津村 俊充
つむら としみつ

現在南山大学人文学部心理人間学科所属(南山短期大学人間関係科から移籍)。
 南山大学での仕事も10年目を迎え、魅力的な大学・学科になるようにつとめています。そして、2004年4月には南山大学大学院人間文化研究科教育ファシリテーション専攻も開設され、さらにハードな年を迎えています。

 南短時代、学生から、つんつん(TsunTsun)と呼ばれていました!そのニックネームをとって本WEB“つんつんの体験から学ぼう!”が誕生しました!

←この図は、2002年7月25日〜27日にプレスタイム社主催の体験学習ファシリテーター養成講座の参加者の方(中島達哉さんのサイン入り)が描いてくれたものです。結構気に入っています。そして、この研修はとっても学びの多い、充実した研修にもなりました。

2003年4月10日 更新

 ペンよりも、火箸が似合う男。間違って大学で教鞭を執ることになってしまった男。机に座っているよりは、動き回っていることが大好きな男。何にでも手を出し、趣味は広がるが、何一つとして素人の域を出ない男。下手な横好きを見事に歩き続ける男。物欲はいつまでも枯れずコレクションマニアな男。

 家族構成は、妻(?歳)、長女(大学教員2年目)、長男(中・高の体育教師7年目)、次男(夢を描き未知な世界米国に渡り?年目)の5人家族も夫婦二人の生活。昨年2008年11月より、息子夫婦と孫(歩春:あみる2歳半)との生活が始まる。長女も、今年4月に結婚、それぞれがそれぞれの人生を歩み出し、夫婦の人生を見つめ直す時代に突入か・・・・

私が歩いてきた道のり:

1951年9 月25日
 かの阿波踊りの地、四国阿波徳島、禅宗寺(妙心寺臨済宗)の本堂で産声をあげる。
1958年4 月
 徳島市立昭和小学校入学。無事、1964年3月卒業する。
1964年4 月
 徳島市立冨田中学校入学。鳩を飼うことに狂った中学時代を過ごすが、なんとか、1967年3月卒業できる。
1967年4 月
 徳島県立城南高等学校入学。仲間の学習能力に圧倒される。ようは、落ちこぼれという奴。部活は、めざせ藤井寺球場!軟式野球に熱中する。プロカメラマンをめざすが断念。そして、建築家をめざすがまたまた断念。そして、卒業間近に、教育学部志望に変更。
1970年3 月
 徳島県立城南高等学校卒業
1970年4 月
 徳島大学教育学部小学校教員養成課程(今は、鳴門教育大学に)入学。入学当時は、学生紛争の終焉間近、しかしその火の粉をかぶる。シャイだった小学校、中学校時代から大きく変貌。戦う男に。根っからの負けん気がメラメラと!いや、いろいろやりました。と言っても、戦っていた連中と戦っていたのですから、体制側にいたのかも知れません。その中でも、特に悪友・親友に恵まれた『青少年研究部』は大学時代、エネルギーを注いだ最大の活動でした。子供たちの非行など問題行動が起こると、社会の問題に原因を帰す『児童文化研究会』と異なり、子供たちの仲間作りや教育環境作りのために子供会活動に精を出し、夏休みには“サマースクール”と称して小学校や中学校の校舎を借りて、1週間ほどの勉強と遊びのお兄さん・姉さん活動をしたものです。前進は、BBS(Big Brothers Big Sisters)であり、考えてみれば、最近私が関心をもっているメンタリング活動もこうしたムーブメントの一つとも言えそうです。今も、年1回、青少年研究部』OB会が開かれ、当時を懐かしんでいます。当時の仲間たちも今は教頭・校長と管理職に就き、活躍をしています。大学時代のもう一つの思い出は、ギターを覚え、フォークの世界にはまったこと。吉田拓郎、そして、井上陽水、岡林信康などなど、フォーク・ソングとも接触。その後、河島英五もお気に入りに。
1974年3 月
  徳島大学教育学部小学校教員養成課程卒業前の秋に、日本教育心理学会の大会へ参加。シンポジウムで大学の先生方の討議の中から現場の先生批判がバンバン。確か「現場と研究とのギャップ」とか何とかのテーマだったと思う。私の負けん気根性が、大学院受験へと走らせる。そして、広島大学大学院を受験、不合格。
1974年4 月
  名古屋大学教育学部研究生 社会心理学専攻。晴れて、研究生として、再度一から心理学の勉強を始める。
1975年3 月
  名古屋大学教育学部研究生 社会心理学専攻修了
1975年4 月
  名古屋大学大学院教育学研究科博士課程(前期)入学。なんとか、合格。先輩・後輩に恵まれ、充実した大学院時代を送る。
1977年3 月
  名古屋大学大学院教育学研究科博士課程(前期)修了 教育学修士。
と同時に
1977年4 月29日
  結婚。相手は、大学時代の後輩とか(?)とかはないよね。
1977年4 月
  名古屋大学大学院教育学研究科研究生をやりながら、南山短大非常勤講師をはじめ、数々のアルバイトで新婚生活を維持。当然、妻も仕事に出る。この年に、人間関係科なる奇妙な教育機関と出会う。これが、大きく人生を変えるとは、・・・。初めて『体験学習』になるものに出会ったときには、「何だこれ???」でした。
1979年4 月
  南山短期大学人間関係科常勤講師になる。
1985年4 月
  南山短期大学人間関係科助教授
1985年8 月
  米国留学 University of Massachusetts at Amherst(School of education) にて Visiting Scholar として "Humanistic Psychological Education" の研究(昭和61年8 月まで)
米国滞在中に、体験学習、Tグループの発祥の地、メイン州ベセルにあるNTL(National Training Laboratories)にて、『スキーとTグループ』、『体験学習を実施するためのファシリテーター・トレーニング』に参加する。
今から思えば、アメリカでのこの1年は南短に務めて、夢のような時でした。何せ、会議がないのが一番!そして、帰国間際の1ヵ月は、テントを車に積んでアメリカ一周1万マイルの旅、またの機会にアップします。
1992年4 月
  南山短期大学人間関係科教授
    教務委員長、入試運営委員長、広報委員長、そして学生部長と2年刻みに休まることなく仕事:我ながらよくやりました。

