南山大学

 

研究活動 活動報告

 

公開シンポジウム「手しごとと復興」 

[開催日] 日時: 2016年01月24日(土)13:30-18:00
[会場] 南山大学人類学研究所1F会議室
[講師]

金谷美和(国立民族学博物館)、石本めぐみ(特定非営利活動法人ウィメンズアイ)、濱田琢司(南山大学人類学研究所)、加藤幸治(東北学院大学)、サガラヤージ・アントニサーミ(南山大学人類学研究所)、上羽陽子(国立民族学博物館)

概要

  • プログラム
  • 本シンポジウムでは、手芸、民芸、工芸といった手しごとが災害に遭遇したとき、いかなる影響を受けるのか。また、長いあいだ受け継がれてきた手しごと、新たに生まれた手しごと、それらを通じて人びとがどのように復興と向き合っているのかを、長期的なスパンで調査・研究・支援をおこなっている立場から発表いただいた。当日の参加者は26名であった。
    金谷美和氏は、インド西部地震(2001)の被災地であるグジャラート州カッチ県におけるアジュラク(染色布)を事例に、手工芸が震災復興のコミュニティ資源として活用されたことを提示した。震災の前から、染色に使用する水資源が枯渇していたこともあり、震災を契機に新村建設と住民の集団移転が自発的におこなわれた。震災から14年経ち、アジュラク生産が復興支援の文脈と合致し、外部的な価値基準が持ち込まれたことでアジュラクがファッションと接続しグローバル経済に参入したことが報告された。
    石本めぐみ氏は、東日本大震災(2011)後に宮城県でボランティアに従事、避難所から女性支援のNPOを設立した経験に基づき、そこで実施している手しごとに関する活動について報告した。もともと日常生活で慣れ親しんでいた編み物などを、長引く避難所生活でおこなうことは、女性たちにとって日々の目標、癒しや生きがいにつながる。一方で、震災後押し寄せた手しごと支援の継続の難しさ、お金に絡むトラブルなども問題も浮上している。震災から5年が経った今、趣味として手づくりをする人、商品を作る手しごとをする人が分岐する時期に来ていることが示唆された。
    濱田琢司氏は、東日本大震災(2011)での「周縁的」な被災地である益子における窯業地の被害と復興事業について報告し、特に被害の大きかった施設として陶芸家濱田庄司にかかわる益子参考館を挙げた。それまで町とは一定の距離を保っていた益子参考館が、震災をきっかけに町とともにさまざまな復興イベントをおこなう「場」としてひらかれていったこと、震災と濱田庄司が結び付けられて語られる復興物語が生起したことが提示された。また、関東大震災(1923)が民芸運動の契機となったことも紹介され、民芸と震災の関係にも言及された。
    加藤幸治氏は、津波常襲地(1896、1933、1960、2011)である宮城県石巻市雄勝地区の採石業および伝統工芸・雄勝硯を事例に、災害復興を画期とした工芸技術の変容を提示した。そこでは災害復興期には震災前の作業の再現が目指されること、新しい技術やデザインへの挑戦がおこなわれるのはその後であり、技術は守られるのではなく活かされていくことが明らかにされた。また、災害前の地域社会が直面していた課題がより先鋭化すること、復興によって別のかたちで乗り越えられていくことが示唆された。
    その後、コメンテーターのサガヤラージ・アントニサーミ氏からは、スマトラ島沖地震(2004)によるインドの被災地と比較した視点から、宗教の問題、手しごとの商品のモチーフの違い、復興活動への女性の関わり方の差異などが提示された。
    続いてコメンテーターの上羽陽子氏からは、生業としての手仕事と家庭内での手仕事の性格の違い、および工芸資源の消失による「場」の変化、内在的手仕事の喪失つまり日常生活の喪失による「場」の創出という点が指摘された。
    フロアに開かれた総合討論では、@ものづくりやその産地は常にゆるやかな変化にあるが、災害によって外部との接続ができ、変化が促進させる画期となること、A復興支援によってつくられる商品としての性質や、産地との結びつき、「手づくり」に対するインドと日本の評価の違い、B手しごとによるものには災害の記憶や経験を伝える機能が付与されうるのか、そうだとしたらそれを担う当事者とはどこまでを指すのか、の3点について主に議論がなされた。全体を通して、被災地における手芸、民芸、工芸は、それ自体がすでに生業であり、経済性を持つ営みであるため、災害は大きなインパクトではあるけれど、研究者や支援者は外部からの価値基準によってことさらそのインパクトのみを語るのではなく、被災前からの長期的なスパンで地域の文脈も考慮しなければならないことが示唆された。

当日の様子

研究会風景

研究会風景

総合討論の様子