2007年9月の雑記




≪9月5日≫

日中はまだまだ暑いものの、朝晩はかなり涼しくなり、
虫の声も聞こえて、名古屋はだいぶ秋らしい感じになってきた。

この夏、私が新たに知った、南山の近所の素敵なお店をご紹介しよう。
それは、南山の北門から歩いて20分ほどの所にある、このお店である。


豆孝(まめこう)製豆所

山花町の居酒屋えっちゃん地図から川原通の方へ約200メートル地図
タチヤの道向かいあたりにある、豆屋さん。建物はやや古めかしい。


お店の右奥に隣接した製豆所があり、
ここで各種の豆製品を自家製造していらっしゃる。


お店の中には、こういう古風な陳列棚が。
中にはナッツやあられが入っていて、量り売りをしてくれる。

私が子供の頃、駄菓子屋さんにはどこでも普通に、こういう棚が置いてあって、
シャベルみたいなのですくって袋に入れて売ってくれたように記憶しているが、
今では、こういうお店は珍しいのではないだろうか。

これまでお店の前を通る度に、気にはなっていたのだが、
なかなか中に入る勇気がでなかった。


しかしこの間、散歩の途中、ふと、買って食べてみたくなり、中へ。
お店で一番の人気製品というバターピーナッツを購入。


そしたらこれがもう、超美味い

いやさすが。御見それいたしました。


これがそのバターピーナッツ。

実がきゅっと引き締まっていて小粒。カリッとした食感。
塩加減もほど好く、食べだしたら止まらない美味しさ。


お店の回し者ではありませんが、ぜひ一度お試しあれ。


実はこのお店、知る人ぞ知る有名なお店らしい。
西川きよしのご縁です」というテレビ番組でも紹介されている(07年4月20日放送)。


こういう昔ながらのお店は、とても貴重だと思う。
美味しい味をずっと守り続けてくださっていることに心から敬意を表したい。


おじさん、これからもどうかお元気で
美味しい豆をたくさん作ってください。



≪9月8日≫

昨日テレビをつけたら、
たまたまNHKで「みんなの歌」のリクエストをやっていて、
太田裕美さんの「僕は君の涙」という曲が放送された。

初めて聞く曲だったが、
その美しさに感動してしまった。


この歌は1998年6月に放送されたものらしい。
作詞作曲は太田裕美さん、編曲は羽毛田(はけた)丈史さん、
アニメーションは南家(なんけ)こうじさん。

太田裕美さんの透き通った美声にまず魅了される。
歌詞もメロディーも好きだし、編曲とアニメーションがまたとてもすばらしい。

1998年といえば、もう10年近く前のことになる。
私はまだアメリカに留学中だった。
今現役の大学生の皆さんの中にも、この曲を知らない人が多いかも知れない。
とっても良い曲なので、ちょっとご紹介しましょう。

涙があふれて 大地にこぼれた
まぶしい真夏の 陽射(ひざ)しを浴びたら
水蒸気になり 青い空 昇る
僕は君の瞳(ひとみ)から落ちた涙
はるかな行方は 白い雲の上
悲しみ集めて 流す雨になろう
ひとつび ひとつぶ きらめくしずくは
濡(ぬ)れることも暖かい雨になろう
僕の旅は続く
僕はどこまで行くのだろう
ファーラ ファーラ
降り注ぐ雨は 大地をうるおす
濁った川さえ きれいに流して
花を咲かせよう この丘一面
僕は君の瞳から落ちた涙
思いはあふれて 大地にしみこむ
小さな緑は 朝露に揺れる
透き通った水を 木の根が吸い込む
僕は強くたおやかなブドウになる
グラスをあわせて 微笑(ほほえ)み浮かべる
僕を飲み干した 美しいその女性(ひと)
元気になったんだね あの時の君
僕は君の瞳から落ちた涙
僕の旅は終わる
ワインになって君のもとへ
僕は君の胸で
空と大地を思うだろう
ファーラ ファーラ


少女が流した涙は天地を巡る長い旅に出る。
雨となって大地をうるおし、濁った川をきれいにし、丘一面に花を咲かせ、
そしていつしか涙はブドウの実となり、ワインになって
少女のもとに帰ってくる。そして旅は終わる。

