個人的,研究のイロハ (心理学の研究をしてみたい人へ)

 私自身,研究(最初はまねごとみたいなものでしたが)を始めてから10年くらいが経過しようとしています。その間,「研究とは」ということを考えてきましたし,まわりを見て考えることも多かったのです。しかし,「研究とはこうするものだ」というようなことを体系だったかたちで教わった記憶はありません。ゼミや研究会,研究者同士の飲み会の中で,いろいろな先生がポツポツと語ってくれることは多かったのですが。
 そんなポツポツ語りは,とても心に引っ掛かるものです。私もそんなふうにして経験を伝えられればいいなあと思うのですが,ゼミや研究法に関する授業などを考えると,そうも悠長なことを言ってはいられないという現実もあります。それに,巷の心理学流行りも研究とは違った興味を刺激しており,大学に入って心理学を勉強し,そこではじめて“何か違う”という感じを持つ学生を増やしているように思います。
 そこで,何か自分なりに,心理学初学者,もしくは心理学研究に興味を持つ人に研究というものを伝えてみようと思い立ちました。それも,自宅で飲みながらワープロに向かい,つれづれなるままに書き連ねてここにアップしようという,とんでもない(?)ものを。飲みながらですので,変な言い回しやミスがあるかもしれません。アップも全くの不定期になると思います。そのあたりはご容赦を。

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「知りたいこと」と「研究したいこと」の関係−その1−

「知りたいこと」と「研究したいこと」の関係−その2−

研究の枠組み−仮説検証的研究−

●「知りたいこと」と「研究したいこと」の関係−その1−

 小学校の時,夏休みに毎年悩まされたのが理科の自由研究。「研究」というだけでも縁遠いのに,それに「自由」までつけられたときには,どうしようもなく困った記憶があります。一度だけ,地区の代表か何かに選ばれて,県の発表会に行かされたことがありますが,何を隠そう,そのときのアイデアの源は,自由研究について書かれてあった本か雑誌かのネタを拝借したものだったので,何ともいえない居心地の悪さを感じたものです。
 のっけから話がそれてしまいましたが,研究というものに初めて触れる人は,「研究」ってナニ?ということになってしまうのではないでしょうか。そこで,まずは心理学の「研究」というもの(卒論以上のレベル)は,どのようなものなのかというところから始めてみたと思います。
 「研究したいこと」と類似したものに「知りたいこと」があります。学部生がゼミを選ぶときによく口にするのですが,「私は〜について知りたいと思います」というフレーズがあります。これがかなりやっかいなことなのですが,「〜について知りたい」ということは,まずほとんどの場合,そのままでは「〜について研究する」ことには結びつきません。
 例えば「現在の親子関係について知りたい」という意識を持っていたとしましょう。さてどうするか。多くの場合,親子関係の本を読む,親子関係の研究論文を読む,といったことをするのではないでしょうか。これらを数十本集めることは,それほど難しいことではないでしょう。そして,それらのポイントを要約すれば「現在の親子関係について知った」ということになるのではないでしょうか。そして本人も満足し,その要約文をもって研究とする。しかし,はたしてこれは研究したことになるのでしょうか。
 あるものを研究と呼ぶには条件があると思います。これはとても私的な見解かもしれませんが,その条件はたくさんあるような気もしつつ,突き詰めていくとある一つのことに収束するのかなと思ったりもします。それは,ある程度のオリジナリティ(新たな知見がある,という意味を含めた独創性)があることです。すべてに渡ってオリジナルということはあり得ないと思いますし,まったくオリジナリティがないというものも作ることが難しいと思います。
 このように考えると,先の例は,それを研究であるかどうかを判断するには情報不足と言えます。もしそれが単なる要約集であれば,それは研究とは言い難いものになります。しかし,材料となった本や論文を比較検討し,「親子関係は良好である」といった論調のものと「悪くなっている」といった論調のものとに別れることが明らかになった,という“新たな”知見が得られたならば,それは立派な研究といえるでしょう。ところが,そんなことは前々から多くの人が指摘していることだったら,残念ながらそれを研究と呼ぶことは難しくなってきます。
 つまり,研究をするには基礎知識が必要であるということになります。何がすでに知られていることで,何がまだ知られていないことなのか,くらいの知識は持っていることが必要となるのです。ただ,これは非常に難しい問題でもあります。今までに何が知られていることなのかを明らかにすることは至難の業でしょう。どんなに長い間研究に携わっている人でも,それを知り尽くすことはできないと思います。研究者でも,論文に「〜という点についてはいまだに明らかにされていない」と断定的に書くには,相当の勇気がいるのです(お前が知らないだけだ,という突っ込みをいれられることは恥ずかしいし,研究の価値をゼロに近づけてしまうので)。
 このように「知りたいこと」を知っただけでは,それが研究とはならないことが多々あるのです。知りたいことを知ること=研究,という等式は,成り立つ場合もあるけど,成り立たないことも多いことは覚えておいてほしいと思います。

