2006年3月の雑記




≪3月6日≫

人事異動により、私はロゴスセンターから神言会ハウスに移ることになった。私に代わって4月からロゴスの館長に就任するのは、畏友ぢぇいふぉん氏。みなさん、新館長をどうぞよろしく。彼とは気が置けない仲なので、引継ぎはスムーズだ。これからも互いに協力し合って仲良くやって行きたい。

神言会ハウスは杁中(いりなか)の南山教会の近くにある。マルクス学長やカルマーノ理事長などもいらっしゃる建物。私のような者が住まわせていただくのはちょっと恐れ多い所である。大学までは徒歩で20分くらい。毎日歩けば良い運動になりそうだ。

で、正式な異動は4月1日からなのだが、早めに転居して落ち着いた方がよかろうと、昨日さっそくお引越しをした。私がまず出て、その部屋にぢぇいふぉん氏が入る。

荷物はさほど多くないので、引越しは割りと簡単だ。荷造りは半日で完了してしまった。

あっさりと引越しの準備が出来てしまったので、栄(さかえ)にある
愛知芸術文化センターのアートスペースHで開催された「南山大学写真部展」にも顔を出すことができた。愛知芸術文化センターの12階にある、なかなか雰囲気がよい会場だった。

今回の写真展は、今月卒業して行く4年生たちの作品を中心に展示されていた。瑞々しい感性がとらえた一瞬の情景には、いつも何かはっとさせられる。せっかく親しくなった子達が卒業して行ってしまうのは少し寂しい気持ちもするが、この部活を通して、より充実した学生時代をすごしてくれたなら嬉しい。



≪3月10日≫

昨日、南山大学に隣接する神言神学院の聖堂で、終生誓願式(しゅうせい・せいがんしき)が行われた。


今回、終生誓願を立てたのは、インド出身のレジさん、インドネシア出身のジョンさんとエペンさんの3人。3〜4年前に私がザビエルハウスの院長をしていた時のメンバーだ。

日本での生活や勉強は、言葉の習得をはじめとして、たいへんな苦労を伴うものである。それを乗り越えて3人はここまで来た。式後に流暢な日本語で挨拶の言葉を立派に述べている3人の姿を見て、私はとても感動した。


終生誓願式とは、修道生活における清貧・貞潔・従順という3つの戒律を、一生涯守り続ける誓いを立てる式である。この誓願によって、この人たちは正式な修道者となった。

しかし初めからいきなり終生誓願を立てたわけではない。これまで何年もの間、有期誓願という1年間の期間限定の誓いを立ててきたのである。修行が進み、機が熟して、この度ついに生涯にわたる誓願を立てる決意をするにいたったのだ。

終生誓願は、ひとつの到達点であると同時に出発点でもある。修道者としての本格的な歩みが、ここから始まるからだ。これを車の運転に例えるなら、正式な運転免許を獲得したようなものである。有期誓願時代は、いわば仮免許の期間にあたるだろう。免許を得た今から、いよいよ本格的な運転が始まるのだ。

これから3人が走って行く道はさまざまであろうが、決して楽な道ばかりではないはずだ。広い道もあれば狭い道もあり、上り坂もあれば下り坂もある。気持ちよくすいすい走れる道もあれば、先が見えず心細くなるような道もあるだろう。でこぼこ道や、ぬかるんだ道もきっとあることだろう。しかし、どんな道を行こうとも、それぞれの個性を生かして、自分らしくマイペースで元気に走っていって欲しいと思う。

終生誓願を立てたばかりのこの3人は、言ってみれば初心者ドライバーである。運転がまだうまくなくて、まわりの人をやきもきさせることもあるだろうし、うっかりスピードを出しすぎてしまうこともあるだろう。時には道に迷ってしまうこともあるかも知れない。

しかし彼らは本当に一生懸命、誠意をもってがんばる人たちなので、どうか大目に見てあげてください。そして、どうか温かい目で見守り、励まし、支えてあげてください。


3人の新たな門出に祝福あれ。



≪3月16日≫

年度末の3月は、しめくくりの季節なので、懇親会や送別会などが次々と続く。
とりわけ先週と今週は、ほとんど毎日なにかあるという状態だ。


昨日は、ロゴスセンターに所属する4つの学生クラブの代表者とロゴス館長とが集い、それぞれの1年間の活動と成果を報告し合い、次年度の抱負を語る、毎年恒例のロゴスセンター学生クラブ年度末活動報告会(別名「ロゴスセンター会議」)が開かれた。

 

ロゴスセンターに所属する4つのクラブとは、受難劇クラブ(PPC)、ロゴス・ライフ・コミュニティー(LLC)、アヴァンギャルド(AVA)、南山スコラ・カントールム(NANSCHO)である・・・ちなみに、それぞれの略号の頭文字を組み合わせると、PLAN(計画・構想)という英単語が出来る。そうすると、「ロゴスのプラン」ということになり、これは「神のご計画」というような意味合いになるのだ・・・ま、それはいいか。

この4つのクラブはそれぞれ、受難劇の公演、降誕祭の企画実行、社会福祉活動、典礼音楽の演奏を通して、南山大学の内外で大きなはたらきをしてくれている。キリスト教精神と人間の尊厳に直接関わっているという意味で、南山で最も南山らしいクラブだと言うこともできよう。

