アメリカで


米国には3度にわたって留学し、通算10年ほど、あちらで過ごした。最初は25歳の時。初めはさっぱり英語が出来なくて困った。相手が何を言っているのかよく分からないし、他方、こちらが言うことも相手が分かってくれないのである。でも今思えば、後に英語がさほど問題ではなくなった時よりも、分からなかったその頃の方が、ずっと楽しかったように思う。米国での経験を、思い出すままに少しお話ししましょう。(ただし、多分に脚色されている部分もある。ご了承あれ。)



1 「H氏の悲劇」

それまで英語だと思っていたものが、実はそうではなかったということを知って驚く。アメリカに留学したことがある人の多くが、きっとそんな経験をしたことがあるでしょう。たとえば、ピーマン。これは実は英語ではない。あちらでは、グリーンペッパーと言うようである。カタカナで書く語はついつい英語と思ってしまうので、あぶない。

そういう、「意外なことに英語ではないもの」の代表は、ホッチキスではなかろうか。なぜかあちらでは、ホッチキスではなく、ステイプラーと言うのだ。この語については、私の先輩H氏の、次のような体験談がある。

その先輩はアイオワ州の田舎に留学したのだが、ある日学校の事務室でホッチキスを借りようとした。事務室にいた若い女性に、H氏は、「ホッチキスを使わせてください」と言った。しかし当然ながら、彼女には通じない。何事かわからずキョトンとしている。しかし、ホッチキスが英語であると信じて疑わなかったH氏は、これはきっと自分の発音がよろしくなかったのだと解し、可能な限りのあらゆる良い発音を次々と試みたのである。彼の非常に熱心な様子をじっと見ていたその女性は、怪訝な顔をしつつも頷いて、あるところに電話をかけた。「OK、今こちらに来ます」とのこと。H氏は、ようやく自分の発音が通じたと思い、大いに喜んだ。「よかった、誰かがホッチキスをここに持ってきてくれるらしい。」 ・・・ところが、実はそうではなかったのである。たまたまその学校にはホッチキスという名の先生がいらっしゃったのだ。しばらくするとその先生が迷惑そうにノッソリと現れて、言った。「私に用があるというのは君かね。」


2 「たつまき」

アメリカでの生活に少し慣れてきたある日のこと、食堂で一緒のテーブルにいた学生たちが、今朝見たニュースについて話し始めた。それはアメリカのどこかで、何かとんでもなく恐ろしいものが突然発生し、建物や自動車などが破壊され、犠牲者が多数出たという話であった。みんな非常に深刻な面持ちで語り合っている。私は話の内容がいまひとつ聞き取れなかったので、一体何が発生したのですかと隣の人に尋ねた。そしてびっくり仰天した。何と巨大なトマトが発生したというのだ。

・・・いや、実はそうではなく、本当は竜巻のことであった。竜巻はトネードと言うのだが、その当時私はこの単語を知らず、トマト(トメート)と勘違いしたのだ。しかし一旦勘違いすると、どんどん別な方向に解釈が進む。私は、自分が聞き取ることができた僅かな情報をもとに、どうやらアメリカのどこかの町で、巨大トマトがニョキニョキと異常発生して、家は潰すは車はひっくり返すは、さんざん暴行をはたらき、犠牲者が続出したらしい、そしてそのお化けトマトは、その後、時速何マイルかのスピードでどこかへ移動していったらしい、と勝手に解釈したのである。

何てことだ。これではまるでホラー映画ではないか。私はひたすら驚嘆し、やっぱアメリカはすごいなーと、妙なところに感服して、うんうんと頷いていた。どうやらちょっと違うようだと気付いたのは、その中の一人が私に、「日本にも竜巻(トネード)はあるのかい?」と聞いた時である。私は「もちろん日本にもある」と答え、だけど普通はこのくらいだと、手で丸い形を作ってみせた。相手は非常に驚き、そして笑い出した。


3 「コワイ男」

アメリカは危険で怖いとよく言われるが、私が8年ほど過ごしたワシントンDCの北東部は、確かにかなり危ないところであった。一番危険だとされていた南東部よりはましであったが、なにしろ、日本大使館においてある観光客向けのガイドブックに、「この地域には昼間でも足を踏み入れるべきではありません」などと書かれていた程である。夜遅くに電車で帰宅しなければならない時は、かなり怖かった。

