鈴木 貴之
職名:准教授
専門分野:哲学
主要著書:信原幸弘編『シリーズ心の哲学I 人間篇』勁草書房、2004年(共著)
担当の授業科目:「科学技術論」、「科学文化論」、「性と生命における人間の尊厳」ほか
研究内容の紹介:
ガリレオやニュートンらによる科学革命以来、自然科学は急速な発展を遂げてきました。現在では、宇宙の歴史の始まりから現在まで、あるいは宇宙のミクロな構造からマクロな構造まで、多くのことが明らかになっています。では、自然科学はすべての問題を解決してくれるのでしょうか。ここでは、次のようなことについて考えてみましょう。
(1)常識的なカテゴリー:いま、あなたの身のまわりには何があるでしょうか。机、イス、テレビなどでしょう。これが常識的な語り方です。しかし、自然科学的な語り方によれば、そこにあるのは原子の集まりでしかありません。世界の自然科学的な記述のなかには、机やイスといった言葉は出てきません。では、あるものが机やイスであるという語り方は、科学的に見れば誤りなのでしょうか。そうでないとすれば、二つの語り方はどのような関係にあるのでしょうか。
(2)意志の自由:いま、あなたはこの冊子に目を通しています。なぜあなたはそのような行動をとっているのでしょうか。「この冊子が面白そうだと思ったから」、「南山大学についての情報が知りたかったから」というのが、常識的な説明でしょう。あなたの行動は、あなたの意志にもとづく自由な行動なのです。しかし、現在の脳科学によれば、あなたの行動は、脳のしかるべき部位の神経細胞が興奮し、それによって身体がある仕方で動かされていることにすぎないということになります。つまり、あなたの行動は一連の因果的な過程の結果でしかないのです。では、科学的世界観が正しいとすれば、われわれの意志の自由は否定されてしまうのでしょうか。それとも、二つの語り方は両立可能なのでしょうか。
(3)価値:われわれは、人間のすることにはよいことと悪いことがあると考えています。たとえば、貧しい人やお年寄りを助けることはよいことで、いきなり人を殴ったり、人のものを盗んだりすることは悪いことです。しかし、科学的世界観のなかにはこのような価値評価を見出すことはできないように思われます。自然科学が教えてくれるのは、あることをすれば苦痛や不快な感情が生じるというようなことでしかないからです。では、あることがよいまたは悪いと語ることは、無意味なことなのでしょうか。自然科学的な世界観を受け入れたうえで価値や道徳について語ることは、どのようにしたら可能になるのでしょうか。
このように、常識的な世界観の中には、科学的な世界観によっては捉えることができないけれども、われわれにとってとても重要なことが数多くあります。われわれは科学的世界観を受け入れざるを得ないように思われますが、そのとき、これらはどうなってしまうのでしょうか。自然科学そのものを学ぶだけでは、このような問題に答えることはできません。自然科学の本質や、科学とわれわれの生活との関係について、もう少し原理的な観点から、すなわち哲学的に考えてみる必要があるのです。