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南山大学社会倫理研究所
2006年度第5回懇話会 ■講師 湯浅誠先生■

講演の概要

2006年10月18日(水)、南山大学名古屋キャンパスN棟3階会議室にて開催された社会倫理研究所2006年度第5回懇話会において、NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長、便利屋あうん代表・湯浅誠先生による「格差ではなく貧困の議論を」と題する講演が行われた。まず、「人間関係の貧困も貧困である」という認識を得るに至った経験がいくつかの事例を通して説明される。20代、30代の若年層ホームレスの多くは、マンガ喫茶、サウナ、レストボックスなどで寝泊まりしており、彼らは野宿者ではないが紛れもなくホームレス(安定した住居に住んでいない人たち)である。したがって、ホームレス=路上生活者という考えを改めなければ本当の問題は見えてこない。では、若年層ホームレスはなぜそこまで追いつめられてしまうのか。それは、(1)教育課程からの排除、(2)企業福祉からの排除、(3)家族福祉からの排除、(4)公的福祉からの排除、(5)自分自身からの排除という「五重の排除」に由来する、と考えられる。また、貧困は、貯金、家族・友人・同僚との関係、家、成功経験などを含む「溜め」のない状態と定義される。こうした「溜め」を十分持っている人の場合には外界の刺激がそれほど生活に響かず、「溜め」が非常に小さくなってしまっている人の場合には深刻な事態に陥ってしまう傾向がある。それゆえ、貧困は五重の排除に基づく「溜め」のない状態と捉えられねばならず、「溜め」が見えていないことは貧困が見えていないことに他ならない。法律家、マスコミ、政府はいずれも貧困が見えておらず、貧困をきちんと見ているのは、消費者金融、人材派遣会社、保証人ビジネスなどの「貧困ビジネス」である。こうした現状を受けて、格差よりもむしろ貧困を見るべきである、と主張され、貧困問題への対応方法として、包括的な生活保障と当事者のエンパワーメントが提案される。(文責|奥田)


*以下のコンテンツは、懇話会で録音したものを活字化し、講演者本人の校正をへて作成されたものです。無断の転用・転載はお断りいたします。引用、言及等の際には当サイトを典拠として明示下さるようお願いいたします。

格差ではなく貧困の議論を

湯浅 誠 (NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長、便利屋あうん代表)

もくじ

1. 事例紹介2. 共通点・特徴―五重の排除と"溜め"のない状態3. 「生活困窮フリーター」という呼称4. 貧困者ビジネス5. 対抗 〜「負けない」戦いとしてのオルタナティブ〜

湯浅といいます。最初に簡単に自己紹介をしますと、私は「野宿者問題」と言っていますが、1995年ぐらいからこの問題にかかわってきました。次に「2000年〜 ホームレス問題」と書いてあります。野宿者問題とホームレス問題は同じではないか思われるかもしれません。しかし、野宿者とホームレスは違うカテゴリーです。そこら辺はまた後で触れたいと思います。

現在は、さきほど紹介していただいたように、「もやい」と「あうん」という団体、もう一つ「ホームレス総合相談ネットワーク」という団体にかかわっています。「もやい」と「あうん」についてはリーフレットを持ってきましたので回していただきます。

「もやい」は2001年5月に始めたんですが、1990年代は、野宿している人たちが路上から出るルートというのはほとんどありませんでした。我々の活動も、いかに路上で生き抜くかがテーマだったんですが、生活保護が若干取りやすくなるとか、あるいは野宿というのは好きでやっているというだけの問題ではない、社会的にも責任のある問題なんだということがようやく理解されるようになってきて、ぼちぼちアパートに入る人たちが出始めました。

ところが、野宿に至る過程でやはりいろんな人間関係が切れてしまっているので、アパートに入るときに連帯保証人がいないんです。お金のことよりも、むしろ連帯保証人のほうが難しい。貧困というとどうしてもお金のないことだと思われがちですが、私たちは「人間関係の貧困も貧困なんだ」というメッセージを出して、連帯保証人提供とアパートに入った後の生活相談を行う団体をつくりました。それが「もやい」です。

いままでの5年間に1000世帯ぐらいの人たちが、我々が保証人になってアパートに入っています。野宿というと、アパート生活ができるのかと多くの方が言われるし、我々が始めるときも、そんな無謀なことをやって絶対1年でつぶれると言われたんですが、トラブルになる率は、徐々に増えてきても、それでも5%ぐらいです。95%の人は保証人の世話にならずアパート生活をされています。

利用者は野宿されていた方たちだけでなく、ドメスティックバイオレンスでパートナーから逃げてきた人たちが2割ぐらい、多くは外国籍の方です。DV被害者の中には日本人男性と結婚したアジア系の外国人女性が多いんです。そのほかにも、アフガニスタンの難民の方たちにも保証人提供をしています。あとは精神障害者の方です。病院から退院するにあたって、地域生活を始めるのに身寄りがないような方たちが1割ぐらいいるという感じです。

便利屋の「あうん」というのは別の団体で、野宿している人たちと一緒に仕事起こしをやっています。日本の野宿問題は欧米と際だった対照をなしている点があって、失業がかなり大きな問題だということです。欧米では、ホームレス問題というのはドラッグとか精神的な疾患とかというようにアディクションの問題だと言う人がいるんですが、日本の野宿の人たちはむしろ心身共に健康な人が多い。高度経済成長期に金の卵といわれてずっと仕事をしてきて、だけども、いまは中高年になって、もうおまえはいらないと言われて、路上に出てきたような人が多いので、みんな仕事ができるし、仕事をしたい。でも、なかなか働ける場所がない。若くてどんな条件でも働く人が山ほどいる中で、わざわざ50代の人を雇う企業はあまりない。働く場がないなら自分たちでつくろうということで始めました。「あうん」の収入でアパートに入った人もいるし、「半福祉半就労」と言っていますが、「あうん」の収入を得ながら生活保護を継続している人もいるし、ずっと路上で暮らしながら「あうん」で働いているような人もいるという団体です。

