有名人トリビア1

 

1.「足利義満と能」

  足利義満といえば室町幕府の最盛期の将軍だが、実は彼は能の大パトロンとして有名である。観阿弥、世阿弥親子の能を見た義満は能に惚れ込み、観阿弥一座を手厚く保護した。それまでは神社奉納、庶民のためだった能がここから貴族のためという性質を帯びていったのである。彼の庇護のもと、世阿弥は今日まで残る素晴らしい能をたくさん創作した。彼の作品に特にわびさびや幽玄と言った物を感じることが出来るのは、そのためかもしれない。
  ちなみに、足利義満には稚児(つまり男色。当時は珍しいことではなかった。)趣味があったと言われ、世阿弥は将軍をたらし込んだと中傷されることもあったとか。

2.「織田信長と能」

  織田信長は能楽を初めとする芸能を好んだ。特に彼が好きだったのは幸若舞「敦盛」で、自ら謡い舞うほどだったという。本能寺で最期に舞ったとして有名な「人間50年」は幸若舞「敦盛」の一説である。幸若舞はその後他の芸能に吸収され、現在独立したジャンルとしては残っていない。

3.「豊臣秀吉と能」

  豊臣秀吉は大変な能好きとして知られている。自らシテ(主役)を務めたり、他の大名にも舞わせたりと、彼の楽しみ方は鑑賞にとどまらなかった。やがて彼は彼が主役の能を作らせるようになり、それは「太閤能」として知られている。残念ながら現行曲として残っている物はなく、復曲が待たれる。

4.「徳川家康と能」

  徳川家康と言えば江戸幕府の創設者。彼は秀吉のもとで能に触れ、その魅力にとりつかれていた。そこで、江戸幕府を作ると、彼は能を幕府が保護する芸術とし、お抱えの能役者の数は半端なものではなかった。
  さらに各地の大名がそれを真似始め、江戸時代は能役者が安定した地位を得ることが出来る時代となったのである。

5.「藤堂高虎と能」

  藤堂高虎は藤堂藩の藩祖。いち早く徳川家康に仕えたことと、また彼が立てた数多くの功績によって藤堂藩を賜った、家康の信任篤い武将である。彼は人情味がある武将としても有名で、たびたび家康に進言して捕虜の命を救っている。
  ある時、彼の進言により一人の男が命を長らえた。彼は二度と戦場には戻らないと誓って立ち去ったが、その男がシテ方の五流派目である喜多流の宗家になった、と言う話が残っている。

6.「新選組と能」

  幕末に活躍した京都治安隊新選組。その中でも途中から離隊した高台寺党と呼ばれる一派のリーダー伊東甲子太郎は謡曲(能の謡)に精通していたと言われている。特に「竹生島」が好きだったようで、彼の最期は酔って竹生島を謡いながら歩いているところを襲われたと言われている。