つんつんの体験学習Q&A

2004年 07月 08日 (木) 更新

【注】研修や教育活動の場面で本ページの資料をお使いになる際には、出典として「つんつんの体験から学ぼう:津村俊充体験学習研究所ホームページ『つんつんの体験学習Q&A』より」と記載してお使いください。


Q25.体験学習の循環過程を機能するためには「感受性」、「思考力」、「応用力」、「行動力」がそれぞれ必要だということは、体験学習の循環過程の話(Q16参照)でよく聴くのですが、これらの力が弱い場合、つまり感受性が弱い、思考力が弱い、応用力が弱いなどの場合、ファシリテーターは、どう働きかけたらよいでしょうか?New!

A.ラボラトリー・メソッドによる体験学習は、確かに、学び手の目標意識やさまざまな能力によって、その深まりは異なることは考えられます。一方で、体験学習に参加することを通して、学習意欲が増したり、感受性や思考力、行動力などが身に付くことがあることも確かです。学習者が循環過程を通して学ぶために、ファシリテーターに必要なことは、それぞれの力を発揮することができる働きかけ(介入)の力を付けることです。それは、学習者に問いかける質問のレパートリーと言ってもいいでしょう。2003年に出版した「ファシリテーター・トレーニング」(ナカニシヤ出版)も参考になると思います。また、介入のレパートリーに関しても、ファシリテーター自らの体験(トレーニング現場での)をふりかえることから、学びを深めていくことができます。自分が行った介入(言葉かけ)は、どんな意図をもって行ったのか?そしてその結果は学習者に対して、ファシリテーターに対してどのようなものだったか?自分の意図を実現するために、その他の介入があるとしたらどのような介入の選択肢があるかを検討することは、ファシリテーターの介入レパートリーを広げる源になると思います。
 また、ファシリテーターがトレーニングでの現場でもそうですが、日常生活のなかでも、体験学習の循環過程を意識した学びをしていることも、大切だと考えています。それは、いろいろなお話を学習者にする際に、役立ちますし、また、そのように現場の体験から学ぼうとしている姿勢は、学習者に一つのモデルとしての行動を示すことになり、体験学習の循環過程における必要とする力を促進することにもつながるものと思われます。


Q24.体験学習や人間関係トレーニングでは、『フィードバック』を活用すると言われますが、『フィードバック』とはどのようなものですか?また、『フィードバック』を行う際の留意点というのは何かありますか?

A.フィードバックという用語は、もともと、自動制御回路などの電子工学の分野の言葉です。人間関係を学ぶ研修では、『フィードバックとは、人間関係の中で、各人の行動が他者にどのような影響を与えているかに関する情報を提供したり、受け取ったりする情報の相互交換のプロセス』です。
 フィードバックをする際の基本的な心構えとしては、『フィードバックとは個人やグループが成長するためになされるものであり、お互いの関係を深めるものである』ということを肝に銘じておく必要があるでしょう。
フィードックの効用として、(1)学習者が自分の対人行動が自分自身の意図と一致しているかどうかを知ることができる、(2)お互いの関わり方に気づき、真実の関係を創り上げることができる、(3)学習者が新しい対人行動を獲得するための強化をする働きがある、と言えるでしょう。
 そのためには、(1)良い悪いというように評価的にならずできる限り記述的になること、(2)伝え手の思いとして「私は・・・」というメッセージで伝える、(3)フィードバックの受け手のニーズに応える、(4)適切なタイミング(できるかぎり早い時点)で伝える、(5)多くの人からのフィードバックを受け取る、などの留意点が考えられます。フィードバックは、伝え手の言いっぱなしにならないように、フィードバックをめぐって、お互いに親密に話ができるような配慮はしたいものです。


Q23.実習を用いた体験学習でグループワークをする際に、あらかじめ進行係やリーダーを決めずに実習を行いますが、何か理由がありますか?よく、ふりかえり用紙を記入し、分かち合いをしていると、リーダーを決めてやるとスムーズにできたのではないかとか、自ずと役割ができていたのがよかったなどといった声を聞きますが、役割を決めない理由を教えてください。

A.体験学習のことを、ラボラトリ・メソッドによる体験学習というよび方をすることがあります(Q19&Aを参照)。私が実習を用いた体験学習をする際には、ロールプレイによる実習として課題を提示しない限り、進行役などの役割を決めません。それは、全く何も役割が決まっていないグループ活動をする中に、参加者一人ひとりの参加の仕方やコミュニケーション、影響の及ぼし合いが生まれるところに、大きな学びの要素が有ると考えているからです。何か役割が決められていると、役割をもつ人ももたない人も、行動を引き起こしたり引き起こさなかったりした理由に、その決められた役割に原因帰属をすることになるでしょう。何もないところから、生まれるところに、その人の他者へのかかわり方やグループへのかかわり方のありようのデータを拾い集め、素朴に吟味することができると考えているのです。情報紙を分けもち、その情報を出し合って、一つの回答を得たり、地図を描いたりするグループワークは日常にはない非日常のトレーニングの場面と言えるでしょうが、そこに起こっている一人ひとりの他者へのかかわり方のありようは、まさにリアルなものそのものなのです。だからこそ、学習者一人ひとりが、そのプロセスから学ぶことに強いインパクトを受けることになるのでしょう。仕事は非日常的な実習でも、そこに起こることはリアルな関係であること、ファシリテーターとしても大事にしていく視点だと考えています。


Q22.フィードバックを受け取る時に、誰からのフィードバックであるかによって影響力が異なることがあります。例えば、年齢が高い人から、地位が高い人からなど、意識してしまいます。どのようにフィードバックを受け取ればいいのでしょうか?

