教員essay

【21世紀における日本オーストラリアが共有する課題について】


日本とオーストラリアが置かれている立場
 日本とオーストラリアのことが取り上げられるとき、日本とオーストラリアの間の歴史や外交、経済関係などが話題になることは多いでしょうが、最近、それと違うタイプの交流が現れています。2003年にメルボルンのモナッシュ大学とデーキン大学の主催で、「グローバル化に直面するオーストラリアと日本」というテーマの学会が開催され、また今年は東京大学やオーストラリアのワガワガにあるスタート大学も同じく日本とオーストラリアの間の関係ではなく、より広い世界の中で日本とオーストラリアが共有する課題を取り上げる研究プロジェクトを計画しています。私自身の所属する南山大学も同じ路線に沿ったワークショップを今年の9月に計画しております。
  日本とオーストラリアの共通の課題は、両国が共有している立場によるものです。アジア・オセアニア地域での先進国であること、経済の面でも安全保障の面でも米国と深い関係を持っていること、アジアの国に対してある程度の警戒心や場合によって恐怖感を抱いていること、そしてアジア大陸、とくに中国の巨大な人口に関してある程度の脅威を感じていることがまず挙げられます。
  さらに、両国はアジアからある程度の不信感を買ってしまう歴史を抱えています。オーストラリアの場合はヨーロッパの植民地主義から生まれた国であること、そしてその歴史の大半はアジアに対して差別的であった白豪主義という政策を保持していたという歴史、日本の場合、何よりも植民地政策と戦争を日本自身が遂行したことがその歴史なのです。戦後は、両国がアジアの国と良好な関係を築こうとしてきたことはいうまでもありません。しかし、歴史がそれで消えるわけではありません。
  さて、ここで強調したいことは今述べたこれらの共通の条件は互いに無縁のものではなく、むしろ互いの関連が深く、一つ一つの事柄に対する対策は他の条件に必ず影響するということです。明らかに他の国を脅威として見ることはその国との良好の関係を助長しません。それに、背負っている歴史が原因で、アジアと疎遠になりやすいところ、あまりにも米国に依存する、あるいは味方することは、アジアとの疎遠な傾向に拍車をかけてしまう可能性があることはいうまでもありません。
  ですから、日本とオーストラリアが本当に共通に抱えている課題は先ほどリストアップした条件の複雑な関連をどう処理するかということです。つまり、それぞれの条件への対応にはどのようにバランスを図るかということです。
  9.11事件によって、先に述べた条件への包括的な対応がいっそう難しくなったと思います。9.11事件やその他のテロ事件(バリ島、マドリッド等)及び対テロ戦争によって緊張感、不信感、恐怖感、亀裂がいっそう深刻になりました。それに、対テロ戦争において、日本とオーストラリアが類似した立場におかれていることがいっそう明白になっています。特に米国との関係と他の関係の兼ね合いの難しさが浮き彫りにされています。





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