講演会は予定通り17時から開始し、最初に講演者の紹介を森山幹弘教授(南山大学外国語学部学部アジア学科)が行った後、およそ1時間の講演が行われた。参加者とのダイアローグの時間を十分にとりたいという講演者の意向で、講演の後、およそ1時間の質疑応答を行い、活発な議論が行われた。参加者は南山大学の学生を中心に15名の参加があった。うち一般の参加者が2名であった。
アチェップ・ザムザム・ヌール氏は、落ち着いた静かな語り口で参加者の学生たちの様子を観察しながら、講演を行われた。講演内容の概略は次のとおりである。
インドネシアには、各地にイスラム教育を行う伝統的なプサントレンと呼ばれる教育施設が古くからあり、そこでは主宰する指導者キアイの下で生徒サントリが、寝食を共にしながらイスラムだけでなく、倫理、寛容の精神、交際などあらゆる生きる術を学んでいる。彼らサントリたちはアラビア語の文法から始め、イスラム法を段階的に学んでいくが、その媒体として詩や歌などの文化を学んでいく。アラビア文学の輝かしい伝統は、インドネシアの様々な土地で吸収され、土地の伝統文化と融合していき、インドネシアの各地で花開いた。スマトラでは多くの詩人がマレー語の詩の伝統を築き、ジャワ地方ではジャワ語、スンダ地方ではスンダ語によって詩作の発展をみた。それらの詩の特徴である神秘主義的な内容は、最も長い伝統を持つマレー語圏だけでなく、各地の文学伝統の中に吸収されて発展していった。近代文学が現れる20世紀になると、なかでもアミール・ハムザという名の詩人が、自己の内省と何世紀にもわたって発展してきたプサントレンを基盤とするイスラム神秘主義的な詩の伝統を融合してムラユ語で表現した。それは、その後のインドネシア文学において重要な潮流の一つとなり、インドネシア独立後の多くの詩人たちに影響を与えた。
プサントレン出身の詩人たちの中には、スーフィズムを取り込んだ作風を特徴とする詩人たちが活躍してきた。神への畏怖とともに恋慕の気持ちが表現された精神性豊かな詩は、独立後のいつの時代でもインドネシアの文学史において一定の位置を保ち続けてきた。
スハルト体制が終わり、改革の時代以後には、それまでのスーフィズムや神秘主義を表現するイスラム的な詩だけでなく、様々な詩が創作されるようになってきた。伝統的なイスラム教育機関であるプサントレン出身の詩人だけでなく、都市出身の詩人たち、とりわけ女性の詩人や文学愛好者が新しいコミュニティーを形成して文学活動を行うようになっている。例えば、「フォーラム・ペンの輪」などのようなコミュニティーはインドネシア国内だけでなく、国外にも支部を持ち、グローバル化の流れのなかでポップ・カルチャーとして、イスラム的な要素を持った詩、短編、小説を創作している。そこには、イスラムの要素が溶解し、文学に溶け込んで新たな潮流を生み出したと言える。 (文責:森山 幹弘) |