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南山大学社会倫理研究所
2004年度第4回懇話会 ■講師 渡部 麻衣子先生■

講演の概要

2004年11月20日(土)、南山大学J棟1階特別合同研究室にて開催された2004年度第4回懇話会(統一テーマ「生命倫理を考える視点2:医療の<現場>と生命の<現場>」)において、ウォーリック大学社会学部・渡部麻衣子先生による「イギリスにおけるダウン症を対象とした出生前スクリーニングの発展と現状」と題する講演が行われた。渡部先生は、科学技術社会論、および、フェミニスト・スタンドポイント・セオリーの立場から、イギリスでのダウン症スクリーニングの現状と経緯、およびその問題点について論じる。2001年より開始された「ダウン症スクリーニングプロジェクト」が、いよいよ全国すべての病院の全妊婦を対象として本格的に導入される。また、イギリスの中絶法では、胎児に重篤な障碍がある場合には期限なしで中絶が認められている。スクリーニングプログラムのマネージャー、ワード氏によると、ダウン症スクリーニングが全国的プログラムとして構想される背景には、イギリス国内におけるスクリーニング技術の質の格差と技術普及の地域格差という問題があり、それらの格差を是正するために管理する必要があった。しかし、他の研究者たちは、全国的プログラムの実施と医療費削減とは密接に関係している、と分析している。実際のところ、1989年の保守党政権によるNHS改革では、予算範囲内で質の高い医療を提供しようという目標のもとに、医療提供者に対して「科学的根拠」に基づく医療提供が要求されており、その動きと、より侵襲的なテストの必要性の判定基準としてのダウン症スクリーニングとは無関係だとは言えないように思われる。また、1997年からの労働党政権による医療制度改革で医療の質の向上から格差是正へという目標の転換があったことと全国的プログラムの構想との重なりも注目されるべきである。イギリスにおける胎児条項と優生思想の問題については、「口蓋裂は中絶の理由になるのか」をめぐる法的係争に代表される「重篤な障碍」の定義問題、生まれてきた障碍者に対する治療拒否の問題、生殖における選択の許容範囲の問題などが挙げられる。そして、それらの問題に関して「障碍を補って生きる」という意見と「病気を予防する」という意見の対立がディベートレベルで存在する一方で、現実には、胎児がダウン症だとわかった場合に90パーセント以上の妊婦が中絶している。また、スクリーニング推進派には、ダウン症の人々の生活の実情、および、ダウン症の出生数減少のためには中絶が必要であることが知られていない、という可能性がある。中絶に際する女性の心理的負担など、経験レベルでの考察が必要である。(文責|奥田)


*以下のコンテンツは、懇話会で録音したものを活字化し、講演者本人の校正をへて作成されたものです。無断の転用・転載はお断りいたします。引用、言及等の際には当サイトを典拠として明示下さるようお願いいたします。

イギリスにおけるダウン症を対象とした出生前スクリーニングの発展と現状

渡部麻衣子 (ウォーリック大学社会学部)

もくじ

はじめにイギリスの医療制度中絶法ナショナルダウン症スクリーニングプログラムダウン症出生の動向その他の出生前診断:現状と計画ダウン症スクリーニングプログラムの背景説明への疑問ダウン症を対象とした出生前スクリーニング普及の歴史的経緯ダウン症スクリーニングプログラムの位置付けHGCレポートに関するパブリック・ディベート現実障碍と社会反対意見産科医へのアンケート調査の結果最後に補足1:イギリスにおける女性の経験発表をふり返って

本稿は、2004年11月20日に、南山大学の社会倫理研究所で行った発表を、内容を残しつつ、読むに足るように書き直したものです。

はじめに

ただいま御紹介にあずかりました渡部麻衣子と申します。御紹介の中にもありましたように、現在ウォーリック大学社会学部の博士課程3年です。スティーブ・フラー(Steve Fuller)の下で科学技術社会論という立場から、ダウン症を対象とした出生前スクリーニングの現状、経緯、問題点などを研究しております。もう1つ、紹介文の中にあるかと思いますが、女性学の立場からということで、これはフェミニスト・スタンドポイント・セオリー(Feminist Standpoint Theory)というものがありまして、特に女性の経験、女性だけではなくて、科学技術を使う過程で、関係性の中で抑圧されたということになるのですが、抑圧されている側の経験に着目して研究をするという立場で研究しているつもりです。その研究の簡単な成果を、東京にあります市民科学研究室(註1)というところの「土曜便り」というニュースレターで毎月連載させていただいております。

それでは、発表をはじめさせていただきます。

註1:科学技術の問題を市民の側から考えコントロールすることを目指す団体[http://www.csij.org/aboutus.html]

2004年はダウン症を対象として出生前スクリーニングにとって1つの要となる年です。なぜなら、出生前スクリーニングの先陣を切って2001年からはじまった国によるダウン症スクリーニングプロジェクトが、今年になって準備段階を終えていよいよ全国全ての病院で全妊婦を対象にダウン症スクリーニングが提供されはじめているからです。このプロジェクトは2000年に保健省の長官がダウン症を対象としたスクリーニングは全妊婦に提供されるべきだという見解を発表したのを機にはじまりました。現在、プロジェクトがどういうことになっているのかということから、話をはじめたいと思います。