「ホームレス総合相談ネットワーク」というのは法律家に呼びかけてつくった団体です。50人ぐらいの弁護士と司法書士が登録していて、路上の法律相談を行っています。

私はその3つの団体をかけ持っています。「もやい」に相談に来るのは当然生活困窮している人たちで、相談を受けている人たちも元当事者の人たちがいます。「あうん」では、仕事をしているのが野宿の人たちで、仕事をする先も大体生活保護受給者のお宅の引っ越しとか、戦後のどさくさの中で自分で建てた家が古びてきてしまったというので、自宅を持っているけど生活保護を受けている人がその家をリフォームする仕事とか、1年365日いわゆる貧困といわれる人たちとつき合っています。きょうはその中で見えてきたというか、私が感じていることをお話ししたいと思っています。

1. 事例紹介

最初に事例紹介ということですが、野宿とかホームレスと聞くと、大概の人は中高年のおじさんを思い浮かべると思います。だからこそ、きょうはちょっと違った角度から話を始めたいと思っていて、幾つか事例を出しておきました。全部紹介すると時間がかかってしまうので一部にします。

例えば「ケース2」、34歳の男性です。この人はまだアパートにいるときに「もやい」を見つけて連絡してきました。4月の末に、5月分のアパートの家賃が払えないということで、自分でアパートを出てしまった。ゴールデンウィーク中に死のうと思ったんだけど死にきれなくて、福祉事務所に相談に行ったが追い返されて、それでゴールデンウィーク明けに我々の団体に来ました。結果的に、彼は生活保護の申請をして、いまは生活保護を受けながら求職活動をしています。

それから、「ケース3」と書いた人はカップルで、21歳の男性と19歳の女性でした。男性のほうは、父親も大阪でホームレスをしているそうですが、この人は児童擁護施設を出て、自分がホームレスになった。私がホームレス第二世代に会ったのは彼が初めてでした。貧困の連鎖といわれますが、もうホームレス第二世代が生まれているんです。この人たちも生活保護を申請して宿泊所に入って、彼女のほうはつい1週間ほど前に元気な赤ちゃんを産みました。

それから、4番も紹介しておきましょうか。「ケース4」は35歳の男性でした。建設現場で日雇い労働をやっていたけれど、腰を痛めた。それでも何とかごまかしながらやっていたんですが、家賃滞納1カ月で、藤原紀香を使ってやたらテレビで宣伝をしているレオパレス21という会社があるのを御存じですか、その賃貸マンションから退居の訴訟を起こされて、出るということで和解してしまった。自分たちで生活保護の申請をしたのはいいんだけれど、出ていくと約束をした期限までに生活保護費が出ないということで相談に来ました。

「ケース6」は30歳男性です。この方は9月19日に相談に来たんですが、6、7、8月とまともに働けていなくて、9月に入ってからは3週間パンと水だけで暮らしていたと言っていました。それでもあきらめきれずに、というか、あきらめるということはつまり死ぬということですが、いろんな団体に相談に行って、5団体目で我々の所に来ました。我々の事務所は飯田橋にありますが、千葉から自転車で9時間かけて来て、翌日生活保護の申請をしました。

ここに紹介した人たちは15〜34歳、つまり厚生労働省が定義するフリーターの年代です。そのほかにもいっぱいいるんですが、意識的にその人たちを取り上げました。そのような20代、30代前半のフリーターは不安定就労で生活が苦しいだろうということは一般的にもよくいわれているけれども、私たちが見ている限り、実態はここまで来ているということが一つです。

彼らは、アパートに住んでいる人もいるし、路上で寝ているわけではない。ただ、路上で寝ていなくても、漫画喫茶で暮らしているとか、あるいは、サウナとかビジネスホテル、ビジネスホテルという人はあまりいないですが、そういう人たち専用のレストボックスという宿泊所みたいな所があるんですが、そういう所に暮らしている人たちが大勢います。この人たちは野宿者ではありません。しかし、立派なホームレスです。

ホームレスというのは、本来は安定した住居に住んでいない人たちを指すわけです。厚生労働省が2003年にホームレスの全国実数調査を行って、日本全国のホームレスは2万5296人であるという数字を出しました。しかし、その数字は路上に寝ているような人を昼間目で確認して数えた数です。その中には彼らは1人も入っていない。もう一つ言うと、野宿している人たちが入っている宿泊所という場所がありますが、そこにも1万2000人の野宿の人が入っています。その人たちも入っていません。つまり、ホームレス問題といわれると路上で寝ている人とイコールで考えがちですが、その考えを改める必要があるということです。実際にはそれ以外に、路上で寝ているわけではないけれど、多くの生活困窮者がいる、ホームレス状態の人がいるということです。

20代、30代のフリーターは非正規雇用で大変だろうけど仕事はあるじゃないかと、一般には思うと思います。なぜそこまで追い詰められてしまうのか。具体的に事例を見ておきたいということで、2枚目の後に少し詳しく内容を書いておきました。これは「ケース6」で話した事例です。とりあえず副田さんとしておきます。

2. 共通点・特徴―五重の排除と"溜め"のない状態

まず、なぜそうなってしまうのかということについて、私は「五重の排除」があると言っています。「五重の排除」とは何かというと、教育課程からの排除、企業福祉からの排除、家族福祉からの排除、公的福祉からの排除、最後に自分自身からの排除です。それはどういうことなのかというのを具体的に見ていきます。