A.確かに、ふりかえり用紙に記入したことや気づいたことを他のメンバーから受け取る時に、歳をとられている人や、その筋では専門家であるという人のフィードバックは、共にグループ活動を過ごしたメンバーでありながら、影響力が異なったり、メンバーによってはそのような権威ある人からメッセージを大切にしようとする傾向の強い人がいるのは確かです。本来は、どの人からのメッセージも同じ重さで、一人の人間からのフィードバックとして受け取れることが大切であると考えています。もし、そのような特定の人のフィードバックに対してのみ影響力を感じていることが起こっているならば、そのこと自体がとても大切なプロセスデータになると考えられます。そのデータをもとに、今のグループのありようを考えたり、一人一人の対人関係のあり方や特徴を探っていくことができるのです。ラボラトリ・メソッドによる体験学習の中心的な手法としての“Tグループ”では、極力初めて出会う人たちがあつまり、プロセスの中で生きながら学というのは、こうしたことを避けるためにも大切な教育環境になります。
 一つ、注意しなければいけないことがあります。それは、教育スタッフ自身が一つの権威者になりうるということです。教育スタッフが学習者のために大切だと思ってフィードバックする行為が、実は他のメンバーよりも意味があるものとして学習者に映り、それが正しいと思って理解されてしまうことが起こることを教育スタッフは肝に銘じておく必要があります。自己反省も含め、そのフィードバックが一見厳しかったり、鋭く感じられるものほど、そのように学習者は感じ、時には、学習者を傷つけてしまう可能性を秘めているのです。実習を用いた学習もそうですが、特に、“Tグループ”による学習は、フィードバックが主となるトレーニングでもありますから、どれだけ参加者が自由にフィードバックをできるか、それはスタッフのありように関してもフィードバックができるか、この真実なる自由の風土、民主的な風土をいかに作り出すかが、学習の鍵になるのです。


Q21.「体験学習(法)」は、自然体験活動・自然解説プログラムや環境教育の中で、どのように活かせますか

A.「体験学習(法)」を学ぶことで、まず自然体験活動や環境教育に関わっている教育者(スタッフ)自身が成長するための大切な学び方になるだろうと考えています。プログラム参加者に対して自らがどのように語ったり、相手の話を聴いたりしているかといったコミュニケーションのありようを考えることは大切だと考えられます。こうしたコミュニケーション能力をスキルアップするためには「体験学習(法)」を活用することは有効です。その他に、自分の対人関係を磨いていくことが大切な場面として、グループ(チーム)でプログラムを開発したり、自分が所属する組織のありようを点検・改善することもあり、そのためにも「体験学習(法)」は必須です。その時には、“コンテントとプロセス”という視点を大事にしてください。

 次に、実施プログラムを充実させていくために「体験学習(法)」を大いに活用するとよいでしょう。実施した体験から、絶えず学び、よりよきプログラム作りのためには、体験−指摘−分析−仮説化−体験’と新しいプログラムに実施に向かう問題解決手法として「体験学習(法)」を意識し、実施することは大切でしょう。優秀な教育者や経営者になっていくためには、この「体験学習(法)」の実践者になることが重要であると述べ、“内省的実践家(reflective practitioner)”になれ!というメッセージを発している人もいます。

 そして、3つ目は、参加者へのプログラムが「体験学習(法)」を活用したものになっているか、この視点からのプログラム作りが大切です。子どもたちに、ただ教え込むだけのプログラムになっていないか?子どもたちが気づき・発見するプログラムになっているか?学習者がいろいろなプロセスに気づくことができるように焦点があてられているか?など、「体験学習(法)」をマスターすることによって、本来の自然体験活動や環境教育がめざそうとしている教育目標に近づくことができると考えています。


Q20.「体験学習」とエンカウンターグループとは何が違うのでしょうか?

A.ラボラトリー・メソッドによる体験学習とエンカウンターグループ、もしくは構成的グループエンカウンターの違いは何か、ちょくちょく質問されます。その違いを知るには、やはり誕生の違いをお話しするのがいいでしょう。

ラボラトリー・メソッドによる体験学習は、1946年米国コネティカット州で、社会心理学のグループダイナミックス研究の創始であるレビン(Levin,K.)らが州の教育局より依頼を受けて、偏見を取り除き人種問題をいかに解決していくかを、ソーシャルワーカーや教育関係者、企業人を集め、講義やロールプレイングやグループ討議のプログラムからなる研修が始まりとされています。ベネ(1964)によると、グループ討議の時の参加者のやりとりの様子を報告し話し合っているスタッフミーティングに参加したいという参加者からの申し出があり、レビンはそれを了承したのです。そして、そのミーティングでは、スタッフ(研究者や観察者)と参加者と一緒になってグループ・プロセス(グループの中で起こっていること)を話し合ったみたいです。結果、ずいぶん相互に認識のズレがあることが分かり、参加者とスタッフがその時その場で感じていたことや心の動きなどのデータを率直に出し合っていくことで、真実のグループ・プロセスが明確になり、自分・他者やグループの理解を深めていくことができたのです。これは、とても衝撃的な発見でした。その後、米国におけるNTL(National Training Laboratories)が1947年からメイン州ベセルで開催する「Tグループ(Human Relations Laboratory)」へと発展し、社会的感受性とコミュニケーションスキルの開発やリーダーシップの理解と実践のためのトレーニング、組織開発(Organization Development)などへの応用として教育プログラムは展開されていくのです。そこには、偏見の問題を取り上げながら(コンテント)、グループの関係の中に偏見をもった見方が存在している(プロセス)といった視点である“コンテントとプロセス”が特徴的なものとしてあります。また、体験から学ぶためのステップとして、社会科学方法論を適応した“学習の循環過程”が取り上げられているのも、重要な特徴です。

