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2009年度 パッヘ研究奨励金T-A-2(特定研究助成・一般)研究成果報告書 |
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氏名 |
MUNSI, Roger Vanzila |
所属 |
外国語学部フランス学科 |
研究課題 |
Christian Shrines of Japan : Spiritual Geography, Oral history and Socio-Environmental Transformation |
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研究実績の概要 |
本研究は、キリシタンに関係あるとされる神社、いわゆる「キリシタン神社を対象とし、その基礎資料を検証した。以下にその概要(研究経過、研究結果など)を説明し、今後公表する研究成果について報告する。 |
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I.研究経過 |
本研究は、長崎市黒崎町と新上五島町若松郷におけるキリシタン神社の歴史と
現状を主要な対象として行い、それを補充するものとして、
当該地域に生き続けた特殊な形のかくれキリシタン信仰の状況をあぶり出すことを試みた。そこで次に、歴史民俗学と文化人類学の視点から、
当該地域時代の変化の中で展開していく諸事象にキリシタン神社が表現される点ばかりでなく、地域住民の精神の奥深いところにもキリシタン神社が存在している点を
理解すべきであった。したがって、当該地域が時代の変化に対応する
かくれキリシタンの信仰世界とともに、一方では、時代を通じて一貫して維持されていくキリシタン神社の本質を明らかにしていくことが、本研究の重要な作業となる。 |
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U.研究結果 |
キリシタン神社は、特定の側面(祈りの雰囲気)により広範なコンテキスト
(宗教、かくれキリシタン、地域社会)に設定されている。キリシタン神社を所在地域で確認してみると、これまでの調査結果では、長崎地域が最も多い。かくれキリシタンと当該地域社会の接点として重要な位置を占めてきた。キリシタン神社は、そうした時代の歴史の上に重なってできた場所といえる。
このようにキリシタン神社と地域社会、文化や環境の関係では、かくれキリシタンを含む地元住民が重要な役割を果たしていることが多い。
2000年(平成12年)から、長崎市黒崎町ではカトリックと、かくれキリシタンと、天福寺に属しながら枯松神社を守る会のそれぞれ違った
三つのグループのメンバーが一堂(枯松神社)に集まり、
カトリック司祭の司式ミサの中で天福寺の和尚が講演をし、かくれキリシタンのリーダーが、代表として、オラショを奉納し、また一人のかくれキリシタンのメンバーが司式の中でカトリックの洗礼を受け、
参列者全員の祝福を受けるなど、そのような現実が黒崎町にはある。
そこで、カトリック信者もかくれキリシタンと呼ばれているグループも
日本民俗の文化伝統としての気持ち、あるいは行為であるにもかかわらず、かくれキリシタンのグループにおいてなぜそれが先祖崇拝であるとか、先祖信仰であるとか言わなければならないのか。
本研究結果を総体的に見ると、本研究の結果
(特に長崎地域におけるキリシタン神社と、かくれキリシタン家族の歴史)は、東南アジアにおけるキリスト教の歴史を研究している学者たちや学生たちに
大きな研究対象と強い関心をもたらすだろう。
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「雑誌」の部 |
「図書」の部 |
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論文題目 |
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書名 |
『村上茂の伝記―かくれキリシタンの帳方としての生涯―』 |
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論文名 |
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出版年月 |
(未定) |
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著者名 |
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著者名 |
ムンシ ロジェ ヴァンジラ |
備考 |
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A |
論文題目 |
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A |
書名 |
『キリシタン神社の歴史と現状―日本人の宗教観に触れてー』 |
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論文名 |
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(未定) |
発行年月 |
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出版年月 |
(未定) |
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著者名 |
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著者名 |
ムンシ ロジェ ヴァンジラ |
備考 |
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備考 |
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B |
論文題目 |
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B |
書名 |
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著者名 |
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著者名 |
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備考 |
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