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●「知りたいこと」と「研究したいこと」の関係−その2−

 その1では,「現在の親子関係について知りたい」という意識を持っていたときに,親子関係の本や論文を読むのではないか,というところから話を進めました。心理学をちょっとかじった人ならば,本や論文をデータとすることでは難しいのであれば意識調査をすれば研究になるのではないか,なんて発想をする人がいるかもしれません。確かに,意識調査を行えばオリジナルなデータが手に入ります。しかし,だからといってそれが心理学の研究になるかといえば,そうならない場合も多々あります。
 親子関係について知りたくて,手近の100人に親子関係について質問してみたとしましょう。そして30%の人が「とても良好である」と答え,50%が「まあ良好」,15%が「あまり良好ではない」,5%が「良好ではない」と答えたとします。このようなデータであれば,結論として,「とても良好である」と「まあ良好」という回答が8割を占めており,現在の親子関係は良好であるといえる,とまとめるのではないでしょうか。さて,もう一度このまとめを見直してください。これを心理学の研究といえるでしょうか。
 私自身も,これを研究ではないと言い切ることはできません。研究になっていると思います。しかしここで問題なのは,それが心理学の研究なのかというところです。心理学というと,多くの人のイメージは,心の仕組み,メカニズムを解き明かす,といったものではないでしょうか。これは当たっています。ですから,そのイメージをもって先の研究を見てみると,何か足らないということになるのではないでしょうか。先の研究には,心の仕組みやメカニズムなどはどこにも表現されていません。そこに記されているのは,100人中の何人が良いとか悪いといっているという比率だけです。
 先のような意識調査は,心理学の領域のみならず,社会学や経済,経営学などの領域でも多く行われています。国が行っている多くの世論調査なども同様です。しかし多くの場合,それらを心理学の研究とは呼びません。先にも記したように,そこから心の仕組みやメカニズムを知ることができないからです。
 つまり心理学の研究としての形をなすには,データから心のメカニズムを推測できるようなものであることが必要となってくるのです。先の親子関係の例でいえば,もう少し質問項目を増やして,良好であるという回答をする裏側には,○○といった要因が影響しているとか,××という心理的メカニズムが働いている,などということを明らかにできるものであれば,それは心理学の研究と言ってよいということになると思います。
 しかし,意識調査は心理学の研究にはならない,というように間違えてほしくはありません。意識調査は,心理学的研究の一つの大きな手がかりになりうるものです。そのため私も授業の中で,このような意識調査の結果をよく参照します。ですが,それ単独では心理学研究にはなりにくいものなのです。
 さて,話を本筋に戻します。「知りたいこと」と「研究したいこと」の別を考えるとき,その知りたいことが,意識調査レベルのものなのか,心理学的研究レベルのものなのかをきちんと認識しておくことが必要です。知りたいことが,大学生の何%くらいが恋愛をしているのか,また何%くらいが恋人を欲しているのか,といったことであれば,それを心理学的研究にするのは難しいと言わざるを得ません。知りたいことが,なぜ人は恋人を欲するのか,恋愛をすることによって人はどう変わるのかといった内容のものであれば,それは心理学的研究として成立する可能性が高いと言えるでしょう。ここにおいて,調査をするとかしないとかは関係のない問題なのです。どこに問題意識が向いているかによって,それが心理学的な研究になるかどうかが決まってくるのです。つまり,「知りたいこと」をそのまま「研究したいこと」に置き換えることは,しばしば問題を抱えることにつながるのです。

