■CONTENTS|記事|社倫研ニュース|懇話会オンライン|懇話会報告1|懇話会報告2|【不定期連載】あんな本・こんな本|
小林傳司 (大阪大学コミュニケーションデザイン・センター 教授)
2005年3月31日をもって、南山大学を退職することになり、社会倫理研究所所長の職も辞することになりました。そして4月1日より大阪大学コミュニケーションデザイン・センターに異動いたしました。
以下、異動の経緯について簡単に説明しつつ、現代における日本の大学の変容に関する私の現状認識を申し述べたいと思います。
大学に所属する教員の共通の思いは、「近年忙しくなった」ということでしょう。かつて、大学院生の頃、大学教員がこれほど忙しい職業だとは夢にも思いませんでした。1990年代の大学設置基準の大綱化がひとつの転機でした。全国の大学で教養部が「改組」され、大学改革の声が喧しい状況になりました。多くの大学人が何が「改革」なのかよくわからないままに走り出すことになったのでした。外形的に見れば、教養部の改組解体、「社会のニーズにこたえる?」ための新たな学部設置や改組、入試制度の改革、自己点検の義務化、任期制の導入、競争的環境への適応、産学連携の推進などが目まぐるしく推し進められたのでした。
こうした「改革」がすべて、文部科学省による上からの改革であり、大学の本質を理解していないものである、などと批判する声に、私は必ずしも賛成はしません。明らかに日本の大学には制度疲労を起こしていた側面があったと思うからです。もちろん、経済のグローバル化に伴い、日本の企業がかつてのように社内教育をする余裕を失い、「大学に教育面で期待をしない」などといってはいられなくなったために、産業界が大学改革を要求したのだ、という指摘は一面の真理だと思います。しかし、1970年代以降、先進国では人口の大半が食糧生産の仕事から離れ、企業に勤めるようになり、大学進学率が50パーセントにもなろうとしていくという社会の変化に対して、大学がまともに向き合っては来なかったというのも事実なのです。大学に学ぶ学生の多くが高度に産業化した企業社会に生きる時代において、大学に進む人間が10パーセントもいなかった時代のままの大学教育を継続することによる矛盾は密かに進行していたと思います。特に日本の大学においては、西洋の学問の翻訳輸入と解説に過度にもたれかかり、キャッチアップ路線という時代の流れに棹差すことによって、その知的権威を獲得しているという構造を批判的に検討することを怠ってきたように思います。その結果、「理性的存在者」を名宛人とする「大学の知」と語られているものが、その実、「範型としての西洋の知」に憧れる少数者からなる閉鎖的共同体の内部で流通する「ジャーゴン」のごときものに成り果てているのでは、という懐疑を持つことができなくなっていたのではないでしょうか。
逆説的に言えば、産業界はいち早く「キャッチアップ路線」を克服する必要性に迫られてしまったということなのでしょう。彼らが、「大学の知」を社会に開くことを要求したことは、その限りで理解できることなのです。
おそらく問題は、大学の知の「開き方」にあるのでしょう。ここで思い出すのは、ヨーロッパにおける大学の歴史です。12世紀以来、大学は高等教育を独占し知的権威の座にありましたが、ルネサンス、科学革命、啓蒙主義という知的革新運動の挑戦を受けます。社会史家のピーター・バークはその刺激的な著書『知識の社会史』(新曜社、2004年)で、「いわゆるヨーロッパ近代初期の知的革命と言われる、ルネサンス、科学革命、そして啓蒙主義は、いずれもある種の大衆的で実用的な知識が次第に表面化し(とりわけ活字化され)、何らかの学問的な機構により合法化したこと以上のものではない」と述べています。これは大学からすれば非正統的知識の合法化運動を意味していたのであり、したがって、こういった活動は大学という制度の外部のアカデミーなどで営まれ、大学はどちらかといえばこれに敵対し消極的に適応していったのでした。
ここで私が言いたいことは、近代初期の知的革命がある意味で伝統的な大学を社会に向けて「開く」現象だったのだということです。しかし同時に強調したいことは、大学は歴史的にやや保守的にゆっくりと社会の要求に適応してきたという側面です。大学の機能には、知的伝統の保守と典範化というものがあります。言い換えれば、ある時点での流行にそのまま追随せず、それを疑い、抵抗し、吟味するという機能です。不易と流行という言葉がありますが、まさにそのバランスをとることが大学の使命なのでしょう。「社会に開きつつ、保守的である」という、やや矛盾した役割を果たすことが必要でしょう。