どうしてそんなところに住んでいたかというと、そこに神言会のハウスがあったからである。約50人ほどの人が同じ建物に住んでいた。昔はきっと安全だったのだろうが、時代の流れと共にだんだん危険になってしまったようである。ピストルやナイフで脅されて金をとられた人が、うちの住人の中にも何人かいたし、車上荒しも頻繁であった。住みだして初めの頃、私には道行く人が皆盗賊であるかのように感じられた。しかし、よく考えてみると、本当に悪い人ばかりなはずは、ないのである。そういう人もいるのだろうが、実はごく少数なのであって、ほとんどの人は良い人なのだ。

ある日、私は人と待ち合わせをして、路上に一人立っていた。すると向こうから、見るからに恐ろしげな、プロレスの悪役レスラーのような大男が歩いてくる。しかも、ぶつぶつと激しく何か怒鳴りちらしている。麻薬でもやってるのかも知れない。これはコワイ。危険度最大級である。私は出来るだけその男の気を引かないようにと、暗い場所に立ち、じっと下を向いて黙っていた。ところが、あろうことかその男、私をみるなり「ヘイ、ユー!」と大声をあげ、ずかずかと私の方へ向かってくるではないか。困った。しかし逃げると殺されそうに思えたので、しかたなく、男が来るのを待った。目の前に立ちはだかって私をギロリとにらむ大男。一体何をされるのかと、私は心底ビビッた。ところが男はこう言ったのである。

「君、気分でも悪いのか?」 

「は?」

私はにわかに力が抜けた。いや何ともない、大丈夫だと答えると、そうかそれはよかったと言って、男は笑顔で握手して去っていった。その人は、私が下を向いて黙っている様子を見て、病気なのかも知れぬと思い、親切に声をかけてくれたのであった。

・・・実は、たいへん良い人だったのでした。

う〜む、人は外見で判断できないものだ。でも、それならもっと優しい声を出してくれよー。

ハウスにいちど、夜中にドアを破壊して賊が侵入したことがある。そこまでやられることはさすがに稀であるから、たまげた。しかしながら、分厚いドアを力ずくで破壊してまで侵入した割には、盗っていったものは大したことが無く、ほとんどゴミのような古いビデオデッキと数個の缶ビールだけであった。思うに、力だけはすさまじくあるが、心はさほど悪くない人たちだったのだろう。誰にも危害を加えずに去っていったのである。好きこのんで悪事を働く人は、実はほとんどいないのかも知れない。むしろ、悪事を働かなくてはならない状況に、ある人たちがなってしまうということに、問題があるように思う。


4 「道路のみぎひだり」

よく知られていることだが、米国では車は道路の右側を走る。日本と逆である。慣れるまで、これをよく間違えて、危ない目にあった。もっとも、あちらに慣れると、今度は日本に帰って来た時に、こちらで危ない目に会う。気を付けないといけない。車を運転する時はもちろんだが、道を歩く時にも注意が必要だ。ふつう日本で道を横断するときは、まず右を見て、そして左を見て、車が来てないことを確認してから渡る。このこと自体に特に問題はない。ところが、アメリカに行って初めて気付いたのだが、私は無意識のうちに、右から車が来てないのを確認したら、車道に一歩足を踏み出しながら、左を確認するクセがあったのである。日本では、これで別に危険はないのだ。左からの車は道の反対側を来るのだから。しかしながら、日本でのこのクセをアメリカでやると、とても危険なのである。道を渡る時に何気なく日本式に右、左と確認をやってしまうと、左から走ってきた車とあわや接触しそうになる。左をちゃんと確認する前に、足を道路に踏み出してしまうからである。アメリカに渡って初めの頃、私は左から来る車に、何度もクラクションを鳴らされ、ドナられた。私と同様のクセをお持ちの方は、米国に行かれる際には、ぜひご注意なされよ。