どうして旅はそこで終わるのか。
それは、それがもはや涙ではなくなったからであろう。

悲しみや辛さ寂しさによって流れ落ちた涙は、旅を経て
強くたおやかなブドウになり、芳醇なワインに変わった。
その女性に喜びと力を与える水に変わったのだ。


涙がワインに変わる、というこのモチーフには、
キリスト教的な意味合いを重ねることもできる(私の勝手な解釈だが)。

カトリック教会で捧げられているミサではワインが用いられるが、
それはキリストの最後の晩餐を記念するものであり、
キリストが流してくださった受難の血(涙)であると同時に、
人々の罪を贖い、命へと導く救いの水でもあるのだ。


涙は、人それぞれが人生において体験するであろうさまざまな
苦しみや悲しみの象徴でもあるだろう。

しかしその涙は、神の愛の手の内にあるこの天地を巡り行き、
大地に潤いを与え、世界を清めてゆく力に参与する。
そしていつしか、その涙自身も浄化されて透き通り、
その人の心の中に輝く光となり心を支える力となる。


いまひとつうまく言えないが、太田裕美さんのこの美しい曲には、
とても深い内容が語られているように思う。
偶然ながら、このすばらしい曲を知ることができたのは幸いだった。



≪9月12日≫

先日、今は沖縄にいる友人と、20年ぶりくらいに再会した。

その方の名は、ネマ・ヨーコさん(日本人。念のため。)
南山大学の同窓生である。(「クローズアップ同窓生」で紹介されています→ここ

現在彼女は沖縄で、タタバザールという民族雑貨店の経営をするかたわら、
アマナという名のユニットを組んで民族楽器による演奏活動もしていらっしゃる。
CDも出されていて、全国各地で演奏していらっしゃるとのこと。ご存知の方も多いでしょう。


タタバザールには、世界のエスニック雑貨の他に、「沖縄自慢」シリーズの
ネマ・ヨーコさんがデザインしたオリジナル・グッズもたくさんあるそうで、
そのうちのいくつかを送ってくださった。

とってもかわいくて魅力的なので、ご紹介しましょう。


これは、ゴーヤーのデザインのバッグ。右はデザインの部分のアップ。
Y.N. は、Yoko Nemaのイニシャルで、ヨーコさんのデザインである印。
夕食のお買い物とかに、ちょうどよい大きさ。


シーサー(沖縄の守り神)のデザインの折りたたみバッグと
ゴーヤーのデザインの手ぬぐい(あるいはテーブルクロス?)
バッグを広げると、右のようになる。

ゴーヤーとシーサーのデザインのものが特に人気だそうだ。


これは純黒糖のお菓子。
ヨーコさんによれば、黒糖のつぶはミネラルたっぷりの健康食品で、
ジャスミン茶といっしょにそのまま食べるのが、沖縄の正しいおやつ。


Tシャツもある。右の「BACK TO RYUKYU」と書かれた青い方は
沖縄の地図をろうけつ、手染めしたもの。


かわいい絵のポストカードも各種。



タタバザール本店は、那覇の国際通りから平和通りに入ってすぐ左手にあります。
年中無休で、営業時間は 9:00〜22:00。

平和通りのど真ん中にも、もうひとつ「タタバザールいちばてん」があるそうです。

GoogleYahooから「タタバザール」で検索すると、いろんな情報が得られます。)