私は、1970年代以降の日本の大学はそのバランスを失していたと思います。しかし同時に、近年の「開き方」には必ずしも賛同できません。あまりに「産学連携」に偏った改革論議は大学の機能を一面的に理解するものです。
私自身、ここ十年ほど、このようなことを考え、自分自身の研究の方向性を探ってきました。その中で、日本の現実の中の問題を自分の頭で考え、問題状況に即した言葉で語ることができないものかと悩んできました。特に、科学技術論などを専攻していると、海外における議論をフォローしていて痛切に感じることがあります。海外の議論では、素材がことごとく海外の科学技術の事例なのです。当たり前といえば当たり前です。ヨーロッパの人間がヨーロッパの科学技術の事例で議論するのは当然なのです。しかし、日本に科学技術がないのであればいざ知らず、世界に冠たる先進国なのです。そこで、日本の科学技術をめぐるさまざまな社会的問題に目を向け、そこを現場として考えるという試みに取り組んできたのです。社会倫理研究所の活動においても、必ずしも科学技術だけではありませんが、この「現場感覚」を生かした思考を実現することを目指してきたつもりです。
大阪大学から、コミュニケーションデザイン・センターを設立するので赴任してほしい、といわれた際に、「社学連携」というキーワードが提示されました。私がここ十年ほど取り組んできた活動と同じ発想で、大学の社会的機能の一つとして「社会に大学を開く」ための研究拠点を作ることが狙いだと言われたのでした。センターの概要については、http://www.osaka-u.ac.jp/jp/saishin/gaiyoh.docを見ていただきたいと思います。ただ一言申し添えるとすれば、このセンターの狙いは、前述のピーター・バークの言葉で言えば、日本の大学における「非正統的知識の合法化運動」という側面を持っているということです。独立法人化した国立大学は、今後さまざまな取り組みを加速していくと思いますが、私がここ十年ほど模索してきたことを考えると、この申し出を断ることはできなかったのでした。
以上、つたない大学論に絡めて、私自身の異動の経緯を述べてみました。社会倫理研究所の活動にご協力いただいた皆さんには、心より感謝いたします。私自身、今後とも社会倫理研究所の活動に微力ながら協力していきたいと思っています。皆様もどうかよろしくご協力ください。
2005年5月
本年9月12日から15日までの4日間、日本とオーストラリアの学者・NGO/NPO関係者を招いての日豪合同ワークショップ「9.11事件以降の世界における公平と平和を求めて:日本とオーストラリアのためのオルターナティブを構想して」を開催します。ワークショップはすべて英語で行なわれ、通訳はありません。詳しくは、ワークショップのWebsiteをご覧下さい。
今回は、 明治学院大学国際学部の竹中千春先生のご講演「対テロ戦争とアジアの市民社会―暴力の連鎖を解くのは誰か?」をお届けいたします。
去る2005年3月17日(木)、南山大学J棟1階特別合同研究室にて、本年度第6回懇話会が開催されました。講師に静岡大学人文学部の松田純先生をお招きして、「エンハンスメント(増進的介入)が問いかけるもの―人間像と社会選択をめぐる射程」というタイトルでご講演をいただきました。
松田先生はまず、エンハンスメントを「健康の回復と維持という目的を越えて、能力や性質の「改善」をめざして人間の心身に医学的に介入すること」と規定し、「増進的介入」という訳語を与えた上で、エンハンスメントの普及による医の変容について、VTRを使いながら現状を説明しました。そして、現状を踏まえ、人体改造技術と人間の条件をめぐって繰り広げられているドイツでの論争を概観します。
人体改造容認論として、リー・シルヴァー、ペーター・スローターダイク、ワトソンの議論がクローズアップされました。三者の基本的な論調は、技術とはそもそも産出や操作と不可分であり、その営みそのものは何一つ不自然ではなく、エンハンスメントもそうした真っ当な技術のひとつに他ならない、というものです。容認論者は、エンハンスメントによって人間が進化の共演者になり進化をコントロールできるようになることを肯定的に見ているようです。