一方、エンカウンターグループは、ほぼ同時期、1946年と1947年、シカゴ大学カウンセリングセンターに所属していた、クライエント中心療法の創始者でもあるカールロジャースと仲間たちが、集中的グループ体験を実施したのが始まりとされています。それは、第2次世界大戦直後の復員軍人の問題を処理する有能なカウンセラーを短期間で養成するための養成に応えるためのものでした。そこでは、カウンセラーの資質の一つとしての“自己理解”を深める体験として、それとカウンセリング場面で有効であろう態度しての共感的に傾聴する態度の養成に主眼があったのです。その後、ロジャースは、「集中的グループ体験は、おそらく、今世紀のもっともすばらしい社会的発明である」と述べ、グループを用いた人間関係トレーニングとして「ベーシック・エンカウンター・グループ(basic encounter group)」がアメリカ西海岸を中心に発展していったのです。そのグループ体験は、一人ひとりの人間の存在を尊重し、「いまここで」の関係に生きるとき、メンバー相互に驚くほどのエネルギーの集中が起こり、メンバー相互の理解や出会いが生まれ、その時個人やグループの変化成長が生起することを発見していったのです。

以上のことから、ベセルで始まったTグループなどの体験学習は、“グループ指向”、“体験から学ぶ教育指向”といわれ、一方エンカウンターグループは、“個人志向”、“治療的な関係指向”いわれる、ゆえんであることがご理解いただけると思います。

しかしながら、今日では、お互いのアプローチが融合しあいながら、グループ体験を用いたさまざまな活動に広がりを見せており、両者の違いを論議することにはあまり意味を見いだすことができないと考えています。

Q19.「ラボラトリー・メソッドによる体験学習」という言葉を耳にしますが、どういう意味なのですか?

A.体験学習によるトレーニングをラボラトリーメソッドによるトレーニングとか、ラボラトリーメソッドによる体験学習などと呼ばれています。この“ラボラトリー”という言葉を,“実験室”と訳しますと,第三者によって操作的に人間を操ってトレーニングをするようなイメージ,それは「誰かを実験にかける」,「参加者がモルモットになる」といったような響きがついてくるかもしれません。
 本来は“ラボラトリー”とは「自分が自分のことをいろいろと試みる場」という意味で,あえて実験という言葉を使っているのは,実験をする主体は参加者自身であることをさしています。まったく研修/教育という新しい教育環境にやってきて,そのときその場にいる人々とのコミュニケーションやグループワークなど,今そこに生じた生の人間関係の体験を素材にして,自分が自分自身を深く見つめ直したり,他者との関係のもち方を点検したり,新しい行動様式(たとえばリーダーシップとか聴く態度など)をグループの中で試したり,グループや組織の人間関係を変革するためのシミュレーションをしたりといったように,“ラボラトリー”は他者との関係を創り出しながら,自分自身のこと,人間関係そのものを“いまこここ”の中で主体的に学習する場といえるでしょう。
 通常の学習は,過去の誰かが獲得した知識を教育者から伝達されて,それを記憶する形式で学ぶことを「概念学習」あるいは「知的学習」とよばれます。または,文化伝承型学習とよばれたりします。しかし,ラボラトリーメソッドによる学習は,“今ここで”の自分の体験を他者と共に総合的に検討することによって変化・成長を生み出す形式なので,「体験学習」あるいは「態度的学習」といわれるゆえんでもあります。最近は,ラボラトリーメソッドによる学習というよりは,体験学習と呼ばれることが多くなってきています。また,参加者自身の主体性を大切にすることをより表現できるようにと,トレーニングという言葉より「学習」とか「学ぶ」といった言葉が使われるようになってきています。また教育担当者のことを,学習を促進する人という意味で,「トレーナー」というよりは「ファシリテーター(学習促進者)」と呼ぶようになってきています。これも,一つの今日的な教育観の流れであるといえるでしょう。


Q18.体験学習の“体験”とは、どのようなことをいうのでしょうか?“実習”と同じ意味ですか?実習学習とはなぜ呼ばないのですか?

A.体験学習の“体験”と、体験学習のプログラムの中で行う“実習”とは違います。体験学習といった際に、“体験”から学ぶ“体験”には、“実習”と呼ばれる教育スタッフによって提示されて、研修や教室場面で行う“実習”もありますし、その他に、日常生活すべてが体験学習のための“体験”なのです。“実習”は、exerciseの訳語ですが、日常生活の体験をより明確に吟味することができるように工夫されているものであり、その実習を通して日常生活での人間関係のありように気づきやすいように工夫されていたり、その実習を通して自分のコミュニケーションのありようや人への関わり方を練習するように計画されているものです。ですから、体験学習の研修や教育プログラムでは、当然“実習”を用いて、体験を引き起こし、学習のサイクルを意識したふりかえりを行い学んでいきます。しかしながら、体験学習の目標は、研修や教育プログラムの中だけで学ぶのではなく、そこでは基本的には学び方を学ぶ(learning how to learn)ことを学び、日常生活(職場や家庭などの現場)での体験を学習素材として扱い、実際に学びながら、学習者自身がチェンジエイジェント(change agent:変革者)となって、より一人ひとりの人間を尊重した現場づくりに取り組むことを願っているのです。最近の小学校、中学校などで、総合的な学習で、「生きる力」「一人ひとりを大切にする教育」を育て実践しようとすることに、まさにこの“体験学習”は効果を発揮すると考えてもいいのではないかと思います。