車を運転していて、ついうっかり反対車線に入ってしまったことも何度かある。気を付けてはいるのだが、急いでいたりすると、左折の時などに、ひょいと反対車線に入ってしまい、とてもコワイ思いをした。ショッピング・モールなどの駐車場から中央分離帯のある広い車道に出る時にも、車線を間違えがちであるから、注意しよう。ぼんやりしてると、無意識のうちに、右に行くべき道を左に行ってしまうのである。たまたま信号が赤で、まわりに他に車がいない場合などは、しばらく走っても気付かないことがある。しかしやがて信号が青に変わり、前方正面からまるで悪夢のように、車の軍団がドドドッと自分に向かって迫ってくるのだ。これは顔面蒼白になる。こういう時は直ちに車を停めて、一群が過ぎ去ってくれるのを待つしかない。通り過ぎる車の人たちからの冷ややかな視線を浴びながら、「いや〜いい天気ですネー」とでも言いつつ、引きつった笑顔で皆さんに空しく手を振るはめになるのである。運転にはホントに気をつけましょう。


5 「ビキニの秘密」

アメリカで仲良しになったお友だちのひとりに、韓国から来たSという神父さんがいる。S氏は私より5歳ほど年上であった。私と同じく資格をとるために留学していたのだ。彼は非常に温厚で、かつ物事に動じない、とても神父らしい人であった。ある冬の日のこと、彼が突然、運動のために水泳をやろうと言い出した。そのためには水泳パンツが必要だ、一緒に買いに行こう、と言う。そこで、二人して買い物に出かけることになった。

水泳パンツのひとつやふたつ、どこでだって買えるだろうと我々は考えた。ところが、実はそう簡単ではなかったのである。スポーツ用品店を何軒か回ってみたが、水泳パンツはまったく置いてないのだ。店員さんに聞いてみると、「今はない。だって冬だから」と言う。しかし冬だって、プールで泳ぐ人がいるだろう、スイミング・クラブだってあるだろう、と我々は大いにツッコミを入れたかったが、無いものはしょうがないのであった。こうなりゃ、絶対見つけてやろうじゃないか!二人は堅く誓い合った。

別の商店街に行き、手わけして、人に尋ねてみた。S氏が「どうやらあるらしい」と言うので、行ってみると、そこはスキューバ・ダイビング用品の店であった。彼には「スイミング・スーツ」を「スイミング・シューズ」と発音するクセがあったので、尋ねられた人が、「え、水泳靴?それはきっとゴム製の足びれの事であろう」と、解釈してくれたのだと思われる。残念ながらそこにも水泳パンツはなかったが、しかし来たかいがあった。そこの店長さんが、水着の店の場所を我々に教えてくれたからである。二人はお礼を言って、すぐにそこへと向った。

その店は小さいけれど、ド派手な店であった。水着のデザインが派手な色合いで、店の入り口全体にイヤというほどベタベタに描きまくられている。しかも、大きな看板には、『ビキニ・ハウス』と書かれているのだ。う〜む。二人は店の前に、しばし呆然と立ち尽くした。しかしここまで来た以上、入るしかないであろう。二人は覚悟を決めて、そっとドアを開けた。

店の中には、眩しくもカラフルなビキニが、それはもうドワッと並べられていた。そして、粋な身なりのきれいな店員さんが、やたらと明るい声で、「いらっしゃ〜い!」と迎えてくれたのであった。しかし、どー見ても男物の水泳パンツはありそうにない。「こりゃダメだよ」と二人はほとんどあきらめながらも、一応聞いてみた。「男モノ、ありますか?」すると、彼女は間髪入れず、「あるわよ!」と答えたのである。おお。我々はついに水泳パンツへと到達した。二人は感激に身をふるわせた。

ところが、だ・・・この粋な店員さんは、店の中に所狭しと並んでいるビキニの、その下半分の部分を指さして、ニコニコしながら、「好きなの選んでね」と言ったのである。え〜っ!ビキニって男女兼用だったのですか?「そーよ!」と彼女は断言した。しばし唖然。

たしかに大きなサイズのものなら、男にもはけそうな気がしないでもない。ふうむ。だがなあ・・・私がいろいろとビキニについて考察をめぐらせている間、S氏は驚いたことに、平気な顔でパンツをいくつか試着していた。この人は本当に何事にも動じない立派な人なのだなぁと、私は心から感服したのであった。(するか〜っ!)