2000年4 月
  南山大学人文学部心理人間学科教授:役職から解放を願っていた私でしたが、3年間、学科長職をやらせていただきました。そして、

2003年3月 晴れて心理人間学科長職の任期を無事終了。

2004年4月 心理人間学科の完成年度を終え、1期生が卒業。私自身、この学科での自分のアイデンティティを確認する一年にしたい。大学院設置申請も無事認可され、人間文化研究科教育ファシリテーション専攻が開設される。南山大学が、いよいよ日本におけるラボラトリー・メソッドによる体験学習の教育・研究の基地に。

2005年&2006年文部科学省教員養成GP、2007年&2008年文部科学省教育推進GPの選定を受け、2期4年間ハードな日々を過ごしました。2009年度からは、少し新しいステージに突入する予感・・・

 いや、書き出したら、切りがありません。とにかく、小学校教員になるはずが、今は大学で仕事をしてしまっているのです。『してしまっている』というのが正直な気持ち。大学の教員とは、研究と教育を両立しなくてはならないことになっているのですが、・・・。これは、とてもとても私には、厳しいプレッシャーなのであり、苦痛なのでもあります。でも、でも、そんなことを言っていられないので・・・

ですから、一応学会なんぞにも
1975年4 月 日本グループダイナミックス学会会員(現在に至る)
1975年4 月 日本行動計量学会会員(現在に至る)
1976年4 月 日本心理学会会員(現在に至る)
1976年4 月 日本教育心理学会会員(現在に至る)
1984年10月 対人行動学研究会会員(現在に至る)
1987年4 月 日本人間性心理学会会員(現在に至る)
1989年4 月 日本社会心理学会会員(現在に至る)
1996年5月 東海心理学会会員(現在に至る)

やっぱり、私のストレス解消は、ギターをかき鳴らしながら、大声で歌うこと。
この時が最高のひととき!
しかし、南山大学の研究室の間の壁はとても薄く、音はかなり漏れます。よって、研究室の隣近所に御迷惑になることが気になり、今では、新しい研究室で、そのストレス発散の時ももてなくなってしまっています。まあ南山短大時代にも迷惑をかけていたのでしょうけども・・・