まず、副田さんは小中学校を通じていじめに遭っていました。高校でやんだそうですが、ずっといじめを引きずっていたと本人は言っていました。高校でなかなか友人がつくれない。家に帰れば両親が喧嘩をしていた。両親は18歳で離婚しています。結局、彼は高校を2年で中退します。それから、一人暮らしを始めて、自動車整備の専門学校に通いますが、これも3年の夏に中退してしまいます。2年目の夏ぐらいから行かなくなったと言っていました。そのころ彼は拒食症を発症します。このときから生活費は全部自分で稼いでいたそうですが、アルバイトも辞めてしまったので当然お金がない。食べられない。食べたくもないということで、このときは本当にもう死んでいいと思っていたそうです。通常は体重が55キロぐらいあるそうですが、35キロまで減ったところで、死んでいいと思っていたんだけど、自分で救急車を呼んだそうです。外に座っていたんだけど、公衆電話まではっていって救急車を呼んだと。それで一命を取り留めます。

その後、アルバイトを転々とします。主にやったのはパン屋さん。20歳ぐらいから27、28歳までパン屋のバイトを転々としています。その間に、東京で遊びたかったと言っていましたが、コンビニやスーパーの店員もやったし、ラブホテルの清掃やキャバクラの呼び込みも、出張ホストをしたこともあるということで、彼の人生の中ではこのときが一番友人がいていい時期だったと言っています。お金がないときでも食事をおごってもらえたりしたそうです。

そして、遊び過ぎて100万円の借金をつくっておやじさんに肩代わりしてもらい、そのときに家に帰ります。だけど、お父さんが再婚したので家には義理のお母さんがいて、ちょっと居づらかったということで家を出る。それで、またアパートで一人暮らしを始めて、アルバイト生活に戻るんですが、JR東日本の仕事をしていたときに、非常にいじめられたということで辞めるんです。私から言わせると、それ以降ちょっと被害妄想的になっていったんだろうと思います。

千葉県内で就職活動をしても妨害されると思い始めた。それで千葉ではもう働き口はないと思って、神奈川の自動車工場に派遣で行きます。千葉にアパートを持ちながら、神奈川で寮に入って、寮住まいでいわゆる派遣労働をやる。最初の仕事は10カ月ぐらい続いたそうですが、その後だんだん短くなって、ことしの5月から家賃が払えなくなります。6月、7月とやはり同じように自動車工場で働くんだけど3、4日で辞める。

8月にはいよいよ父親を頼って2万円だけもらいます。そのときも父親の紹介で、ここで仕事をしろと言われて、仕事をしたんですが、そこも1日で辞めた。9月になってとうとう食べられなくなって、3週間パンと水だけで暮らした。前に拒食症で死にかけたときの記憶がやはり本人には強かったようで、簡単には死ねないし、あんな思いはしたくないということだったようで、最後で踏ん張って、援助を求めていろんな団体に行って、何とか生活保護を受けることができたということです。

こういう話を聞くとどう思いますか。福祉事務所でも「そんなあんた、生活に困っていて、せっかく就いた仕事を3、4日で辞めて、生活保護を受けさせてほしいなんて、なんかちょっと違うんじゃないの」と必ず言われるんです。恐らく一般的な感覚としてはそうなんじゃないかと私も感じています。病気で仕事ができないとか、高齢で仕事ができないというならわかる。だけど、仕事にも就けているわけだし、あんた自分で辞めちゃっているんでしょうという話です。私はここら辺に貧困という問題を考える鍵があると思っています。

「五重の排除」と言いましたが、ざっと言うとこういうことです。早期に教育課程から出てしまっている。そうすれば当然正規雇用には就けない。正社員としての雇用保険や社会保険も受けられない。労働組合の共済なんかも受けられない。こういう労働の福祉から排除される。非正規雇用だと当然仕事と仕事の間にはざまが生まれたり、あるいは常用雇用といわれていても日給月給の仕事だと月10日ぐらいしか仕事が回ってこなくて、月10万の収入に行かないなんていうことは普通にあります。

そういうときに、1600万人いるフリーターがなぜ全員生活困窮にならないかといえば、親元にいたり、親から援助が受けられるからです。ことしの厚生労働白書で、フリーターは年収が少ないから親元を離れられない。これが少子化の一因であると書かれていました。逆にいうと、親に頼れないということはそれだけ厳しい状態になるということです。この親に頼れないという事情がある。

企業福祉と家族福祉というのは、日本の戦後の社会保障を支えてきた、いわば一番の要です。日本の社会保障を支えてきたのは公的社会保障ではありません。家族と企業がいわば社会保障の含み資産だったわけです。そこがだめだとなれば、公的福祉に頼る以外ない。ところが、彼らが行っても、世間で一般の人が思うように「あんた、それは甘いでしょ」と。

彼らが仕事を辞める理由は、全員が全員とは言いませんが、私が聞き取った範囲内では、先輩が仕事を丁寧に教えてくれなかった、いじわるをされた、あるいは、仕事を始めたときに自分がこの仕事をできると思えなかった、とてもついていけないと感じたと。そんなことを言っても、2ヶ月、3ヶ月と続けていれば仕事に慣れるでしょう。先輩が教えてくれなかったら自分から教えてくださいと頭を下げるのが仕事というものだろうと言われてしまうわけです。しかし、それができない。そうすると、要するに、そういう人間はだめな人間であると周囲からも言われる。親からも言われる。何よりも自分自身がそう思う。だから、自分には生きている価値がないと感じる。これが自分自身からの排除です。

