センター員の活動

【ジャワ地震被災地における宗教組織の活動No.2】                                小林寧子


 被災者住民が最も必要とするのは、住宅の再建であった。しかし復興の槌音は高いとは言えず、中央政府がジョクジャカルタ特別州に渡した住宅再建のための支援金は一体いつ住民に届くのかという不満や不信が渦巻いていた。被災直後に視察に訪れたユスフ・カラ副大統領が「全壊の家には一軒につき3千万ルピア(40万円弱)を政府が捻出する」と発言したために、半壊の家を壊す住民もいたという話を何度も聞いた。村役場などの公共施設が倒壊したままで、行政が機能していないことも政府の存在を実感させにくくしていた。一方、多彩なNGOが住宅再建支援を行っていたが、NGO同士はお互いの活動が競合しないように調整をする連絡協議会を発足させていた。

 さて、特に被害が大きかったバントゥル県は、私の関心のイスラームという観点から見れば、ナフダトゥル・ウラマー Nahdaltul Ulama(「ウラマー(宗教学者)の覚醒」以下NUと略)の地盤の地域である。NUは国内最大のイスラーム団体であり、特に農村部でプサントレン(寄宿制のイスラーム教育機関)を主催するキヤイ(宗教教師に対する尊称)が中核となっている組織である。また、ジョクジャカルタ市には国内第二のイスラーム団体ムハンマディアの拠点でもある。学校や病院、社会福祉活動で大きな実績を持ち、指導層には著名なイスラーム知識人が名を連ねる組織である。このふたつがインドネシアのイスラームのメインストリームであり、穏健派として定評がある。それでは、今回の被災救援に宗教組織がどのように関わったのか、住民がそれをどう受けとめているのかに焦点を絞ってみよう。

 AHI一向とともに訪れたYEU(インドネシア・キリスト教医療奉仕団・緊急救援部門)はベセスダ病院を軸に救援活動を展開していた。被災地現場での活動を見学したあと、本部でビデオなどを使って説明を受け、さらにリハビリ医療現場にも案内されたば、緊急医療、リハビリ医療、復興支援と時期に応じてレベルを分け、それぞれを連携させながら体系的に活動がなされていた。YEUはプロテスタント系であるが、カトリック系もやはり市内に大きな病院があり、そこと学校組織が連携して活動したようである。インドネシアで少数派のキリスト教系は国内外の教会を通じてのネットワークが強く、特に緊急支援活動では力を発揮する。また、ムハンマディヤは支援本部を立ち上げて指揮系統を明確にし、既存の学校組織を通じて支援を行っていた。機関誌上では寄金を公表し、支援プログラムの実行状況も報告された。日常的な組織活動の基盤の強さが緊急時にも発揮されたと言えよう。

 被災地では政党の旗もよく目についた。一番多く見かけたのは福祉正義党である。福祉正義党はイスラーム主義の政党で、都市の高学歴者を中核としている。大学キャンパスの活動から出発した政党であるが、前回2004年の総選挙のときは地域社会での医療福祉活動を通じて支持層を広げるという戦術を展開し、得票率第6位の政党に躍進した。農村部にも若い世代に支持者を獲得し始め、今回の被災救援では当初から活発に活動したようである。ほかにもムハンマディヤを基盤とする国民信託党、前回の総選挙で地盤沈下して起死回生を図ろうとしている闘争民主党(メガワティ前大統領が党首)の旗も多かった。ただし住民からは、旗は「来た」という印であって、必ずしもまだ活動をしているわけではないという冷ややかな声も聞かれた。

 






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