イギリスの医療制度

そのためには、まずイギリスの医療制度を簡単に説明する必要があるかと思います。イギリスの医療制度を管轄しているのは、National Health Service、略してNHSと呼ばれる病院です。ここが2タイプの病院を管轄していまして、1つがClinicで、1つがNHS hospitalsと言われる総合病院です。医療費は全額保障です。妊婦は妊娠が疑われた場合、まずClinic(一般病院)の方に行きまして、そこで妊娠を確定いたします。次に、NHS hospital(地域の病院)を紹介されて、そこに行って診察を受けて、提供されるスクリーニングについて最初の説明がされるわけです。それから、12週目までにNHS hospitalで初診を受けることが望ましいとされています。初診の際に出生前スクリーニングを受けるか否かを尋ねられて、受ける場合はスケジュールが組まれ、お手持ちの資料のような方法で最後まで診察されるという流れになります。

イギリスでは出生前に妊婦を診るのは主に助産婦という説明を受けましたが、これは病院によってさまざまなようで、私が観察に行った病院では産科医が診察し、出生前診断の説明までも行っていました。

中絶法

次に、出生前診断とは切っても切り離せない中絶法を簡単に御説明いたします。イギリスでは胎児条項もありまして、通常は、資料にある中絶法(註2)の中の全ての理由において24週目までの中絶が認められています。しかし、胎児に重篤な障碍があった場合には期限なしに最後まで中絶が認められます。項目で言うとE項に当たります。(註3)後で述べますように、重篤な障碍というものの定義はあいまいなのですが、ダウン症をはじめとする染色体異常は一般的に重篤な障碍と考えられているようです。

註2:Cambridge Family Planning Service home page: the UK Law about Termination of Pregnancy. [http://www.addenbrookes.org.uk/serv/clin/women/fpc/uk_law_term.html]
註3:A,B項に関しても、満期まで中絶が認められている。

現在は、ダウン症はもっとも多いか、2番目に中絶の理由となっています。資料によって理解が違うと思いますが、新聞記事によれば(註4)、胎児の障碍を理由とする中絶のうちの20%がダウン症を理由としているそうです。こちらは2002年度の政府による発表(註5)を図にしたものですが、政府の見解によると15%がダウン症を理由として中絶をしていて、17%が神経系の疾患、42%がその他ということになっています。

註4:"Curate Allowed to Pursue Late Abortion Inquiry" 1, December, 2003, The Guardian.
註5:National Statistics Series AB no 28. Abortion Statistics [http://www.statistics.gov.uk/downloads/theme_health/AB28_2001/AB28_2001.pdf] 障碍を理由とした中絶はMedicalと表記される。

これらの胎児の疾患を理由とした中絶は無期限に認められているわけですが、やはり遅くなればなるほど母胎への負担が大きくなるということで、いまは24週目までには行えるようにということで、20週目までにスクリーニングをということが指導されています。

ナショナルダウン症スクリーニングプログラム

次に、出生前スクリーニング部会にあるダウン症スクリーニングプログラムの概要を御説明いたします。2004年から本格的に始動したわけですが、プロジェクトはイギリスで出生前(註6)スクリーニング全般を管理しているNational Screening Committee(註7)の1部門であるAntenatal Subgroupによって運営されています。Antenatalというのは出生前という意味ですので、ここでは日本語に訳して「出生前スクリーニング委員会」と呼ぶことにいたします。

註6:The National Down syndrome screening Programme home page [http://www.nelh.nhs.uk/screening/dssp/home.htm]
註7:National Screening Committee home page [http://www.nsc.nhs.uk/]

出生前スクリーニング委員会は、委員長を筆頭におよそ16人のメンバープラスαで構成されています。メンバーには医師、助産婦、チャリティー団体の委員長、遺伝学者、医療経済学者などが含まれます。出生前スクリーニング委員会は1996年にダウン症を対象とした出生前スクリーニングの管理を目的に設立されました。

現在個別にあるのは、ダウン症スクリーニングプログラムだけですが、後でも御説明いたしますが、HIV、B型肝炎など、出生前スクリーニング委員会の管理の対象は他にもあります。

ダウン症スクリーニングプロジェクトは、技術管理、提供の質の管理、提供する情報の管理、ガイドライン作成、監督などを担当する中央の6部門(マネージメント部と言われるもの)で構成されています。これらがプログラムディレクターによって、全国の病院におかれたRegional Coordinatorsと言われる人たち(助産婦によって構成)に伝えられて、全国の病院で同じ質と量の出生前スクリーニングが提供されるという構成になっています。

現在使われているスクリーニングですが、後でまた御質問があれば説明いたしますが、Integral Test、血清Integral、Combined、Quadruple、Double、Triple、NTと全部で7種類あります。NTはほかのテストと一緒に提供されていますので、大まかに言うと、6種類のスクリーニングが国からの奨励を受けて提供されていることになります。

奨励する理由というのはこのように説明されています。(註8)一番奨励されていて2007年までには全ての病院で徐々に使用されるべきと言われているのは、インテグラル、血清インテグラル(註9)と呼ばれるものです。理由は、スクリーニングを受けて、ダウン症を妊娠していないにも関らず、ダウン症の胎児を妊娠している確率が高いと言われる女性の数が、血清Integral、Integralでは少ないからです。つまり、これらの方法で行うとダウン症の胎児を妊娠していないのに、確定診断を受ける女性の数が少ない。つまり、ダウン症でない胎児の流産数に対するダウン症の診断数が他と比べて圧倒的に多くなる。ダウン症を見つけるために、ダウン症児でない胎児を流産する数が少なくなるということで、この2つが奨励されています。(註10)

