センター員の活動

【ジャワ地震被災地における宗教組織の活動No.3】                                小林寧子


 それでは、肝心のNUはどうかというと、その活動は見えにくく、個々のキヤイやNU下部組織(LAKPESDAM-NU)の活動家に現場で話を聞いてみた。LAKPESDAM-NUというのは1984年にNUが政治撤退をして宗教社会団体に会期するという姿勢を明確にしたあと、社会開発機関としてつくられた組織体である。ジャカルタには調査研究所もあるが、全国で活動が展開されているわけでゃなく、いくつかの地域支部が比較的活発に動いているにとどまっている。このNU系の人たちからはNU中央執行部(PBNU)からの支援はわずかしか届いておらず、「真剣さに欠ける」という失望の声が聞かれた。また、NUを基盤とする民族覚醒党は裁判沙汰の内紛が続いており、被災者支援活動にまで気がまわらないのであろうとあきらめがちの口調でもあった。ただし、キヤイは学校運営の責任者であるのみならず。土地の有力者でもあるという立場で人脈が広い。域外のNU支部・関係者から直接に支援を受けたり、他組織からの支援の申し出を受けたりすることができた。また、丁度私の滞在中であったが、被災地のキヤイたちは自ら連絡協議会を立ち上げ、NUのネットワークを通じて全国に支援を呼びかけ始めた。結局旧来のイメージ通り、NUは中央統制が弱く、地方の個々のキヤイがその組織を支えているということが実証されたような感もあった。また、政治活動ではなく社会活動に力点を移すという決議から20年以上を経ても、その分野でライバルのムハンマディヤに大きく引き離されている状況はあまり変わらない。

 それではNUには今後の復興活動では役割を期待できないのかというとそうとも言えない。被災直後の緊急支援で活躍したのは規律ある組織活動を行える国内では少数派の団体であった。ムハンマディヤは少数派ではないが、その系列の学校が現地にないと支援は届きにくいという事情がある。現在は緊急支援の段階は過ぎて、すでに復興支援に入っているが、これからは現地に張りついて活動ができる人材が必要とされる。住民との信頼関係が大きくものをいうことになる。被災を機に支持者獲得を意図したかのような政党の活動は「選挙の事前運動」という印象を住民に与えており、復興活動と同時に進行する社会再建でどれだけ役割を果せるかは定かでない。さらに、宗教団体が個別に活動を展開する場合、トラブルが生じることもある。私が訪れたさる村で、キリスト教系のグループの救援活動が福祉正義党の活動家から「キリスト教化」の一環と非難される「事件」があったという。他の村同様に、ここの住民も大半がイスラーム教徒であった。活動の中心となっていたその村出身の牧師は身動きがとれなくなった。その「宗教問題」を知って仲裁に入ったのは、地元の宗教間対話フォーラムのメンバーのキヤイであった。人道上の活動を宣教活動と言いがかりをつけたと判断したキヤイは、福祉正義党の活動家を退去させたという。やはり長年にわたって住民との信頼を築いてきた宗教指導者の役割は大きい。倒壊したプサントレンテンの中にはテントで活動を再開させたところもあるし、クリニックを設けたり、幼児期の子どもを集めて地震被災がトラウマにならないような癒しのプログラムを行っているところもあった。キヤイたちの底力が試されているようでもある。






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