Q17.体験学習のステップ(Q16の答え)で、気づき・指摘のステップで、私の対人行動に気づく際の視点として、<行動>、<思考>、<感情>の、3つの要素を上げていますね。その時の<思考>と、ステップの分析の際に話される概念化・一般化の<思考>とでは違うように思うのですが、どのように違うのでしょうか?【Q16の回答を参照:津村は、時々自分のことに気づくための要素として、自分の外的な反応としての行動と、内的な反応として思考(考えていること)と感情(気持ち)がありますと、説明することがあります。】

A.確かに、違います。体験学習の循環過程における分析のステップの思考といったのは、一つの答えを出す(なぜそうしたのか?どんな特徴やパターンがあるのか?といったように)、自分が気づいたことや他者が気づいたことをデータとして、なぜそのことが起こったのかという理由を考える、ある答えを一つ出すように収束・収斂するような<思考>をさしています。気づき・指摘の時の自分が何を考えていたか?に気づくという時の<思考>は、拡散的な思考というか、自分の中で、思いついたり、自分の頭の中をよぎったメッセージは何かという問いに答えるように、自分の中に起こっている一つのセンテンスや内的な対話(internal dialogue)のような内容をさしています。


Q16.体験から学ぶための体験学習の循環過程を説明してもらえますか?

A.体験から学ぶ循環過程としては、一般に以下に示した図にあるように、(1)体験(Experience)をして、(2)その体験を内省したり、自他の体験を観察し、感受性を発揮し気づいていく(Identify)、(3)経験したことを抽象的な概念を用いて考えたり、一般化を試みて(Analyze)、(4)新しい体験に導くために自分の行動の目標や課題を作る仮説化を行う(Hypothesize)、といった4つのステップを考えている(津村、1991)。

(1) ステップ1:体験
 このステップでは、自分・他者、またグループや組織のことなどを詳細に探求するための基礎となる体験をさしています。体験には、ファシリテーターなどによって準備されたトレーニングという枠組みの中での体験と、日常生活の様々な場面での体験と、2種類がります。いずれの場合にも、体験から学ぶためには、こうした体験に対して向き合う態度がとても大切になります。特に、トレーニング場面においては、ポーターとモア(Porter & Mohr 1979)は、学習者自身がトレーニングの場に自らを投げ出してみるという、積極的な自己提示(presentation of self)が大切であると述べています。
(2) ステップ2:指摘:体験の内省と観察による気づき
 このステップは、学習者自身が、特定の体験において、自分や他者の中に、自分と他者との関係の中に、またグループや組織の中に、どのようなことが起こっていたかをふりかえり、気づきを深めていくステップです。
 体験したことから気づき、データを集めるための視点として、2つの視点をもつことが大切になります。一つは、コミュニケーションに関して言えば、話題と結論とかにあたるものでコンテント(content)とよばれるものです。もう一つは、そのコミュニケーションがどのように行われているか、例えば、どのように話しているか、どのように聴いているか、その時どんなことを感じたり考えたりしていたかなどをみるプロセス(process)という視点があります。対人関係能力を向上させていくためには、後者のプロセスに気づく力、すなわち感受性能力がとても重要になります。
 特に、自分自身の人間関係のありようを学ぶ際には、ウェインシュタインら(Weinstein , G. et al. 1976)は、体験の中で「私は何をしたか?しなかったか?」といった外的な反応としての行動(behavior)、そして内的な反応として「私は何を感じたか?」といった感情(feeling)や情動(emotion)、「私は何を考えたか?」といった思考(thought)の三つの側面に関しての詳細な記述(内省)をする事を奨励しています。
 また、こうした体験学習を用いたトレーニングでは、一人ひとりのメンバーに関する他者の気づきをどれだけ自由に、記述的にフィードバックしあえるかが、体験から学び成長するための不可欠な要素になります。
(3) ステップ3:分析:概念化と一般化
 このステップでは、ステップ2で気づき、得たデータにもとづいて、学習者が、自分自身や他者のありようの特徴を考察したり、グループの状況を診断したりするステップです。そして、自分自身がどのようになりたいのか、自分たちの所属するグループをどのように成長させたいのかを検討したり、人が成長するとは何かを考えたり、グループの成長とは何かを吟味したりするステップです。その際に、学習者相互のアイデアや思いを伝えあうことはもちろん大切なことですが、ファシリテーターはメンバーとは少し異なる視点からアイデアを提供したり、モデルや理論を小講義したり、小冊子の配布などの形で資料を提供することは、この概念化と一般化の作業には重要な影響を与えることになります。
(4) ステップ4:新しい行動に向けての仮説化
 このステップは、ステップ3で考察したことを生かして、自分自身やグループの成長のために、次の機会または新しい場面で、学習者自身が具体的に試みるための行動目標を考えるステップです。この行動目標を実際に試みて体験した後に、次の体験の内省と観察を行い、その行動目標が適切な目標であったかどうか(仮説)を調べるという意味で、このステップを仮説化という言葉で表しています。
 学習者自身が実験的な試みを実行し、成功させたり、その結果を適切に評価するために、仮説はできる限り具体的な行動目標として計画を立てることが重要になります。そして、計画したことを実行することが、次の学習のための新しい体験となり、その体験を内省し観察し、概念化・一般化して、再度成長のための仮説化を試みるという、循環過程を意識的に行うことで、学びが深まっていくことになると考えています。

 こうした体験から学ぶサイクルを意識したトレーニングは、トレーニング期間中の学習体験だけでなく、『学び方を学ぶ(learning how to learn)』ことによって、トレーニングの場を離れても日常生活の中からも参加者は学び成長していくことができたり、また現場をより民主的な風土に変革していく技能や態度を身につけることができると考えています。


Q15.問題解決実習をして、正解か不正解かという結果によってふりかえりが影響を受けるので、ふりかえり用紙に記入し、分かち合いをした後で、結果と正解の発表をしています。すなわち、結果と正解の発表をしないでふりかえりをするという、こうした方法は適切だと思いますか?