沖縄に行かれた際には、ぜひお立ち寄りください。



≪9月19日≫

日本カトリック神学会という学会に参加するため、東京に行って来た。


今年の開催地は、
世田谷区瀬田にある、聖アントニオ神学院(フランシスコ会)。

渋谷から東急田園都市線に乗って用賀(ようが)駅へ。
駅からは徒歩12分・・・で簡単に行けるはずだったのだが、

10分ほど歩いてみて、どうも道がよく分からないので、
コンビニに入って店員さんに聞いてみた。

そしたら、店員さんは、なんと、「神学院は別の方角です!」と、断言。
そして、私を連れてわざわざ道まで出て、親切に行き方を教えてくれた。

しかし、それは私が思っていたのとはまるで違う方角だった。
少々不安に思ったが、店員さんの確信に満ちた言葉には逆らえず、
言われた通りに歩いていった。

そこから15分ほど歩いたら、確かに神学院があった・・・だが、

不安が的中。

それはまったく別の神学院だった(聖公会神学院)。

暑い中、そこからまた歩いて行く元気は出なかったので、
タクシーを拾って、本物の聖アントニオ神学院へ。初めからそうすればよかった。

用賀には似た様な神学院が3つもあって、よく間違えられるらしい。
まあしかし、なんとか学会には間に合ったので、よかった。




せっかく東京に行ったので、学会のついでに、
吉祥寺の友人たちと会って飲んだ。


久しぶりに会ってお話できて、元気がでました。
お忙しいところ、集まってくださって、本当にどうもありがとう。



さて、吉祥寺の友人たちとの行きつけの店はいくつかあるが、


その内のひとつ、大茂(だいしげ)というお店は、このたび、
ガード下からお引越しして、ビルの3階に入っていた。

ところがこのビル、古いためか、エレベーターがない。
お店までは、階段を歩いて登らなければならないのである。


「あと10段」

けっこうきつい登りなので、階段の途中に、
こういう励ましの言葉が書いてあった。



ついでながら、
吉祥寺には飲み屋がたくさんあるが、中でも独特の味わいがあるのは、
駅北口のハーモニカ横丁にある飲み屋さんであろう。


昔ながらの細い路地の片隅に、たとえばこんなお店があったりする。

調理場の前にカウンターが置かれ、
その周りに小さなテーブルや丸イスが置かれているだけの
ほとんど屋台みたいな、簡素な造りの飲み屋さんだ。

クーラーなんか当然ない。みんな汗をかきながら飲んでいる。
酒や料理はカウンター越しに渡される。遠い席の客へは、
近くに座っている別の客から客へと手渡されて届くのだ。

古びて薄汚れたカウンターやイスに肩寄せ合って座るのだが、
不思議に居心地が良い。お客さんには若い人たちもたくさんいた。

こういうお店、私は好きである。



≪9月24日≫

先週の金曜日の朝、目覚めたら、
なぜか突然、左の二の腕が筋肉痛になっていた。

原因はまったく分からない。

特に運動したわけではないし、打撲もしていない。
私は右利きなので、左の二の腕の筋肉は、とりわけ使わない部分なのだ。

しかし、どういうわけか筋肉の一部がコリコリに凝り固まり、
動かしたり押さえたりすると、激しく痛む。なぜかなあ?


考えられる可能性としては、寝ている間に格闘技の夢でも見て、
左フックを何百発もひたすら打ち続けたのかも・・・(あり得ませんが)


3日たってもまだ痛いので、昨日の日曜日、内科のお医者さんに診てもらった。

するとお医者さんは、これには検査が必要だと仰って、
なんと、日赤の救急センターへの紹介状を書いてくださった。

救急センター!?
それほどの重症なのですか?と私が尋ねると、

調べてみなければ分かりません。命に関わることだったらどうします?
さあ、ゆきなさい、今すぐゆきなさい!

と仰るので、さっそく紹介状を手に日赤へ向かった。


名古屋第二赤十字病院。通称「八事日赤」(やごとにっせき)。
南山大学(名古屋キャンパス)のすぐ近くである。



救命救急センターへは特別な入り口がある。
救急車が走り込むのも、ここ。

救急センターに行くことなど、めったにない。
しかも、他の人に助けられて担ぎ込まれるわけではなく、
本人がひとりでスタスタと歩いて救急センターに行くなんて事は、
あまりないのではないだろうか・・・

中に入ると、意外なほど多くの方々が診察や治療を待っておられた。

私よりもずっと緊急度の高い方々がたくさんいらっしゃるので、
3時間ほど待って、やっと診ていただけた。

そしてレントゲンを撮って診察していただいたところ、


まったく異常なし。


原因不明のため、とりあえず湿布薬をいただいて帰りました。

少し安心したけど、最初のお医者さんを含めると
費やした時間は、約5時間半。


・・・とっても疲れました。



≪9月29日≫

秋学期が始まって一週間。

履修登録や教室が確定し、これから本格的に勉強が始まる。

その勉学に活力を与えるべく、

3年次生コンパが昨日開かれた。(ともかくまずは飲み会だ)


会場は、川名(かわな)のプリモというイタリアン・レストラン。
お洒落できれいでアットホームなお店だった。

川名は私の住居がある杁中(いりなか)の次の駅である。
近い場所なのだが、普段はほとんど行く機会がない。

私にとって初めてのお店であり、とても新鮮な気持ちで楽しめた。

今学期もがんばりましょうね。




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