ボンド大学は1989年創立の小規模な私学で、2005年2月現在五学部から成り立っている(※4)。健康科学部に新設された医学コースは2005年5月から新入生を受け入れることになっている。
この大学にはオーストラリアの他の大学とは異なるいろいろな特徴がある。まず、三学期制でそれぞれの学期の始まりは1月、5月および9月である。そして各学期の始まりに学生を受け入れている。2005年1月に入学した学生は2006年の12月までに所定の単位を取得すれば2007年の2月に卒業式を迎えることができる。医学コース以外の学生は二年間で卒業し、社会人になることができる。
私は東京の短期大学に勤めていたことがあり、二年間で卒業できると聞いたときにはその当時を思い出した。しかし、ボンド大学は日本の短期大学とは大きく異なっている。学期と学期の間の休みは20日程度しかなく、学生は年間300日近く勉強しなければ卒業に必要な単位をとることができない。そのような学生生活は2ヶ月近い夏休みを楽しめる日本の大学や短期大学のそれと比べてかなり厳しいように見える。しかし、広報担当者によると、留年者はほとんどいないということであった。オーストラリアでは10年間好況が続き、企業からの求人数が多く、1月卒業でも5月、9月卒業でも同じように就職できるそうである。そして、ボンド大学の卒業生に対する需要は特に高く、多国籍企業や世界的に評価の高い監査法人などに就職する学生も多いという説明を受けた。
ボンドのもう一つの特徴は徹底した少人数教育である。2005年2月現在、学生数は(多少出入りがあって厳密な数字を出すことは難しいが)2700人程度、教員数はおよそ250人であるから、ひとりの教員が担当する学生数は10人あまりである。なお、学期の変わり目ごとに入学者と卒業者がいるため、学生数は学期により変動している。ビジネススクールの学生数は2005年2月現在約600名で専任教員数は33名であるから教員一人に学生18名ということになる(※5)。ビジネススクールでは必修科目でも受講生20人から30人程度の授業が多い。統計学を担当している教員は、数学の嫌いな学生もいるが、質問に来たときにやりかたを何度も説明しているとわかってくれると言っていた。これは少人数教育の成果であろう。パワーポイントを使った授業の準備に大変な時間を費やしている教員も多い。印刷室では教材が絶え間なく印刷され、とじられているが、その多くは授業の教材である。教員はオフィスアワーになると研究室の扉を開けっ放しにして学生の質問を受け付けている。ビジネススクールの四階中央の踊り場のようなところにソファーと小さなテーブルが置かれている。そこは、教員と学生との議論の場になっている。学生が数人、ソファーに座って教員の帰りを辛抱強く待っている光景が毎日のように見られる。教員が長時間にわたって学生と話し合っているのを見たこともある。社会人と思われる、年配の学生がその踊り場でノートパソコンを使ってプレゼンテーション画面を教員に見せ、コメントを求めていたこともある。
ボンド大学の教員には教育熱心な人が多い。その一つの秘密は三学期制にあると考えられる。1月から4月までの学期と5月から8月までの学期の授業を担当した教員の多くは9月から12月までの4ヶ月間は担当科目がなく、研究休暇と同じような状態になる。この研究休暇を利用して毎年のように海外の大学や研究所の訪問研究員になっている教員もいるし、母国の大学に戻って資料を集める人もいる。インドやパキスタン、中国出身の教員には特にそのようなサイクルで動いている人が多い。研究の学期と教育の学期とがはっきり分かれているため、研究の学期には研究、教育の学期には教育にそれぞれ集中できるようである。研究と教育とその他の仕事を同時並行させようと苦労している姿はあまり見られない。また、教育熱心のもう一つの理由は平均年齢が低いことにあると考えられる。若い教員の中には何とか教育の実績をあげたいと努力している人たちもいる。ちなみに、毎年、教育の面ですぐれた成果をあげた教員は表彰され、その名を入り口の壁上の飾り板に記されることになっている。
なお、ビジネススクールのundergraduate courseには10名ほど、graduate courseには14名の日本人留学生がいるということであった。日本からundergraduate courseに留学すると、就職が決まったとしても卒業の月が日本企業の年度の始まりに合わなくなってしまいがちである。そのため、undergraduate courseよりもgraduate courseで学ぶ日本人留学生が相対的に多いということであった。 |