センター員の活動

【ジャワ地震被災地における宗教組織の活動No.1】                                小林寧子


 この8月10日から9月1日まで、アジア・太平洋研究センターの支援を受けてインドネシアを訪問する機会を得た。イスラームの問題をいくつかの側面から見ることが目的であったが、中でも5月27日に地震に見舞われたジョクジャカルタ特別州(ジャワ島中部)の被災者支援で宗教組織がどのように動いているのかを現場で見ることに最大の関心があった。インドネシアでは1998年のスハルト退陣後から「レフォルマシ(改革)」の時代に入り、民主化、地方分権化などが一気に進む段階で、行政の混乱、治安の悪化、宗教対立が顕在化するなど、過渡期の試練が続いている。そのような中、民間の宗教組織が社会の連帯を構築するうえで役割を果たすことが期待されているからである。旅程の前半は愛知県日進市に拠点を置くNGOアジア保健研修所(AHI)の一行に同行し、そこの元研修生(シスウォさん、牧師)の案内で現場を訪れた。一行から離れた後半は伝を頼って、主にNGO関係者から話を聞いた。ジョクジャカルタからの通いで計5回被災地に足を運んだが、断片的にしか現場を見られなかったことを認識しつつ、大まかな印象を記しておきたい。

 報告の前にジョクジャカルタという土地柄について手短に述べたい。この地域には古代ジャワ文明のヒンドゥー教・仏教遺跡があるほかにも、新マタラム王国時代に建築されたモスクやスルタンの王宮などの歴史的建造物が多い。「ジャワの心臓」とも呼ばれるジャワ文化の中心地であるために観光客も多いが、日本からの留学生も数十人が学ぶ「学生の町」でもある。かつて都が置かれたということはこの地域が肥沃な土地に恵まれていることを示すが、確かにジョクジャカルタ市の周辺は農村地域にしては人口密度が高い。さほど大きくもなかった地震が約6千人の死者、夥しい家屋倒壊を引き起こしたひとつの原因もそこにあったようだ。実は私自身も20年以上も前にこの地に2年半滞在した経験があり、地震直後の惨状がニュースで伝えられたときは動揺した。また、在学中にここで語学研修を受けた南山大学の卒業生からは、かつてのホームステイ先の家族の安否を気遣うメイルがいくつも私のもとに届いた。思いは同じだったのである。

 まず概況から述べよう。被災から約3ヶ月が経過したせいか、ジョクジャカルタ市の中心部では被災の爪あとはわずかしか見えなかった。しかし、町を南下すると事態は被災直後とあまり変わらない様子であった。震源地に近い農村部では、大半の民家は倒壊したままで、住民はテント暮らしをしていた。乾季なので雨に降られる心配は少ないが、倒壊した建物から出る粉塵で呼吸器疾患をうったえる住民が多いとのことであった。被災地では各団体が横断幕を張って「ポスコ」(連絡所)を設けており、そこが物資配付などの救援の窓口となっていた。政府機関の影がうすい一方、国内外の様々な団体が入り乱れて救援活動を行っていた。ただし、コーディネートがなされていないためか、交通アクセスの悪い村には救援物資が届きにくく、同じ被災住民が余った物資を回しているという「助け合い」が行われていた。救援物資の不均等分配も被災者のやるせなさをつのらせているようでもあった。

 






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