える。そこで、「私の部屋に番号はついていますが、ないも同然です。一階の玄関にもってきてください。あ、入り口は階段上がった二階ですからね」と、まるで謎かけのような応えをしてしまう。そして、不安な気持ちでデリバリーして来た兄さんを出迎えるのは、何やらあやしい外国人集団なのである。ちなみにザビエルハウスは英語ではXavier Houseと書く。略するとX-House(エックス・ハウス)である。ますますあやしくなるのだ。(10月1日)



みなさんこんにちは。私は今、出張で京都に来ているのです。現在、夜の8時半。駅前のホテルの部屋から、このメッセージを送ります。モバイル・パソコンに携帯をつないで、南山にダイアルアップしてファイルをアップロードするという、やたらとカタカナだらけの、モダンなことをしてるというわけです。ふっふっふ。かっこよかろ?(これを一度やってみたかった)。今夜9時半に客人を駅に迎えに行きます。明日、京都を少し案内してから名古屋にお連れするのが、今回の私の任務です。私は京都に詳しいわけではないのですが、学長室の秘書の方が一緒なので、安心です。天気もよさそうです。それでは、また。(10月3日)



★任務を終え、無事京都から帰ってきました。ちょっと疲れた。京都では、金閣寺を初めて見た。というか、私は京都は、これまで京大と映画村しか見たことがなかったような気がする・・・。四条にある京極という商店街にも初めて行った。何となく名古屋の大須に似ている感じがした。私はこういうところが大好きである。あと、京都で感心したのは、車の駐車の巧みさである。狭い路地の前後左右ぎりぎりの空間に驚くべき技術でピタッと車を停めてある。いったいどうやって入れるのだろうか?恐るべし京都人・・・いや失礼、京都の人をほめるなら他にいくらでもほめるものはあるのであった。とにかく京都は大好きである。今度はもっとちゃんとお寺や神宮を見学させていただこう。(10月4日)



今日の午後、いりなかの南山教会で、名古屋司教の司式による叙階式(じょかいしき)が執り行われ、二人の新司祭が誕生した。いやめでたい。二人とも、わがザビエルハウスの出身なのである。司祭とは神父のことである。神父になるのはさほど簡単ではない。しかも今回新しく神父に叙階された二人は、インドとフィリピンの人である。日本の人々のために働くために、故郷を遠く離れて来日し、日本語を必死に学び、神学や聖書学の講義を日本語で受講し、教会での仕事や福祉活動などを通して日本の人々と触れ合い、神学院で何年もの間、必死の思いで修道してきたのである。そのなみなみならぬ努力が実って、このたび晴れて叙階となった。日本のために、これほどの苦労と忍耐を捧げてくれた二人に心から感謝したい。またこれから日本の教会で本格的に仕事をしてゆく二人を、誠意をもって支援したいと思う。ペラルタ神父(フィリピン)とロボ神父(インド)の二人だ。みなさんも、どうかこの二人のこと、よろしくお頼み申しますぞ。(10月5日)



うかつにも風邪をひいてしまった・・・。うう・・忙しいのに。しかし、きのう、人からすすめられたルルという薬を飲んでねたら、けっこう症状が和らいだように思う。効くみたいだ、この薬。だけど、この名前、もっとどうにかならんか→ルル。「あ、すいません、ルルください、ルル」なんて、男が薬局で買うにはかわいらしすぎて恥かしいではないか。同じ薬の男らしい名前バージョンってのがあれば便利だと思うのだが、どうか?たとえば、「必殺〜」とか「不屈の〜」とか「押忍」とか・・・これはしかし、ううむ、考えてみると、もっと恥かしいな。(10月7日)



昨日、うちの住人のひとりがケガをした。本屋でフォルダーをひとつ取ろうとしたら他のフォルダーもバラバラと落ちてきて、運悪く目に当たったらしい。身体が小さい人は高い棚のものを取るときには気を付けないと危ない。彼はまだ日本語ができないので、他の人たち2・3人が病院に連れて行ってくれたようだ。実は私は学校にいたので知らなかった。いや、実は携帯に電話してくれたそうなのだが、いつも音を消してあるので気付かなかった。というか、携帯はいつもカバンに入れっぱなしで、めったに着信チェックしないのだ。・・・すまん。 実はたいていは持ってくるのを忘れて自宅の机の上に転がっていたりする。これじゃいったい何のために携帯持ってるのか分かりませんな。でも外に携帯していくと、よくどこかに置き忘れたりするからあぶないのである。いちど、昭和警察さんから電話がかかってきたことがある。