A.確かに、そのようなやり方は考えられますが、私は実習としてやった結果(コンテント)を大事にする意図から、そのような手順でのやり方は行っていません。せっかく参加者が話し合った結果ですから、その結果がどうだったのか参加者自身も知りたいでしょうし、また参加者が議論した内容を明確にするために、結果の報告と正解の発表をやった方が適切ではないかと考えます。正解をした場合には、一般に、ふりかえりに成功したということで入りやすいのですが、不正解の場合には、問題が悪いからできなかったのだとか自分たちの問題以外を理由にしてしまいふりかえりに入りにくいことが確かにあります。そこでは、ふりかえりに入るときに、しっかりとこれからのふりかえりがこの学習にとって重要であり、また不正解ゆえになぜそうだったのか考えてみることがこれからの自分のことやグループのことを考えることにつながり、まさに学びになることを強調して、しっかり成功しなかったグループをサポートした介入が必要になります。まず、ふりかえり用紙に丁寧に書くことのおすすめするとともに、その後のふりかえり用紙をもとにした話し合いは、実は先ほどの問題解決実習と同じようにもっている情報が、さきほどの情報カードから、ふりかえり用紙に変わっただけであって、同じような仕事をするということを伝えて、再度挑戦して、課題としては「メンバー一人一人がどのようにしていたか、またグループの診断をすること」であると伝え、励ましを送ることが大事になるでしょう。スタッフとして、同時にそのふりかえりのわかちあいのプロセスを見守っていると、実習の時と同じようなプロセスが生まれるのか、また新しいプロセスが生まれるのか、きっと興味深い発見があるでしょう。そうした発見がグループへの介入やコメントになり、学習者の学びを促進する働きかけにつながっていきます。プロセスは不思議、絶えず動いているのです。


Q14.体験学習では、オープニングのプログラムなどで、画用紙にクレパスで色や線で自分の気持ちなどを描いてくださいと言われることがありますよね。自分自身は言葉が書きやすいと思ったり、子どもの時以来、クレパスなどを使って何かを表現するなんてことは、日頃やっていない体験なので驚きと戸惑いがありました。画用紙とクレバスを使う意味は何ですか?

A.画用紙は、一つの作品、キャンバスとして、自分を思いや考えを表現する素材として、使用しています。いくつかの問いかけに対する答えを一枚の紙に書き、後で他のメンバーに見せて説明したり、掲示して発表したりするために白紙の画用紙を使っています。また、その時の気持ちにぴったりする色の画用紙を選んでもらって、キャンバス探しから今の自分を点検するような働きかけをすることがあります。また、クレパスで書くことで、子供の時にちょっともどる感じで、懐かしさと同時に、自由な発想で、いろいろな思いをいろいろな色で表現しやすいのではないかと考えています。特に、自分の気持ちを表現するときに、言葉で書いてしまうと、名前をつけた気持ち、気持ちのラベルそれだけが今の気持ちになるけれども、色や線の絵で表現していると、描いている間に新しい気持ちが生まれ、その絵にさらに手を加えることで、今の気持ちに素直に気づいたり、気持ちの力動性を表現することができるのではないかと考えています。いわば描きながら自己内でいろいろな対話が起こり、そのダイナミクスを表現することができると考えています。抵抗がある人は、言葉や文字で表現することでもいいと思います。これでなければならないという指示は適切でないかもしれません。しかし、参加者に言葉の方が表しやすいという自分がいることに気づいてもらうことも自分のありようを知っていくための一つのデータであるかもしれません。


Q13.ファシリテーターである自分と教師でいる時の自分とのギャップに悩んでいるのですが、どのようにすればいいのでしょうか?

A.体験学習のファシリテーターであることは、参加者の意志を十分に尊重し、参加者の学ぼうとする意欲や意識を高め、目標を明確にすることを大切にします。よって、自由な風土の中で体験し、その体験をふりかえりそして学ぶことを促進する(ファシリテート)教師像と、学校教育の中で教科を教える教師あるいは教え込むと言ってもよいかもしれない教師像とはどうもずれてしまうことが起こるのでしょう。体験学習を導入した初期の頃に特に、こうした感覚が強く起こるのかもしれません。
 生徒の言い分を聞いていたのでは、授業がうまく展開できるはずはない。また、学校の校則、規律に従わなくなり、学級・学校が崩壊するのではないかとさえ、不安になってしまう先生もいらっしゃるかもしれません。でも、もう一度、なぜ体験学習を導入するのか、また生徒の意志を尊重する働き、生徒から学びを引き出そうとする(ファシリテートする)介入が大切なのかを考えてみたいものです。やはりあくまでも、生徒一人ひとりを肯定的に見ていく視点や態度が私たち教師に必要であることを訴えておきたいと思います。生徒は、自分の学びたいことを見つけると自分の力で十分に学び得るのだということです。
 また、カウンセリングを学んだ先生方や教育担当者の方が、相手のことを傾聴するのが大事だということで、「聴くことを大切にするのですが、こちらが言いたいことがあっても言ってはいけないのですよね。自分の中に思いがたまってばかりでこの思いをどのようにすればいいのか?とても悩んでしまうのです。」という声を聴きます。そうしたことはきっと、ファシリテーターという役割を背負うことで、自分の思いを伝えてはいけないのではないかと思いこんでいる教育者の方がいるということでしょう。自分の中に起こることもすべて大切な訳で、相手に対して怒りなどネガティブな感情も含めて、そうした思いを正直に伝えながら関わり教育現場が解放的になっていくことを期待しています。生徒と教師が真実の対話の成立が体験学習では大切にしたいものなのです。お互いに構えることなく自由に語り合える教育現場づくりができるように、ぜひ体験学習を導入してもらいたいものです。


