教員essay

【ゴールドコースト通信 第二部】


4.ゴールドコーストの海岸
 健康を回復してから私は何度かゴールドコーストの海で泳いだ。ここの海での水泳は優雅な遊びのように見えるが、南太平洋の高波と向き合う危険なスポーツでもある。その危険から人々を守るための手段もいろいろと講じられている。以下は、ゴールドコーストの海岸について私が得た情報と実際に泳いだ体験に関する記録である。


4−1 ゴールドコーストの海岸
 ゴールドコーストと限らず、オーストラリアの海での遊泳にはルールがある。浜に上が赤、下が黄色の二色に塗り分けられた旗が二本立っていたら、その間で泳ぐという鉄則である。もっと厳密に言うと二本の旗から海へまっすぐ伸びる二本の線を思い描き、そこから出ないように気をつけて泳がなければならない。旗と旗との間は二百メートルくらいしかないこともある。また、浜に赤い旗が立っていれば遊泳禁止で、黄色い旗が出ていれば遊泳注意である。サーフィンの印の旗は、そこが水泳ではなく、サーフィンの可能な箇所であることを示している。
  ゴールドコーストの海岸は写真から受ける印象とは異なり、波が荒く危険である。そのため、市は多くのLifeguardsを雇って救命活動に備えさせている。彼らによる監視は20の浜で毎日、42の浜で学校の休み中に行われている。ゴールドコースト市の人口は約45万5,000人でオーストラリアの都市の中では第六位であるが、Lifeguardsの数は第一位である。彼らは浜辺に専用の四輪駆動車をとめて、双眼鏡を持って監視していることが多い。遊泳可能な浜には、見張りのやぐらのような小屋も建っているが、そこで監視が行われているのをあまり見たことがない。
  Lifeguardsは年に二回体力測定を受け、また救命技術や応急手当などの試験を受けることになっているそうである。


4−2.サーファーズ・パラダイスで泳ぐ
 四月の下旬になり、もうかなり健康状態が良くなっていた私は、サーファーズ・パラダイスに泳ぎに行った。この日は風が強く、赤と黄色に塗り分けられた旗と旗の間には遊泳注意を示す、黄色の旗が立っていた。
  沖から打ち寄せる波は荒かった。私はゴールドコーストに来てから病気になるまで、毎週少なくとも5回は大学のプールで泳いでおり、体力がなくても水泳には自信があった。また、小・中学生時代の夏休みには神奈川県の湘南海岸や走水海岸、高校時代には千葉県外房で泳いだ経験があり、海での泳ぎ方を心得ているつもりだった。しかし、壁のように持ち上がってそのまま浜に迫るような高波を見たときは怖いと思った。
  浜から沖へ向かって少しずつ進んでいくと、その高波が近づいてきて私の頭を越え、続けてさらに高い波が押し寄せて私を飲み込んだ。私はこの時、海の中をよく見ておこうと思った。水中眼鏡を通して見た海水は細かい砂で灰色に濁っていた。その中を昆布のような海草の小さなかけらが漂っていた。ゴールドコーストの海岸は遠浅で、浜の近くには岩がなく、そのため浜に海草が打ち寄せられている光景を目にすることはめったにないのであるが、沖からはやはり、海草が少しずつ流れてきているのだと思った。
  海は沖ほど青く、浜に近いところほど緑色がかっていたが、波が砕けるたびに砂が巻き上げられ、場所によっては緑色の波の只中に黄土色に濁った渦ができているように見えた。私はそのような所の砂をすくってよく見たが、肌色に近い黄土色の非常に細かい砂に黒や白のやや大きな粒が混じっており、白い粒の中には、貝殻を思わせるものもあった。
  波と波の間隔が何となくわかってきたので、私は少し沖の方へ進み、波に乗って泳いだが、浜へ一気に叩きつけられるような感じであった。この海岸はやはり水泳よりサーフィンに向いていると思った。何度か岸近くの砂で膝をこすった。二十分くらいそのようにして泳いでその日は引き上げた。
  翌朝も私は同じ場所で泳いだ。前日より波はおだやかになっているような気がしたが、それでも浜には黄色の旗が立っていた。Lifeguardは四輪駆動車に乗って双眼鏡で監視していた。
  赤と黄色の二本の旗の間から、そろそろと海にはいった時に私が気づいたのは、この地点では、二つの方向から波が押し寄せているということであった。一つは。海岸にまっすぐ向かってくる波でもう一つは海岸線に対して110度から120度の方向から来る、やや弱い波である。二種類の波が干渉しあうため、浜に砕けるときの力は少し弱くなっていた。また、波が重なるため、海水が少し盛り上がっているように見えた。ここが遊泳可能になっているのは波が弱くなるような海底地形のおかげではないかと考えた。
  私は大波をかぶりながら何度も沖から浜に向かって泳いだが、一度遊泳可能な区域の外へ出てしまってLifeguardに注意された。旗と旗との間はわずか200メートルしかない。旗をよく見ながら泳いだつもりであるが、波に流されたのである。
  帰りはカビル通りを通ったが、この通りが遊泳可能な区域のちょうど背後にあるため、浜を歩くのにあまり時間はかからなかった。否、遊泳可能な区域の近くから観光業が発達していったと言うべきであろう。
  カビル通りから見ると、浜に立って海を眺めている人は多いが、泳いだりサーフィンをしたりしている人はあまり多くなかった。それは、泳げる箇所が海岸のごく一部でしかないので、当然である。





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