註8:Antenatal Screening for Down’s syndrome Working Standards (2004) [http://www.nelh.nhs.uk/screening/dssp/working_standards.pdf]
註9:インテグラルテストとは、NTとPAPPAを使った母体血清マーカースクリーニングを妊娠10週目に行い、さらに4つのマーカーを使うクアドロプル母体血清マーカースクリーニングを15-20週目に行うWaldの開発した技術。ここからNTを省くと血清インテグラル(Serum Integral)と呼ばれる。
註10:Wald NJ et al. 2003, First and Second Trimester Antenatal Screening for Down’S syndrome: the results of the Serum, Urine and Ultrasound Screening Study: SURSS.

指針について、具体的に言いますと、2005年度は60%以上の診断率を持ち、5%以下の擬陽性率(False Positive Rate)を持っているスクリーニング技術を提供することが定められ、義務づけられています。2007年までにこれが75%以上の診断率、3%以下の擬陽性率になることが計画されています。プログラムのマネジャーは、この擬陽性率はいずれ1%以下にすると説明されました。

では、現在どれぐらいのスクリーニングテスト、どのようなものを一般の産科医が使っているのかということを2003年の終わりから2004年にかけて約300人の産科医にアンケート調査を行いました。その結果、トリプルテストとダブルテストが、イギリスで最も多く使われているテストでした。割合としては、トリプルテストが24%、ダブルテストが25.29%でした。調査したときには、NT(Nuchal translucency)という新しいテストはまだ国からの奨励を受けていませんでしたので、プライベートのもので、つまりお金を払ってもらって、24.24%の産科医がNTを使っているとの回答でした。

ダウン症出生の動向

その結果、ダウン症の出生がどのようなことになっているかということを、次に御紹介したいと思います。お手持ちの資料では、3ページ目の最初に入ります。これが出生後に診断されたダウン症児の数です。(注の図を参照のこと(註11))ラインより上にあるものは全て出生前に診断されたダウン症児の数です。間の黒い部分がダウン症だと診断されたにもかかわらず出生したダウン症児の数です。黒と白の縦縞のものが中絶の数です。1998年辺りからだんだんと一番上の経過不明というものが増えています。この理由ははっきりとしないのですが、政府の発表によれば、胎児がダウン症だと出生前に診断された妊婦のうち90%以上が中絶するということですので、経過不明の部分も含めて中絶だと考えられると思います。経過不明と中絶の間にあるものですが、これは自然な死産・流産の数です。

(その他の図も発表では紹介したが、ここでは割愛する)

註11:

しかし、イギリスの出生数も1989年から大幅に減少しておりますので、ダウン症の出生率自体はそこまで大きな変化がなく、だいたい0.1%以下ということになっています。1989年は0.1%を少し上回る程度でしたので、減少はしているのですけれどもそれほど大きなものとも言えないのではないかということを表しました。

こういう統計をとっているところは、いまのところNational Down’s Screening Cytogenetic Registerという団体でここは今のところチャリティー団体です。しかし、こういう統計は必要だということを政府が認めまして、現在、国による全国統一された統計ソフトの開発が進んでいます。こちらに出ているものですが、(註12)このような画面を通して医師が入力していけば、自動的に全国統計がとれるというソフトを開発中です。2004年現在で、2つの病院が協力してやっているそうです。

註12:National NHS Down's Syndrome Screening Audit and Monitoring System [http://www.nhsia.nhs.uk/nhais/pages/projects/downs/?om=m3]

その他の出生前診断:現状と計画

これから先の計画と現在の対象を御紹介いたします。現在、全妊婦を対象に行われているスクリーニングの対象がダウン症、二分脊椎、HIV、B型肝炎と4つあります。ただ、おわかりの方が多いと思いますが、HIVとB型肝炎は胎児への感染を防ぐために行われるものですので、ダウン症、二分脊椎とは大きく性質が違います。現在、計画が進行中なのが、Fetal Anomalyという超音波検査を使ったさまざまな疾患を発見するテストと、鎌状赤血球貧血――これは白人には少ないという説明を受けたのですが、黒人の方などを対象にしたもの、サラセミアも計画されています。あと嚢胞性繊維症が検討中で、全妊婦を対象に提供することが検討されています。

英語の資料は、2002年にありました嚢胞性繊維症のスクリーニングを全妊婦を対象に提供するか否かということを検討した小さな検討委員会の中での議論が紹介されていましたので、資料に載せさせていただきました。これで妊婦がキャリアかどうかということを検査して、その後確定診断に移るというスクリーニングを目的としたものだと考えられます。

以上、現状とダウン症スクリーニングを中心にして、イギリスにおける全妊婦を対象としたスクリーニングの大まかな枠組みを紹介しました。次に、ダウン症スクリーニング技術がイギリスにおいて全国に普及した経緯を御紹介したいと思います。

ダウン症スクリーニングプログラムの背景

まず、どのようにダウン症スクリーニングプログラムを作るに至ったのかという点について、ダウン症スクリーニングプログラムのマネージャーであるワードさんという元助産婦の方にインタビューをして聞きました。その方によると、4つのことが問題になっていたという説明を受けました。