でも結局、幸か不幸か、値段が高すぎて買えなかったのである。二人はヘトヘトに疲れて、まっすぐ家に帰った。・・・教訓。「水着は夏に買いましょう。」


6 「アメリカの床屋」

床屋さんのことを思い出した。アメリカの床屋は、日本とちょっと勝手が違うのだ。大きな違いのひとつは、アメリカの床屋では、たくさん喋らなければならないということだろう。それにくらべて、日本の床屋では、客がほとんど口を開かなくてすむのである。たいていの場合、「どうします?」「あ、ふつうに」という、たったこれだけの対話で十分なのだ。後は寝ていたってかまわない。床屋さんが適当に見繕ってやってくれるのである。アメリカでは、そうはいかない。どのようにどこをどれくらいカットして欲しいのか、明瞭に説明しなくてはならないのだ。初めて向こうの床屋に行った時、「ふつうに」のつもりで、「ノーマルにお願いします」と言ってみたら、「何だそれは」と言われた。あちらには、いわゆる「ふつうの髪型」というのはないようだ。ただ、今思うのだが、たぶんその床屋さんは、「髪型」ではなく「切り方」について、「ふつうに」と解したのではなかろうか。だから、その床屋さんが、もし、「ニ鋏流ツバメ切り」とか「乱れ踊り(ブレイクダンス)切り」とか「超速何とか切り」とかいった、特殊な技法を持っていたのなら、「ふふ・・・よろしい、ではフツウに切ってしんぜよう」とでも言ったのであろうが・・・どうやらそうではなかったようだ。あちらで、それこそ「ふつうに」切ってもらうためには、「え〜と・・後ろと横を短くして・・前髪も少し切って・・それから上部を少しすいて・・・」というような説明をしなければならないのである。まことに七面倒くさい、と私は思った。

しかも、である。あちらでは、髪を切ってくれたら、それで「おしまい」なのだ。つまり、洗髪してくれないのである。「散髪」の基本サービスは、実に素直に「切るだけ」なのであり、その他のことには全て追加料金が必要なのである。これにはまいった。床屋は、車ではるか遠くのところにあったのだ。洗髪くらいして欲しいと思ったが、お小遣いの乏しかった私は、髪の毛を洗うくらいのことに追加料金を払う気にはなれず、はるばる家まで帰ってからシャワーを浴びた。アメリカと言っても広いので、これはワシントン近郊あたりだけの習慣なのかも知れない。だが考えてみると、この料金方式は、たぶん貧しい人たちへの配慮なのである。実際、基本料金はけっこう安かった。(たしかチップを含めても千円いかなかったと思う)。日本で当たり前になっている一連のサービスは、無ければないですむものなのである。やって欲しい人が、その分料金を払ってやってもらえば良い。この方式はけっこう日本でも使えるかも知れない。

ところで、あるとき急に(秋も深まった頃)、なぜか「スポーツ刈り」にしたくなった。そこで私は床屋でちゃんと説明できるように、和英辞典で調べてみた。「スポーツ刈り」は英語で何と言うのだろう。すると、それは「クルーカット(crew cut)」である、とその辞典にはのっていた。なるほど。そこで私はさっそく床屋に行き、自信たっぷりに、「クルーカットにして」と言った。しかも「短めにね」とまで言い添えた。すると床屋のおじさんはバリカンを取り出し、鼻歌交じりに髪を切り出し、あれよっと言う間に、私の頭をイガグリの見事なボーズ頭にしてしまったのである。おい、辞典、話が違うじゃないか。しかしまあ切られたからには仕方がない。しかし、それからしばらくの間、大学のキャンパスで、私は仏教のお坊さんと間違えられて、さかんに話しかけられた。みんな禅について聞いてくるのだ。禅はすごい人気である。私が、実は私はキリスト教なんです、と言うと、なぁんだつまらんという顔でさっさと行ってしまうのであった。

せっかくボーズ頭なんだからと(何がせっかくなのか分からんが)、私は日本から持っていった半纏(はんてん)を着て外に出かけることにした。しかし、このジミな半纏は、アメリカでは、まあものすごく目立つのである。道行く人は振り返り、子供たちは指をさす。大学にも試しに着ていったら、ある教授が、わざわざ私を追いかけてきて、「き、きみ、そのオリエンタル・ジャケットはよいなぁ」とおっしゃられた。しかしワシントンDCの冬はかなり寒く、並みの半纏くらいじゃ凌ぎきれないくらいになってきたので、止む無くこのファッションはあきらめることにした。

つづく