「あーもしもし井上さんかね、昭和警察のものですが」
「え!警察ですか?私がいったい何をしたと・・・」
「いや何、携帯がね、届いてるんですが」
「なぜ私のだと分かるんです?」
「あんた、自分の名前ここに書いとるがな」 

あ・・。そういや、よく置き忘れるので、私は携帯に名前と自宅の電話番号を書いておいたのだった。・・・いやぁ、よかったよかった。まともかく、携帯は携帯しなきゃただの留守電。極力携帯するよう努力いたしましょう。(10月8日)



こないだ京都に行った時、四条の新京極で、のれんを買った。それを今日ためしに研究室のドアの前にかけてみた。ううう、これは・・・なんちゅうか、たいへん派手である。歌麿の画で、女の人が書物を読んで勉強している絵。まあ研究室にふさわしくなくはない柄だとは思うんだが、ちょっと・・なぁ。でもま、せっかく買ったんだし、しばらくかけといてみようかな。京都のみやげ物屋で見た時には、落ち着いた色の静かな柄だと思ったのだが、場所が変わると、こうも印象が違うのか。実はあと、これも歌麿の画のついたうちわと、舞妓さんシャ−ペンも買ってきたのである。私にはどうも観光地で衝動買いする悪癖があるようだ。しかも、そうやって買ったものにかぎって、なぜか使えないものが多いのである。今回の、うちわはまあよいとして、このシャーペンはいったい何だ。ピンク色で、頭に消しゴムの代わりにかわいい舞妓さんの人形が乗っかっているのだ。小学生か自分。う〜ん、なぜこんなの買ったんだろ?このシャーペン欲しい人、あげます。(10月9日)



★昨日お話しした、「のれん」と「シャーペン」をお見せしよう。これである。われながら、ほんにまあ場違いなものを買ってしまったものである。だがのれんは、思いのほか好評であった。ではしばらくはこれでいくかな。今日はたいへんすがすがしい、気持ちの良い天気だ。そういえば、以前は今日10月10日が体育の日であった。ちょっと調べてみたら、この祝日は1964年の東京オリンピックにちなんで定められたものらしい。オリンピックの開会日が10月10日だったのだ。それが10月の第二月曜日に変更されたのは2000年のことである。10月は秋祭りの月である。天気も良いことだし、のんびりとうまいものを食べ、うまい酒を飲みたいものだなあ。またひとつバーベキューでもやりますかな。(10月10日)



銭湯が好きで、よく行く。温泉が近くにあればもっとうれしいのだが、気楽に行ける銭湯があるだけでも十分にうれしい。現在のお気に入りは植田にある「天の湯」という所である。車で5分くらいの所にあるので便利だ。入浴料は大人500円だが、回数券を買えば一回の料金は約417円と割引になる。お風呂ならザビエルハウスにだってあるのだが、うちは外国人ばかりなので、日本の家庭のように同じお湯に皆が順番に入るということに抵抗を覚える人が多い。しかしだからと言って、各人が風呂桶にお湯をはっていては不経済である。そこで、うちでは風呂桶を使用禁止にし、シャワーだけを使うように決めてある。お湯に浸かってゆっくりするには、だから銭湯に行くしかないのだ。

ところで、ザビエルハウスのこの建物は、初めは女子学生寮だったそうである。ベランダハウスと言ったらしい。現在約10人程で満杯となってしまうこの建物に、何と30人もの女の子たちが住んでいたそうだ。今でも狭く感じられる各個室が、そのころはその半分しかなかったのだ。ベッドと机を置いたらもうほとんどスペースは残らない。今ではコンピューター室などとして使っている両端の部屋も、以前は個室だったわけだ。しかし疑問なのは、小さな浴室がたった2つしかないということである。1人15分くらいで順番に入ったのだろうか。さぞかし不便であったろうと思う。ひょっとしたら、どこか銭湯にでも出かけていたのかも知れない。それにしても、女の子たちのために作られたこの家に、今では男ばかりの集団が住んでいるというのも、なんだか不思議な気がする。(10月12日)

