大森 正樹 (おおもり まさき)

  

 

Mother of God icon "Vladimirskaya" (12th century icon)

 

私の関心はいつも動揺していて、なかなか一所に定まらない。いわば永遠の憧憬の中を彷徨している感じで、それが欠点でもあり、また特質でもある(要するに気が多いだけ?)。

15歳の時にカトリックの洗礼を受けたが、以来、気になることは、はたして神は存在するのか、そして神が存在するなら、その神を人間(いや自分)はいかにして認識するのか、ということ。おかしなことかもしれないが、洗礼を受けてから、そういうことが自分の切実な問題となった。いまだにこれにひっかかっている。

そういうわけで、どうしてもこの問題を突き詰めたくて、医学から転向して、哲学を学ぶことにした。もっぱら神を主題とした中世哲学を学び、ドイツ神秘主義者のエックハルトを取り上げて研究したが、そこからエックハルトがかなりの影響を受けたと見られる擬ディオニュシオスに出会い、その結果、擬ディオニュシオスをまっすぐに(?)受けとったかに見える東方キリスト教の神学に魅せられた。21世紀に生きる自分はやはり時代の子であり、またその関心は極めて現代的な問題にあると思うが、その探求の方向は現代とは反対の方向にすすんでしまった。

しかし、この現代社会に生きる以上、太古の昔に考えられたものをたんに読み解くだけでは、解説の解説に終わってしまう。そこで関心は現代思想に向かい、中でも一筋縄ではゆかないユダヤの思想家の書物を繙いたり、果ては、長年の課題である東方キリスト教の神秘思想との関連でユダヤ神秘主義やスーフィズムにまで手を伸ばし、もはや研究は収拾がつかなくなってきている。

このような日々の中で、しかし、今もっとも意を注いでいるのが、いかにチェロを美しく奏でるかということである。だが本来的に自分には音楽的素質が欠落している。すでにして腕や指は堅くなり(さすってももんでも柔らかくならぬ)、感性はにぶってしまった。このような事態を前にして、私は深い絶望の淵に沈みこんでいる。けれども幸か不幸か、性格はかなりしつこく、(身のほどしらずにも)あきらめが悪いので、悪戦苦闘の日々だけは続いている。

おとなしく部屋で本にうずもれて坐っているかと思えば、突如、騒音を発する身は、家族からは顰蹙をかっており、長年の付き合いの結果、身勝手がすぎると思われ、だんだん信用もなくし、あろうことか、東海地震が起きれば、いち早く自分だけが逃げるだろうというところにまで評価は落ち込んでいる。しかしたとえ外部評価はどうであれ、そういうことにはめげず、自分のペースだけは崩さないという信念をもって、心穏やかに暮らしているのです。

 

大森正樹 「何をキリスト教から学ぶか」『南山の先生 2004年版』より