この五重の排除の結果として貧困が生まれるんだと私は思っています。貧困というのは、どういう状態かというと、私は「溜め」のない状態なんだと言っています。イメージしづらいと思うのでこういう感じで考えてもらうといいと思うんですが、「溜め」というのは人を取り巻いているバリアみたいなものです。いろんなものを含みます。例えば、金銭的な「溜め」といえば貯金です。頼れる親がいるとか、転がり込める友人がいる。例えば、彼は新宿でバイトをしているとき、お金がないときでも食事をおごってもらえていました。こういう友人関係がある。これも人間関係の「溜め」です。ちゃんと面倒をみてくれる人がいれば、風邪をひいても1日で治ったりします。職場で辛いことがあっても、一緒に酒を飲んで上司の悪口が言える同僚がいるとか、家に帰って愚痴を聞いてくれるかあちゃんがいるとか、そういう関係があると何とかそういうのをやり過ごせたりする。そういうのも「溜め」です。

家があるというのも「溜め」です。家がある人にとってはほとんど意識されませんが、野宿している人にとっての雨を考えてみてください。野宿している人にとっての雨というのは、寝具の段ボールが濡れます。食事が濡れます。要するに、濡れた御飯を食べて、濡れた所で寝るんです。そうしたら、普通は体を壊します。家がある人にとって雨というのはちょっと憂うつだなとか、洗濯物が乾かないとかそんな程度で済みますが、それは雨露を防ぐという非常に基本的な「溜め」の機能を持っているということです。

ですから、そういう「溜め」を十分持っている人は、いろいろ外界の刺激があっても、それがもろに生活に響かないわけです。例えば、300万人、400万人の人が失業しています。しかし、失業してみんながホームレスになるわけではありません。次の仕事までのお金がある。失業保険が受けられる。誰かから仕事を紹介してもらえる人間関係を持っている。そういう「溜め」があれば、失業は必ずしも生活に響かない。

しかし、この「溜め」が非常に小さくなってしまっている人がいるわけです。その人はちょっとしたことが非常に深刻な事態をもたらす。例えば、風邪をひいても誰も面倒をみてくれない。動けないから食事もできない。ずるずる1週間、10日と行ってしまう。ただでさえ不安定な仕事に就いているので、当然クビになります。そうしたら、いよいよ今度は病院にも行けない。家賃も払えない。どんどん生活が悪化していく。決定的な事態になるということです。

これは、もう一方で自信みたいな面を持っている。例えば、新しい仕事に就いて、見たこともない工場でやったことのない仕事をする。扱ったことのない機械を扱う。でも、この仕事を1週間、1ヶ月やれば俺はできるようになる。俺にはこの仕事ができる。こう思うことに実は根拠がありません。根拠がないけれど、いままでそういうことをやってきて、新しいことができたということを経験的に学んでいる人は、それまでやったことがないことであってもやれる気がするんです。そして、実際にやれたりする。しかし、そういう成功経験がない、そういう体験をさせてもらったことがない人は、そういう自信が持てない。やれるという気がしない。自分がこの仕事をできるととても思えない。やればできるんだとみんなが言うけれど、できる気がしないというようなことです。

そういうことも含めて、私は「溜め」ということを考えていて、「溜め」がすごく小さくなってしまうことが貧困だと思っています。お金がないとかそういうことだけではない。だから、私はこの「溜め」が人に見えたらいいと思うんです。人に見えたら、この人はでっかい「溜め」を背負って生きているとか、この人の「溜め」は小さいというのがわかるわけです。そうしたら、「溜め」の小さい人に「あんた、体に悪いところはないんだから働けよ」と誰も言わない。まずその「溜め」を大きくしないと仕事に就けないねと、誰でもわかる。福祉事務所の人もわかる。だけど、それが見えないから、どうしてもみんな同じような「溜め」を持っているような気になってしまうわけです。

自分がお金を持っていて、きちんとした所で働いていて、家族がいて、いろんな「溜め」を持っている人ほど、自分一人で生きているような気になっているので、厳しく言うんです。「何を言ってるんだ。俺は苦労してやってきたんだ。おまえ、そんな甘えたことを言ってるんじゃない」と。だけど、背負っている「溜め」が違うんです。だから、それが見えないということが非常に大きな問題であり、「溜め」が見えないというのはつまり貧困が見えていないということだろうと私は思っています。

これは私の意見かと思っていたら、茨城大の稲葉さんという先生がいますが、その人に「あなたの言っていることはアマルティア・センの言っている貧困の話と似ているように感じるので、読んでみろ」と言われて読んでみたんです。そうしたら、アマルティア・センは「貧困とは、基本的な潜在能力が奪われた状態だ」と定義しています。それを読んでもいまいちわからなかったんですが、「潜在能力」と訳されている言葉は原語ではcapabilityという言葉だそうで、「溜め」というのはいわばキャパですから、日本語でもあの人はキャパがあるとかといいますが、そういうcapacityなので、言葉として非常に持っているものが近い。おお、センも俺の意見と同じかと思った次第です。

とにかく、五重の排除に基づく「溜め」のない状態が貧困であると、私は思っています。そのことを見ないと、貧困のことというのはなかなか実践的には考えられないのではないかとも思っています。

例えば、マスメディアがホームレス問題を取り上げるときでも、この人が仕事を1日で辞めてしまうという話は絶対に取り上げない。なぜならば、そういう話をしたら反発を食うからです。だから、この人はいろんなことを頑張っているんだけど、病気で働けなくなったとか、あるいは、頑張ってハローワークに行っているんだけどどこも雇ってくれないとか、取り上げるときはそういう理由で取り上げるわけです。それは人々の共感を呼ぶわけです。でも、現実にはそういう人は、いないとは言いませんが、ほとんどいない。多くの人はやはりせっかく就いた仕事を1日で辞めてしまったりするんです。でも、世間は自分たちの仕切りを持っていますから、それを取り上げれば反発を食らう。