★私事で恐縮ですが、ちょっとご報告。先ほど学長室で丸山副学長お立会いのもと、マルクス学長から辞令書をお受けしました。助教授に昇格。いや、めでたい。よりいっそう仕事にはげむことにいたしましょう。(10月12日)



昨夜、南山大学内のパッヘスクエアで野外劇「受難」が公演された。私が所属する学科の学生がキャストやエキストラで出演するというので、観に行った。私の研究室がある棟から会場までは、ダッシュすれば(することもないが)5秒で行けるのだ。この野外劇は新約聖書の記述に基づいて、イエス・キリストが民衆からは誤解され、ユダヤ指導者層からは危険視されて、ついに十字架刑に処せられるまでを描いたものである。かなり重たい内容で、しかも3時間におよぶものであったが、すこしも飽きさせない、みごとな演出と演技であった。すべて「受難劇クラブ」の学生たちの手作りによるものである。毎年一回、秋に公演される。楽しみにしている人も多い。今年は第36回なのだそうである。つまりもう36年間も続いているのだ。たいしたものである。うちの学科の学生は、サタンと民衆のひとりとヘロデ王を、そしてエキストラで数名が十二使徒を演じた。なかなかの熱演であった。サタンをやった杉浦さんは実は私の指導担当学生でもある(コンパ以外にはまだ何も指導していないが)。日常の彼女からは想像もつかないド迫力のオソロシイ悪魔であった・・・(赤ちゃん怖くて泣いてたし)。私の指導が悪くても、あんなにコワく怒らないでね。(10月13日)



昨日の午後、私の研究室にひとりの学生が訪れた。おもしろい本があるからと、わざわざ持ってきてくれたのだ。彼とひとしきり雑談をした後、その日はこれといって何も予定がはいってなかったので、夕食がてら軽く一杯飲みに行こうと誘った。二人きりで行くのもなんなので、もうひとり誘ってもいいよ、と言うと、彼の友だちの女の子がちょうど学校に来ていたので、三人で一緒に出かけることになった。行き先は「えっちゃん」である。三人でしばらく飲み食いしていたが、私はふと、神学院のA君を呼ぶことを思いついた。A君は私の霊的指導担当神学生なのである。霊的指導者とは、彼に背後霊のようにとりついて日常生活を監視する者なのではない(それではストーカーである・・・)。そうではなくて、霊性を高める指導を行う者である。英語でスピリチュアル・ディレクターと言う。もっとも私の場合、A君とは飲む以外あまり指導のようなことをしてないので、このスピリチュアルはむしろ「酒(スピリット)的な」という意味の方が当たっている。ま、そんなことは、別によい。私は彼に電話した。私は一言言い添えた。

「ひとりでいいからね」

神学生たちは基本的にグループで活動するのである。A君は自転車を飛ばして、あっという間にやってきた。なんてすばやい・・・。四人でしばらく飲んだが、やがて最初の二人は帰宅し、A君と二人になった。さて、ではそろそろ我々も帰ろうかなと立ち上がりかけた時、もうひとりの神学生H君が現れた。A君と私が飲んでいることを聞きつけてやってきたらしい。それならと座り直し、またしばらく飲んだ。しばらくすると今度はL君が現れた。「え、キミもか」 そこで四人で飲みだした。L君がしばらく外へ出た。電話でもかけてるのだろうと思っていたら、何と、近所に下宿している女の子のお友だちを三人連れてきた。おいおい・・・。三人の子たちはいずれも南山の学生であったが、むろん私は初めて会う人たちである。しかしたいへん感じの良い子たちで、話が明るく盛り上がった。しばらくしてふと見回すと、いつの間にか二人メンバーが増えていた。そのうちのひとりはカメラを持ってきていて、パチパチと記念写真まで撮りだした。なんてことだ、これではまるっきり「コンパ」ではないか。えっちゃんのカウンターの席をほとんど占領して、りっぱなコンパがここに成立してしまったのであった。結局閉店まで皆で飲んでいた。

私はこれを・・・「いもづるコンパ」と名付けたい。(飲みすぎてしまった私は、今日はパワーがあまり出ない・・)。(10月15日)