これに対して、人体改造反対論として、ハーバマスの議論が採り上げられました。この議論によれば、出生とは、両親の選択からも独立した「偶然」による大いなる贈り物であり、人間社会の新しい可能性は、そうした思い通りにならない出生の「自然性」によって支えられている、ということになります。また、出生後に判明する病気や障害などは従来、「人間には責任のない運命」として、他者の援助と連帯を頼りつつ受け入れられるべきものであった、とも指摘されます。そして、エンハンスメントを含む遺伝子操作の介入によって、そうした人間社会の倫理的基盤が揺らぎ、平等の原則や人格間の相互承認、社会的連帯といったものが変化に晒されて、道徳的言語ゲームの文法形式が変容してしまうだろう、という危機意識が表明されることになります。
こうして人体改造をめぐる論争を見た後、松田先生は、人間の「弱さ」の価値の重要性を指摘します。松田先生によれば、エンハンスメントを推進する背後には、健康な成人をモデルとした「自立した主体的な人間」という啓蒙主義的人間像がある、と考えられますが、しかし、実際には、人間は「自由にして依存的な存在」であり、「弱さ」こそが相互支援や連帯という人間文化の本質的条件を成り立たせ、人生を味わい深く奥行きのあるものにしているのです。最後に、エンハンスメントの問題は、われわれがどのような社会を望むのかという社会選択の問題に帰着する、と指摘され、講演は終了しました。(文責|奥田)
去る2005年3月24日(木)、南山大学J棟1階特別合同研究室にて、本年度第7回懇話会が開催されました。講師に中部大学国際関係学部の羽後静子先生をお招きして、「グローバル危機の時代における『人間の安全保障』をめざして―ジェンダー・多文化共生・都市ネットワークの観点から―」というタイトルでご講演をいただきました。
羽後先生はまず、自らの立場を「批判的国際政治経済学」と規定し、その視点から、グローバル危機の時代の「人間の不安全」の拡大について、新自由主義グローバリゼーションの脅威と、それに対抗する「2つの運動」((1)テロと国際犯罪組織のインフォーマル活動、および、(2)「反グローバル化」運動)という二つの側面から論じました。また、新自由主義グローバリゼーションの推進には、グローバルな軍事化と警察行動が不可欠であり、監視体制の強化が進んでいる、と指摘されます。
次に、「公開書簡」(緒方貞子、アマルティア・センたちが共同議長を務める「人間の安全保障委員会」に対して国際政治学者が提出した書簡)に基づき、「人間の安全保障」の4つの原則((1)日常の不安を中心におくこと、(2)最も弱い者を中心におくこと、(3)多様性を大切にすること、(4)相互性を大切にすること)が確認され、その上で、「人間の不安全」のジェンダー的側面が検討されました。羽後先生は、昨今の米国による人身売買の取り締まりがテロリスト摘発と密接な関係にあることを指摘し、そうした場当たり的な摘発の強化によって、人身売買被害者が人身売買と入管違反という形で二重の暴力に晒されている、と述べます。その他、平和維持活動下での女性への暴力や性的搾取、米軍駐留周辺での女性に対する性的暴力などの問題が、言及されました。
最後に、人間一人ひとりを大切にする「人間の安全保障」を、単に研究対象としてではなく、研究者も参画するひとつの運動としてめざしていくことが必要である、という羽後先生の信念が表明されて、講演が終了しました。(文責|奥田)
村上陽一郎氏は、とにかくかっこいい。氏の姿を一目でも見た人は、彼が知性と教養に満ち溢れていることをすぐに悟る。その氏が、自らの生い立ちも含めて、このようにして自分は教養を身につけたと話してくれた本が、この「やりなおし教養講座」である。一読して思うことは、やはり村上陽一郎氏はかっこいいということであった。この本はまさに、分別のための基準である規矩(きく)を維持しつつ、一生をかけて自分を高めると同時に造り上げ(Bildung)ようと努力している人を「教養ある人」と呼ぶ、村上氏ならではの作品となっている。巻末の「教養のためのしてはならないことの百箇条」にも、氏の思いが込められていて、思わず微笑まずにはいられない。