例えば、病気で働けないと言えば、それはかわいそうだね、それはしょうがないねと言います。だけど、考えようによっては、病気だって自分の健康管理ができていない、自己責任だと言えるはずです。でも、そういう人は多くない。仕事で自分がついていけないと感じる、どうしても自信が持てないから辞めると言うと、それをしょうがないねと言う人はいない。仕事に関しては自己責任論でほぼ100%突き進むというところが仕切りになってしまっているので、その仕切りを壊さないと、フィクションをつくらないといつまでもみんなに理解されないという構造を壊せなくて、本当の意味で貧困問題を扱えないというか、対応できないと私は感じています。

3. 「生活困窮フリーター」という呼称

さきほど紹介してきたような人たちのことを、私は「生活困窮フリーター」と呼んでいます。文字どおり、生活困窮しているフリーター。これについては簡単に済ましますが、NHKスペシャルでやってから最近「ワーキング・プア」というのが話題になって、また特にフリーター労働組合とかをやっているような若い社会運動系の人たちの「プレカリアート」という言葉もあります。生活困窮フリーター、ワーキング・プア、プレカリアート、大体指しているのは似ているんですが、自分が考えたから言うわけではありませんが、やはり生活困窮ということをもっとストレートに出すべきだと思っています。ワーキング・プアとかプレカリアートというと、ちょっと焦点がぼけるというか、横文字にすることによって通りがよくなってしまう。ということで、私はその世代の人たちについては「生活困窮フリーター」、全体を指すときは「貧困」と言っています。

要するに、この貧困が見えていないということです。どのように見えていないかというのを1例だけ言うと、貧困というのは、貧困としては問題にはならないんです。どういうことかというと、貧困が問題になるのは、例えば借金生活に陥ってしまった、あるいは家賃が払えない、医療費が払えないとか、そのように個別の問題を通じて出てくるわけです。例えば、遊び過ぎて多重債務に陥ったんだろうと思われていますが、33%の人たちは生活苦が原因です。つまり生活が成り立たない、貧困なんです。貧困であるがゆえに多重債務になる。

多重債務を解決するのは誰かといえば法律家です。弁護士さんであり、司法書士さんです。弁護士さんや司法書士さんは、多重債務を解決すれば問題は解決すると思ってしまう。だって、そういう債務整理をするのが彼らの仕事だから。相談を受けたときに、「これであなたの借金は整理できるから、もう二度と借りちゃだめだよ。高金利でこんな痛い目に遭うんだからね。もう絶対借りちゃだめだよ」と言って解決するわけです。ところが、その人はまた借ります。二度でも三度でも四度でも借りる。そうすると法律家は、あれほど借りないと約束したのに、なんてあなたはだらしがないんだという話になって、あきれて怒るわけです。しかし、この人の側からしたら、借りなければ生きていけないんです。借りなければ生きていけないという貧困問題をその人は持っているわけです。だから、貧困のあらわれである多重債務の解決というのは、この貧困の問題に届かない限りどうにもならないわけです。ところが、そこがなかなか見えない。見ようとしない。なので、貧困の問題が解決されないということになるわけです。

貧困が見えないというのは、例えば政府もそうです。日本には公的な貧困線というのがありません。アメリカの例を御存じですか。公的貧困線が設定されていて、それを下回れば貧困だと定義されています。毎年アメリカで貧困線を下回っている人は何千万人というように発表されます。ところが、日本はこれがない。だから事実上、生活保護基準が貧困線になっています。ところが、生活保護基準なんてほとんど誰も知らない。自分の御家族の最低生活費を知っている人はいますか。あれは住んでいる場所や家族の構成、年齢によって全部変わってくるんです。結婚しているか、子供がいるか、おじいちゃんおばあちゃんと暮らしているか、その人たちはそれぞれ何歳か、どのエリアに住んでいるかによって、最低生活費は変わってくる。ところが、「自分の最低生活費は?」と言われて答えられる人に、私は会ったことがない。「自分の地域の最低賃金は?」と言われたら、答えられる人はいるんです。労働組合の人とかはすっと答える。これは不思議なことで、最低賃金は労働場面しか規制していないものなんです。最低生活費というのは労働だけじゃない。年金も入れて、仕送りも入れて、要するに生活のすべてを入れたものを憲法で規定しているわけです。一番根本的な数値なんだけど、ほとんど誰も知らない。それだけ貧困に鈍感になっているということです。

自分の最低生活費を知らなければ、自分が貧困かどうかわからない。生活保護以下で暮らしている人がどれだけいるか、これは捕捉率の調査というんですが、政府もあえてこれをやりません。もう30年間やらない。だから、どれだけ日本社会に貧困があるのか誰もわからない。私もわかりません。学者さんで調べている人がいて、大体800万人とか1000万人だろうと言っています。ただ、大規模な調査ではないのでわかりません。

もう一つ、マスコミもそうです。マスコミも貧困という言葉を取り上げることを非常に嫌う。これは外国人にとっては非常に不思議なことらしくて、日本でなぜこんなに貧困という言葉が使われないのかということを調べたフランス人の留学生がいます。彼女は、朝日新聞が1990〜2002年までの12年間でどれだけ「貧困」というタイトルを挙げた記事を書いたかを調べたんです。そうしたら、350件ありました。ところが、そのうちのほとんどはアフリカの貧困とか海外の問題です。そして、25件が残ったそうです。この残った25件のうちの17件は芸術の貧困、政策の貧困、発想の貧困とか、そういうものです。国内の貧困者の貧困を扱ったのは12年間で8件しかなかった。1年に1回も出ていない。