このごろ、どうも食生活が貧しいように思う。私は授業があるないに関わらず、ほぼ毎日学校の研究室に来ている。仕事道具がほとんど全部この研究室に置かれているからである。食事は基本的に家(ザビエルハウス)に帰ってとることにしている。ところがこのところ、いろいろと用事ができて帰れないことが多いのだ。コンビニで買ってきたカップメンをすすったり、インスタント味噌汁を飲んだりしてばかりいる。これではよくないと思い、健康によろしそうなものがたくさん置いてある「ラ・プラス」に行ってみた。南山の正門から坂を下ってすぐのところにあって便利だ。私は実は、うちの事務の方のお勧めで、会員にまでなっているのである。けっこうおしゃれな感じの店で、どーも私には似合わないような気もするのだが。しかしともかく、そこで「乾燥大根葉」および「乾燥小松菜」なるものを購入してみた。

「安心、安全、簡単、うまい」

と書いてある。熱湯で5分で戻るらしい。これならカップラーメンに入れたら栄養補給ができそうである。さっそく試してみた。・・・ふうん。ま、悪くはない。確かに簡単ではある。だけど、これ、うまくはないよなぁ。だってぜんぜん風味がないのだ。味もほとんどしない。ただ、噛みごたえだけはちゃんとある。むかしアメリカの航空宇宙博物館で、宇宙食のアイスクリームってのを食べてみて、「ふうん、こんなのか・・」と思ったのになんだか似ている。何か妙にカナシイ気持ちになるのはなぜだろう?(10月17日)



(このエンブレムの説明は、南山大学HPから、「総合案内」→「南山大学のロゴ・エンブレム」へどうぞ。)

新しい名刺を作ってもらった。この新しいエンブレム入りのもの。私はこのエンブレムがとても気に入っている。南山をこよなく愛する私としては、こういうのが付いてる製品をもっとたくさん作って欲しい。「南山定期入れ」とか「南山さいふ」とか「南山ネクタイ」とかないのかなぁ。南山のロゴ入りのノートパソコンなんてのが出れば、さっそく買いたいと思うのだが。ただし、あまり安っぽいのは困る。高級感があってちょっとおしゃれ、というのが南山風でよろしいのではないかと思う。

★昨日、「西キリ思」(西方キリスト教思想)の授業のメンバーと共に「秋の親睦会」を開いた。要するに宴会である。ゲストにぢぇいふぉん氏を迎え、大いに盛り上がった。会場は、いりなかから壇渓通りに抜ける道を行って山崎川を越えてすぐのところにある「檀渓」。落ち着いた雰囲気の座敷でくつろげる上、料理もたいへんおいしかった。おすすめである。参加者へご連絡→その時にデジカメで撮りまくった写真を見たい人は、私の研究室へ。CDにこんがり焼いてお持ち帰りもできるよ。(10月18日)



うちのコンピューターは、よく故障する。ザビエルハウスには共同用として、合計5台のコンピューターがある。ただし、このうちWindows 95が入っている3台は、もう相当古くて動きが遅い。そのため、この3台は、宿題をしたり手紙を書いたりといった、単純でジミなことがらにもっぱら使わている。そのせいか、めったに故障しない。よく故障するのは、Windows MeとXPが入っている比較的新しい方のコンピューターである。この2台はインターネットに接続されていて、みんなが毎日よく使っている。新しいだけに動作が軽快で、快適に仕事ができる。ところが、どうしたことか、ある日忽然として動かなくなるのだ。動かないと言っても、いろいろなレベルがある。リセットしたり、エラーチェックしたらまた動き出す程度なら、まだ軽症である。うちの場合、ちょっとやそっとの「動かない」ではなくて、「リカバリーしなきゃ動かない」くらいのレベルに達することが時々あるのだ。こうなると、中身を全部入れ替えて一からやり直さなければならないのだ。コンピューターのマニュアルが全て日本語で書かれているので、私がそれをやることになるのだ。この作業にはとてつもなく時間がかかるのだ。だから、お願い、どうか勘弁してほしい。