Q12.体験学習を実施するということは、何か“実習(exercise)”を行わないと成り立たないのでしょうか?“実習(exercise)”をしなくても成り立ちますか?

A.成り立ちます。必ずしも、実習を行わないと体験学習を実施できないということはないと考えています。いわゆる、学校の先生方には比較的耳慣れた言葉に「構成的グループ・エンカウンター」という國分康孝さんが紹介されているような実習をイメージしてただければいいのですが、そのような実習を通して学ぶことができるものを体験学習と考えていただいていいと思います。

 しかしながら、何か実習をしないと体験学習ができないかというと、そうではありません。体験学習とは何か、その基本を理解していただけると、応用と幅広く可能だと思っています。学級集団の中で、何か一緒に仕事をした、勉強をした時に、教員が子ども達にどのような言葉かけをするか、どのような働きかけをするかで、体験学習の考え方が生かされた学級運営が可能だと考えています。一緒に、調理実習をした後で、また何かグループワークをした後で(国語でも、理科でも、社会でも、算数でも)、どんな体験をしたか?一人ひとりがどのようなことを感じたり考えたりしたか?誰がこのグループ活動に影響を与えていたか?など、問いかけることで、一人ひとりがどのようにそこにいたか?影響を与え合った関係があったか?一人ひとりの存在の意味をしっかりと身につけていくことができると考えているのです。逆説的に言えば、体験学習と銘打って、何か実習をしたとしても、その後で、その体験のふりかえりが行われなければ、『体験学習』と言えないでしょう。最後に、子ども達に意見を求めるときに、この答えが正解・不正解といった枠を持たずに聞きたいものです。子ども達のいずれの発想も正解であり、それら(肯定的な意見も、否定的な意見も)をオープンにできるようになることが、学級に信頼の風土を作り上げられていくと考えたいものです。当然、子どもが教師を信頼してくれるようになるということも含まれています。

 この回答は、学校教育にあてはめて回答しましたが、企業の中でも、医療関係の教育の中でも、考えることは可能です。


Q11.先日も小学校の英語教育は体験学習でと文部省への答申で使われていましたが、いわゆる農作業やどこか自然に出かけていくことで学ぶ『体験学習』とここで言っている『体験学習』とは異なるのでしょうか?

A.異なります。農作業や自然体験をすることで、子どもたち学習者たちは、きっと何かを学ぶことにはなるでしょう。特に、農業の仕方について、といったように何かについて学ぶことになります。これは、私が言っている『体験学習』でもコンテント中心の学習といえるでしょう。それは、ある意味で、直接体験そのものをすることが大事だという主張から生まれが学習です。しかし、何か体験すれば、学習するかと言えば、必ずしも学習するとは言えないのではないでしょうか?もしくは、時には、意図した学習と違う効果が生まれるということさえ起こります。たとえば、先生が熱心に社会のある単元を教えている時、横の友達に分からないことを尋ねられて教えてあげていると、先生にきつく叱られたとしましょう。子どもは、「友達に親切にするよりも、この先生の授業の時は、先生の言っていることに見かけ上でも従っておけばよい」ということを学んでいるかもしれないのです。これを、ヒドン(hidden:隠された)カリキュラムと呼ぶことがあります。
 学習方法としての『体験学習』とは、体験するだけでなく体験したことから、その体験の中(私の中、私とあなたとの関係の中、グループの中など)で起こっていたことに焦点をあて、気づきを深めていく作業が大切になります。気づきを深め、学びとするためのステップとして、【体験】→【指摘】→【分析】→【仮説化】→【試み体験】の循環モデルを想定しています。これを、『体験学習』と呼ぶよりも、『プロセスの学習』、『気づきの学習』と呼ぶと良いのかもしれません。ある学校教育の専門家の方は、学校教育に『体験学習』をよりよく理解され実践してもらうには、『見直し学習』と呼ぶといいんじゃないかとさえ言ってくれています。自然体験活動を熱心に行っている人たちの間では、体験学習の学びのステップを大切にした学習の仕方を『体験学習法』と呼び、実践活動を行っている人々もいます。


Q10.介入、操作、ファシリテーションの具合がわからなのですが、ファシリテーターとして留意すべきこととはどのようなことですか?