皆さん、いま「格差」という言葉がどれだけ出ているか思ってみてください。あれだけ爆発的にどこでも使われるようになって、もう何でも格差ですよ。教育間格差、地域間格差ぐらいまでならわかりますが、病院間格差とか手術件数の格差とか、とにかくいま何でも格差が使われている。それに比べて貧困という言葉がどれだけ避けられているかということです。政府も見ない、マスコミも見ない、社会も見ない。では、この問題は誰が見ているか。誰も見ていないわけではありません。それが貧困ビジネスです。マーケットが見ていると私は思っています。

4. 貧困者ビジネス

マーケットが見るとはどういうことか。規制緩和が進んでいますが、規制緩和が進むと、いままで社会保障の領域内にいた人がそこから追い出されます。追い出されるというか、市場に出されます。市場で契約主体になる。これがこの間の規制緩和の流れです。そうすると、貧乏人がどうなるか。多くの場合、この貧乏人は市場からも排除されると思われています。郵政民営化のときに何と言われたか。過疎地では郵便が届かなくなると言われたんです。利益が上がらないから民間はそんな所に行かない。五重の排除の結果として生まれた貧困者は市場からも排除される。つまり、6番目の排除があるんだという意見です。これはかなりの部分正しい。でも、私は一面的だと思っています。この五重の排除を受けた存在だからこそターゲットにできるというビジネスもある。それを私は貧困ビジネスと呼んでいます。

例えば、非常にわかりやすいのは消費者金融です。生活苦に陥った人をこそターゲットにしている。3割以上はそういうお客さんで、そういう人にどんどん貸すことで利益を上げている。あるいは、人材派遣、請負、偽装請負とかいろいろ出ていますが、そういうのもある意味わかりやすい。あした食べるお金がない人はどんな労働条件であっても受け入れます。だからこそ、人材派遣会社はあれだけ大きくなれた。

私に相談した人が言ったことで忘れられないのは、47歳の人が20年間の自分を振り返って、自分が仕事を選んできたときの最優先条件は寮と食事がついていることだと言ったんです。彼は時給や日給が幾らとか、正規雇用か非正規雇用かなんかどうでもよかった。住む所がない、食事がないわけだから、まず寮と食事がついている所こそ彼にとって必要な職場だった。そういうところで基本的な労働基準法が守られるわけがない。とにかく、そういうことです。ところが、金融や労働だけではないのでそういうのを幾つか紹介したいと思います。全部は話しきれないので、居住の話をします。

これは、フリーター向けの飯場と私は言っていますが、レストボックスという所です。要するに、定まった住所を持たないフリーターに安く泊まれますよと呼びかけている宿泊所です。これは3年か4年前にできて、あっという間にこれだけ広がりました。山手線全線ほぼ東京都内にあります。これは今後全国化していくと、私はみています。

漫画喫茶に泊まったことがある人がいるかもしれませんが、いないかな、夜間パックで9時間1500円とかと安いんですが、シートが完全にフラットにならない。私も終電をのがして何度か寝ましたが、ちょっと寝た気がしないんです。最近の漫画喫茶は進化していますから、シャワーもついているし、中で軽食も食べられる。要するに、そういう住む人を当て込んでいるつくりになってきているんですが、それでも十分ではない。そういうところに、レストボックスは二段ベッドで10人部屋だけど1泊1500円で泊まれますよ、泊まる場所のないあなたには朗報ですよということで打ち出した。

ここは仕事も紹介します。もともとは建設現場の雑務を提供している会社がバックについてつくった事業です。住みかと職場が一体になったこのシステムは、建設労働現場では古くから飯場システムと言われて、日雇いの人たちの不安定な状態を象徴する言葉でした。それと同じシステムをフリーターに朗報だといってやっている。これはマスコミもかなり好意的に取り上げています。ちなみに、この社長は自分自身が2年間車中生活をやっていたホームレス経験のある人です。前橋さんという人ですが、今度自伝を出しました。『ぼく、路上系社長―ホームレスからでも立ち直れるから大丈夫!』というタイトルです。私も一度会ったことがありますが、髪の毛がさらさらでサーファーを目指していたという人です。これは典型的な貧困ビジネスですが、そうは受け止められないんです。

これはさっきちらっと話したレオパレス21の話です。レオパレス21に入る人は賃貸借契約ではありません。あれは普通のアパートやマンションではなくて、レオパレスの会員契約です。どういうことかというと、レオパレスがあなたと結んでいるのは賃貸者契約ではないので、借地借家法には縛られませんというわけです。だから、1カ月でも滞納したら追い出しますと、ちゃんと会員規定に書いてある。

なぜそのようになるかというと、いまは投資マンションバブル、ちょっと落ちついたといわれていますが、80年代のバブルのときの地上げと違うのは、土地を転がすことによって利益を得るわけではない。上物を建てて、そのマンションに人が入って、この賃料を利回りとして不動産投資の対象になっているわけです。それであれだけREITとかお金を集められるんです。つまり、入居率が命です。

これはレオパレスの事業報告書ですが、「賃貸あってのアパート経営」と書いてあります。そういう考えです。どういうことか。いままでのように礼金、敷金で高いハードルを設けて確実な人しか入れないのでは入居率が確保できない。だから、敷居を下げる。礼金、敷金、保証人不要だといって、貧困者でもアクセスできるようなシステムにするわけです。しかし、そうなれば当然滞納リスクは上がる。だから、一方でいかに追い出しやすくするかということを考えなければいけない。それで、ああいう契約にするわけです。