しかし、いったいどうすれば、ここまで壊れるのだろう? 「ついうっかり間違ったキーを押しちゃいました〜」くらいでは、こうはならないと思うのだ。私の推測では、マシンの機能をあれこれ試して設定を変更してみたり、インターネットからいろいろなソフトを無闇にインストールしてみたりしたのではないだろうか。そういうことを時々ムショーにやってみたくなる気持ちも分からないではない(自分がけっこうそうなので)。だが、重大な変更をやってしまいそうな時には、確認のメッセージや危険を知らせる警告などが、ちゃんと出たはずなのである。それを、「あれ?何これ?まあいーや、行っちゃえ!」と、何が書いてるのかよく分からないままに、適当につき進んでしまったのではないだろうか。そして知らぬ間に、設定がめちゃくちゃになったり、大事なファイルが消えたり、怪しげなものが組み込まれたりしてしまったのであろう。私の経験では、何かメッセージが出てきて「はい」か「いいえ」かを選ばなければならない場合、「はい」と答え続けると、着実に状況は悪化していくように思う。(今ふと気づいたが、日常生活でも、このことは同様かも知れない)。みんな・・・「ノーと言える外国人」になれるよう、日本語の勉強がんばってくれ。(10月20日)



何日か前にお話しした「舞妓さんシャーペン」なのであるが、(これについては、上の10月9日と10日の雑記をご覧あれ)、藤沢市にお住まいの幼稚園児、かなちゃんから、「ほしぃー」とのご要望があったので、さっそくお贈りすることにした。喜んでいただけるなら、わざわざ京都で買ってきたかいがあったというものだ。どうか私のかたみだと思って大事に使ってください。それにつけても・・・今や、「園児もインターネット」の時代なのだ。そのうち例えば○○幼稚園ゆり組、ばら組、さくら組ホームページってのが出てきて、園児たちが掲示板に書き込みをしたり、チャットしたりするようになるのかも知れない(あるいはもうなってるのか?)。漢字はさすがにまだ読めないだろうから、きっと全部ひらがななんだろうなぁ。かわいらしいようでもあるし、不安でもある。インターネットは、外の世界へ通ずる「どこでもドア」のようなものである。それこそありとあらゆる外の世界に出かけられる。しかし、どこに出てどんな人に会うのか分からないのであるから、その子が外に出かける時のように、お母さんか先生かがちゃんと見ててあげないと危険だと思う。(10月21日)



伊勢管弦楽団の皆さんと、またご一緒に演奏をさせていただくことになった。これはうれしい。今年の5月12日(母の日)の定期演奏会でブルックナーの「テ・デウム」他のオルガン・パートを務めさせていただいたのに続き、2回目である。今度は来年の1月13日(成人の日)に、モーツァルトの「レクイエム」他のオルガン・パートをやらせていただく予定。私のような者が参加させていただくのはたいへんおこがましいのだが、プロのオルガニストであり私の先生でもある吉田徳子さんが、親切な教育的ご配慮により、機会を与えてくださった。たいへんありがたいことである。吉田先生のキビシイ特訓を受けつつ、誠心誠意を込めて準備させていただきたいと思う。伊勢管弦楽団の方々はどなたも、とても気さくで優しく、かつ酒がたいへん好きなのである。5月の演奏会の時には、ご一緒にとても楽しい時を過ごさせていただいた。また一緒に練習したり演奏したり呑んだりできると思うと、うれしくてついつい、うふふふっと顔がほころんでしまう。伊勢というところがまた、たいへん風情があってよろしいのですなぁ。演奏会の日が近づいてきたら、もっと詳しくご案内させていただきましょう。(10月23日)





この秋セメスタの講義、「典礼音楽」を受講している学生は、合唱団として、年末に開催される2つのイベントに参加することになっている。そのうちのひとつは、12月8日に南山教会で開催される「アドヴェント・オルガン・コンサート」である。オルガニストの吉田文(あや)さんのリサイタルに、合唱団として賛助出演する。上の写真が、そのポスターである。このように、かなり本格的な音楽会なのである。こんなに本格的なものだとは、実は私も知らなんだ(ははははは)。合唱団は、その名も、

「コールス・アンジェロールム」(天使たちの合唱団)

ああ何とまぁ美しい。名前に負けないように、がんばって練習しましょ。合唱指揮は、ぢぇいふぉん西脇氏である。(ちなみに私は、練習用オルガン係。むろん歌わないのでご安心を)。音楽会に興味のある方は、私か西脇氏にご連絡ください。入場料は一般2000円、学生1000円です。(10月25日)