この本は、村上氏が話したことを聞き取り、編集し直したものである。話し言葉で作られているために簡単に読めるのだが、話されている事柄は決してやさしいものばかりではない。内容を少し紹介すると、前半部分は「教養の原点はモラルにあり」として武士道を紹介した序章から始まり、文法・論理・修辞学といった「教養教育の誕生」、古典との出会いを通じた「知の世界への扉」、日本の教養教育の辿った道を述べつつ「日本の教養のゆくえ」を論じる。後半部分は氏の父君を中心に論じた「大正教養人の時代」、戦後民主主義教育で失われたものを指摘した「価値の大転換」、そして氏独自の表現である規矩を説明した「いま、ふたたび教養論」と続く。
終章は、「私を造った書物たち」と題して、たくさんの書物が並べられているが、夏目漱石と宮沢賢治の作品が今の自分を造ったと述べられているところは、なぜか嬉しくなる。カトリックに改宗したのは東京大学に入学した時であると述べられていることからも分かるように、氏がカトリックの科学者として世界的に有名なことは周知のことに属する事柄であろう。しかし、村上氏をこのように造り上げ(Bildung)たのが、夏目漱石と宮沢賢治なのだということは、忘れないでおきたい。
ここで、本書の中で私が一番共感を持ったところを、2点指摘しておく。1点目は、知的教養主義の伝統と継承を述べた「大正教養人の時代」の、ベートーベンやシューベルトを論じたところである。父君の愛聴されたのはベートーベンの弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74であるという。第I楽章の経過部などにピッチカートが多用されその響きがハープに似ていることから、いわゆる「ハープ」と呼ばれているものである。手巻き蓄音機でのレコード・コンサートなどの様子を想像しつつ、当時のその場に集まった人々の喜びが目に浮かんでくるようである。ちなみに私の愛聴曲は、晩年に書かれた弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132である。この曲は、第3楽章に「病が癒えた者の神への聖なる感謝の歌」というリディア調の聖歌が用いられているもので、いつ聞いても実に素晴らしい。
もう1点は、ドイツ・リートに関するところである。このところ、シューベルトの「冬の旅」の関する著作(三宅幸夫著『菩提樹はさざめく』(春秋社,2004年)、南弘明・道子著『シューベルト作曲 歌曲集 冬の旅 対訳と分析』(国書刊行会,2005年))が相次いで出版され、それらをむさぼり読んでいるうちに、私のドイツ・リート熱が再発した。時間があると、フィッシャー・ディースカウのテープを聞きながら、「冬の旅」24曲を休みなく歌い続ける。家族のものはみな迷惑がっているが、村上氏もその第5曲「菩提樹」などを父君から教えられて歌っておられたようである。「魔王」や「ローレライ」あるいは「野ばら」など、村上氏と同様懐かしい想い出は今も私の胸に残っているので、話はつきない。ついでに言えば、私の好きなリート歌手は、理知的なドイツ・リートを歌うことで有名なフランス人のセザール・スゼーである。
最後に、経済学を研究している者として気になる箇所も指摘しておきたい。それは、「ディーセンシー」(慎み、分をわきまえる)を論じたところである。「イタリアのブランド名で名高いお店の前に、開店前になると日本人の行列ができる、金融が多少豊かになったら、外国の土地や建物をやたらに買いまくる、大新聞まで利殖欄などを設けて、そうした利殖活動をしないことは、企業どころか一般の個人にあっても正しくない、というような論調を張る。一体日本人はどうしてしまったのか、と私も思いましたし、今でもそう思います」として、戦後の日本人は「ディーセンシー」を失ってしまったと指摘する。これは、1985年ごろから始まったバブルの狂騒を描写しているものと思われる。そして、心ある人ならば、このような経済社会が奏でたバブル狂騒曲を、異常であると感じていたはずである。案の定、1990年代に入ると、もののみごとにバブルははじけ飛び、宴の後の哀しさが人々を襲ったのである。
経済学は人々の欲望と限りある資源の合理的配分を考える学問であるが、「モラル」や「文化」的な基盤があってはじめて、適正な資源配分がもたらされる。経済学の父であるアダム・スミスは、「普通の人間は、しっかりとした職業上の才能に加えて、思慮深く、ルールに則った節度ある行動を取るならば、人生において失敗することはあり得ない」と喝破している。村上氏が言われる「ディーセンシー」や「モラル」、ならびに倫理や文化の問題を経済学に取り戻すことが、私の役割であると信じている。
(第11回担当|中矢俊博、社会倫理研究所第二種研究所員。経済学史、経済思想史)