保証人ビジネスも同じです。いま連帯保証人になるという家賃保証をするビジネスがたくさん出てきましたが、あれが一番訴えているのはオーナーや投資家です。つまり、我々がついていれば本人が出るまで責任を持って保証しますというわけです。フォーシーズという会社があって、不動産業界では「滞納保証事業で健全成長!! 回収業務に独自のノウハウ」といってベンチャービジネスとして取り上げられている会社です。フォーシーズが立て替えていた金額は、平成18年で12億円を超えました。12億円を超える立て替えをやってなぜこの会社はもつのか。それ以上の収入があるからです。なぜそれ以上の収入があるのか。賃借人が滞納すると彼らは3日以内に立て替え払いをします。そうして、その立て替え払いした金に年40.004%の利息をつけて本人に請求します。しかも彼らは保証の代行だといいながら、実は入居する人の親とかに保証人をつけさせます。そして、そこにも40.004%をつける。つまり、サラ金業者なんです。回収業務に独自のノウハウ、要するに取り立てがうまいということです。こういうビジネスが業界的には非常に注目されて、いまどんどん増えているわけです。

これは野宿者を対象にする貧困ビジネスです。宿泊所というのはいま全国で1万2000人の規模があります。その最大手がNPO法人エスエスエスというNPO法人です。このNPO法人は、都内を中心に約130カ所5000人の定員の施設を持っています。彼らはどうやって事業規模を拡大していったかというと、これはちょっとわかりにくいのですが、ホームレスの人の宿泊所というのは社会福祉法に基づいています。ところが、これは何の規制もありません。明治時代にお金を持っている篤志家が自宅を開放して貧民救済をした。それをちょっと裏づけるための規定なんです。それがそのままいままで使われてきているので、何の縛りもありません。彼らが頭が良かったのは、ここに目をつけたことです。

路上から人を連れてきて、6畳の部屋に3人とか4人入れる。そして、生活保護を取らせて、最高額の住宅扶助を請求するわけです。東京でいえば、生活保護の住宅扶助の上限は23区内で1人当たり5万3700円です。5万3700円というと一般のアパートも、風呂付きは借りられないけど、まあ借りられる。でも、それぐらいが精いっぱいです。でも、このシステムにすれば、ホームレスを連れてきて4人入れればその6畳一間の部屋から20万円の上がりが出るんです。こんないいビジネスはない。それで、彼らはどんどん路上から連れていって、どんどん儲けて、次のビルをどんどん競売で落としていって、あっという間に5000人規模の施設をつくってしまった。こういうのも貧困ビジネスだと思っています。ちなみに、愛知県は届け出ているのは1件しかありませんが、名古屋市には470人程度の規模の宿泊所があります。9割方はエスエスエスみたいな所だと思って間違いありません。

格差よりもむしろ貧困ということを見るべきだと私は思っています。貧困ということを見ると、さっき話したように、貧困が労働分野、福祉、居住、金融とかいろんな問題の中に滑り込むように入ってきているということが見えてきます。多重債務の問題も貧困の問題と深く関与しています。労働の問題もそうです。何度労働争議を解決しても、不安定な雇用の人は不安定な雇用に就くしかないんです。その問題を何とかしなければ、労働争議を何十件解決してもまた同じ問題が起きるに決まっている。居住も、金融もそうです。そのように貧困という領域が広がっているんだけれど、さっきも話したように、政府も、マスコミも、社会も見ていない。誰が見ているかといえば、貧困ビジネス。

でも、貧困が見えないと貧困ビジネスも見えません。サラ金は金融の問題だと思っている。人材派遣は労働の問題だと思っている。居住の問題に至っては、こういう問題があること自体をほとんどの人が知らない。つまり貧困という領域を見えるようにして初めて、それをターゲットにしている貧困ビジネスもその共通点において見えてくると感じています。ですから、多様な分野があって、そこで多様な活動が行われているけれども、その共通点として貧困ということがあって、それがいまじわじわと広がってきているんだという認識を持つことが特に大事なのではないか。私は普段こういうことばかりやっているので特にそう思います。

5. 対抗 〜「負けない」戦いとしてのオルタナティブ〜

では、どうするのかということですが、私が必要だと思っているのはこの2点です。さっきから話しているような貧困問題に対応するためには、包括的な生活保障と当事者のエンパワーメント。非常に一般的にいえばそうですが、居場所をつくっていくこと。当事者同士の互助的なネットワークをつくっていくこと。この2つが車の両輪にならないとうまくいかないだろうと思っています。自分の活動は、これが車の両輪になるように心がけていくことだと思っています。

包括的生活保障というのは、ある意味何でもいいんです。例えば、労働組合の人たちがいま「生活賃金、リビングウェッジ」ということを言っています。あれは労働現場で生活が保障されないからです。生活を保障しなければいけないという意識が背景にあるからああいう主張になるわけです。生活賃金でもいい。あるいは、いろんな分野の社会保障を充実させて、失業しても雇用保険が対応できる、病気になっても医療分野で対応できるというように、社会保障を組み合わせて必ず生活していけるようなベーシックインカムを保障するという考え方でもいいと思っています。ただ、不幸にして両方ともいまの日本社会には整備されていない。いまの日本社会で包括的な生活保障ができるのは生活保護しかない。これは生活保護に便乗しようとか、好きとか嫌いという問題ではなくて、それ以外に制度がないんです。

私はいままでに1000人ぐらいの人と生活保護申請の同行をしてきました。1000人やってきて、生活保護を受けたくて受けた人はほとんどいません。ここに書いたような人もそうですが、みんな生活保護なんか受けたくない。生活保護に対して持っている偏見は、一般の人たち以上に強いかもしれない。だけど、そのときに私は聞き返すわけです。「ああ、嫌なんだ。別に受けなくてもいいんだよ。でもじゃあ、あなたはどうやって暮らしていくの?」と。そうすると、やはり考え込んだ末に、あきらめるわけです。生活保護はあきらめて受けるものなんです。これを受けなければ自分の生活はどうにもならない。自分は死ぬしかないというときに、しょうがなくて受けるものなんです。とにかく生活保護しかない。だから、生活賃金も保障されるべきだと思うし、社会保障も充実させるべきだと思うけれど、少なくともいまここに生きていけない人がいたら、それはとりあえず生活保護につなげるしかないというのが実態です。