最初は技術の種類の問題があった。これはどういうことかと言いますと、1988年に最初にスクリーニングが発表されて、その後1990年代はじめに入ってイギリスの病院でダウン症を対象としたスクリーニングが非常に普及した。その際に内部ではさまざまな闘争があって、だいたい22種類ぐらいの技術が使われていた。そうしますと、ある病院では胎児がダウン症である確率が高いと言われる妊婦が、ある病院では言われないというような技術の種類によって技術格差の問題が生まれてしまった。そんな22種類もある必要がないということが内部で言われるようになって、それを統合する必要が生まれた。

第二に、そのような多くの技術が使われることによって質の格差が生まれたので、それを管理する必要もあった。かつ、どの病院で使われている技術がもっとも有効な技術なのかということがわからなかったので、そのような質の管理も行う必要があった。

第三に、技術普及の地域格差の問題もありました。さきほども申しましたように、イギリスでは妊娠が疑われると地域のClinicに行って、地域の病院を紹介されますので、自分で勝手に選んで行くわけではありません。もちろん選んで行く人もいますが、地域の病院に行く場合は選べない。そうしますと、ある地域では支給されている技術が、ある地域では支給されないということが、提供される側の妊婦にとって不平等になるというような議論が生まれて、それを整理する必要もあるということになった。

ここには第四の問題も絡んできます。だいたい新しい技術というのはプライベートの病院、つまりNHS管轄下以外の病院では非常に早くから提供されるようになります。ですので、プライベートの病院ということは全ての医療がお金を払って提供されるということで、お金持ちの人はみんな行けるわけです。しかし、お金のない人は行けない。そうすると、お金のある妊婦はこのスクリーニング技術を使えるのに、お金のない妊婦は使えないということになる。この、経済格差による技術へのアクセスの不平等も問題になりました。

以上4つの理由から、ダウン症スクリーニングは国のプログラミングにするべきなのではないかという議論が生まれ、このような問題点に着目して1998年に調査結果をNHSに提出して、その結果、ダウン症スクリーニングが全国のプログラムとなるということが決定されたという説明を受けました。

説明への疑問

このような説明を内部の人から受けたわけですが、私はいろいろなものを読んでいる過程で、違う分析もあることを知りました。その1つがスタンウォース(註13)という人の分析です。彼女はこのように言いました。「医療費削減という政策目標を掲げるイギリス政府は、体外受精に関する研究への公的資金援助を行わなかったら障碍児ケアにかかる資金を削減できるという期待の下、出生前スクリーニングには積極的である」。これは1987年ですので、スクリーニングではなくて羊水検査なのではないかと思いますが、出生前診断への公的支援をこのように理解している人がいました。また、2002年にウィリアムス等(Williams et al)(註14)が行った調査では、産科医自身がダウン症を対象とした出生前スクリーニングが普及した理由を、「国の福祉財政を削減できると期待されたこと以外にない」と断言していたりします。このように国の福祉財政とダウン症を対象とした出生前スクリーニングが普及した理由というのはやはりあるのではないかという問題意識を持ちました。

註13:Stanworth, M. (ed). 1987. Reproductive Technologies: Gender, motherhood and Medicine. Cambridge: Polity.
註14:Williams, C., Alderson, P., Farsides, B. 2002. 'What Constitutes 'balanced information in the practitioners' portrayals of down's syndrome?' Midwifery (18):230-237.

そのような問題意識の下に調べてみますと、ダウン症スクリーニングが出てきた1988年から現在にかけて、イギリスにおける医療改革の流れとダウン症スクリーニングが出てきた時期がうまく重なっているわけです。その点に注目しながら私なりに見た歴史というものを次に説明したいと思います。

ダウン症を対象とした出生前スクリーニング普及の歴史的経緯

まず、National Down’s Screening Cytogenetic Registerによる統計がはじまった1988年というのは、ヴァルド(Wald)とカックル(Cuckle)らによる、母胎血清トリプルマーカーテストの研究結果(註15)が発表された年です。ヴァルドとカックルらは論文の最後に、BMジャーナル(British Medical Journal)に発表された論文ですが、その最後に「現在900あるダウン症の出生数を350にまで減らすことも可能だ」と明言して締めくくっています。

註15:Wald , N. J. Cuckle, H. S. and Densem, J.W. et al. 1988. 'Maternal serum screening for Down's syndrome in early pregnancy'. BMJ (297): 883-886.

同じ年に保守党政権によるNHS改革がスタート(註16)しています。この保守党政権によるNHS改革は「貨幣価値のある医療」をスローガンにはじまりました。貨幣価値のある医療というのは、予算範囲内で質の高い医療を提供するために医療の制度を整備するというものです。予算範囲内でより質の高い医療を提供するために医療提供者側には「科学的根拠」に基づいて医療を提供することが求められるようになりました。

註16:NHS改革については、以下を主に参照した。
  • Berg, M. 1995. Turning a practice into a science: reconceptualising postwar medical practice, Social Studies of Science, 25, 437-76.
  • Klein, R., 2001. The new politics of the National Health Service. Harlow : Prentice Hall.
  • Milewa T, Valentine J, and Calnan M (1998). 'Managerialism and active citi-zenshipin Britain's reformed health service: power and community in an era of decentralisation', Social Science and Medicine, 47, 507-517.
  • Price and Barnes. 1999. 'Laboratory medicine in the United Kingdom: 1948-1998 and beyond'. Clin. Chim. Acta. 290 (1): 5-36.

