平家物語トリビア3

 

11.「何故敦盛は引き返したか」

  平家物語「敦盛最後」では、熊谷直実に呼び止められた敦盛は、観念して潔く浜へ引き返し、直実と戦って討たれました。しかし本当はこのとき、敦盛の馬は足にけがをして、船にたどり着けずに仕方なく引き返したのだと言います。この時代、戦に負けたときは次の戦での勝利のために逃げ延びるのが普通でした。
  もっとも、物語を盛り上げるためには、仕方なく引き返したなどと言うことはかけません。そのために、作者の演出として引き返しの場面が作られたのでしょう。

12.「熊谷直実が出家した訳」

  平家物語では、我が子ほどの年の若武者を心ならずも討ってしまった直実が、その後悔から後に出家し、源平合戦の死者達を供養したと伝えられています。しかし実際は、同僚との領地争いに負けて、怒りのあまりに鎌倉を飛び出してしまったのだとか。その後しばらくは自分の領地に引っ込んでいた直実ですが、やがて京に上ると、浄土宗を開いたあの法然の下で出家しました。

13.「意外な所にいるあの人の子孫」

  「鳩居堂」といえば東京は銀座の一等地にある文房具の老舗ですが、実はこの店の歴史をたどると、源平合戦のある武将に行き着きます。その武将の名は熊谷直実、なんとこの店、創業者は熊谷直実の子孫なのだそうです。直実は戦での手柄によって、源頼朝から「向かい鳩」の家紋を授かりました。その後、江戸時代に、直実から数えて二十代目の子孫が京都で薬屋を開いたとき、家紋にちなんでつけられたのがこの鳩居堂という屋号なのだそうです。明治になると鳩居堂は墨や筆を作り始め、宮中の御用達文具商として東京に進出していきました。

14.「水族源平合戦」

  源氏や平氏に由来を持つ魚介類は意外に多くあります。有名な「平家蟹」をはじめ、弁慶に由来を持つ「弁慶蟹」「弁慶貝」、熊坂長範に由来する「熊坂貝」、平敦盛と敦盛を討った熊谷直実に由来する「敦盛魚」「熊谷魚」などなど。怨霊の顔のような模様があったりいかつい顔をしていたり、華やかだったり渋かったり、ついつい納得してしまう顔ぶれです。平家物語が昔から人々に愛好されていたことがよくわかります。このうち「敦盛魚」と「熊谷魚」は一ノ谷で有名な須磨(兵庫県神戸市)にある須磨海浜水族館で見ることができます。HPには写真も載っているので、「敦盛最後」を思い出しながら覗いてみてはいかがでしょう。

15.「戦国源平合戦」

  源氏や平氏が有名なのは平安時代、鎌倉時代ですが、その子孫はその後の時代でもよくよく戦いました。たとえば、有名な「本能寺の変」は平氏の子孫を名乗る織田信長と源氏の子孫を名乗る明智光秀の戦いでした。時代が変わっても結果が同じというあたりがいやはや…。ちなみに、その明智光秀を討った豊臣秀吉は藤原氏の子孫だと名乗っていますが、これは自分で勝手に言っていたという説が有力です。源氏にも平氏にも入れず藤原氏に駆け込んだのだとか。さらに、その後天下を統一した徳川家も源氏の子孫だという話が伝わっています。源氏強し。

 

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