しかし、生活保護を受けたからといって、友達ができるわけじゃない。福祉事務所のケースワーカーが友達にはならない。彼らは指導する人、生活を管理する人、監視する人です。だから、生活保護を受けても、金銭的にはゆとりができますが、自分の自信とかそういう意味での「溜め」は増えていかない。だからこそ、自分が受け入れられる場所が必要なんです。自分がホームレスであることを隠さなくていい場所、1日で辞めてしまったということを言っても非難されない場所が必要です。その両方が伴わないと「溜め」は回復していかないと私は思っています。

さっき「もやい」は連帯保証をやっていると言いましたが、やはりそれだけでは社会資源をつくるだけにしかならない。「溜め」は回復できないので、土曜日はサロンをやっています。これはそのサロンの写真です。若い人たちはスタッフです。年を取っている人たちはみんな元路上の人たちです。土曜に当事者の人がランチをつくってコーヒーを淹れて、当事者の人が食べにきて、そこでみんな何をするわけでもなく1日じゅうしゃべっているわけです。ここでは東チモールのフェアトレードコーヒーを使っているんですが、生豆で輸入して自分たちで焙煎をやろうという焙煎プロジェクトも始めて、いま「もやいブレンド」をつくるといってみんな頑張っています。

右側は「あうん」の仕事ですが、「あうん」はその仕事づくりです。仕事というのは、いわば社会資源です。だけど、それを集団労働としてやる。そこで同僚関係をつくっていくことが重要なんです。この後を向いている一番左の人は、30年代に山谷のドヤに住んでいる山谷の主といわれるような人です。この隣の人はいまでも路上に住んでいます。この奥でちょっと見えない人も、いまでも路上に住んでいます。この上の左側はアパート生活をしていて、私です。右側はもともと路上に住んでいたんですが、「あうん」の仕事でいまアパートに入った。その後、病気になったので、いまは生活保護を受け、「あうん」の収入と生活保護で暮らしています。

この背中を向けているのはタマちゃんといいますが、タマちゃんは酒を飲むのが大好きで、とにかく毎日仕事が終わると反省会だといって飲みに行くんです。そこで、「タマちゃん、飲み過ぎだ。いいかげんにしろよ」とか、隣のウメちゃんは放っておくとパチンコに行ってしまうんですが、「ウメちゃん、いいかげんにせいよ」とかとみんなで言うわけです。仕事をやることでリズムができるとか、みんながお互い茶化し合ったり牽制し合ったりしながら、何とかしのいでいくわけです。

この写真には映っていませんが、最近「あうん」に入った人がいて、彼もやはりパチンコ依存症なんです。競馬とかギャンブル一般です。彼はすごく働く能力のある人なのでいままで月30万円ぐらい稼いでいました。ところが、30万円稼いだら30万円パチンコや競馬に使う。3日で使うんですよ。あとの28日はどうやって生きていくんだ。わかっているんだけどやめられない。そういう人が「あうん」に来て、仕事のうちの半分は「あうん」で預かることにしました。そうやっているうちに、3カ月ぐらいたって、いま彼は自分で家賃をためておけるようになりました。まだパチンコや競馬に行くんですが、私も彼に誘われて1回競馬をやりましたけど、お金をちゃんと残しておくようになった。こういう変化は同僚関係の中で保たれるものなんです。

まとめに入りますが、私としては、さっき話したようなこの2つが必要だと思っていて、スローガン風にいうと、「負けない」戦いをしようと言っています。オルタナティブというのは、日本語でいえば「負けない」ということなんだと。

つまり、どういうことかというと、市場原理がどんどん広がっていくということは、市場の勝ち負けが人生の勝ち負けになるということです。でも、市場で勝てる人は10人に1人だとみんな知っている。実はもっと少ないかもしれないとみんな知っているわけです。市場で勝つということは、お金も儲かるけど月100時間とか200時間サービス残業をすることなんだろうなということもみんなわかっている。だけど、なぜ勝ちたいかというと、市場で負けたら人生で負けてしまうからです。人生で負けるということは何かといったら、「五重の排除」を受けて生きていけなくなるということです。だって、正規雇用になれなければ労働組合にも入れてくれないし、失業保険も受けられない。だから、勝てないかも、いや勝てるなんて言っているけどそんな人間は一握りだということをみんなわかっていながら、勝ち組に残ろうとするしかないんです。負けが人生における負けを意味してしまうから。

逆にいえば、市場の負けが人生における負けを意味しないようにすればいいんです。それが負けないということだと思うんです。かつてのヒッピーといわれた人たちのように、負けに開き直るという生き方もいいけれど、降りてしまったら事実上生きていけなくなるという人たちがいっぱいいる中で、実際にはかなり難しい。そうだとしたら、負けないように、この2つのことを車の両輪のようにして自分たちの空間をつくっていくんだという活動が必要だし、活動だけでなく、そういうことを問題視することが必要ではないかと思っています。

ことしの10月に日弁連(日本弁護士連合会)が人権大会というのをやったんですが、戦後49回目にして初めて生活保護問題を取り上げました。なぜかというと、何度多重債務の解決をしても被害者が減らない、なぜだ、貧困の問題を取り上げないとこれは解決しないんだということに弁護士さんたちが気づいて、生活保護をメインテーマに据えて人権大会を行いました。そのように、多くの人に気づかれてきていると思っています。

いま生活保護も減らされようとしていますし、大きな状況という意味では、どんどん規制緩和は進むし、ピンチなんですが、これを力に転化していくための工夫が社会にとって必要だろうと思っています。

ちょっと長くなりましたが、以上です。

――湯浅氏 講演 終了

南山大学社会倫理研究所