教員essay

【ゴールドコースト通信 第二部】


3.ゴールドコーストでの入院
3−1.真夏の入院
 観光客と一緒に国立公園を見学したことは、私にとって貴重な経験であった。しかし、そのあとに試練が待っていた。国立公園を訪れて大勢の日本人観光客と会ったことが原因かどうかはっきりしないが、それから一週間ほど経った頃風邪気味になり、やがて38度を超える熱を出してしまった。
  私はその時海岸通りの医療センターへ行き、風邪薬やうがい薬を処方してもらった。なぜその医療センターを選んだかというと、私は運転ができないため、市バスの停留所から遠く離れた病院に行くことが難しかったからである。しかし、それが最適な選択であったかどうかはわからない。それから一週間たっても良くなるどころか、ますます悪くなるように思われた。夜の一時ごろ、胸が苦しくなって目をさまし、三十分くらい重い咳を続けたこともある。朝は熱がなく、直ったのかと思っても午後になると39度近い熱が出る。そして、呼吸をするたびに咽喉の奥で雑音が聞こえるようになった。これは明らかに良くない症状だった。三月の半ば過ぎに再び海岸通りの医療センターを訪れた私は予想通り、ドクター・Mという方からX線検査を受けるようにと指示された。しかし、そのセンターにX線の設備はないので、指定する病院のどれかで検査を受け、写真を持ってくるようにと言われた時は少し驚いた。胸部間接撮影ができない病院があるとは予想していなかったのである。センターは海岸通りに位置しているところを見ると、どちらかと言えば観光客の急病や怪我への対応を主目的としていたのかもしれない。その日はあいにく土曜日で、候補にあげられた病院はいずれも検査を受け付けていなかった。
  翌週になって、サウスポート(※2)にある放射線専門の病院で検査を受け、写真を持って海岸通りの医療センターに戻ったところ、ドクター・Mからは「重い肺炎にかかっているので、すぐ入院するほうが良いですよ。」と言われてしまった。私はその時初めて胸部X線写真を見たが、なるほど右肺の下半分が真白に写っていた。
  ドクター・Mは、サウスポートのA病院の知り合いの先生を紹介してくれると言った。私は一瞬ためらった。一人暮らしをしており、入院にはさまざまな不都合が予想されたためである。しかし、「重大な症状に陥るかもしれないので、A病院の救急外来を予約しますよ。すぐ行ってください。」という勧告に従わないわけにはいかなかった。
  この時の私は高熱のため、背中も腰も足も痛み、五十メートル歩くのも辛く感じられるほどであった。しかし、食欲はあり、救急外来に入院する前にどうしても何かを食べたいと思った。「今、食事をしてもよいのですか。」と聞くと少量なら良いということであった。そこで私は医療センターを出て近くのレストランに行き、路上の丸いテーブルに座った。
  レストランの人が出てきて、“Are you on a holiday?” と私に尋ねた。この台詞はゴールドコーストでは日常的な挨拶の一つであり、“Hello.” とあまり違いがない。それはわかっていたが、この時の私は答える気力がなく、ぶっきらぼうに水が欲しいと言ったのを覚えている。しかし、水を飲んだあとで周囲を見回したときには自分が休暇を楽しんでいる暇人のように見えても仕方がないと思った。というのは、レストランは、この一帯で最も早くから観光業が発達し、今もサーファーズ・パラダイスの中心地として賑わうカビル通りに面していたからである。しかも私はゴールドコーストに来てから何十回も屋外のプールで泳いだため、日焼けしており、病人には見えなかったことであろう。
  私の傍らを半ズボンにサンダル履きの人や、水着の上にタオル生地のはおり物をかぶった素足の人たちが通り過ぎて行った。後に述べるように、海岸には泳げる場所と泳げない場所とがあるが、カビル通りは遊泳できる地点に近いため、海水浴をしてホテルに引き上げる人たちが通っていたのである。
  レストランからは海が見えた。海の色は海岸からの距離によって異なり、水平線の近くでは紫に似た群青色であるが、その手前は少し薄い青で、さらに近いところは薄緑色に見えた。普段は強い海風がこの日は凪いでおり、波は比較的おだやかであった。海岸とエスプラネードと呼ばれる海岸通りとの間に植えられた樹木の下では頭が黒く、体の白い朱鷺(※3)が悠々と歩いていた。私はこのような風景を眺めながら三十分ほどかけて食事をした。そして、入院のための買い物をしてからタクシーに乗った。
  A病院の救急外来室ではいくつもの問診を受けてから、左手の甲に静脈注射のための針を埋め込む処置を受けた。この国では肺炎の患者もがんの患者も等しくその位置に注射針を入れられるのだ、ということをその時知った。救急外来室では二度ほど抗生物質の静脈注射を受けたが、そのたびに手の甲がひんやりと冷たくなった。
  夕方になって移された一般病室はバスルームのついた個室で清潔感があった。そこで夕食のメニューを聞かれた時は驚いた。パンやスープ、メインディッシュ(魚、鶏、肉)、デザートなど、何種類もの中から選ぶことができたからである。それらはすべてプラスチックスの覆いをかけられ、大きなお盆に載って運ばれてきた。ただし、メインディッシュには期待どおりのものとそうでないものとがあった。日本の病院によくあるタイプの点滴は私には全く行われなかった。そのため、私は自由に動くことができたが、咽喉がかわいてたまらず、いったん眠りについてから何度も目をさました。この夜、担当の看護師が頼まなくてもほとんど一時間おきに紅茶やジュースを飲ませてくれたことには今でも感謝している。