この科学的根拠とスクリーニング技術には連関があります。ダウン症スクリーニングは、羊水検査やCVS(繊毛検査)等、侵襲的なを受けるのに値する妊婦を選ぶということを目的につくられました。科学的根拠に基づいて、妊婦を選ぶために、血清を取って、分析にかけて、胎児がダウン症である確率を数値で明示する技術です。その意味で保守党政権の示した、予算範囲内でより質の高い医療を科学的根拠に基づいて提供するという目標に合致する医療であると考えます。

国は、この科学的根拠に基づいて医療を提供するための仕組みを、Health Technology Assessment(HTA)という機関をつくることによって確立しました。ここは、1991年に、NHS内に作られた、R&D(研究開発部門)というものの中に設置された部門です。ここで、医療に関係する研究をさまざま審査して、開発と応用を推進すべき研究を選択しています。同じ年に、国の外郭団体であるNEQAS(National External Quality Assessment Service)というところにおいて、二分脊椎及びダウン症を対象とした妊娠第2期におけるスクリーニングの査定がはじまっています。

その年に法的な変化もありました。それは中絶法の改正です。1990年にHuman Fertilization and Embryology Actに基づいてAbortion Act(中絶法)が改正されました。さきほど御説明したように、胎児条項に基づいて胎児に疾患があった場合には満期までの中絶が認められるようになりました。

1992年、ヴァルド等の研究チームは、1988年の研究結果を下に、1989年から1991年までの間にロンドンの4つの医療行政地区で行ったパイロット調査の結果を発表しました。トリプルマーカースクリーニングの有効性が確認され、経済効果についてもより詳しく言及されました。その際、1988年のGill等による、出生前診断プログラムとダウン症の人の一生にかかるコストを比較した研究が参照されました。

1993年、母体血清マーカースクリーニングが下院議会で紹介されました。その際、ヴァルド等の1988年、1992年の論文に加え、三つの論文、合わせて五つの論文が提出されました。

1994年にはじめての優先的な研究開発の対象というものを発表しました。その中にダウン症を対象とした出生前スクリーニングが含まれていました。(註17)このことはカックル教授がリーズ大学で結成したヨーロッパダウン症スクリーニンググループというところでもいち早く伝えられました。そこが発表しているダウン症スクリーニングニュースというものの中で、「国がダウン症を対象とした出生前スクリーニングの研究を募集している」という発表をしています(註18)

註17:Smith, R. 1994. 'Towards a Knowledge Based Health Service', British Medical Journal 209:2
註18:Down's screening News 1 (2),1994.

保守党時代には以上のような流れがあったわけですが、1997年にイギリスは保守党から労働党政権へと移ります。そこで、医療制度改革も少し方向性が変わり、医療の質の向上というものから地域による医療の質の格差の削減へと変わりました。地域による医療の質の格差の削減は、さきほど申しましたが、国がダウン症をプログラムとする根拠の一つに挙げられていました。この労働党政権の政策目標の下、1997年から、ダウン症を対象としたスクリーニングだけでなく、さまざまな医療についてのガイドラインの査定がはじまりました。労働党政権下での医療制度の改革も、ダウン症を対象とした出生前スクリーニングは全国プロジェクトとなった基礎となったと考えられます。

1998年にダウン症スクリーニングの調査結果がNHSに提出されて、2000年9月にNHSがダウン症スクリーニングを国のプログラムにするという計画を受け入れています。今年2004年に、準備段階が終わり、現在全妊婦を対象にしたダウン症スクリーニングが全妊婦を対象に紹介されています。

ダウン症スクリーニングプログラムの位置付け

以上、イギリスにおけるダウン症を対象とした出生前スクリーニング発展の経緯を追ってきましたが、最近になって、先端生殖医療の大きな枠組みとも関連して重要な事柄が二つありましたので、紹介します。まず、2003年には、National Health Serviceが“Our Inheritance, Our Future”という白書を発表しました。この中で、ダウン症出生前スクリーニングが国の目下のプログラムの目標という感じで紹介されています。

次に、2004年には、Human Genetic Commission(HGC)というところが、“Choosing the Future”というパブリックコメントを集めるためのレポートですが、主に出生前のジェネティック・スクリーニングに関する問題点を示した白書を発表しました。これに関するパブリックコメントの受付は少し前の11月15日に終了したのですが、2004年、2005年をかけて委員会の中で検討して、2005年にはその結果を政府に提出するという計画になっています。これがまた1つの大きな流れです。

このHGCによる白書での議論が、日本でも多く議論されてきたことについて、イギリスでどのような議論があるのかということを示していると思うので、紹介したいと思います。

HGCレポートに関するパブリック・ディベート

いま閲覧していただいているHGCレポートの方で、2004年に生殖における選択はどこまで許されるのかという論点で議論がありました。その中で、まず「選択は自由だ」という意見、次に「自由はある程度制限されるべき」という意見、それから「そもそも選択肢はあるのか」という意見、そして最後にこれは優生思想に直結する問題提起ですが、「我々は未来の世代に対してどのような責任があるのか」という意見が紹介されていました。