A.ずいぶん以前から、巷では、ファシリテーターが操作的な質問や指示によって、自己開示を行わせたり、情動的な反応を引き起こし、あたかも新しい自己に出会えたかのような体験をさせる自己啓発セミナーが行われています。ともすれば、体験学習は、そのようなセミナーと混同されがちでもあります。それは、学習者の体験を用いること、またそこに起こるプロセスにアプローチすることから、学びは知識だけでなく、まさに学習者本人のありように影響を与える程のインパクトをもっています。そこで、気をつけなければいけないのは、実施するプログラムの体験やふりかえりにおいて、ファシリテーターが行う行為(学習者の学びのために働きかけをつることを介入と呼びます)が、学習者に与える影響、まさにプロセスを吟味することがとても大切になります。それは、ファシリテーター自身の感受性が問題になるわけです。あくまでも体験学習を用いた教育実践では、学習者自身の自発性/主体性を大切にすることが大前提です。厳密に考えると、何かを指示して学習者に動いてもらうこと自体、操作的な発言と言えるでしょう。学習者は、ただファシリテーターが動けと言ったから動いているだけということが起こっているかも知れません。主体的、自発的になることが教育目標でありながら、そこに起こっていることは受動的な存在にさせてしまっていることがあるかもしれません。そのためにも、今そこで起こっていること(プロセス)に、ファシリテーターは目を向けておかなければなりません。


Q9.体験学習では、プログラムを実施する教育者のことを、スタッフと呼んだり、ファシリテーターと呼んだりしますが、その呼称にはどのような意味があるのでしょうか?

A.私は、教員のことをスタッフ(staff)という言葉を好んで使います。体験学習を実施する教員は、知識を一方的に伝える授業で何かを教えるといった人間というよりも、学習者が学ぶことを促進する役割をもつ人間として位置づけ、教員よりもスタッフという言葉を好んで用いています。スタッフは、学習場面を支える人々すべての総称であり、教員はもちろんのこと、事務局の人々も同じようにスタッフと呼んでいます。いわば、学習者が学習の主体になることはもちろんのこと、教員スタッフと事務局スタッフによって教育活動は成立していると考えています。staffの言葉とおり、体験学習に関わる教育スタッフ/事務局スタッフは、ともに学習者の学びの『つえ』になること、『支えになること』をめざしています。体験学習の始まりにおいて、「人間関係トレーニング」とか「ラボラトリートレーニング」という言葉が使われました。その際に、教育担当者をトレーナーと呼んでいます。まさに、運動能力をトレーニングするためのスタッフとしてトレーナーという言葉は適切なのですが、時として「トレーナー=訓練者」という響きに抵抗を感じさせることになり、最近は「ファシリテーター=促進者」という言葉が比較的多く使われるようになってきています。この時の促進者とは、学習者の学習を促進する役割をもった人という意味で使われているのです。


Q8.体験学習にいつもふりかえり用紙は必要ですか?

A.体験学習は、ミニレクチャーのページに書いていますが、学習者自身の体験を通して学ぶ学び方です。よって、体験した後に、どのような体験をしたか?気づいたことは何か?何故そのようなことが起こったか?そこから何を学んだか?これからの自分の課題/目標は何か?など、ふりかえりをすることはとても重要です。このようなふりかえりの時間をとってはじめて体験学習を用いたプログラムを実践していると言えるでしょう。その意味で、単に体験するだけのプログラムと識別するために、あえて「体験学習法」という用語を用いることもあります。ただし、いつもお決まりのようにふりかえり用紙を記入する時間をとらないと、体験学習ではないかと言うと、そうではありません。あくまでも、学習者に対して前述のような、どのような体験をしたか?そこからないを学んだかを考える問いかけがプログラム実施者(ファシリテーター)からなされることが大切であると考えています。


Q7.『体験学習』の考え方に基づいて学習者からのフィードバックを受け止め、スタッフの間のミーティングを充実させると教育プログラムは毎回変わってしまって一向に定まりません。これでよいのでしょうか?

A.何か定型化してしまったプログラムを実践していること自体、問題であると言った方がよいでしょう。本来、体験学習法は、参加者の顔を見て、参加者の問題意識やニーズにまず焦点をあてるところからスタートする学習法ですから、何かいつもお決まりのプログラムで学習者の様子に関係なく、進められていることが問題です。質問にあるように、よりプログラムを充実させようとしたり、学習者からのフィードバックを受け取り、教育プログラムに検討を加えていくと、プログラムは毎回変わっていいくことが、体験学習を試験に取り入れている結果としては、妥当な結果であると言えるでしょう。


Q6.すべての学校教育が『体験学習』になるべきでしょうか?

A.すべての学校教育が体験学習になるべきだとは思いませんし、学習内容によっては体験学習が適切でないものもあるでしょう。それよりも、体験学習で扱う「コンテント」と「プロセス」という視点をもつことは、学校教育ではとても大切になると思います。たとえば、グループを作って何か学習を行っているするとそこには子ども同士の人間関係のプロセスが生じており、そのプロセスに目を向けることにより、子どもの人間的な成長(いわゆる、社会性と主体性とか、言われるものも含めて)に教員は貢献することができます。また、教員自身が子どもたちに向かって語りかけている時に、教員自身の中に起こっていることや子どもの中に起こっていること、また子どもとの関係の中に起こっていることに気づきながら授業展開できること(いわば、体験から学びながら授業をすすめることができること)は、教員の重要な資質といってもいいでしょう。


Q5.『体験学習』の学びには『言語化』は不可欠な条件でしょうか?