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●研究の枠組み−仮説検証的研究−

 心理学的な研究になりそうな知りたいことがある場合,次にクリアしなければならない問題が研究の枠組みの理解です。これには大きく分けて2つの枠組みがあります。この2種類について知っておくことは,研究を設計していくうえでの大きなメリットとなるはずですので,細かいところにとらわれず,概要を把握しておいてほしいと思います。
 まずその一つが,「仮説検証的研究」と呼ばれるスタイルです。「心理学研究」をはじめ,多くの心理学諸学会が発行している関係雑誌に掲載されている論文のほとんどが,この仮説検証的研究のスタイルを採用しています。
 このような研究スタイルの特徴は,初めに仮説があるということです。そして調査を行い,得られたデータが仮説に符合していればその仮説は正しいだろうと結論でき,逆に符合しなかった場合は仮説が間違っていたことになるのです。心理学では,心理的なメカニズムを仮説として組み立て,データを収集してそのメカニズムの妥当性を検討していく場合が多いと思われます。そしてその確認のために,様々な統計手法が利用されています。
 非常に簡単な例を挙げてみましょう。親子関係の良好さを規定するメカニズムを解明したいとします。そして「両親の仲が良いほど親子関係は良好である」という仮説を立てたとします。この仮説に従い「両親の仲の良さ」と「親子関係の良好さ」を,質問紙や面接を使って把握します。もし仮説が正しいのならば,「両親の仲の良さ」と「親子関係の良好さ」は正の関連を示すはずです(両親の仲が良いほど親子関係は良好であり,両親の中が良くなければ親子関係もよくない)。質問紙や面接のデータの中に,このような関連が認められれば仮説は正しいことになりますし,そのような正の関連が認められなければ,仮説は間違っていたことになるのです。そして仮説が正しいことが確認できれば,親子関係の良好さを規定するメカニズムとして,両親の仲の良さが影響していると結論できるのです。
 枠組み(考え方)としては,簡単そうではありませんか? 一見,考え方としては簡単そうなのですが,実はそう簡単にはいかないというのもまた事実なのです。仮説の妥当性といってもいい問題があるのです。先の例では,親子関係の良好さに両親の仲の良さが影響していると仮定しました。これについて異議を唱える人はあまりいないのではないでしょうか。しかし,親子関係の良好さに親の学歴が影響していると仮定したらどうでしょう。賛否が分かれるのではないでしょうか。このように仮説自体の成立に対して賛否が分かれる場合は,もしデータを集めてそれが仮説に従ったものであっても,仮説の正しさを証明できたことにはなりません。仮説検証型の研究では,仮説の妥当性が一般的に認められるものであってはじめて,それに従う結果をもって仮説の正しさを表現できるものなのです。仮説が正しいかどうか不明なままにデータをあつめても,その結果をもって仮説の妥当性を示唆することはできません。つまり,適当に仮説を考えれば研究ができるというわけではないのです。
 また,親子関係の良好さに親子の会話時間が影響していると仮定した場合はどうでしょう。これについては,親子の会話時間自体が親子関係の良好さを表しているのではないか,つまり会話時間というものは,親子関係の良好さの中に含まれるとも考えられます。こうなったら,仮説自体が成り立ちません。間違いなく関連のありそうな2つのもの(要因)を組み合わせた場合,このような内容的な重なりや包含関係が生まれ,研究として成り立たなくなることもあります。
 ここでは,仮説検証的研究の概略を書いてきたつもりです。そして,仮説を立てるときに犯しやすいミスについても書いておきました。このようなことを読むと,数学や論理学などを連想する人もいると思います。それは全くもって“当たり”です。このあたりの証明の仕方は,それと同じなのです。残念ながら,心理学は文科系であるから数学の知識はいらないというような誤解があるようです。確かに,∫などの数学記号の意味を知らなくても心理学の研究を行うことはできます。しかし,証明の方法を知らなくてはこのような研究はできないのです。科学的思考の基礎をしっかりと身に付けておいたほうが,研究を行う場合に戸惑わなくてすむと思います。

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