このHGCレポートですが、ジェネティック・スクリーニングが普及していく中で、出生前に胎児の疾患が多く発見可能になったけれども、これから我々はどうしていけばいいのか。そのようなことを問題にしています。

このHGCレポートに関して、イギリスのDanaセンターという場所でパブリックディベートが行われました。その中で、3人のパネルがそれぞれの意見を発表して、会場から応答があるという形式で議論がありました。それがイギリスにおける優生思想に関する議論というものを少し示しているのかなと思いましたので、少し説明いたします。

まず一人めのパネル、オペラモトウ教授という看護学の方が、「スクリーニングは全妊婦に提供するべきではない。なぜなら差別につながるからだ」というような発言をしています。ハリス教授、これはジョン・ハリス(John Harris)という日本でもかなり有名な方のようですが、さきほどの嚢胞性繊維症のワーキンググループの中にも入っていらっしゃる方ですが、「両親はできるだけ正常で健康な子孫を残す選択をする道徳的な理由がある」というPositive Eugenicsの議論をなさっていました。三人目のパネルであった、ハースト女史というのは、さきほどのDisability Rights Commissionとは別のDisabilityグループの中に入っていらっしゃる方だとお聞きしましたが、彼女が「私たちは障碍者の命の価値がすでに低く見なされている社会に生きている。だから、全妊婦を対象としたスクリーニングは結局Positive Eugenicsではなくて、Negative Eugenicsに続いているのだ」という発言をされています。

それに対してどのような反論があったかということですが、特にジョン・ハリス教授に対して強い反論がありました。それはこのような立場からです。「障碍者にとって問題なのは、障碍自体ではなく、社会が障碍者にとって不便にできていることなのだ」という議論です。これは、日本では障碍学と呼ばれる障碍に関する社会学の基礎となっている考え方です。イギリスでは、オリバー(M. Oliver)がこの議論の提起者として有名です。他に、「障碍は社会の構造上規定されているのに過ぎない。であるから、社会を変えれば障碍の定義というのも変わっていくのだ。だから、障碍を補って生きてもいいじゃないか。障碍があるからといって、生まれてくるなというのではなく、ケアしてサポートしながら産ませるためにスクリーニングを行うことが可能なのではないか」というような議論も出ました。

このHGCレポートに関するディベートの中でも、ハリス教授の意見とそれに反論する意見と2つの意見がありまして、それを別の言い方でするとこのようになるのではないかと思います。まず第1に、「障碍を補って生きる」という考え方、もう1つは、「病気を予防する」という考え方があるのではないか。この2つの議論がイギリスの中にはあるようです。

現実

しかし現在、胎児がダウン症だとわかった場合には90%以上に妊婦が中絶しているという現実もあります。いま閲覧していただいていると思いますが、これはNational Down’s Syndrome Screening Programmeのスタッフに向けたハンドブックの中で言われていることです。出生前の診断後の経過をお手持ちの資料に載っている数字を基にグラフにしたものですが、53%が中絶をし、経過不明の40%が恐らく中絶に当たるだろうということで、このような現実があります。障碍を補って生きるか、病気を予防するという2つの意見があるわけですが、現実としては、ダウン症は予防されている。それがイギリスの現実だと思います。

障碍と社会

この現実を、社会における障碍という枠組みで捉えた場合、一番重要なのが、胎児条項の捉えられ方なのではないかと思います。 まず1990年に、中絶法が改正されたのですが、その際、胎児条項がつけ加えられたのではなくて、障碍を理由とした中絶だけ期限が取り払われて無期限に中絶が可能となりました。それに対して、Disability Rights Commission (これもこの間の研究会で政府機関だという御説明がありました)が、次のような見解を示しています。

まず第1に、Disability Discrimination Actには矛盾しない、と述べています。Disability Discrimination Actとは障碍者差別の禁止を定めた法令です。例えば、職場などで障碍者差別をしてはいけないというようなことを、取り仕切っているものですが、障碍を理由とした中絶はこれには矛盾しないというのが公式見解です。「しかし」とこのDisability Rights Commissionはつけ加えていて、「しかし条項は多くの人々の感情を害している。中絶の期限が障碍を理由とした中絶でのみはずされていることに対し、障碍者差別だという意見も多くある」。このように説明していました。(註19)

註19:胎児条項へのDisability Rights Commission の見解[http://www.drc-gb.org/publicationsandreports/campaigndetails.asp?section=he&id=325] (Last Visited, 25 January 2005)

胎児条項について、もう一つ重要な点は、重篤な障碍であった場合には中絶が許されるということに関する「重篤な障害」の定義です。最近では、「口蓋裂は中絶の理由になるのか?」ということが問題になりました。(註20)彼女は牧師補佐という職業を持っている人で、彼女自身も口蓋裂で生まれてきて、治ったと説明していましたが、整形手術を受けられた方です。この方が、あるところで行われた24週を過ぎてからの口蓋裂を理由とした中絶が違法であるということで、医者と捜査しなかった警察を訴えるという権利を勝ち取って、高等法院でこの訴えが受理されて、現在も裁判が続いています。

註20:Allison, R. December 2, 2003. 'Does a Cleft Palate Justify an Abortion? Curate Wins Right to Challenge Doctors', The Guardian.