A.体験学習は、4つの基本的なステップの学習の循環過程を想定します。それらを丁寧に追いかけるためには、言語化という作業はとても重要です。またグループ活動をしながら、そのメンバーとの関係的なプロセスを学習の素材に使い、話し合いを通して学びを深めていく時にも、言語化することはとても重要になるでしょう。ただ、私たちの体験はいつも言語化できるものとは限りません。時には、非常に強烈な情動を伴う体験もあるでしょう。ある時にはなんとも言葉では表現できないような感動的な体験や何か心にひっかるような体験や、気持ちが悪いような体験などあるでしょう。このような体験に伴う情動や心のもやもやなども自分の有り様や様々なかかわり方を学んでいく重要な学習の素材になり得ます。きっと言葉にできないその体験からひらめきが生まれたり、ある意味を見い出すような学びに導かれることも起こり得ると思います。


Q4.『体験学習』の学びを学習者の日常に繋げるために留意することはどのようなことですか?

A.このことは、体験学習を実践する指導者にとって、大きな問題です。ある人は、研修の場で体験学習をやり何らかのインパクトを受けて現場に戻ることで、特別のプログラムを準備しなくても日常生活に繋がるだろうとか、少なくとも研修終了時に何らかの問題提議をして後は学習者に任せるといった、比較的楽観主義的な発想から、日常生活で実行する行動目標も立て、その後のフォローアップも何らかの方法で行わなければという厳密に日常生活への橋渡しへのプログラムを提供しようと言う人もいます。いずれにしても、体験学習は、学び方を学ぶことが大きな学習目標でもあり、また日常生活での体験の室もずいぶん研修の中出の体験とは異なるでしょう。そのために、まずは研修期間中に十分に体験学習を定着させるプログラムを実践することと、日常生活での学ぶためのヒントを指導者が提供するようにプログラムすることは大切でしょう。さらに、研修のその後どのように日常を過ごしていますか?といったフォローアップのプログラムがもてることは学習者には親切でしょう。


Q3.『体験学習』が指導者にとって有効であることは理解できますが、このまま現場で(特に年齢の低い子どもたちに)使えるとは思えないのですが、・・・

A.きっと工夫次第では、体験学習は、幅広い対象に対しても、またさまざまな領域の学習に対しても適応可能だと思います。しかし、御質問にありますように、教育者・指導者が体験学習がめざそうとしている教育観や教育方法に関する深い理解をもっていることは、教育現場ではとても大きな力になると考えられます。ただし、体験学習は、学習者の生の体験や学びへの動機をまず最初に考えます。そして、いかに学習者を大切にしながら教育プログラムを提供することができるか、かなりの技量も必要になるでしょう。このことは、教師中心の文化伝承型の一方的な教育の発想とは180度異なる教育観への転換が求められます。いわば、それは教師中心の教育から学習者中心の教育への価値観の転換ともいえるでしょう。でも、もしこのことが可能になるなら、きっと学級の中での子どもたちは生き生きし、大げさかも知れませんが、学校自体が活気を帯びてくることでしょう。


Q2.学習者と教育者とが一人対一人の『体験学習』は成立しないでしょうか?

A.きっとするでしょう。体験学習は、体験を学習の素材(データ)として取り上げ、そのデータの持つ意味を解釈し、学びとして概念化し、新しい体験に向けて目標や課題を設定し、次のステップとしてその目標や課題を実践することで成り立ちます(体験学習の循環過程と言われます)。研修や学習場面の多くの場合、自らの気づきのデータだけでなく、他者を自らのありようを映し出す鏡として他者の目に移ったデータをフィードバックという形で共有化したり、集めたりデータを共に話し合うことで分析したりすることをしています。ただし、こうした作業が一人でできないかと言えば、そうではありません。一人でも、自分自身の体験をもとにして、学んでいくことは可能ですし、体験学習でいう学習のステップを実践することはできます。研修や学習会が終了して、日常生活の中で学んだ体験学習法を活用することを期待しているぐらいですから。


Q1.体験学習で使われるコンテントとプロセスとは、どのようなものですか?

A.様々な活動を行っている時も、学校教育の現場でも、またプライベートの生活においても、私たちは多くの人々と共に時間と空間を共有しています。平たく言えば、いつも何らかの体験をしながら人と一緒に生きています。それらの体験を考える時に、2つの視点−コンテントとプロセス−があります。一つは、グループで取り組んでいる活動内容であったり、コミュニケーションでは話題がコンテントにあたります。たとえば、自然活動体験をしている時には、どのコースの道を歩こうかとか、キャンプでグループで食事の準備をしているとか、明日はどのようなプログラムにするかを話し合っているとか、それらのことは仕事とか話題として表に表れた事柄として取り上げるのとができます。これらをコンテント(活動内容)と呼びます。一方では、そうした活動内容を実践する際に、またある話題で話している時に、関係的な側面で何らかのことが起こっています。それは、どのように話しているのかとか、誰がどのような影響を与えているのかとか、与えられているとかなど、関係から生まれるさまざまな現象がそれにあたります。それをプロセス(今そこで起こっていること)と呼びます。これら2つの関係を、図に表すとすると、海に浮かぶ氷山のように描くこともできるでしょう。たとえば、偏見をいかになくすかという話題(コンテント)で話していても、話し合っているやりとりの中に偏見に満ちたやりとりが起こっている(プロセス)ということがありうるでしょう。このズレに気づくこと、もしくは何が起こっているかに気づくことが体験から学ぶためにはとても大切になります。自然体験活動も含めて、幅広い教育現場を考えてみると、このプロセスをいかに扱うかがとても大切になるのです。いかに立派な教材を準備したり、自然環境が整った中での、教育を実践していても、学習者の心の中に起こっていることや、教育者と学習者との間に起こっているプロセスに目を向けることではじめて、学習は総合的な学びになるといえるでしょう。

 体験学習は、このプロセスを観る目を養い、そのプロセスに働きかける力、すわなちプロセスに生きる力を育てようとしているのです。