ザビエルハウスで久しぶりにバーベキュー(BBQ)パーティーを開いた。ハウスの3年次生に、テオとファビオという2人のパラグアイ人の神学生がいる。この2人は料理が非常に上手で、特にBBQをやらせたら天下一品の名手なのである。今年6月から彼らは実習のために町の教会に出ていて、いつもはハウスにはいないのだ。しかしせっかく秋だし、いちおうBBQの季節だし、とりあえずこの週末みんなヒマだし、でも誰もやり方知らんし、だからたまには一緒に呑もう、ね、よろしく頼むね、ということで、全面的にこの2人にお任せしてやってもらった。さすが、BBQ名人。みごとなものであった。どうもありがとう。さて、参加者の皆様へ→その時の写真をご希望の方は容器(CD-R)をご持参の上、ザビエルハウスへどうぞ。お好きなだけ何枚でもお焼きしまするぞ。

★南山の、うちの学科の合同研究室の秘書のぴょんきちさんが、このたびカトリックに改宗されることになり、今日の夕方その式がある。司式は前学科長の鳥巣神父さん。なにぶんにも、ぢぇいふぉん君や私をはじめ(自分で言うのもなんだが)南山の神父たちの超越的な能天気ぶりを毎日見ているにも拘わらず、あえて改宗を決意されたのだから、これはそうとうホンモノであると思う。ようこそぴょんきちさん、カトリックの世界へ。うちの学科の合同研究室は、ぴょんきちさんたちのおかげで、とても明るく気楽な雰囲気があって、ほっと一息つける。お茶やお菓子もあるので、私にとっては合同「研究室」というよりむしろ、合同「休憩室」という感じである。ぴょんきちさん、これからもどうぞよろしくね。(10月27日)



急に寒くなってきたので、黒い皮ジャケットをタンスから出して着だした。もう10年以上愛用しているもの。なかなか丈夫でよろしい。でもいつも同じ格好になってしまうので、我ながらつまらない。実は私は、他のジャンパーもいくつか持ってはいるのである。ところが、なかなかそれらを着る機会がないので残念だ。なぜかというと、それらはすべて薄手のピラピラのジャンパーなのである。名古屋では、暑い夏が終わると、あまり間をおかずに、すぐ寒くなる。つまり涼しい日々というのが、とても短いのだ。だから、薄手のジャンパーは中途半端なため、出番がないのである。ところで、そろそろ「衣替え」やるかな。私の場合、秋になり、半袖のシャツでは肌寒くなってきても、衣替えするのが面倒くさいので、もうちょっといいやと我慢する。そうやってちょっと我慢しているうちに、もう長袖どころか、厚めのジャンパーが必要になるくらい寒くなってしまうのだ。持ってるコロモがとても少ないので、30分もあれば衣替えはすんでしまうのだが。

ところで余談だが(もっとも、ここに書くことはすべて余談だが)、私は長い間、「ジャンー」が正しいと思っていたのだが、調べてみたら、正しくは「ジャンー」と言うようである。皆さん知ってましたか?(10月29日)



12月8日のコンサートでお世話になる、オルガニストの吉田文(あや)さんが昨日帰国されたので、彼女のお母さん、ぢぇいふぉん氏と4人で食事に行った。このメンバーで食事に行くとは、すなわち、「居酒屋に飲みに行く」ことを意味する。吉田さん親子お気に入りの居酒屋は、先にすでにご紹介したことのある「檀渓」である(10月18日の雑記をご参照あれ)。ところが、実はこの店、水曜日が定休日なのであった。4人ともそれを知らなかった。店に行ってみると、看板はむろん下ろされていた。しかし幸い、ご主人が中で仕込みをしておられた。我々の突然の来訪に驚ろかれたが、せっかく文さんがドイツから来られたのだからと、このご主人はたいへん親切にも、我々だけのために店を開いてくださったのである。4人だけの贅沢な貸切りパーティーだ。ご主人は、おでんや、田楽豆腐、銀杏、キノコ鍋など、お店に残っていたネタを上手に使って、おいしい料理を出してくださった。おじさん、本当にどうもありがとう。

★南山大学・名古屋キャンパスでは、明日から4日間(11月1日〜4日)、大学祭を開催いたします。いろいろなイヴェントや出店が企画されているようです。お時間のある方は、どうぞ遊びにお越しください。南山大学同窓生のためのホームカミング・デーは3日(日曜日)です。多くのイヴェントは「雨天決行」ですので、朝からどしゃぶりの雨でも、どうぞ安心してお出かけくださいませ。(10月31日)




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