蛇足になるかもしれませんが、障碍を持って生まれてきても治療を拒否される人たちがいるということも、付け加えておきたいと思います。ダウン症についても私が探しただけで2001〜2004年に3つ記事があって、治療や必要な手術を拒否されるということを取り上げています。(註21)

註21:Lass, K. September 19, 2003 'Should Only healthy Babies be Born?', BBC NEWS.
Clare Dyer, 1 Oct 2004, Parents who want to save baby Charlotte fight doctors who say it's cruel to let her live. Guardian.

反対意見

これらが、イギリスで出生前診断を取り巻く大きな流れだったわけですが、また、ダウン症を対象とした出生前スクリーニングの話題に戻って、経験的に全妊婦を対象とする国のプログラムに、どのような反論があるのかということを御紹介したいと思います。NHKの坂井律子さんがお書きになった『ルポルタージュ出生前診断』という本の中で、ダウン症協会がスクリーニングの普及に反対ではないということが、驚きを持って紹介されていました。確かにダウン症協会は積極的に普及に反対はしていませんが、ダウン症児の親の方たちからは、現在も反論の声があがります。

イギリスでダウン症を対象としたスクリーニングを全妊婦に提供することを決定したと発表されたのは2003年に入ってからです。それに対してクリス・グレーベル(Chris Gravell)というダウン症児の親でもあり、またダウン症児の親のメーリングリストを管理されている方がこのような発言をされています。これはNHSに提出されたものからの抜粋です。「イギリス社会は本当に、私たちのダウン症を持った子どもたち、そして、多くの大人たち、自立し、満たされた素晴らしい人生を送っている彼らに対し、彼らがここにいるべきではなく、社会にとってとんだ重荷だから、生まれる前に間引きした方がいい、という明確な宣言をしたいのか?」。

もう1人は、このように発言しています。「この世の中には、ダウン症よりももっと‘悪い’障碍があるのに、どうしてダウン症の子どもたちが生まれる前から審判を下されなくてはいけないのでしょうか? このような否定的なPRはこの障碍を持った人たちが社会に含まれる上で何の役に立ちません。悲しいです」。このような反論がダウン症児の親からあります。

スクリーニングに関しては、ダウン症児の親だけではなくて、医療従事者からも疑問の声が上がっていました。2002年にウィリアムス(Williams)らがインタビュー調査を行った結果ですが、ある助産婦が次のように言いました。「私は全く[なぜテストを提供するのかということについて]納得していません。ダウン症スクリーニングにかかわる全ての人は、日常的にはもちろん、なぜこのテストを提供するのかということについて考えていないと思います」。(註22)

註22:Williams, C, Alderson, P. and Farsides, B. 'Too Many Choice? Hospital and Community staff reflect on the future of prenatal screening'. Social Science and Medicine (55). 2002: 743-754.

もう1人の助産婦は、「もちろんこのテストはカップルに選択肢を与えるために提供されていますが、このテストを提供すること自体が、完璧な子を持つ方がよいということを暗示していると思います」と答えています。

これはさきほど御紹介した産科医の意見ですが、「ダウン症に関することは全て政府からはじまったのだと思います。ダウン症が対象となったのは、その理由が、彼らが長く生きて政府に経済的な負担をかける存在だったからです。だから、これに重点がおかれた。理由はこれしかないと思います」と答えていました。

産科医へのアンケート調査の結果

実際に産科医たちが、どういう意見を持っているのかということについて、2003年の終りから2004年のはじめにかけて行ったアンケート調査の結果を少し紹介したいと思います。調査はイギリス中の産科医約200人を対象に郵送で行い、内94名からの回答を得ましたが、その結果、彼らは専門家としては意見を言わないという立場をとっていました。ガイドラインの中に「専門家としては意見を述べてはならない。妊婦の選択を妨げるようなことを言ってはならない」とあるのです。「このようにイギリスで出生前に診断可能なさまざまな障碍があるわけですが、これらが発見された場合、個人的な意見としては、あなたならどうしますか」という質問に対してはさまざまな意見があって、若干中絶するというように傾いていることがわかります。(註23)ただ、ここに付け加えて、専門家としては「それは私の意見ではないから、彼女たちの意見だから言えない」ということを自由回答でおっしゃっていました。

註23:94名の産科医からの回答を得たアンケート調査の結果。7つの障碍について、中絶が妥当な選択かそうでないか、5段階で答えを聞いた。中央は中立の立場を示す答え。左図は産科医として担当する妊婦が、当該の障碍を持った胎児を妊娠していた場合の答え、右図は、自分もしくは自分の妻が妊娠していた場合の答えである。対象とした障碍は、口蓋裂、身体疾患を伴うダウン症、身体的疾患を伴わないダウン症、二分脊椎、嚢胞性繊維症、無脳症。

最後に

以上、まとまりませんが、イギリスにおけるダウン症を対象とした出生前スクリーニングの現状とその問題点を御紹介いたしました。私が今考えていることとしましては、やはりさきほど挙げました2つの意見、障碍を補って生きるのか、それともダウン症の子が生まれてきた後のさまざまなケアを前提としてスクリーニングをするのかという2つの点で、ケアを前提としてスクリーニングをするということは不可能なのかということをいま考えています。