昨日の報告会に集まってもらったのは、新年度の主幹と副主幹たちである。大学生のクラブの多くは毎年主幹が交代する。だいたいは新3年生の中から主幹が選ばれるようだ。今回はロゴスセンター館長も交代するため、とてもフレッシュなロゴス新時代の始まりが期待される。みなさん、どうかがんばってください(・・・と言って、ススッと引退する私)。



≪3月18日≫

名古屋はまだまだ寒い日が続いている。


しかし今日、南山大学名古屋キャンパスで、梅の花が咲いているのを見つけた。

パッヘ・スクエアから第二食堂へと上るゆるやかな坂道の傍ら。

たった1本だけの小さな梅の木だけれど、

可憐に咲いているこの清楚な花は、春の訪れを美しく告げていた。

いいなあ梅って。



≪3月22日≫

今週は大学関係のいろいろなイベントが目白押しだ。

まずは一昨日、2005年度学生部長表彰式が行われた。

これは大学のクラブを対象に、今年度特に優秀な成績を収めたり、華々しい活躍を遂げたりした団体や個人を称えて表彰するものである。今年度は、団体の部で8つのクラブが、そして個人の部で16名の人がこの表彰を受けた。


表彰式のもよう。かなり厳粛な雰囲気の式だった。

個人の部で表彰された16名の中に、写真部の人が2名含まれていた。高野さんと山本君。
全国的な写真専門誌のコンテストで、多数の優秀な成績を収めたのである。
いや、あっぱれ。


で、その翌日は、卒業式であった。


場所はレインボーホール。今年の卒業生は学部と大学院合わせて2,092名。
広大な会場に非常に多数の卒業生、ご父母兄姉がお集まりくださった。

南山大学の卒業式は、最初に「卒業感謝の祈り」という儀式がある。南山の3人の指導司祭が司式を担当する(不肖私もそのひとり)。

清らかな音楽の演奏の中(演奏してくれたのは南山大学管弦楽団)、聖書を掲げた司祭と共に、7つの学部の代表者がローソクと花束を手にステージに上り、それぞれに感謝の祈りを捧げた。

成績優秀者の中から選ばれるこの代表者の中に、写真部の元主幹だった人もいた。部活と勉学をちゃんと両立させていたとは、偉いなあ。

カトリックの大学である南山に相応しいこの荘厳な儀式は、卒業式全体の雰囲気を引き締め、神聖なものとする。代表者の祈りの後、卒業生全員でアシジの聖フランシスコによる「平和のための祈り」が唱えられた。その祈りは次の言葉ではじまる。


   神よ、あなたの平和のために
  わたしのすべてを用いてください
  憎しみのあるところに 愛を
  争いのあるところに ゆるしを



卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
これから始まる自分の道を、どうか力強く歩んで行ってください。
そしてみなさんの歩みを通して、世界が平和になって行きますように。


ところで今年、卒業生を代表して謝辞を述べたのは、キリスト教学科の人であった。7つの学部から毎年順番で一人の代表者が選ばれることになっている。キリスト教学科は人文学部に属するが、人文学部には4つの学科があるので、キリスト教学科から代表者が出るのは、実に28年に一度ということになる。

この千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンスに代表者に選ばれたのは、松本さん。落ち着いた明瞭な声で感動的な謝辞を述べ、2,092人の代表という重責をみごとに果たした。



卒業式には、クラブ関係の後輩たちもたくさんお祝いに駆けつけた。
その中で最も目立っていたのは、やはりこのチーム。チアリーダーのラッスルズ。この人たちがやってくると本当に活気がでるなあ。



≪3月30日≫

南山大学・キリスト教学科合同研究室で、特別嘱託(しょくたく)のお仕事をしてくださっていた、ぴょんきちさんが、このたび任期満了でご退職なさることになり、昨日がその最終日であった。

ぴょんきちさんは事務のお仕事に精励恪勤(せいれいかっきん)されるだけでなく、ご堪能なオルガンやピアノの腕前を活かして、南山スコラ・カントールム合唱団(通称「なんすこ」)の演奏にたびたび伴奏者としてご助力くださっていた。


そんなぴょんきちさんに、感謝の気持ちを込めて、なんすこのメンバーが集まり、歌のプレゼントをした。

最後のお勤めを終えられる頃を見計らって合同研究室にいっせいに闖入(ちんにゅう)し、驚いているぴょんきちさんの前でいきなり合唱。


・・・なかなか粋なことをする。


なんすこの皆のうれしい心遣いに、ぴょんきちさんは目をウルウルさせていらした。

ちなみに、なんすこが歌ったのは、まど・みちお作詞、木下牧子作曲の、「うたをうたうとき」という曲である。ぴょんきちさんと一緒にこれまで歌ってきたことは本当に大きな喜びでした、という気持ちが込められているのだと思う。


  うたを うたう とき
 わたしは からだを ぬぎます

 からだを ぬいで
 こころ ひとつに なります

 こころ ひとつに なって
 かるがる とんでいくのです

 うたが いきたい ところへ
 うたよりも はやく

 そして
 あとから たどりつく うたを
 やさしく むかえてあげるのです



ぴょんきちさん、長らくのお勤め、どうもご苦労さまでした。

研究室にいらっしゃらなくなるのは寂しいですが、
これからもぜひ、音楽やその他さまざまな機会に、どうかお力をお貸しくださいね。





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