平家物語トリビア4

 

16.「花畑でも源平合戦!?」

  平家物語トリビア9「紅白源平合戦」でも触れたように、平氏対源氏は旗の色が赤対白。その色にあやかって名づけられた「源平小菊」という花があるんです。この花、咲き始めは可愛らしいピンクなのですが、花が開くにしたがってだんだん色が薄くなり、満開になった時には真っ白になっているのです。これが栄えていた平氏が弱り源氏が取って代わる様を表していると考えたんですね。
  ちなみに、他にも源平葛(別名源平臭木(げんぺいくさぎ)、源平木)や源平下野(げんぺいしもつけ)など、源平の名を持ち紅白の花を咲かせるものはいくつかあります。梅の中にも「源平」という種類があるんですよ。

 

17.「香りで勝負!」

  平安時代といえば、香りを抜きにしては語れません。品のよい香りを調合し楽しむのは正しく貴族の証。現代まで伝わる薫物(香炉を使い衣服に香りをつける)などはすでにこの時代から行われていました。そこから生まれた…かどうかは知りませんが、香道には「源平香」と呼ばれる方式があったようです。広辞苑によれば、盤上に旗を立て、紅白二組に分れて香を聞きわけ、勝負を争うもの、ということですが…どこの世界でも源氏と平氏は勝負を争っているんですね(苦笑)。



18.「平家の人々の日常」
  
  建礼門院(清盛の娘)に仕えていた女房、右京大夫は『建礼門院右京大夫』という歌集を残しました。歌と共に記されたその時の状況の中には、平家の人々の生き生きとした姿もみられます。女房にことづけを頼まれる知盛、花見の席ででからかわれる経正、怪談で女房を脅かす重衡など、『平家物語』とはまた違った人物像が見えてくるかもしれません。
  そのほか、『平家公達草子』という文献にも平家の人々の日常の一部が残されています。
  


19.「流れ流れて」

  平家一門は厳島神社を篤く信仰していました。その厳島に、壇ノ浦で入水した二位の尼(清盛の妻時子)の遺体が流れ着いたと言う伝説があります。現在その場所は尼の洲と呼ばれ、「二位殿灯篭」が建っています。また、清盛によって鬼界が島に流された平康頼が、帰京を祈って流した千本の卒塔婆のうちの一本が流れ着いたのも、厳島神社だったといわれています。
  ちなみに、壇ノ浦の戦いがあったのは山口県下関市の関門海峡。厳島は広島県、鬼界が島は鹿児島県です。山口県長門市(日本海側)にも二位の尼の遺体が流れ着いた場所として二位ノ浜という場所があり、
当時の海がどのような流れだったのか、非常に不思議です……。


 

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