また、やはりさまざまな御紹介したような経緯を見てくると、ダウン症がスクリーニングの対象となったのはたまたま技術的にそれが可能だったからなのではないかと。たまたま可能だったのでシステムを整えてみたということなのではないかと思えてくるのです。けれど、システムを整えることも必要だったのかもしれませんが、システムが整うまでの間、さまざまなやはり無意味な中絶もありますし、女性が苦しみます。御紹介しましたように、助産婦や産科医も混乱が起きるわけで、不快感があるわけです。それらは「仕方のないこと」なのだろうか。それはシステムが整うまで待っていれば解決することなのだろうか。それが解決するまで待っていていいことなのだろうか。そのようなことも問題として考えています。

このような問題があるにもかかわらず、イギリスでスクリーニングが発展してきた理由としては、やはり2つのことを、スクリーニングを推進する側が知らなかったからではないかと考えています。それはどのようなことかと言いますと、例えばヴァルドとカックルは、まるで当たり前のように「現在900あるダウン症児の出生数を350にまで減らすことができる」と主張しました。この主張には、ダウン症児が生まれてくることは、語弊のない言い方をしようとすれば、必要のないことだというような前提があります。ダウン症児の親たちは、出生前スクリーニングを提供するという政府の発表から、敏感にこの前提を感じ、そこに反対しています。そのことが、ダウン症の人がどのような暮らしをしているのかとか、どのような生活を営んでいるのかということは知らないまま、このような発言をしているということを示唆しています。もう1つ、この「900あるダウン症児を350にまで減らすことができる」という発言の中で、忘れられているのは、減らすためには中絶をしなければいけないということです。中絶の苦しみについてまるで理解していないということがあると思います。

補足1:イギリスにおける女性の経験

発表の中でご紹介するのを忘れていましたので、最後にこの点に、少し触れさせていただきたく思います。2003年に、ある女性が、選択的中絶についての経験をガーディアン(The Guardian)に載せていました。(註24)その中で言われていて、私としては非常に衝撃的だったことが1つあります。彼女は24週を超えての中絶だったわけですが、12週を過ぎた中絶というのは全て産まなければならないわけです。24週というと、もう相当大きいですから、彼女の胎児は動いていたわけです。無理に陣痛を起こさせるためには、まず経口中絶薬というものを飲む。飲んだ後、一度家に帰されて、陣痛が起きるまで2、3日家で待たなければならない。その間も胎児は動くわけです。何度か薬を飲むわけですが、飲むたびに自分がまるで現在おなかの中で動いている胎児を殺しているかのような感覚を持ったということを述べています。

註24:Loach, E. May 31, 2003 'The Hardest Thing I Have Ever Done', The Guardian.

このような経験は、彼女だけでなく、ARC(Ante natal Results and Choices)(註25)という団体があって、ここは障碍を理由として中絶をする妊婦の精神的なケアを行っている団体ですから、そこのパンフレットにも幾つか載っているわけです。決して簡単にできるものではないと。決して強制されてはいけないというのは、そこが理由なわけです。かつ、12週を過ぎてからの中絶は平均して6時間かかる。この女性の経験によれば、産科医は「全然普通のお産とは違うから」と説明したそうです。「すごく楽だよ、小さなお産みたいなものだよ」と説明したにもかかわらず、彼女が実際やってみると、彼女が最初の子をお産したときのような感覚と全く同じだったと説明していました。最終的に生まれてきたときには、本当に赤ちゃんが生まれてきたような喜びさえ感じてしまったと述べていました。しかし、赤ちゃんはもちろん息をしていなくて、彼女は自ら望んでその赤ちゃんを抱いたわけですが、抱いたときには“My perfect baby”だと思った。手放したくないと思ったと述べています。

註24:ARCホームページ[http://www.arc-uk.org/]

しかし、彼女はこの記事で障碍を理由とした中絶を非難しようとか、やめてくれと言っているわけでもなく、その経験によって自分が大人として認められるようになった気がするというような発言をしています。現在は、ときどき障碍を持った子どもを見ると、彼らの生きる価値というものを否定してしまったことに対して非常に申し訳ないと感じることもあるけれども、早く嫌な出来事は忘れて、元の家族生活に戻りたいというような記事を発表していました。

発表は以上です。ありがとうございました。

――渡部氏 講演 終了

発表をふり返って

科学技術社会論の議論の中でよく言われることは、ある分野の専門家も別の分野では非専門家であるということです。この視点に立てば、出生前スクリーニングの専門家であるヴァルドやカックルが、障碍や中絶の問題に関して非専門家であった点が問題になります。出生前スクリーニングの専門家は、これらの問題に関して、社会に優勢な理解を共有していたに過ぎないのではないでしょうか。社会に優勢な理解とは、障碍に対する偏見と中絶に対する無知を意味しています。しかし、障碍や中絶は、彼等の主張にとってまさに要となる事項でした。そして、技術はこうした事項に対する、技術の専門家たちの問題のある理解(それは即ち社会における一般的理解)を内包したまま、国のプログラムとなるまで発展していったのではないでしょうか。今後は、その点を明らかにするために、技術を発展させた専門家たちの議論も、批判的に考察していきたいと考えています。また、実際に障碍と共に生きている人々、また中絶した女性たちの体験が、批判的考察に有効な視点を提供するだろうと考えています。

南山大学社会倫理研究所