3−2.理学療法
 翌朝、看護師から「今日は理学療法士に来てもらいます」と言われたときにはその理由がよくわからなかったが、「この国では肺炎の治療に抗生物質だけではなく、理学療法を用いることが一般的なのです。主治医がすでに、理学療法の専門病院に依頼しました。」ということであった。それでは理学療法とはどのようなことかと聞くと、血行を良くして細菌を早く体外に出させたり、肺機能を回復させたりすることであるという答えであった。
  昼近くになって、女性の理学療法士がプラスチックスの玩具のようなものを持って現れた。その中に呼気を吹き込んで玉を一定の高さに止めるように、ということであった。その練習が肺の機能を正常化させるのに役立つのだそうである。プラスチックの玉は動きやすく、定められた位置に止めるのは難しかったが面白くもあり、私は何度も練習した。
  しかし、理学療法はそれで終わったわけではなかった。理学療法士は、「たくさん咳をして肺の中の悪いものを可能な限り、体外に出す必要があります。ちょっと痛いかもしれないけれど、我慢しなさいね。」という意味のことを言った。何をするのかと思っていると、私を大きなバスタオルで包んだ上、背中の右寄りの部分をかなりの力で殴ったのである。私は五回も六回も殴られた衝撃で、呼吸ができなくなるのではないかと思うほど咳をした。一分以上も咳が止まらず、何という手荒な療法だろうと思ったが、やがて落ち着いて気分が良くなった。
  幸い、問題の右側の肺は、入院してから三日後には全快といえるほどに回復していた。私は我儘を言って入院から五日目に退院させてもらった。


3−3.鳥たちを眺める日々
 退院直後は疲れていて、何をするのにも手間取った。誰でも病後はそうであろうが、私の場合、もともと低かった血圧が病気で一層低下したこともあって、倦怠感が強くぐったりしていた。
  昨年九月から、ほとんど毎日のように共同研究を続けてきたNoel Gaston先生は入院中も来訪し、退院後も二度、奥様と一緒にパンや飲み物をアパートに運んで下さった。そのときは自分で買い物ができず、食べるものをどうしようと考えていたが、ご夫妻のおかげで助かった。
  四月になり、私は少しずつ外を歩けるようになったが、思うように行動することはできなかった。しかし、憂鬱な気分にはならなかった。アパートのまわりにいろいろな鳥たちが遊びに来て、目を楽しませてくれたからである。
  ある朝、私がアパートを出て近くの公園に行き、芝生に座って実家の者と携帯電話で話をしていると、近くの茂みから黒白まだらのマグパイ(Magpie)の雌が飛び出してきた。彼女はこわごわ近寄ってきて、首をかしげて私の青い携帯電話をしげしげと眺めた。マグパイは非常に好奇心の強い鳥なのである。
  その時私は、五メートルほど離れたところに大柄なマグパイの雄がいることに気づいた。彼は、探検好きな妻のことを心配してついて来たのである。なお、マグパイはたいてい、つがいで行動し、雌があちらこちらをほっつき歩く間、雄はじっと見守っている。雄は「大丈夫かな、うちのかみさん、あんな所に行って。」と言っているように見える。
  そんな時のマグパイは愉快な森の住人であるが、性格は必ずしも温和ではなく、怒ると恐ろしい。ある日の夕方、私は二羽のマグパイが一羽のカラスを追いかけるのを見た。マグパイの攻撃はしつこく、カラスは必死で逃げていた。しかし、マグパイたちは松の枝にカラスを追いつめて、ついに嘴で突いたようであった。三羽は一緒に背の低い木の上に「どすん」というような音とともに落ちた。鳥の喧嘩とは思えないようなすさまじさであった。
  大学の周辺にはマグパイに似た白黒まだらのPied Butcherbird(※4) という鳥もいる。マグパイより一回り小さく、よく見ると白い部分と黒い部分がマグパイとは反対になっているように見える。この鳥は別名をOrgan birdという。暁に音程の変化に富んだ四分の三拍子の歌を歌っているのがよく聞こえる(※5)。私はマグパイのつがい三組が群れている中に、この似て非なる鳥が紛れ込んでいるのを見たことがある。Pied Butcherbirdが六羽のマグパイに囲まれて歌い始めると、マグパイたちは妙な顔をして、しかし一生懸命に聞き入っていた。
  私は四月の半ばになるまで、疲労や不眠に悩まされ続けたが、この鳥たちのおかげで一度も暗い考えに取り憑かれることがなかった。


※2. サウスポートには病院や専門医のオフィスが集中している。
※3. Australian ibis
※4. Piedとは、「まだらの」という意味である。Magpieのpieも同じである。
※5. 親が子に辛抱強く歌い方を教えるそうである。



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